ケベック爺さん

「襟が立ってる」

「そこ、泥が付いてる」

「サスペンダーをもっときつく締めろ、だらしない」

「姿勢はこう」

 ケベックさんの家に着いたは良いものの当の家主が家に居なかった。

 その為かどうかは知らないけど兎頭くんがいつも以上に(いつもは知らないけど)張り切っている。

「……兎頭くんっていつもこうなの?」

「いつもこうだよ」

 前言撤回。

 いつも以上と思っていたが、どうやら「いつも」らしい。

 それ程の人――じゃなかった、猪って事なのか。(早くこの癖直したい)

「浬帆、浬帆」

 緊張しながら突っ立っていたら傍にいた焔が小声で話しかけてきた。

「何?」

「そんなにくっつかなくたって、ケベック爺さんは君を取って食ったりなんかしないよ」

「う……!」

 気付いたら両手がしっかりと彼のカーディガンの袖を握っていた。

 慌てて離し、謝ろうと思った矢先彼が先程よりも小声で

「怖い?」

と聞いてきた。

「う……うん、まあ」

 怖くないと言ったら嘘になる。

「そんなに気にしなくても大丈夫だよ。ボクがいるから」

 相変わらずの煌めく優しさ。

 現実世界(今はそう言えば良いのかな?)に居ればさぞモテる事だろう。

 そうやって尊敬の眼差しを彼に向けていたら兎頭くんがこちらをじーっと見つめていることに気が付いた。

「な、何?」

「お前焔の事好きなん?」

「……!」

 ――ドキ!

 唐突な兎頭くんのカウンターに思わず焔から離れる。

「な、何言ってるのよ!」

「いや、感覚的に思った」

「な……」

「もしや、惚れっぽいのか?」

「ちょ、そういう訳では……!」

 顔面に血液が集中する。

 と、その時――。


『ま、現実世界ではこんなに君を思ってくれる友達は少なかったもんね。惚れっぽくなって当然だよね』


「……!?」

 ナナシ君!?

 突然聞こえてきたあの因縁の声が近くで聞こえた気がして思わずきょろきょろと辺りを見回した。

 いつの間にか辺りがモノクロに固まり、時間の流れがゆっくりになっている。

 もしかして……ナナシ君の、せい?

『こっちこっち』

 その声の方を向くと兎頭くんの後ろで例の美少年がによによ笑っているのが見えた。(それさえも様になっているのが、何か知らんが腹立つ)

 彼の周りには大きくて綺麗で、かつ神秘的な桃色の蝶がひらひら舞っていた。

『ね、リホ。そうだろ? ――友達少ないもんね』

 くっくっと笑いながら嫌味のように言う。

 異世界に来て忘れかけていた嫌な思い出をほじくり返されたみたいで、胸糞が悪くなった。

「だから何だって言うのよ」

『別に? 何でもないけど……忘れないで』

 子どもっぽい大きな目を細めた。

『君は「いらない」からここに居るんだよ』

「……!」

 あの可愛らしい笑顔からは全く想像できないような冷酷な言葉が胸を突き通した。

 ――捕虜。

 兎頭くんが自然に放った言葉が頭をぐるぐる回る。

 急に、周りではしゃぎ倒す彼らに馴染めるのかどうかが不安になってきた。

 もしかしてあの時のクラスメートのように私を冷たい瞳で追い出すかもしれない。

 そう思うと何故だか心が苦しかった。

 正しいとは一体何なのだろう。

「こらー、兎頭。変な事言って困らすんじゃないよ」

「……!?」

 突然無遠慮に後ろから抱きついてきた焔の声で目が覚めるような心地がした。

 きょろきょろ見回してみるがナナシ君の姿はもうどこにもなかった。

「ナ……ナナシ君?」

「どうしたの? 浬帆」

「……!!」

 焔の細長い人差し指にぷすりと右頰を突かれた事でやっと現状を把握した。

 か、顔……。

 顔が近い……!!

