ex 人間の組織 Ⅰ

 そしてそれからも暫く歩き続けると、その場所に辿り着いた。


「着いたぞ。この扉の先だ」


 そう言って連絡通路に入る時の様に誠一がパネルに手を置くと閉ざされていた扉が開き始める。そうして映る光景は先程まで歩いていた連絡通路よりも生活感があり、この場所を人が利用しているという事を伝えてくる。


「とりあえずさっき話した通りだ。エイジを寝かせに行くぞ」


 そう言って前を歩く誠一の後を変わらずエルは付いていく。

 当然ながら、そうして歩いていると人とすれ違う。あの一か月間、他人とすれ違ってもこちらに特別視線を向けてくる人間は殆ど居なかった様に思えるが、今はすれ違う人全員がこちらに視線を向けてくる。

 だからこうして注目を浴びるのはあの時以来だ。

 此処まで注目を浴びて思いだすのはエイジとの旅が始まった直後。アルダリアスに入った直後の事だろうか。

 ドール化されていない精霊が街を歩いている。その光景とドール化していない状態の精霊の特殊な雰囲気が人間の視線をエルへと集めた。それは向けられているエルからしてみれば全身に酷い悪寒が走るほどの辛いもので、できればもう経験したくはない状況だ。


 だけど今周囲から向けられている視線が、それとはどこか違うのは理解できた。

 あのまるで珍しい物を見るような、そんな視線では無かった。

 では何なのかと問われればきっと答えられないが、それでも何もかもが違うように思えた。

 不思議な物を見る視線も、敵意が垣間見れる視線も、複雑な表情で向けられる視線も。その全てがあの世界の物とは違う。

 こちらに声を掛けてくる者もいたが、それは誠一が適当に流したので話す事は無かった。恐らくはこちらに気を使ってくれているのだろう。

 だけどもそうやって流されなくても大丈夫な気がした。多分今の自分ならある程度まともな言葉を返せると思う。もっとも此処で返せないようなら、この先文字通り話にならない気がするのだが。

 とにかく、注目を浴びている状況でも、全くでは無いがそれでもそれほど悪い気はしなかった。

 だとすれば、噂は全くの間違いないではなかったのかもしれない。

 精霊が自我を失う。そういう現象が起こらなければ、この世界は精霊にとっての楽園になり得たのかもしれない。

 そんな事を考えながら、誠一の後を追った。







「お疲れさまだ、誠一君。……さて、果たして私はキミにどんな言葉を掛ければいいのだろうね。良かったね……なんて事を言える様子ではなさそうだが」


 辿り着いた個室には既に先客が居た。

 白衣を着た若い女性。どうやらというか当然というか、誠一の知って居る人間らしい。


「言っていいんすよ霞先生。ダチが戻ってきた。一人だけでもこうして生きてる精霊がいた。理想とはかけ離れていても、今までと比べりゃそれでもいい結果には間違いないんすから」


 そんなやり取りを交わしている二人に視線を軽く向けながら、エイジをベッドの上へと下ろして寝かせる。

 まだ目は覚まさない。しばらくはこのベッドに厄介になりそうだ。


「まあキミがそう言うのならそういう事にしておこう……それで、キミが件の精霊だね」


 霞と呼ばれた白衣の女性がエルへと視線を移しながらそう声をかけてくる。


「私は牧野霞だ。一応医者兼研究者って事になってる。キミの名前は?」


「……エルです」


「うむ、エルか」


 薄い笑みを浮かべながらそう言った霞は、ほんの少し複雑な表情を作って言葉を続ける。


「やはりというかなんというか……ちゃんと名前もあるのだな。意思疎通も人間同士の様にうまくいく……一体その事をどう受け止めるのが正解なのだろうな。……でもまあ、その答えは分からなくとも、一つ確かな答えが出たよ」


