初めまして
* * *
――店主が倒れた。
レトロカメラはぐったりと青白い顔をしている少年をベッドに運びながら、一方で物凄く焦っていた。
人間の体から吹き出る冷や汗が自身の頭を壊しかねない程である。
『
少し前まで元気一杯に自分に読み聞かせをしていた店主が。
桜色の硝子の耳飾りが煌めいて美しく照らしていたあの幸せそうな笑みが。
彼が読み聞かせをしている最中、彼の短冊形の硝子の耳飾りの中でも躍っている桃色の美しい蝶が一匹、彼の背後をひらひらと舞っていた。
それを見つけたレトロカメラは彼にその様子の美しさを早く伝えたくて仕方なかった。
紙とペンを持つ。
『店主、蝶が――』
そこまで書いた時、直ぐ近くで派手な物音が聞こえたのだ。
彼はどうすれば良いのか分からなくなっていた。
――こういう時、誰に助けを求めれば良いのだ。
あちら側に居るとき、傍にいたブラウン管が私の気持ちを代弁してくれていた。映らなくなる度にその頭をぶっ叩いてやる必要はあったが、そのおかげで情報の伝達に困ることはなかった。
――なんならば逃げてくるとき彼も連れてくるのだった。
取り敢えず先に立たない役立たずの後悔をひとしきりして、近所の陰陽師っぽい仕事をしている山草の家に電話をかける。声は出ないので、モールス信号を机で打った。事が伝わるまでに小一時間かかってしまった。電話の傍にいる河童が頭の切れる奴で助かった。
――こんなことならば走って助けを求めれば良かったのかもしれない。
しかし自分を助けてくれた店主がどうなってしまうのか分からない今、彼の傍から離れるわけにはいかなかった。
……、……。
――店主、気分はどうですか。
――何か作りましょうか。貴方の大好きなソルベでも。
口が無いのが酷く悔しい。
死の間際、最後まで残るのは聴覚なのだという。
彼は最期、ひっそりとした寂しさの中死んでいくのだろうか。
そんな事を自分で勝手に思いながら一人胸の辺りをくしゃりと握りしめた。
胸が張り裂けそうだった。
取り敢えず彼の右手をそっと握る。
「ん……」
苦しそうに息をする店主の喉から微かな音が漏れた。
彼の右掌に濃く刻まれた不思議な紋様――通称「ソーテラーンの紋」がレトロカメラのレンズに鈍く映る。
あの時みたいに、この魔法で店主の病も治れば良いのに。
そんな事をふと思いながら、彼の頰に指の背をそっと当てる。
そんな時だ。ふと気が付いた。
店主の「影」がない。
表裏とかいう影ではない。物体が光を遮る為に地面に落ちるあの「影」である。
……いつの間に。
そう言えば店主がいつだか言っていた。
自分にはもう一人の自分がいて、偶に外に出歩いては悪戯やら悪さやらをしていると。
青い短冊形の硝子の耳飾りを付けた店主そっくりの少年の姿が頭をよぎる。
いつもは直ぐ帰ってきていた彼が、長い間帰っていないとするならば……今の状況も何となくではあるが説明がつく。
「ごめんください。倒れた座敷童がいるのはこのお店で合っていますか?」
丁度良く山草の人間がやって来た。
私が店主の為に出来る事は……。
「店主……『來者の追うべきを知る』ですよね」
レトロカメラの心は既に決まっていた。
* * *
ここは海……の中?
頭は妙にさっぱりしているのに視界がぼやけていて良く分からない。
でも周りが透き通った水色をしていて自分の体は宙に浮いているのだから海なのだろうということだけは分かった。
そんな時、下方から誰かが泳いでくるのが見えた。そして唐突に私の足を掴み、引き寄せ、抱き締める。
――え!?
思わず恥ずかしくなってしまうようなシチュエーション。
こんな夢を描き出そうとする自分の脳みそに呆れかえると同時にこのままで居たいという願望がむくむくと湧き起こった。
頼むから変態とだけは言わないで欲しい。
そして何者かはそのまま、頭が朦朧としている私を抱いたまま頭上の眩しい光の中に向かって泳いでいく。
――あ、待って! このままだと……。
何者かは光に向かって手を伸ばした。
――、――。
そこで目が覚めた。
終わってしまった……。
何とも言えない失意(?)の中、首を微かに動かしてみる。
――と、
「やあ、起きた?」
至近距離に突如赤毛の少年の顔が登場!!
