ex 共依存の契約

 エイジがエルの元に辿り着く前、部屋には牧野霞が訪れていた。

 その霞には、今自分を自分でいさせてくれている新薬を投与された際もそして今も、ある程度平静を保って接する事ができている。

 自分の置かれている状況は酷く重い物で、胸が苦しくなるような物だったけれど、それでと平静を保てたのはエイジとの約束があったからだろう。

 エイジが助けに来てくれる。

 それがどれだけ困難な事かは分かっているけれど、それでもエイジがそうやって動いてくれているというだけで一筋の光は見えてくる。

 そうしてそんな儚い光に縋りついていたからこそ、部屋に訪れた霞が何を言いたいのかを素直に理解する事ができた。


「これからもしかすると対策局の誰かが何か話を聞きに来るかもしれん。それが瀬戸くんや茜ちゃん。もしくは誠一くん以外だったら、難しいかも知れないがうまく話をあわせてやり過ごしてほしい」


 ベッドに横になるエルに、霞はそう告げた。

 その話でなんとなくエイジが茜や誠一と共に何かをする為に動き出した事を察することができた。

 その障害になるかもしれない事を聞かれるかも知れないから、うまく空気を読んで回答してくれと。そういう事を霞みは言いたいのだろう。


「……分かりました」


 エルが霞の言葉に頷くと、部屋の中には沈黙が訪れる。

 お互い事務的な話は出来ても、この状況で何を言えばいいのか分からない。

 だがこのまま別れるのも違う気はする。

 だからこそ霞は伝達を終えてもこの場に残っているし、エルも何か言葉を探そうとする。

 そして見つけた言葉が適切だったかどうかは分からないけれど、それでも話始めるきっかけにはなる。

 だからエルは霞に問いかけた。


「……あれからもあまり休んで無いんですか?」


 あれから。

 霞が土壇場で新薬を作り出してエルに投与した際。

 その時疲れと精神的なストレスからか相当やつれていた霞の表情は今もまた辛そうだ。

 ……多分あれからも自分のために手を尽くしてくれたのだろうとエルは考え、それはおそらく的中している。


「まあ休もうと思っても休めないさ。回りは皆休めというがね、それは諦めだよ。そして私は諦めが悪い女でありたいと思う。後悔だけはしたくないからな」


 そう言った霞は心配そうにエルに問う。


「キミこそ体調はどうだね」


「……まあ体は重いしぼーっとするし、たまにちょっと目眩もします。でもまああれですよ。全然大丈夫です」


 本当は全然大丈夫じゃないけれど。


「体が重くて意識が朦朧としかけてて、眩暈までしている奴が大丈夫なわけないだろう。それで大丈夫な奴が注射一つであんなに痛がるか」


「それとこれとは別ですよ。全然違います。しいていうなら注射の方が嫌です。うん、大丈夫です。注射以下です。だから……大丈夫ですよ」


「そうか」


「そうです」


「……もう少し頑張れるか?」


「はい」


 こちらの強がりを見透かした様なその問いに、エルは力無く答えた。


「なら良かった。だったら無責任かもしれないが、もう少しだけ頑張れ。頑張ればキミは助けてもらえるよ。具体的な事は何も言えないけれど……大丈夫だ」


 具体的な事は何も言えない。故にその全貌は何も分からないけれど。

 そこの中心にエイジがいるだろうという事は分かっているから。その言葉には頷く以外の選択肢がない。


「……信じますよ」


「信じてやってくれ」


 そう言って第三者の存在を口にした霞は踵を返す。


「……では私は行くよ。あくまであの伝言を伝えに来ただけだからな。此処に私が長居してもかえって面倒な事が起こるかもしれん」


「霞さん」


 立ち去ろうとする霞を呼び止めた。


「ん?」


「えーっと、また今度」


 自分が助かれば次がある筈だ。

 だからまた会う事を自分自身で意識する為にも、そう声を掛けた。


「……ああ。また今度」


 最後、一瞬霞は言葉を詰まらせた。

 それが一体何を意味しているのかを、今のエルは気付かない。

 気づける筈がないのだ。だって自身を救う為の方法は、自然と思考から弾きだしてしまう様な物だったのだから。

 そしてしばらくして、その策を手にしたエイジが近づいてくるのが分かった。

 刻印から伝わってきた。


「……ッ」


 無理にでも体を起こす。

 無理に平静を装っても、自分が大丈夫でない事は簡単にばれてしまう事は良く分かった。ましてや相手はエイジだ。刻印から自分の事は伝わってくるだろうし、なによりエイジならそんな物がなくても分かってくれる。

