第87話 深緑の影

「あ、起きた? ソラ」


 目を開けると逆さまになったティアナの顔が見えた。後頭部に伝わる柔らかくも弾力のある感触を確認するまでもない。俺は膝枕をされている。良い匂いがして、温かく心地良い感覚をもっと味わっていたい。

 よし! もっと味わっておこう。眠いし。


「おやすみ、ティアナ」「おやすみ、ソラ」


 ティアナの笑顔を眺めながら目を閉じ——


「いや、起きなさいよ!?」


 ——た。今、ウナの声が聞こえたような……ウナも居るなら安心して眠れる。


「ウナもおやすみぃ……」

「あ、うん。おやすみ——って、寝るの!?」


 再び微睡んでいく意識の中、耳に届く二人の会話は子守唄にしかならなかった。何を喋っていたんだろう。


「寝息立ててるよ? ぐっすりだね」

「もう! あの娘達に示しが——」

「見て? ウナちゃん。ソラの安心した寝顔」

「まったくもう! 安心し過ぎよソラ。無防備な寝顔しちゃって……起こすに起こせないじゃない。まったくぅ、うりうり〜」

「あはは、うりうり〜」

「ねぇティア。そ、そろそろ膝枕交代しない?」

「今交代したらソラ起きちゃうよ?」

「く、あの時グーを出して——」











 頭を優しく持ち上げられる感覚がする。

 柔らかさや弾力に分かる程の差異は無いが、服越しなせいか少し冷んやりとした触感がして別の心地良さがあった。寝返りをうつと慌てた様な声が聞こえた気もするが、眠りを妨げるには至らない。


「ひゃぁ!? ちょ、ソラ!? 起きてる? 起きてるんでしょ?!」

「くすぐったいよね、それ」

「うっ、そういえばティアがしてた時も寝返りはしてたわね」

「あと、見てる側だと分かりづらいんだ——」

「ひゃぁぁぁ?! な、なんでうつ伏せで深呼吸するのよ!? 本当に起きてないの!?」

「——けど……遅かったか〜」











 目を覚ますと目の前が薄暗い。

 うつ伏せで目覚めれば当然か。

 ただ、両頬に伝わる温度が微妙に違う。

 感触はどちらも瑞々しくしっとり滑らかすべすべ

 両腕は……別々のモノに抱きついている感覚がする。


 分かった。


 俺はティアナとウナを抱き寄せて二人の膝の間に顔を乗っけて寝ている。


「って、何故!?」


 背後へ飛び起きて危うく柱代わりの木に頭をぶつけるところだった。


「あ、起きた」「やっと目を覚ましたのね」


 対称的に片脚だけ崩す正座をした二人。

 今の今まであの間で寝ていたのかと思うと喉が鳴ってしまう。頼んだらまた膝枕してくれるだろうか。


「お、おはよう。ティアナ、ウナ」


「おはようには遅い時間だよ?」「そうね」


 朝焼けに照らされて赤くなっているのに何を言って……ちょっと待った、朝陽が差してくる方向が反対になっている? つまり今は夕方?


「俺はどれだけ寝てたんだ? それと何故二人がここに?」


「私達の膝枕で丸一日だよ」

「ちょっ、ティア!? 膝枕の事は別に言う必要無いわよね!?」


 ウナの顔が赤いのは夕陽のせいか分からなくなってきた。ティアナも夕陽に照らされているにしては赤いような気もする。


「此処にいる理由は夜襲をかける予定が狂ったからかな。近くまで来てたら突然白い光と一緒に木片が飛んできて、ヴリトラさんが取り出した新しい仮面を粉砕したんだよ?」

「それでヴリトラさんが泣く泣く予備の仮面を取りに戻ってる間に此処の様子を見に来たら、ソラが立ったまま気絶してたのよ。おまけに成熟期の娘達にソラの面倒を任せるのは駄目な気がするってティアナが言い出して」