「……!?」
瞬間顔面に血液が集中し、右腕が無意識に動いた。
バキッ――。
「ギャハハハハハ!!」
いきなり大笑いしだしたのはベッドの脇で何やらいじっていた兎の着ぐるみ頭の少年。
背中に背負った金属バットが物騒だ。
……え、えっと……?
その頭は……趣味、かな? (失礼)
「一体何の音!?」
猪の女性がぱたぱた入ってきた。
何、何、どういう状況!?
私は奇妙キテレツなこの状況に混乱を極めてしまった。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい! その、えっと……」
「良いんだ、ボクが迂闊だった」
鼻血をタオルで押さえながら赤毛の少年は引きつった微笑を浮かべる。
「お前ホントそういうとこあるよな。そういった距離感、もう麻痺してんじゃねえの?」
相変わらず何かをいじっている兎の着ぐるみ頭を被った少年(長い)がニヤついた声で言う。
「んな……!?」
「タラシだもんなー」
「ガッ……!? 違えっての! 初対面の子に間違ったイメージ植え付けるな!!」
「あーあ、何人の子を口説き落としてキスしたことか……おめぇ、キス魔だもんなー」
「テメッ、しばくぞ!!」
ギャーギャーワーワーという擬音がよく似合いそうな喧嘩にすぐ発展するこの状況を私はどうすれば良いのだろうか……。
「フフ……困った子ども達でしょう? いつもああなのよ」
先程びっくりして駆け込んできた猪の女性が困ったように笑いながら私の傍に歩み寄ってきた。
「怖がらないで。温かいスープよ」
萎縮した私に湯気の立つ木のボウルを手渡した。柔らかい良い匂いがする。
「あなたの着ていたセーラー服は今干してある所だから代わりにそれを着て貰ってるわ。この家の服でしかも男の子のだけど……着心地はどうかしら」
本当だ、改めて見てみると服が変わっている。
袖口が絞られた真っ白な長袖のシャツにサスペンダー付きの長ズボン。
よく見ると兎の着ぐるみ(以下略)とほぼ同じ格好だ。(違うのは背中の金属バットやベルトにいかにも危険そうなナイフがあるかないか位。改めて見ると本当に物騒な少年だ)
もしかすると、彼の服なのかもしれない。
彼らぐらいの年頃の男の子は女の子よりもほっそりして筋肉質なイメージがあったけれど、この服のサイズは(奇跡的に)丁度良い。
この家で使われているであろう石けんの匂いが微かに香って何だか良い感じ。
「とても良いです、何から何までありがとうございます」
「良いのよ良いのよ! 女の子が一人増えて私は嬉しいわ! ほら、こんなのばっかりだから」
そう言っておほほとうふふの間ぐらいの発音で笑うレベッカさん。(決してえへへという事ではない)
上品でとても良いひ……じゃなかった猪さんだ。
スープもとても美味しい。底冷えした体の芯にじんわりと染みこんでいく。
「私はレベッカ。どうぞ仲良くしてね」
「私は浬帆です。レベッカさん、よろしくお願いします」
「浬帆さんね。礼儀正しい良い子だわ。こんな子ばっかりならあたしも苦労しないのだけれど」
そう言いながらギャースカ口喧嘩している少年らをチラリと見やる。
あー……。
「でもね、根は良い子達なのよ。喧嘩っ早いだけで、あなたを助けてくれたのもあの子達なのよ」
「え、そうなんですか?」
「何でも隣町の川で気絶してたのを彼らが拾ってきたんですって」
ちょっと意外……。
と、そう思った矢先、口喧嘩から離脱した赤毛の少年が、私が座っているベッドの布団の上に突然どっかと座った。
黒いワイドパンツに白無地のクルーネックインナー。胸元のシルバーリングのコードネックレスがちらちらと光っている。その上から赤いオーバーラップカーディガンを羽織り、その色に負けない燃えるような赤毛のベリーショートが決まっている。
中々のお洒落さんだ。
「お嬢さん、あんた、お名前は?」
「あ、浬帆です。鳴上浬帆」
「ナルカミ、リホ……へぇ、良い名だね」
「ありがとうございます。あ、貴方は」
「ボク? ボクは焔」
「あ……焔、さん」
「さん、だなんてじれったいなぁ! 焔だけで良いよ」
「ほ……ほむ、ら」