 知られてしまう。それでも。

 無理してでも、少しくらいは大丈夫だって所を見せたい。ほんの少しだけでもいい。安心させてあげたい。

 そんな思いでベッドに腰かける形でエイジを待っていると、やがて部屋がノックされた。


「入ってください、エイジさん」


 そこにいるのが間違いなくエイジである事が分かったから。そう言ってエルはエイジを部屋の中へと招き入れる。 

 そしてエイジを視界に捉え、それだけで少し心が落ち着いた。

 そしてそれはエイジの方も同じだったのかもしれない。エイジが僅かに安堵するような表情を浮かべた。


「……エル」


 だけどそれは次第に微かに影を落とす。


「悪いな、遅くなった。……体、大丈夫か?」


「ええ、まあこうしていられる位には」


 エイジの言葉に強がっては見せたけど、間違いなく筒抜けだろう。それが表情から伝わってくる。

 だけどそれ以上その事に対する追及はなかった。

 そしてそのままエイジは黙り込んでしまう。


「……エイジさん?」


 あまりに言葉が返ってこないのでそう問いかけて首を傾げた。

 エイジが何かを言おうとしているのは理解できた。だとすれば一体どうして何も言ってこないのだろうか?

 だがエルの問いかけに答えるように、エイジはまるで覚悟でも決めるように軽く深呼吸をしてから言う。


「聞いてくれ、エル……俺なりに解決策、見付けてきたんだ」


 その言葉がどこかで出てくる事は予想していた。

 だけど実際に口にされると、一瞬何を言われたのか分からなくなる様な衝撃が走る。

 そしてその衝撃に押されるように、エイジに問い詰める。


「解決策って……ほ、本当ですか!? 私が、その……ああいう事にならないようにする為の解決策ですよね!?」


「ああ。だから此処までこれた。完全に無策なら多分エントランスで突き返されてる。どう考えたってお前を無理やり連れだそうとしている様にしか見えねえだろうからよ」


「……そうですか。良かった」


 エイジの言葉を聞いて心の底から安堵する。

 分かってる。実際に何かしらの策が見つかったから此処に立っているというのは分かっている。だけどそうして断言されると、ああ、もう大丈夫なんだって安堵感が沸き上がってきて、自然と笑みを浮かべてしまう。


「……それで、それは一体どうすればいいんですか? エイジさんが此処まで来たって事は、今此処で何かするんですか? ……私の事で何もやらなくていい訳がないんですけど……私にできる事、ありますか?」


 もし自分にできる事があれば何でもやらなければならないなと思う。

 そしてそう思うと同時に疑問もまた浮かびあがっていた。

 エイジが口にした言葉は自分達にとって、とても良い事の筈なのだ。なのに何故言葉に詰まっていたのだろうか?


「……俺の言葉に頷いてほしい」


 だから、あえてそんな事を聞いてきた事で、エイジが手にした解決策が言葉にする事を躊躇う様な物だったのではないかと一瞬思ってしまう。


「頷く?」


「ああ」


 そして確かにそれは軽弾みには言えない事だった。


「異世界へ戻ろう」


「……え?」


 一瞬本当に何を言われたのかが分からなくなった。

 それはエイジが策があると言った時のソレとは違い、悪い意味で。


「……今この世界で俺達の問題を解決できる可能性は薄い。多分これ以上の進展は何もなくて、時間だけが進んでいくんだ。それは駄目だ。それだけは駄目なんだ。だから異世界に飛ぶんだ。向こうの世界ならエルの体内にSB細胞なんてのが生まれる事もない。ちゃんと自我を保っていられる……生きられるんだ。当然お前を一人で行かせたりなんてしない。俺も付いて行く。だから――」


