ex そして私がしたい事

 その決意と共に体が少し軽くなった様に感じた。

 やはりどんな形であれ一つの結論を出せた事が大きいのだろう。それでも当然元通りとはいくわけがないが、それでも幾分もマシにはなっている。

 なっているからこそ、脳内で巡らせる思考も徐々に変わっていく。

 前に進んでいるのか。横道に逸れているのかは分からないが、とにかく今まで考えていたことより、目を覚ましてすぐの事よりもっと先の事を考える事にした。

 どんな形で事を進めるにしても、その先にある未来をエイジが生きる事に変わりはない。

 そこにいるのが立ち直ったエイジだとしても、元には戻らないエイジだとしても。そのどちらでもそれは変わらないし、隣りで支えたいと思う気持ちも変わらない。

 だから自分に何ができるのか。何をしてあげたいのかを考える事にした。

 そして少し考えて一つの考えに思い至った。それは一人でどうこうできるかどうかは分からない事で、誰かの協力が必要な事だと思えた。

 だからその言葉はとても丁度良かったと言える。


「まだ私がアドバイスできるような事ってあるかな? 私に何かできる事があれば協力するよ」


 茜がそんな言葉をエルに掛けた。

 本当に丁度良かったと思う。こういう流れなら頼みやすい。茜が聞かれると思っている用な類いの話ではないかも知れないからいい返事が返ってくるかは分からないけれど。


「じゃあ一つの、聞いてもいいですか?」


「いいよ。何かな?」


 そしてエルは茜に訪ねる。


「茜さんは……料理ってできますか?」


「……料理?」


 茜は一瞬呆けたような表情になる。

 当然と言えば当然だ。先程の話から随分と話が飛躍してしまっているように思える。

 だからエルは補則する用に言葉を付け加える。


「はい。エイジさんに少しでも元気になってもらおうって考えたら、そういう事もやってみたらいいかなって思いまして。以前食べたいですか? って聞いたら食べたいって言ってくれましたし」


 アルダリアスでの一件の後、ホテルにて交わしたそんな些細な会話。あれ以降包丁を握る機会もなかったが、たまにそういう話になった時にも食べたそうな事は言っていた。何故か不安そうな表情も浮かべられたが、それでも食べたいか食べたくないかという二択の問いに食べたいと言ってくれた。

