10 契約の対価

「……」


 俺の言葉に二人は何も返さない。まるで返せないという風に重く複雑な表情を浮かべる。

 訳が分からない。この状況でどうしてそんな表情を浮かべる? ナタリアを救うために動いた結果としては限りなく最高の形で終われているだけじゃないか。だからナタリアがそこに居る。もっとまともな表情が向けられていなければおかしいだろ。

 少なくともそんな酷い表情を浮かべられるのはおかしいだろ。

 あまりに予想外の反応に思わず困惑するが、やがて考えを切り替える。

 ……確かにどうしてそんな表情を浮かべられるのかは分からない。だけど今の状況がいい方向に進めている事は俺が一番知っている。自我を取り戻したナタリアと言葉を交わせた俺だから確信を持って言える。

 だったら俺達は次のステップに進むべきだ。エルが戻ってきて、きっと他の皆の位置を俺達よりもうまく特定できるであろう誠一もそこにいる。ナタリアにもある程度事情を知ってもらえた。だとすればもう止まっている理由はない。


「……まあいい。とりあえずはいい。だから誠一、聞いてくれ。教えてくれ」


「……」


「今助けたナタリア以外に三人、俺と一緒に行動していた精霊が居るんだ。そいつらの場所を特定できねえか? なんなら伝えられる範囲で特徴とか伝えるからさ」


「……」


 その言葉に……返答はない。

 誠一とエルが俺とナタリアを見て何かに気付いて黙っていたのなら。もし俺達が気付かない様な些細な何かがそこにあったなら、まだ黙り込んでいる理由にはなる。それなら辛うじて呑み込もうと思えば呑み込める気がする。

 だけどこれだけは。この問いに押し黙る理由だけはどうしても理解できない。できるならできる、できないならできないという事位言えると思うが、それすらも口にしない。

 そして浮かんできて必死に打ち消すのは最悪の可能性。

 気が付けば聞きたい答えを聞くために、焦り交じりの声が漏れ出してくる。


「お、おい誠一。何黙ってんだよ。言えよ、何か言い返し――」


 そこまで言ったところで、その言葉は止められた。

 言葉を被せられた訳ではない。外部から力ずくで止められた訳でもない。


「……ッ!」


 その衝撃は、内側から。

 先程から……ナタリアと契約を交わしてから発生した直後から発生し、徐々に強くなっていった頭痛。それがここに来て一発、重い一撃を放ってきたのだ。

 頭痛という括りに限定して言えば感じた事のないほど激痛。まるで脳に直接アイスピックを打ち込まれたような激痛が走って思わず右手で頭を押さえてしゃがみ込む。


「え、エイジさん!」


 先の言葉に返答をしなかったエルも、今回は何事かというように声を上げて駆け寄ってくる。

 その直後だ。鼻に軽く違和感を感じる。日常生活の中で何度も経験した違和感を感じる。


「お、おいお前……」


 ナタリアがこちらの異常に気づいたように言葉を向けてくる。

 出て来たのは鼻血だ。滅多に出ないほうなのに、頭痛と共にその症状はやってきた。

 寒気も一緒に引き連れて。


「だ、大丈夫だ」


 俺は頭から離した右手で鼻元を抑えながら、エルとナタリアにそう言って再び立ち上がる。

 立ち上がって、一歩一歩と誠一へと歩みを進める。


「……何か言えよ誠一、おい」


 だけどその足は酷く重く足元もおぼつかない。一歩目はよかった。二歩目で既に狂いだし、三歩目には完全にバランスを崩して視界が揺れる。


「大丈夫ですかエイジさん!」


 エルに肩を貸されていなければ間違いなく倒れていたと思う。

 そしてそうなっている時点で、決して大丈夫とは言えない状態だと思った。恐らく大丈夫だと言った所で信用してはもらえないだろう。

 いや、それ以前に言おうとしても言えたかどうかすら分からない。


「……誠一、聞いてん――」


 否定するために。否定してもらうために。浮かんできた可能性を、認めたくない最悪な可能性を否定する為に、ただ必死に誠一から言葉を引きずりだそうと思った。

 だけどそこから先にそんな言葉が出てくることは無く、出て来たものは別の物。

 それは何かしらの感情ですらない。


「――ガハッ!」


 俺の言葉は勢いよく咳き込んだ事によって止められて、代わりに出て来たのは血液。

 ……吐血。

 外部から無理矢理血液を吐き出さされる様な行為を受けたわけではない。ただ悪寒が走る全身からそれが無理矢理引きずりだされた。


「お、おいエイジ!」


 そして誠一から出て来たのは求めていた言葉ではなく、青ざめた表情で慌てて口にした俺の名前。

 それが耳に届いた時にはもう視界は歪み始めていて、景色がぐにゃりと曲がり始める。

 足腰にもまるで力が入らず、エルの首に回した腕だけを置いてくるように、自然と崩れ落ちる。

 意識が朦朧とする。全身が熱を帯びているのか体温を失っているのかすらもわからない。

 周りから聞こえてくる声は再び吐血する頃には、聞こえにくくなってきていた。よく聞かなければ誰が誰の声で何を言っているのかが理解できなくなる。

 だけどそんな中でも分かったことが一つ。契約直後から分かっていた筈で、自然と否定していた一つの答え。


『契約は一人としかできない! そんな事はエイジさんも分かっている筈じゃないですか!』


 一人の精霊としか契約できない。契約の精霊術は既にエルと契約していた段階でも、今でさえも使えるのに……どうして一人としかできないなどと言われているのか。

 その結果が……これだ。

 いや……ちょっと待て。

 ……認めるな。そんな事は認めるな! 認めたちゃ駄目だ!

 それを認めてしまったら最悪の可能性どころの話ではない。

 根本から全てが狂う。全部全部全部全部全部……全部、成立しなくなる。何もかもがどうにもならなくなる。

 だから……認めちゃ、駄目なんだ。

 だから、声を絞り出そうとした。

 止まるな。止まってはだめだ。アイツら全員の場所を割り出して、アイツら全員と契約を結んで、アイツら全員を助ける。助けるんだ。

 だったら認めて立ち止るな。そんな答えは否定しろ。最悪な可能性なんか打ち消せ。

 地べた這いつくばってでも、藁にしがみ付いてでも、歩みを止めるな。

 止めてたまるかッ!

 だけど喉からは僅かに空気が漏れ出すだけだ。やがて沸いた気力は血液に交じり、勢いよく共に体外へと吐き出される。


 そこまでだ。


 まともに意識を保っていられたのはそこまでだ。

 聞こえていた声がより遠くなり、掠れ歪んでいた視界は徐々にブラックアウトしていく。

 それに抗う事はできやしない。それ程までに多重契約の対価は重く圧し掛かり……見えていた景色を完全に黒へと塗りつぶす。

 俺の意識と共に……どこまでも暗く黒く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る