 エイジはそういう風に、こちらを説得するように、そんな事を言ってくる。


「エイジさん」


 だけどその話を遮るようにエイジの名前を呼んだ。

 止めて、否定せざるを得なかった。


「今、自分が何を言っているか、分かっていますか?」


 エイジは今、容認してはいけない様な事を言っている。


「……碌でもねえ事を言っていると思うよ」


 そうだ、碌でもない。本当に碌でもない事だ。


「精霊のお前が異世界でどういう扱いを受けるかなんてのは知っている筈なのにこんな話持ちだしてんだから。本当に、酷い事を言ってると思うよ。だけどさ――」


「……そうじゃないんですよ」


 そう、そんな事ではないのだ。

 だからエイジの言葉を否定する。


「向こうの世界は確かに酷い所ですよ。この世界の人達と違って精霊を資源と見る人達ばかりで……考えるだけで、思い返すだけで息が苦しくなりそうです。いなくていいんだったら、一秒たりともあの世界にはいたくないんです」


 その言葉に嘘偽りはない。

 自分を苦しめていたあの世界は。精霊を苦しめているあの世界は。自分にとっては害しかなくて、そんな場所に好き好んでいたいと思ったりするのならば、恐らく自分は薬の副作用か何かで頭が狂ってしまっているのだと思う。

 だけど……それでも。


「それでも此処で死んじゃうのは嫌ですし、それにお世話になった対策局の人に殺させるなんて事もさせたくないです。消去法でしかないですけどね、それでもあの世界に戻るってのは今私が選べる選択肢の中では一番マシなんじゃないかなって思いますよ。だから私の事はいいんです。もう、仕方ない事ですから」


 言葉の通り、死ぬよりはマシだ。此処の人達に殺されるよりはマシだ。

 少なくとも異世界へと向かう選択をすれば、運が良ければ生きながらえる事だってできる。生きていれば何かいい事があるかもしれないという事も、エイジと出会ってから良く分かった。