 だったらそれはやってあげられる事だって明確に思える。

 隣りにいて何か言葉を掛けてあげる。それ以外に自分がやってあげられる数少ない事だ。


「でもあまり料理ってした事が無いんです。だから覚えたいなって」


 その為には誰かの協力が必要だ。

 そして今そういう事を頼めそうなのは茜しかいない。


「なるほどなるほどそういう事ね。ほんと、エルちゃんは健気でいい子だ」


 そう言った茜はエイジに視線を落とす。


「こんな状況でこんな事を言うべきじゃないのかもしれないけどね……本当に恵まれてるよ瀬戸君は。中々いないよ、こんな良い子」


 エイジに向けてそう呟いた後、再び視線をエルに戻して茜は言う。


「で、アレかな? 私に料理を教えてほしいって事でいいのかな?」


「はい。その……茜さんが良かったらでいいんですよ。無理には頼めませんし。でも、よろしければ、お願いできませんか?」


「うん、いいよ。全然いいよ」


 茜は迷うこと無くという風にそう返答してくる。


「あ、ありがとうございます!」


「いいっていいって。私はエルちゃんを応援したいって思うし、だから押せる背中はいくらでも押すつもりだから」


 そう言って茜は優しい笑みを浮かべた後、エルの肩に左手を置いて右手でグーサインを作る。


「よーし、そんな訳で茜ちゃんのお料理教室開校だ。頑張って胃袋握り潰しちゃおうぜ!」


「あ、いや、握り潰すのはちょっと……」


「あーごめん、ちょっとしたジョークだからジョーク。なんか本気で引いてるみたいだけど冗談だからね。こういうのは軽くツッコんでくれればいいんだよ」


 お互いやや困惑しながらも、茜がコホンと軽く咳払いして再び言葉を紡ぐ。


「まあとにかく訂正訂正。テイクツーだよ。頑張って胃袋を掴もう!」


「あの、掴んでも結構痛くないですかね」


「わーお、あんまり考えてなかった角度の返球きたぁ!」


「冗談ですよ、流石に言いたい事は分かります」


「弄ばれてるぅ!」


「いや、弄ぶとかそういうつもりじゃなかったんですけどね……でもまあ、お願いします。私、多分包丁の振り方からしておかしいと思うんで」


「え……振り? ……え?」


「……アレ? 何か変な事言いました?」


「あ、いや、別に……これ機会無かったってそういう事かぁ……」


「えーっと……どうしました?」


 後半の方が声が小さく何を言っているのか聞き取れなかったが、それでもあまり表情が芳しくないのは理解できた。


「いや、何でもないよ、うん。まあとりあえず……がんばろうか。お互いに」


「はい、頑張ります。殆ど一からですから先は長いかもしれませんけど」


「一かぁ……うん、そうだね、一だ。そういう事にしておくよ。決してマイナスなんかじゃないよ」


「……?」


 一体どこからマイナスなんて言葉が出てきたのだろうか?

 そんな事を考えつつエルは首を傾げる。その言い方だと不安要素の塊を相手にしている様ではないか。

 そしてそうやって首を傾げるエルに苦笑いをしながら、茜は言う。


「ま、まあ今日すぐにってのは流石に無理そうだから、やれても明日以降だね。場所の確保から食材の確保は誠一君をパシるにしてもだよ。もう今から何かするっていう様な時間でもないし……多分エルちゃん、相当疲れてるって思うんだ。だからまずは何か食べて一晩ぐっすり眠った方が良いよ」


 まあ確かに疲れは溜まっていた。

 昨日精霊捕獲の業者と戦った直後に一晩寝たが、体力が回復しきったかというと微妙だったし、そこからの移動。そして今日の一件。いくら体力に自信があると言っても心身ともに疲れ切っているという事は否定しようにも否定できない。


「とりあえずね、エルちゃんが使えるように来客用の部屋を用意してくれてるみたいだよ。結構いい部屋だよ、VIP部屋だよ。中々ベッドが寝心地よさそうだよアレ」


「それは助かります……でも、いいんですかね」


「ん? 遠慮とかは別にいいよ。なんならベッドでトランポリンする位遠慮なくてもいんだよ」


「いや、それは流石にどうかと思うんですけど……そういう事じゃないです」


 もっとも流石にどうかと言いながらも過去に何度かエイジが席を外している時にやった事はあるし、こういう状況じゃなければ軽く少しだけやってそうな気もするが、今はその話はいいし、人に言える様な事ではない。


「じゃあどういう事かな?」


「私、此処にいたほうがいいんじゃないかなって思いまして」


「あーうん、そういう事か。それならさっきも似たような事を言ったけどね、瀬戸君が起きるまでずっと碌な睡眠を取らないつもりかって話だよ。瀬戸君が目を覚ました時、今よりもっと疲れ切ってたらできる事もできないし、瀬戸君から見てもきっとエルちゃんは元気な方が良いと思うから」


「まあ……確かにそうですね」


「また明日、ちゃんと時間を作ってみてあげてればいいんだよ。心配するのも分かるけどね、無理は行けない」


 だから、と茜は先程と同じように言葉を纏める。


「とりあえず今は何か食べよう。そして寝ちゃおう。リフレッシュだよリフレッシュ。おいしいご飯とふかふかベッドがエルちゃんを待ってる」


 そう言って茜は立ち上がってエルに手を差し伸べる。


「じゃ、いこっか」


「あ、はい」


 エルはそう言ってその手を取ろうとするが、思い留まる。

 そして手を取る代わりに茜に言った。


「……すみません。すぐに出るので部屋の外で待ってもらっててもいいいですか?」


 エルのその言葉に茜は少し考える様に間を空けてからエルに言葉を返す。


「……分かった。いいよ、部屋の外で待ってる」


 エルの考えを察した様にそう言った茜は静かに部屋の外へと出て行った。

 そうして部屋に残っったのはエルとエイジだけになる。

 そしてエルは立ち上がってエイジに視線を向けて、帰ってくる事のない言葉を掛けた。


「……待っててください。エイジさんが笑えるよう、私、頑張りますから」


 それだけを告げて、少し帰ってくる事の無い返答を待った後、踵を返して出入り口の扉へと足を進める。


(……頑張ろう)


 もう一度、心の中でその言葉を復唱しながら、エルは病室の扉を開いた。

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