9 何でもない平和な一日

 俺がエルの元へと近づくと、こちらが来るのを察した様にエルは立ち止って振り向いてきた。

 契約の刻印の効力で互いの位置が大雑把にわかるわけだが、おそらくはそういう事だろう。


「エイジさん」


「よ、エル」


 そんな軽い会話を交わした後、エルの隣に並ぶ。

 そして両手でレジ袋を持つエルに手を差し出しながら言う。


「持つよ」


「いや、別に重く無いんで大丈夫ですよ」


「遠慮すんなって」


「じゃあ片方だけお願いします」

 そうしてエルからレジ袋を受けとる。中に入ってるのは食材やお菓子だ。エルの持っている袋には洗剤が入っている。そういえばもう切れかかっていたんだっけか。

 そんな事を思い出していると、エルが訪ねてきた。


「今日はどこか行ってたんですか?」


 どこか。まさかエルにそのまま答えるわけにもいかないだろう。

 俺は少し考えてからエルの問いに答える。


「誠一の所でゲームしてた」


「ゲームですか、奇遇ですね同じです」


「宮村の所か」


「そうですね、茜さんの所です。ほら、最近よくCMやってた奴」


「ああ、あれか。あの友情崩壊ゲーで有名な」


「そうなんですか?」


「前作誠一とやって殴り合いの喧嘩になった」


「な、殴り合いですか……わ、私達は楽しくやってましたよ?」


「でないと困るよ」


 そんな会話をしながら互いに苦笑いを浮かべる。

 折角中のいい人間ができたのにそんなくだらないことで喧嘩なんてしてほしくない。冷静に考えると不毛だよ不毛すぎんだよあの喧嘩。というか殴り合いとは言ったけど合ってはなかったな。ほぼ一方的だったよな。

 もっとも本気じゃなかったけども。肉体強化を使っていなくても、本気で殴り合いみたいになったら間違いなく病院に送られるんじゃないだろうか。いや、流石にそうなる前には止めるだろうけど。


「まあ楽しかったんなら良かったよ」


「はい、良かったです」


 そう言って笑うエルは、一拍空けてからこちらに聞いてくる。


「そういえばエイジさん、今日はお腹空いてますか?」


「空いてるよ。何も間食とかしてねえしな」


「なら良かったです。今日はですね、カレーにしようと思います。シーフードカレーです」


「へぇ、シーフードか」


「もしかして嫌いでした?」


「いや、そういえば考えてみると今まで食ってたの肉ばっかだったからな。シーフードカレーとか初めて食うかもしれん」


「そうなんですか。じゃあ頑張っておいしく作ります」


「楽しみにしてるよ」


 そう返答しながら、本当に楽しみだと心から思う。

 まさかこうしてエルにご飯を作ってもらえる様な日々を、少し前の自分は予測できただろうか?

 多分願望としては持っていたんじゃないかと思う。色々な難しい事を全て抜きにした場合の、かつての自分が思い浮かべる幸せな光景という奴はきっとこういうものだったのだと思う。