「なるほど。でも何故膝枕? 嬉しかったから構わないけど……いや、もっとちゃんと味わいたいから今度またお願いしてもいい?」


「いいよ〜」

「いいわよ。(結婚したらもっと凄い事するんだし、膝枕程度でドキドキしてられないわ)」


 ウナが小声で言った『もっと凄い事』が気になってる場合じゃない。今の俺は保護者役だ、子供達の様子を確認しなければならないと自分に言い聞かせて周囲を見渡す。


 俺が今いる壁の無い小屋には香草狼牛ハーヴルフの肉と思われる生肉が積まれており、中央広場の方では木材で組んだモノに香草狼牛の剥いだ皮を干

しているのが見える。

 川の方から少し水の滴る皮を運んでいる内の一人——ルトラと目が合った。


「総員、作業を中断し整列するのです」

「総員、作業中断! 壁無し小屋前に整列!」


 ルトラとアトラの号令で一分と経たない内にアトラの左右にルトラとトライパ、三人の背後で左右対称になる様に五行六列で並んでいく。


「気をつけ! 休め! 傾注!」


 三十三対の視線が集まる。

 状況が理解できない。

 堪らずティアナとウナに尋ねる。


「個より群れとしての強さを優先する教育方針なんだって、今は。お父さんがそう言ってた」

「そうなのね。ソラ、何か言ってあげたら?」


 期待した答えは得られなかった。

 こうなったら本人達に聞くしかないか。


「誰か、説明を頼む」


「はい! ルトラ、任せます!」


「食料の確保が終わり、余った時間で剥いだ皮を洗って干しているところなのです」


 干してある皮をもう一度確認する。

 香草狼牛の皮なのは間違いないが、表面に生えている植物ミントの割合が少ない。

 

「まさか全部若い個体ばかりか?」


「お察しの通りなのです。狩った香草狼牛全てが若い個体だったのです。若い個体は葉っぱの味が濃くなくて少し我慢すれば食べられるのです」


 干してある皮、干し終わって積んである皮を合わせれば結構な数になる。

 その全てが若い個体だったのは気になるが、知りたいのはそこではない。


「俺をリーダー扱いしてないか?」


「してないのです。ソラ様はリーダーではなく、ボスなのです!」


 どうしてそうなった!?

 寝る前——気絶する前の記憶を掘り返す。

 膝枕の感触とティアナの顔……って、違う。

 リーダー論争を言い含めたと思ったら話の流れを無視してアトラが技を放ってきて、同じ技を玉力で迎え撃った衝撃で積まれていた木材が崩れて……どうしたんだっけ? 記憶にあるのは吹き飛んだ木材と白銀にチラつく光の残滓。


「現・成熟期最強であるアトラの奥義を微動だにせず受け止め、我が身を顧みず私達を助けるべく動かれたのを目の当たりにして私達はソラ様をボスと仰ごうと決めたのです」


 そうだ、この娘達が危ないと思って気付いた時には行動を終えていた。自分が何をしたのかよく分かってなかったが、想像はつく。

 三力融合を無意識で使ったんだと思う。

 ティアナが見た白い光も三力融合で生じた光なのだろう。以前、三力融合で解体中の中を爆散させた時も同じような白く光ってたし。


 それにしてもボス扱いか。

 反応に困り、頭に手を当てて気付く。

 髪の毛を猫耳型に形成したままだった。


「ティアナ様からソラ様が獣人でない事は聞き及んでいるのです」

「私達だけの秘密だよ〜」


「「「はい」」なのです」


 断る理由を先に潰されてるだと!?


「本当にいいのか?」


「むしろ逆に敬意を抱いたのです! 獣人ではない身でありながら郷の伝承にある『白き虎』を体現するとか尊敬を超えて子を授けて欲しいと思うくらいなのです!」


 ルトラの言に残りの三十二人が頷く。


 もっと反応に困るんですけど!?


「ティ、ティアナとウナが許可したらね……」


 そう返すので精一杯だ——


「私とウナちゃんより先に子供が出来るのは認めないからね!」

「それ、私とティアにソラとの子供が出来たら構わないって意味に取られるわよ?」

「審査はそれからだね!」

「そ、そうね。は、恥ずかしいからこの話題は終わりよ!」


 ——って思ってるそばから!?

 いや、これは助け船。きっと助け船だから!

 別の話題、別の話題……別の話題ぃぃ!


「そ、そうだ! 香草狼牛って変わった生き物だよな?!」


 ひとまず目に止まった香草狼牛を話題に。


「香草狼牛です? 年を経て体表に生える植物の割合が多くなると身体に生えている植物の特性を併せ持つ様になるらしいので確かに変わった生き物なのです」


 ルトラの回答に血の気が引いた。

 

 ミントの特性を持った香草狼牛……だと!?

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