眠る人

 * * *

「記憶の宝石館店主、座敷童の黒耀。なるほどね、彼が思い出を形作っているわけだ」

 山草和樹が、苦しそうに息をする店主――黒耀の額を撫でた。

 彼は見えざる者と人間の均衡を保つべく活動する陰陽師のような職の家系の出で、彼はその中でもとりわけ霊感が強い。

 故に彼の周りを多くの妖怪や神々が取り囲んでいる。

「人魚、彼の容態は?」

「頑張ってるけど難しいわ。万能薬が効かないとなるとやっぱり病気とかそういうものじゃないのかも」

 下半身の魚の部分に水神の流線型の水をまとった人魚が心配そうに言った。

「魂が弱ってる」

 ぶっきらぼうにそう言うのは黒い着物を着た死神。さらりと流したポニーテールが美しい。

「どんどん力を失ってる。この紋もすぐに力を失うだろう」

 そう言いながら白い右手を持ち上げた。

「何だそれ」

 河童が興味を持った。

「ソーテラーンの紋よ。知らないの?」

「そんな西洋魔法知らねえよ」

「最近明治街でもよく見られるようになったけど」

「で? どういうモンだ?」

「駄洒落?」

「違ぇ!」

「冗談よ」

 いつも通りのこの調子に和樹は苦笑いを浮かべた。

「ソーテラーンの紋は謎の多い印よ。悪人にも善人にも付いている。それにその紋を身に宿した人は魔力を使えるようになる代わりに永遠にその輪廻には帰れない」

「呪いと取るのか、贈り物と取るのか……人によって見方の変わる印なんですよね」

 水神が付け足した。

「その、ソー……テラーンだか何だかって言うのはどれ位の頻度で現れるんだ?」

「私達にとっては結構身近な物かもしれませんね。――ほら、山草の札に」

 その場の者達が驚いて和樹の家に伝わる仕事道具、お札を見る。

 確かに黒耀の右手に刻印されているソーテラーンの紋と同じ模様が札上部にしっかりと刻まれていた。

「どういう事なんだ? 一体……」

 和樹がそう言った瞬間、黒耀が苦しそうに呻いた。

「黒耀さん!?」

「ハァッ、ハァッ……ぐ!」

「人魚は下がってて! ちょっと強いの使うわ」

 死神が黒耀の額に何やら不思議な文字を描き、息を吹きかけた。

 文字が紫の光を帯び、黒耀の発作も落ち着く。

「これでひとまずは大丈夫よ……。だけど、もう魔力はほとんど消えた」

「そんな!」

「どうすれば!?」

「ここまで来たら私達にはもうどうしようもない。あのレトロカメラとかいうのが犯人から魂を奪い返すのを待つしか……」

「待つしかないなんて! ――ねえ、和樹! 何とか出来ないの!?」

「そんな事言われても……これは俺にもどうしようもないよ」

 困ったように頭を掻く和樹の横で黒耀が薄く目を開けた。

「にい、ちゃん……寂しいよ」

 その言葉はか細く、聞く者は誰もいなかった。


 黒耀の意識は闇に溶け込んだ。


 * * *


 ――ガボガボ!

 ハッと目を開くとまた海の中にいた。

 辺りを見回すとゆらゆら揺らめく水の中に幾つもの画像が浮かんでいる。

 泳いでそれらに近付くと驚愕した。

 全てキスシーンだった。しかも焔と見知らぬ誰かの。しかも口同士。

「え……」

 ちょっと胸が痛む。

 それは女の子だったり大人の女の人だったり。

 極めつけは男もいた。

「どういう事? え? そういう趣味?」

 キスという行為自体驚愕したけど、何より驚いたのはその数だ。

 上も下も右も左もそれだらけ。目が慣れすぎて何とも思わなくなる位。

「一体どんだけやったのよ」

 こりゃ兎頭くんがキス魔と言ったのが納得出来るわね。

 そんな事を思いながら暫く泳ぐと海は次第に闇に包まれていった。

「まあ流石にそこまでやらかしたりはしないよね」

 思わず苦笑いを浮かべると、上の方から微かな声が聞こえた。

 え?

『……』

 目の前に松明の炎が一つずつ現れる。

 沢山の誰かが円を囲んでいるのが次第に分かってきた。

「何だろう」

 そう思った瞬間――。


『聖人様!』


 頭にガツンと衝撃が走った。

 聖人、様?

 痛みが治まった所で顔を上げると先程より景色がハッキリしている。

 周りを囲んでいたのは犬の獣人だった。

 奥に何か物騒な大きな木の台が置いてある。――あれって、処刑台……?