 そこに辿りつく道のりがどうしようもなく歪な物だっただけに、素直に幸せだとは思ってはいけないのだろうけど。

 そうだ、思ってはいけない。思っていいわけがない。皆を死なせた俺がこんな幸せを感じていいわけがない。

 だけどそれでも、それは分かっていても……こうしてエルと居られる瞬間が幸せである事には間違いなかった。

 エルに幸せになってもらいたいとは思いながらも、自分はそうであってはいけない筈なのに。

 多分エルの幸せ云々を抜きにしても、今の幸せに浸る自分は変えられない。抜け出せない。そんな資格は俺にはない事は分かっているのに。

 ……もしかしたら俺は今、自分が間違っていると思う事をやっているのかもしれない。

 正しいだとか間違いだとか、そういう事を言うような事では無いのかもしれないし、それ故に確証も何も持てないけれど。


「……どうかしました? エイジさん」


「いや、何でもねえよ」


 エルに話掛けられてそんな思考を打ち切る。駄目だ。エルの前であまりそういう事を考えるな。考えていれば結局何かしらエルに感付かれる。

 つまり結果的にエルに余計な心配を掛けさせる事になる。

 だから今、そんな事を考えるのは止めておこう。

 どうせ一人になれば嫌というほど思考を巡らせて、巡らされてしまうのだから。


「何か考え事してるように見えましたが」


「いや、カレー楽しみだなって考えてただけだよ。いや、マジで楽しみだなぁ」


「な、なんだかハードル上がってる気がするんですが」


「んな事ねえよ。基本エルの料理なら何でも好きです」


「そうですか。でもまあまだ何でもって言われる程作ってないんですけどね」


「それでも多分そんな感じだよ」


「なるほど、それは嬉しいです。しかし何でもですか……じゃあちなみにラーメンとかどうでしょう」


「それは勘弁してくださいお願いします」


「……よほど苦しみながら食べてたんですね。あ、ちなみにこの前私それクリアしました」


「……凄いな」


「驚かれました。ギャラリーもできてました」


「そりゃ驚くよ、あんまり食いそうな感じしねえもんエルって」


「でも食べます。そして太りません」


「知ってる」


 俺はエルがよく食うのは知っているし驚かないが。

 それよりもきっとギャラリーができても平然としていたであろうエルの変化に驚き喜ぶ。

 以前レミールの街で同じような事があった時、エルは怯えていたんだ。

 それが今ではすっかりと適応している。

 本当にこの世界がエルにとって幸せな世界になっているんだと、こういう些細な事で実感する。

 そしてよく考える。それは違うんだと、そんな考えは逃げでただの責任転嫁でやってはいけない事だと思っても考えてしまう。

 この世界は本当は絶界の楽園だったのではないだろうかと。何かの間違いで精霊が住めなくなっただけで、本来はまさしく此処が絶界の楽園だったのではないかと。

 エルを見ていると、何度もそんな事を考える。

 もっともそれは俺が知り得る事ではないけれど。

 ……だけどなんにしても、エルにとってこの世界が楽園なのであれば、そうであり続けなければいけない。

 そうさせないといけない。

 そう考えて浮かんでくるのは、誠一のスマホで見せてもらった天野宗也の画像だ。

 あの男が脅威になるかもしれない。今の幸せなエルの世界を壊すかもしれない。

 だったら……守らないと。

 そんな風に少し気を張りながら、俺はエルと共に帰路に付いた。







 その後エルの作ったシーフードカレーを食べた。

 初めはエルが料理をすると言った時、主に包丁の扱い方が不安で不安で仕方がなかったが、それでも様になっていて、どうやら種明かしとしては宮村から料理を教わっていたらしい。

 まあ本当に包丁の扱いがそこまで酷かったのかは俺に問ってはブラックボックスで、エルに聞くと困った顔をするので問い詰めなかったが、実際の所どうだったのだろうか。

 でもまあそれは置いておいて、エルは楽しそうに料理を作る。それを眺めているのも楽しい。そして今日はおいしいカレーが出てきて、それをおいしいと言ったら笑ってくれて、エル自身も楽しそうに食べる。本当にそれは幸せな空間だった。

 そしてそれから時間が過ぎて夜がやってくる。

 今日も悪夢に苛まれるのだろうか。そう思うと不安になって眠るのが億劫になる。

 だけどエルが隣りで眠ってくれる。それだけで自然と心が落ち着いて眠れそうな気がしてくる。

 そして俺達は背中合わせで横になった。お互いが向き合う事は基本ない。それはただ単純に恥ずかしいだけだろうか。

 そしてそうしたままで、眠る前に少しだけ会話をする。それが最近の俺達の眠り方だった。


「エイジさん」


「どうした?」



 そういう流れでエルから切り出された話は、考えてみればいつこの話題が出てもおかしくはなかったと言うような話。


「その……聞きました? なんだか少し面倒な人が返ってくるって話」


 自分達の敵になるかもしれない相手の話。


「聞いたよ。……天野宗也。精霊を嫌ってる連中のトップみたいな奴だろ。んで、対策局の中で一番強い奴。とりあえず言われたと思うけどあんまり一人で行動すんのは控えたほうがいいだろ。明日からしばらくはな」


「そうですね……ちょっと気を付けます」


 そう言った後エルは一拍空けてから言う。


「……でも大丈夫ですよ。なんとかなります。だから、その……大丈夫ですよ」


 まるでこちらを元気づけるようにエルはそう言った。

 あまりこちらに心配を掛けないように、エルなりに配慮してくれたのかもしれない。

 そういう所でも俺を助けてくれているのかもしれない。

 ……矛先を向けられているのは自分なのに。


「ああ、そうだな。大丈夫だ」


 何かあっても守るんだ、エルを。

 そんな会話をした後、少しだけ雑談を交わした後自然と眠る流れになった。

 ゆっくりと、ゆっくりと。エルの寝息を聞きながら意識が沈んでいく。

 こうして俺はエルとの平和で何でもない一日を終える。

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