「どええっ、近すぎ!!」

「……??」

 くっついたり離れたりする私に焔は不思議そうな顔をしていた。


 暫くして外が工事現場みたいに騒がしくなった。――バイクだ。話には聞いていたが、実物を見ると思ったよりでかい。

「頭領だ!」

 兎頭くんの声が心なしかわくわくしているように聞こえる。

「……本当にいつもこうなの?」

「いつもこうだよ」

 意外と子どもっぽいのかもしれない。

「まあ、ケベック爺さんはここいらの子ども達からしたらヒーローみたいなもんだから」

「そのケベックさんってどんな猪なの?」

「モグラ親父」

「……ん?」

「モグラ親父。まあ見りゃ分かるよ」

「んん……」

 無理矢理納得することにした。

 今思ったけど、焔の説明は何でもかんでもアバウトだ。

 この会話が終わった所で玄関の扉が開き、大きな体が入ってきた。

 体全体が機械油やら乾いた泥やらで汚れ放題汚れている。口の周りは爆発実験直後のようなぼっさぼさの白髭が覆っている。

 なるほど。

 モグラ親父だ。(猪だけど)

「お! お前ら、揃ってどうした?」

 薄汚れた白い手拭いで顔を拭き拭き、ケベックさんは気さくな感じで二人に話しかけてきた。

「頭領、今日も分厚い本を取ってきたんです。多分伝説にまつわる本」

「ホォ、『故郷』に帰る為に頑張ってるな」

 偉い偉いと付け加えて兎頭くんの着ぐるみ頭を豪快に撫でながら彼はガハハと笑った。

 私はこういうタイプのひ――猪、好き。

 そしてさっき言ってた「故郷」っていうのがいわゆる「現実世界」なんだろう。


『君は「いらない」からここに居るんだよ』


 ナナシ君の言葉が胸の奥をかき回す。

「ただ」

「ただ?」

「三種の神器の内あと一つ『真実を見通す金縁眼鏡』が見つかりません。これじゃあいつまで経っても解読が出来ない。もう十五冊は溜まってます」

 結構盗ったな。

「そうか、そりゃ困ったな……。――あ、そういえば今夜は家に兎爺が来る日だ。そこで爺に本の解読をしてもらえば良いだろう。なら今夜は家に来なさい。夕食もご馳走してあげよう」

「ありがとうございます……! あと――」

「あと? まだ何かあるのか?」

 「あと」と言ったところで急に、そしてあからさまに声色がぶっきらぼうになる兎頭くん。

 この兎、分かりやすすぎる。

「あとこいつが――もげぇっ!!」

「女の子拾ったんです! ふわっふわの藍色の毛でくりくりおめめの可愛い子! ……偶に無愛想だけど、純粋で良い子です」

 兎頭くんが何かネチネチ言おうとしたのを頭をぐいと押さえて焔がそう言った。

 私は捨て犬か。

「おいおい、また拾ったのか」

 またなのか。(いや、タラシの時点で少し予想はしてたけど)

「良いじゃんか! 大事にするから!」

 そう言ってまた無遠慮に、今度は横から抱きついてくる焔。

 ええいっ! 近い!!

「餌もちゃんとやるし、散歩もちゃんとするし、お手入れもするからー!」

「おい、あんた私のこと犬だと思ってるだろ!」

「お手」

「しないっ!」

「なぁ、だからケベック爺さん! 頼むよ、この子も仲間に入れてやってくれよ! この子にも帰る家がある。帰してやりたいんだよ!」

「……」

 ケベックさんは黙ったままだ。何か考えているようにも見える。

 何が「だから」なのかは分からないが、それは私からもお願いしたい。

 もう眼鏡は帰らぬ人となってしまったが、私はまだこうやって生きている。

 いくらナナシ君が「お前はいらないんだ」と言ったとしても、私は帰りたい……。

 家に帰りたい。

「あ、あの――」

「それは、余りに暴力的じゃないか?」

 何か言った方が良いかもしれないと私が口を開いた瞬間、ケベック爺さんの台詞が重なった。

 ……え?

 暴力、的?

 どういう事?