 そして再び視線を誠一の方に戻して言う。


「キミとあの子がやって来た事は無駄じゃなかった」


 無駄じゃなかった。

 精霊が意思疎通のできる相手だと知ってそういう結論に至る様な事とは一体何なのだろうか。


「……何かやってたんですか?」


「俺達の力の事とかは聞かなかったのにそういうのは聞くんだな」


「……まあ」


 力云々の知識は特に必要はない。この組織がどういう事をしているかも知っているから聞かなかった。

 だけどこの話は今の自分たちにも少なからず関係のある話だと思った。エイジを慰めるような言葉には辿り着けなくとも、少なくとも力云々の話よりは知っておくべき事かも知れないと思った。

 こうして自分達の味方をしてくれている相手の事を少しでも知っておく。信用できない訳では無いが、もしその判断材料を増やせるのならば増やしておくに越した事はない。

 そしてエルの反応に答えるように霞が口を開く。


「ああ、彼らは……そうだな。どういう風に言えばいいか……」


「何も言わないでください」


 言葉を選んでいた霞を誠一が静止させる。


「……精霊に面と向かって言える様な話じゃないっすよ」


 ……つまりは後ろめたい様な話なのだろうか。

 精霊と戦っている。その事を知っている相手にも言えないような事なのだろうか。

 だけど多分、自分たちから見ればそういう事よりはマシな事なのだろう。


「少なくとも精霊に武器を向ける様な光景をみせるよりは、よっぽどまともな話だと思うんだけどね」


 擁護するように、そんな事を霞は口にした。


「まとも……か。どうなんでしょうね実際は」


 そしてそこまで言って、それ以上その事を口にすることはなかった。

 ある意味その話から逃げる様に、誠一は踵を返す。


「……とりあえず栄治の事、よろしくお願いします。じゃあ行くぞ、付いてきてくれ」


 そう言って誠一は歩き出す。


(……まあいいか)


 結局詳細は分からなかったが、酷い話ではなさそうな事は分かった。それに元より知ることができればいいという程度の話だ。その詳細が分からなかった所でそれを問い詰める気はない。

 今何か言う事があるとすれば、それは誠一にではなく、今から一先ずエイジを任せる相手にだろう。


「……エイジさんの事、よろしくお願いします」


 とりあえずそう言って誠一の後を追おうと思ったが、霞の声がそれを止める。


「不安かい?」


「……なんの事ですか?」


「いや、なんとなく私にこの子を任せるのが不安という風に思えてね」


「……まあ」


 この場でエイジから離れるという事は、きっと誰かにエイジの事を任せる事になるとは思っていた。流石にこういう場所でただ寝かせておくという風に事は進まないだろうと思っていたし、それも仕方がないと思っていた。

 だけど実際こうしてその時を迎えてみれば、少し抵抗が生じる。

 精霊を資源としかみないあの世界の人間とは違う。それは分かっていても、やはり何かを委ねるとなると不安な気持ちが沸いてくる。


「心配するな大丈夫だ……なんて言っても何も変わらないか。実際キミに提示できる証明なんてのは何もないわけだからね。だけど……あー、いや、うん。なんて言えばいいか。駄目だ、何も言葉が思いつかない」


 どうしたもんかと霞は腕を組む。

 そして最終的に万策尽きたとばかりにため息を付いて、エルに言う。


「まあ……その、なんだ。信用してくれないか?」


 多分誰かの信用を得ようとして放たれた言葉としては非常に脆くて酷い言葉なのではないかと思う。

 だけどまあ……ある意味それが良かったのかもしれない。

 不安であることは間違いない。だけどそういう無茶苦茶な言葉だったからこそ、逆にそれが本心の様にも思えた。そしてそれを思えて不安を少し軽減させられる位には、エイジとの旅で人間に慣れてるし、その人間よりも遥かにまともな視線を向けてくるエイジの世界の人間をまともだと思えている。

 だから不安交じりながら、言葉を返す。


「……わかりました。今のところは信用します」


 ……もっとも、先に選んだ選択と同じで現実から逃避したい思いもあったのだけれど。


「……なら良かった。お姉さんは嬉しいよ」


「じゃあ、よろしくお願いします」


 そう言ってエルも途中で立ち止って待っている誠一の元へと動きだす。

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