 実際、たった一か月だけでも幸せな時間が待っていたように、その先のあるかどうかも分からない希望へと望みを託せる。

 だから、どんなに酷い場所に根を下ろす事になっても、死んだ方がマシだという事は絶対にないのだ。

 だけど。それは自分の命を天秤に掛けた時の話。

 ……あくまで、エル自身の事だ。


「まさか……俺の事か?」


 エイジが何か察した様にそう言うのでエルは頷き、そしてエイジに問いかける。


「……エイジさんは今、あの世界で自分がどういう立場に立っていると思いますか?」


「テロリスト。間違いなく指名手配犯だ」


「多分それは間違いないと思います」


 もう、旅をしてきた時とは違う。


「もう最初に異世界に居た時とは違うんです。もう、何もしなくても……エイジさんは狙われます。きっと、精霊以上に」


 そうなってしまえば……最悪な事が起きるだろう。

 精霊に向けられる物よりもきっと鋭く、憎悪と嫌悪が込められた歪な刃を。正義と良識の感情に塗れた刃を。世界中から向けられる。 


「だから次に向こうの世界に行ったら……エイジさん、殺されるかもしれないんですよ」


 瀬戸栄治という人間の命が失われてしまう。


「俺の事なんて言ってる場合じゃないだろ」


 エイジは当たり前の事を言うようにそう言うが、それは違う。


「場合ですよ。そうじゃない時なんてないんです」


 エイジが自分自身を踏みにじってまで助けようとしてくれているのと同じ様に。

 そうまでしてでも助けたい存在だと認識してくれた様に。

 エルもまた、エイジを助けたいと思うから。支えたいと思っているから。

 自分の命と同じかそれ以上に尊い物だと思うから。

 それは否定しなければいけない。

 伸ばされた手を掴んでしがみ付き縋りつくまでの事はできても。その手をそのまま引っ張り地獄に引きずり落とす様な真似はしてはいけない。

 ……そんな事はできない。だから。


「だからもし異世界に行くなら……私一人で行きます」


 本気でそういう事を言った。エイジをあの世界の人間の前に晒す訳にはいかないから。

 だけどそれを口にできても、傷付くのは自分だけでいいだなんて綺麗な事は言えない。傷付きたくない。助けてほしい。お願いだから止めてほしい。一緒に居てほしい。

 そう、心が叫んでいる。


「……ッ! 駄目だそんなの! 一人で精霊のお前があんな世界に行って良い訳が――」


 だからエイジの言葉は。そんな分かりきった言葉は。声を押し殺しているエルの心を逆撫でするように刺激し、その本心を吐き出させる。


「言われなくたって分かりますよ! 良い訳ないじゃないですか!」


 ああそうだ、分かってる。無理な事くらいわかっているんだ。


「あんな世界に一人でなんて居られる訳がないじゃないですか! 怖いですよ、怖いんですよ! 誰かと一緒に居ないと気が狂いますよあんな世界! 誰かと一緒に居る事に慣れたら……この世界にも慣れちゃったら、もうあんな世界耐えられないですよ!」


 ああそうだ、耐えられる訳がない。

 あの時。エイジと出会う前の自分ですら精神的に不安定で、どうしようもない事になっていたのは理解できる。

 そしてあの時ですらそうだったのだ。

 多分甘い世界に浸かり続けた今の自分ではそれに耐えることなどできないだろう。

 ……例えばそこに誰かがいなければ。

 瀬戸栄治がいなければ。


「だけどエイジさんに一緒に来てくださいなんて言ったら……そんなの、私の為に死んでくださいって言ってるのと変わらないじゃないですか!


 だとすれば、そんな事は言えない。自分の為にエイジを殺す様な真似は出来ない。

 だけどエイジは言った。


「いいよ、お前の為なら」


 そんな無茶苦茶な事を言い始めた。

 今のエイジは本気だった。

 自分の為なら命を投げ捨てられると、そういったのだ。

 冗談でもなんでもなく……自らの命をこちらに差し出してきたのだ。


「……じゃないですか」


「……」


「良い訳ないじゃないですか!」


 認める。その言葉は少し嬉しかった。自分の為にそこまでしてくれるんだと思うと心は満たされた。

 だけどその感情は曝け出せない。それは超えては行けない一線を超える行為だ。

 やはり、自分の為にエイジを死なせる訳にはいかない。

 その一線は、超えられない。

 だけどその一線はエイジの方から超えてきた。


「頼む、エル」


 エイジに、抱き寄せられた。

 そうしてエイジの暖かさを感じて……そして告げられる。


「……俺を一人にしないでくれ」


「……」


 ああ、そうかと、自然とエルは納得する。

 自分は瀬戸栄治という人間に依存している。

 契約を交わした時から……今に至るまで。

 まるで自分の一部だと言わんばかりに、心に瀬戸栄治という人間が刻み込まれている。

 それはずっと理解していた。そして多分今回の件でそれはより大きな物になっている。

 そして。

 きっとそれはエイジも同じだ。

 エルの為に自分自身を踏みにじり……そして、今こうして今まで見たことがない程に強く、弱みを曝け出している。

 一人にしないで欲しいと懇願されている。

 ……これはきっと依存だ。瀬戸栄治という人間は今、エルという精霊に依存している。

 だとすれば……自分達は互いに依存しあっている。

 互いが互いを求めている。きっと切り離そうと思っても離せる物じゃない。

 もう、そういうものなのだ。

 そしてもう、そういう風に求められてしまったら、その先に進んではいけないと分かっていても、その足を進めてしまう。


「……じゃあ私からもお願い一つ、いいですか?」


 そして言葉を待つエイジにエルもまた懇願する。


「私を一人にしないでください。ずっと一緒にいて……私の手を、握っていてください」


「……ああ」


 その言葉と共に、エイジの抱きしめる力が少し強くなる。

 少し痛かった。だけどそれでもいい。寧ろそれがいい。

 今はこの痛みが、心地いい。

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