 私が答えを求めるように焔を見ても彼はしんみりとした様子で黙ったまま何も言わない。

「なぁ、焔。これで何人目になる?」

「……」

「もう約束しただろ。これ以上は危ないからって。だからお前らは今、違う方法を探してるんだろ?」

「そうだけど、浬帆は――!」

「その一人の為に何千匹の生き物が死ぬかもしれないんだぞ」

「……!?」

 ど、どういう事……!?

「なあ、焔。もうはキャパオーバーしかけてる。もちろんこの世界だって。もうその方法を取らせる訳にはいかないんだよ。……その子には悪いけどお前の『仲間にする』はたかが知れてる」

「邪神……?」

 思わず口に出た。

「そうだ、お嬢さん」

 ケベックさんが静かに私の問いに答える。

「……!」

 焔の目が静かに見開いた。――しかし否定はしなかった。

「貴女の目の前にいる赤毛の少年には沢山の呼び名がある。盗人、タラシ、軽業師……。親しみを込めたものから尊敬を込めたもの、侮蔑の表現まで様々あるが――」


「――その中でも一番有名なのは次の二つ。『永遠の少年』と『邪神』だ」


「……!」

 永遠の少年、そして、邪神。

 あの焔が。

 邪神。

 確かこの世界の害になる、人間特有の「陰」を無限に吐き出し続ける存在、なんだっけ?

 ――と、言う事は。

「という事は、私が帰る為にはこの世界が滅びなきゃ駄目だって事ですか?」

「察しが良いな、お嬢さん。……残念ながら、端的に言うとそういう事になる。人間が吐き出す陰には僅かながら意志がある。故に、余り増えすぎると一個の意思を持った化け物になっちまうんだ。今はその蓋をやっと抑えているような状態だ。……下手すればこの世界は終わる」

「そんな……」

「……」

 規模が大きすぎる話だ。

 ここまで大きいと人間は逆にどういう事なのか想像することが出来ない。

 でも……怖い事なんだって事だけは分かる。

 そしてそれをどうする事も出来ないという事実も。

 誰も何も言えない。

 すっかり空気が冷えてしまった。

「……でも」

 ケベックさんの言葉にしんとなった空気を最初に解き放ったのは焔の小さな一言だった。

「でも? でも、なんだ」

「でも、聖人は陰からこの世界を解き放った事がある。ここに閉じ込められていた人間を解き放った事もある。ボクらだって出来る……! 出来るはずだよ!」

「……」

「確かに、この身に受けた呪いはある。その為にボクの存在は迷惑とされているし、毎日殺されそうにもなってる。でも、それで世界を救えたならそれはそれで凄くない!?」

「焔……」

「ボクは決まり切った何かを変えに行きたい。――その為の仲間じゃないか。ボクはボクの『正義』の為に浬帆を仲間にしたい!」

「……」

「ケベック爺さん!」

 ケベックさんは少し俯きながら黙って彼の話を聞いていた。

 焔の瞳は揺れている。相当な覚悟を持ってこの言葉を放ったに違いない。

 その気持ちは――。

「分かった……分かったよ」

「それじゃあ……!」

「俺らの仲間としてお嬢さんを受け入れよう。年代的にはお前ら『動物頭』が一番合うだろう。兎の大将、任せたぞ」

「やったあぁぁあ!!」

 完全にやれやれ仕方ないといった感情を含んだ声でケベックさんが言った。

 焔の喜びようといったら凄まじい。

 大喜びとかそういう形容を通り越して大爆発している。

「良かったな、浬帆ォ!」

 また無遠慮に、今度は正面からがばっと抱きついてくる。

 だから近いっての!

「浬帆っていうのか」

 ケベックさんが焔に絡みつかれてる私の傍によって静かに問うた。その表情には優しさが溢れている。

「は、はい」

「こいつらは元来孤独な奴らだ。貴女もそうかもしれないが、皆同じ。仲間として大いに頼って欲しいし、助けてあげて欲しい」

「……はい!」

「良い返事だ。これからよろしくな」

 先程兎頭くんにしたようにがしがしと豪快に頭を撫でる。

 それは予想以上に力強いものだった。

(つづく)

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