 ふと気付くと目の前にうなだれる黒髪の薄汚れた少年が見えた。

 心なしかナナシ君に似ている気がする。

『聖人様、最後のお慈悲の言葉を彼にお与えください』

『そうすれば彼もきっと天国で幸せでございます』

 背後で突然声が聞こえ、思わず身を引いた。

 が、これは単なる画像。後ろから迫ってきた豪華な服のぶち模様の犬と顔を隠した大司教の服の人――聖人は私をすり抜けて黒髪の少年の前に立ちはだかった。

 どうするつもりなの?

『首を切るのか?』

 聖人がぽつりと呟く。

 あれ、この声……。

『ええ』

『邪神だからか?』

『ええ』

『……そうか』

『さあ、お別れのお言葉を』

 聖人が前へ進み出た。

 ……。

『顔を上げて。黒耀』

『にい、ちゃん……僕怖い……怖いよ』

『邪神は口出すな!』

 兵士が持っていた矛で黒髪の少年――黒耀を殴ろうとする。それを聖人が右手だけで制した。

『ほら、怖がらないで。兄ちゃんの方を見るんだ』

 聖人が顔を隠す布を帽子ごと取った。

 少し長めの髪の毛を持つ赤毛の少年が現れた。前髪が双眸を軽く隠している。

 切らないのかな。

『聖人様、そのような事はお止め下さい!』

『煩い! 俺のやり方に口出ししないでくれ!』

『で、ですが!』

『良いから!』

 聖人の勢いに周りの兵士達がたじろぐ。

『ほら、怖くなくなるおまじないをかけてあげよう。黒耀、だからこっち向いて』

『にい、ちゃ――?』

 その瞬間辺りに衝撃が走った。

 聖人の唇が黒耀の唇を覆ったのだ。

 黒耀の目が見開く。

『ぐ……んむ!?』

 体が痙攣して、もがく。それと同時に下方から光が射し始めた。

 焔が言っていた「見えない聖水」だ。

 とすると、もしかして……。

 頭の中で様々な事が繋がり始めた。

 黒耀の体が淡く発光し、光の球と共に天へと上がっていく。

『に、兄ちゃん!?』

『元気でな! 黒耀!』

 唇が離れた瞬間、一瞬糸引く陰が見えた。

 その瞬間をその場にいた誰もが見ていた。

『聖人様!』

『ああ、何て事を……!』

 大騒ぎだ。

 その場は混沌を極めた。

 しかし黒耀とは相反してその場に残った聖人のその瞳は安らぎに満ち満ちていた。

 それはとても見覚えのあるものだった……。

 胸がいっぱいになり、喉でつっかえていたある名前が口をついて出て来る。


「……ッ、焔アァ!!」


 その瞬間激しい水流が前から押し寄せ、奥の方へと無理矢理流される。

「嫌、焔! 焔!!」

 気付くと下方を街が流れている。――違う。私が街の上空を流されているんだ。

 そして何故か分からないけど、それはいらないまちだと、感覚的に分かった。

 暫くするとその高度は少しずつ下がっていき、聖地に立ち手を繋ぐ二人の間を通り抜けていった。

 それに気付いた二人がこちらを見る。

 一瞬でよく見えなかったが、一人は茶髪で先程の聖人と同じ大司教のような服をまとっており、もう一人は黒く長い一つの三つ編みをしたゆったりとした服をまとっていた。

 私が遠ざかる内に二人の周りからは青い水が湧きだし、周りを満たしていった。

「……!」

 無意識に手を伸ばそうとしたが、届かなかった……。

 * * *

 ゴチーン!

「っつ!!」

「おい起きろねぼすけ」

 突然の痛みで目が覚めた。

 今のは全部……夢?

「朝早いって言ったろ。早く支度しろ」

 そうぶっきらぼうに言い放ったのはお馴染み兎頭くん。

 手に真っ黒なフライパンを持っている。――って待てよ? 殴ったのか? それで殴ったのか?

 フライパンで??

「もう一度殴られたいか?」

「良い! 良い!」

「焔はもう起きてるぞ。早く支度しろ」

 その言葉に瞬間ハッとなる。

「ほ、焔は元気そう?」

「何言ってやがる。相変わらずアホ面さらしてるよ。ほら、早くしないと次は土鍋だぞ」

 物騒な脅迫に身を縮こまらせながら布団から出た。

 外から元気な笑い声が聞こえる。

(つづく)

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