「そうそう、その意気だ」
にこっと笑う。安堵を人々に与える柔らかな笑み。
「あ、焔」
「ん?」
「私のこと助けてくれたみたいで……その、ありがとう」
「……ああ、その事? 良いんだよ! キミは美人だったし? なんてね! ワハハ!」
太陽のような笑顔が眩しい。ナルホド、タラシと言われる所以が良く分かる素敵な笑みだ。(鼻栓さえ無ければ更に良かった。残念)
早くこの空気に溶け込みたい。
「ほら、浬帆がありがとだってさ! お前も言えよ、名前!」
口喧嘩が終わり、何やらいじりを再開しかけた兎の着ぐるみ(以下略)の背中を焔がバシッと叩く。
兎の着ぐるみ(以下略)は不機嫌そうに頭をギリギリと回した。
「……捕虜に名乗る名前なんかねぇよ」
ほ、ほりょ……。
「はぁ、またか。――あぁ、気にしないで。こいついっつもこーなのよ。初対面の奴に殺意に近い挨拶する事でちょっぴり有名なわけで、っと!」
石のように私に背を向けあぐらをかく兎の着ぐるみ(以下略)を焔がそのままぐるりと百八十度回し、彼の右腕を無理矢理上げさせ、後ろで
「ヤァ、オレ、ウサギアタマ! ヨロシクネ!」
と言った。
某テーマパークの世界一有名なネズミよろしくの高音である。
「オイッ、テメェ!!」
ドスの利いた声が兎頭くんの喉を震わす。大きくてゴツい、骨張った兎頭くんの手が焔の胸ぐらを鷲掴みにする。そんな声を出してそんな事をするのならもうちょっといかつい頭を被れば良かったと思う。何でよりによって兎なんだ。しかも薄ピンク。
「これ以上ふざけた真似したら容赦しねぇからな!」
「おーこわおーこわ! で、さっきから何いじってんの?」
全く気にしていないらしい焔がすぐに話題を変える。
兎頭くんはうんざりしたような息を鼻から漏らしながら話し始める。
「今日持ってきた本が解読できないかと思ってさ、こうやって、戦利品いじってんの……」
「戦利品? その本以外になんかあったっけ?」
「拾った……もしかしたら第一の神器かもしれない」
「ああ、『真実を見通す金縁眼鏡』?」
「それならどんなものでも読めるだろ?」
「でもそれ、金縁じゃないよ?」
「……知ってるけど、眼鏡は眼鏡で同じじゃん」
そこまで聞いてふとぼんやりとした違和感を覚えた。いや、話の内容が変とかそう言う類いのじゃない。
何というか……いや、これはどっちかというと、嫌な予感……?
彼らの手元をそっと覗き込む。
そこには――!
「やっぱ違うんじゃない?」
「ケッ、何だこんなもん」
ぱりん。
三つの事が同時に起きた。
私が彼らの手元を覗き込んだのと同時に焔と兎頭くんの話が終わりを迎え、それと同時に彼の手の中で嫌な音がした。いや、そんな簡単に割れるもんじゃないと思うのですがいかがでしょうか?
これぞミラクル、いらないミラクル。
わ、わ……!
「わ、私の眼鏡エェェェエエ!」
「あ、これお前んのか、わり」
全くすまなそうな声じゃない。フザケンナ!!
「お前んのかじゃないでしょ!? 遠く見るときとか必要なの!! ――良い? 眼鏡はね、最早体の一部なの、それがないと生きてけないの! 黒板の文字って後ろからだと本っ当に全っ然見えないんだからね!?」
「ハァ!? んなこた知らねえよ! 大体、紛らわしいもん持ち込んだオメェが悪いんだろ!?」
逆ギレてきた。信じられない!
「うるっさいわねぇ!! 知る由無いでしょうが!!」
結局私も彼らと変わりなかった。――いや、あいつがそうさせたんだ!
今では私と兎頭くんがギャースカピースカ大騒ぎである。横ではそれを見て焔がゲラゲラ笑っている。うああ……何分か前に礼儀正しい良い子ねって言われたばっかりなのに!
「目ぇ良くすりゃあ良いじゃねぇかよ!」
「そんな……そんな事言ったってねぇ!? それはむずか――ううー、っあああ! もう! これからどうやって授業受ければ――」
そこまで叫んだ時だった。
唐突に我に返った。
「待って、ここどこ……?」
「今更かよ……」
兎頭くんが溜め息をついた。
(つづく)
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