ex 感情を持つ人形

 その光景に絶句していたエルに構うことなく、檻の扉が開かれた。

 一瞬開かれた扉から強行脱出を図ろうかとも思ったが、首の枷から伸びた鎖は壁に繋がれている。自由に動けるのは精々牢の中が限度で、そして仮にその鎖がなかったとしても精霊術が使えない今の状態では十中八九いい結果はもたらされないであろう事は容易に想像できた。


 だから何もできずにただ黙って目の前で起きている事を眺める事しかできなかった。

 牢に入れられた金髪の精霊は、エルと同じように壁に繋がった鎖と枷を繋がれる。

 そして彼女を鎖に繋いだ人間がエルや金髪の精霊に何か言葉を残す事もない。

 ただ貴重な実験動物をある程度丁重に扱うように、乱暴な真似をせず金髪の精霊を鎖に繋いで牢から出て、鍵を掛け立ち去っていく。


 そしてその人間がいなくなってから、エルは鎖で繋がれ座り込む金髪の精霊に向けて問いかける。


「……なんであなたがこんな所にいるんですか」


 それはある意味独り言の様な物だ。

 だってそうだ。言葉が返ってくる気がしなかったから。

 ドール化した精霊に声を掛けたところで、反応が無いのは当然の事だから。

 そしてその問いかけに言葉は返されない。当然の光景だ。ドール化した精霊は指示通りに動くだけで、言葉を返すような反応はしない。

 ……だけど、反ってこなかったのは言葉だけだ。


「……」


 エルの言葉に反応する様に、光の無い虚ろな視線をエルへと向ける。

 それはドール化されている精霊にはあり得ない反応。

 瞳に光は灯っておらず酷く虚ろで、目の前の精霊が普通の状態から掛け離れていることは分かっても。

 それでも……確かに彼女には感情が宿っていた。


(なんで……そんな事はあり得ない筈なのに)


 一度ドール化した精霊は感情を破壊されもう戻ってくる事は無い。

 それはどうあがいても揺るがなかった事実だった筈なのに。

 その事実は今ここで否定された。

 そしてそれが他ならぬ彼女だったから、一つの考察に辿り着いた。


(……そうか)


 はたして目の前の精霊と契約を結んでいたのはどんな人間だったのだろうか。

 答えは精霊学の研究者だ。

 ……目の前の精霊に感情を取り戻させようと必死になっていた研究者だ。

 だとすれば。

 アルダリアスで自分達と別れてからの二ヶ月間でシオン・クロウリーが報われていたとしたら。


 ……それが 今目の前で感情を抱いている精霊についての答えだ。

 理屈は分からない。分かるわけがない。

 だけど、きっとそういう事なのだ。


 ……本当に?


 ひとつ、引っ掛かることがあった。

 シオン・クロウリーは精霊学の研究者で……そして此処は研究所だ。

 だとすれば、嫌でも結びつく。

 あり得ない事だとは思う。

 かつて精霊学の研究者だったのなら、精霊に対してどういう仕打ちをして来たかは察しが付く。

 だけど少なくとも今は。

 自分やエイジを助けてくれた今の今現在のシオン・クロウリーはそう言う事をする様な人間ではない。

 もしそうだとすれば、自分達はアルダリアスでとっくに終わっていて。

 そしてそれ以前にレベッカが地球へ渡るきっかけすらもなくなり、エイジと出会う事もなかっただろう。

 だから浮かんだ考察を否定しそれを確信に変える為に、エルは金髪の精霊に問う。


「……ここの研究者ってのは、シオンさんの事じゃないんですよね?」


 その問いにその精霊は深く頷く。

 それだけは答えなければならないという風な、強い意志を込めて。


「そうですか……やっぱりそうですよね」


 それを聞いて少しだけ安堵する。

 シオンはこの世界で数少ないまともな人間だ。そのまともな人間がまともなままでいる事が分かるのは安堵するには十分な事だと思う。

 だけど……此処の主が彼でないのなら。

 ……それこそ、どうして目の前の精霊は此処にいる。

 この子の隣りに居る筈の人間は一体どこで何をしている。


 と、そこまで考えた時だった。


「あれ? アンタらまさかの知り合い? こんな所で再会するなんて世界は狭いなぁ」


 エルの反応を見て、向こうの牢の精霊が乾いた笑い声をあげながらそんな事を言った後、エルに問いかける。


「そうだ、知り合いだったんならこの子の名前って知ってる? 話しかけても何も答えないから知らないんだ」


「……すみません。私も知らないんです」


 エルが正直にそう答えると、少し不思議そうにその精霊は言う。


「……知り合いなのに?」


 まずその知り合いという前提条件が間違っているとエルは思う。

 あくまでエルは目の前の精霊の事を知っているだけだ。顔見知りという表現ですら違和感がある。

 何度か姿を見て、後はシオン・クロウリーという人間に付属してくる情報としてしか知らない。

 だからおそらく、そのシオンですら把握出来てない情報をエルが知っている筈がない。

 エルは自分達の関係性を素直に告げる。


「……知り合いなんて立派な関係じゃないですよ。ただ一度この子と契約している人間と会った事があって、その時に顔を会わせただけで……知ってるのはその契約者の人から聞いた話だけなんです。だから名前も何も知りませんよ」


 もっとも正確には、その契約者から話を聞いたエイジから話を聞いた訳だが。


 と、そこまで言って、自分の言っていることが精霊の発言としては随分とおかしいものである事に気付いた。

 この子と契約した人間と会った事がある。その人間から話を聞いた。 

 ドール化した精霊でもなければ人間と会うなんて軽く表現できる様な状況になるのはおかしくて。そしてまともに会話を交わす様な事は、精霊の常識からすればありえない事だ。


 レベッカやハスカと言ったこちらの事情を知っている精霊相手にならともかく、こちらの事情を何も知らない精霊には変に捉えられてもおかしくはない。

 だが返ってきた反応はエルの予想するものとは大きく異なっていた。


「ああ、そっか……じゃあこの子の契約者は精霊を資源だと思わない類の人間だったんだ」


 ……彼女の反応は、まるで精霊を資源だと思わない人間を知っているかの様な、そんな口ぶりだった。

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