13 歪みの片鱗

「それで、キミは一体何処に向かえばいいのか分かっているのか?」


「まあぼんやりとだけどな。なんとなくエルの居場所は分かる気がする」


「すごいね……これが正規契約って奴か」


 そんな会話をしながら、シオンも窓枠に足を掛ける。


「……外に出るってなって迷いもなく窓から出ようとするって事は……俺が取ろうとした行動自体は間違っていないみたいだな」


「……事情聴取を避けたいって意味ならば間違っていないと思うよ。とはいえ戻って来た時に絶対に話は聞かされるだろうけれど」


「……自分から飛び降りようとしておいてなんだけど、こうして窓から外に出た事で変な疑いとか掛けられたりしねえかな」


「それは無いだろうね」


 シオンは否定する。


「キミの世界の常識は分からないけれど、僕達の世界には精霊術がある。故に有事の際は階段を使うより、跳び下りる事の方が多いんだ。だからこれは至って普通の行動だよ」


 ……まあ確かに言われてみればその通りだ。火事なんかがあっても、個室から非常階段の様な所を通って外に出るより、肉体強化を使って直接飛び降りた方が良いだろう。


「まあとにかく部屋に誰かが来る前に出ようか」


「だな」


 そうして俺達は三階から飛び降りる。恐らくはそのまま着地しても支障はなかっただろうけど、一応風で着地の衝撃を殺しながら。


「で、どっち?」


「このまま真っすぐ。それ以上はなんとも言えねえ」


「分かった。とにかく行こう」


「ああ」

 そうして俺達は目指すべき方向に足を進め始める。

 そしてすぐに違和感に気付いて、走りながらシオンに尋ねた。


「……ってか、ちょっと待て」


「ん? どうかしたかい?」


 どうかしたも何も、この場にいるべき奴が一人いないだろう。


「お前、あの精霊はどうした?」


 シオンが連れていた金髪の精霊。彼女は一体何処に行ったのだろうか?


「……ホテル周辺で待機させてあるよ。僕達が異変に気付いたのは、外に出てからすぐの事だからね。再突入の際には離れる様に命令したんだ」


「……巻き込みたくないから、か?」


「そうだね。今、此処にいない理由もそれだよ。危険な事に彼女を巻き込まない。例えそれが劣勢を招こうと、それだけは守らないと行けない。そう、思うんだ。だから……付いていけるのは僕だけだ。悪いね」


「悪かねえよ」


 寧ろそれは良い事なんだ。俺はシオンのその行動が凄く正しい物だと思える。


「でも一人にしておいて大丈夫なもんなのか? 治安的な意味でさ」


「それなら大丈夫だよ。この世界は……人間には優しいからね」


 人間には優しい。確かにそれは正しいのかもしれない。

 エルドさんにルキウス。此処に来るまでに出会ったおっさん。

 少なくとも俺が出会って来た人間は、件の襲撃者達を除けば優しい人達だった。特にエルドさんやルキウスは、この世界の常識から逸脱した行動を取る俺を、辿るべき道に戻そうとまでしてくれたんだ。人間にとって優しい世界。というより人に対して優しく接せられる世界。それは間違いでは無いんじゃないかと馬鹿正直に思ったりはする。

 ……だけど。それが正しいとしても。


「でも、精霊には厳しいだろ」


「そうだね。だけど……この世界にとって精霊は人間の所有物だ。人が人の事を思いやれる様な世界で人の物を奪おうとする輩なんてのは、ごく僅かな頭のおかしい連中だよ。今回の彼らの様にね」


「……そうか」


「そうだよ。キミの世界がどうだったかは分からないけれど、この世界は本当に平和なんだ。例えばもう二百年近く戦争が起きていなかったり……憲兵が常に暇してたりね。だから態々悪党が奪う必要のない様な何処にでもいる様な物が奪われたりするなんて事はないと思うんだ。あってたまるか、そんな事。そこまで僕達は落ちぶれちゃいない」


 落ち着いていた声音が、徐所に感情が籠って行くように強くなっていく。


「この世界の人間は。この街の人間は。僕の友人だった奴だって。皆、まともなんだ。精霊絡みの事以外じゃ、みんな優しすぎる位に優しいんだ!」


 そう言うシオンに、俺はなんて声を掛ければ良かったのだろうか。

 ……多分シオンの心境は複雑な物なのだろう。

 シオンがそう言うのだから、少なくともシオンの周辺の人間はとても優しい奴らばかりだったのだろう。だけどそんな優しい人達と、シオンの精霊に関する考えだけはどうしても相容れ無くて、結果的にサイコパス呼ばわりをされるに至った。

 でも例え自分と真逆の常識を持っていても。サイコパスと罵られても。それでも……まだ、優しいと言える位の存在に思っている。その優しさを肯定したいと思っている。

 悪くは思いたくないと、そう思ってるんじゃないだろうか。


「……ごめん、少し感傷的になりすぎた」


「いいよ、別に」


 シオンの謝罪にそう返す。

 返しながら思った。

 ……一体シオンには、この世界はどう見えているのだろう。

 そんな事を考えていると、シオンがこんな事を言ってきた。


「……キミの世界の人間は、一体どうだった?」


 その問いに少し考えてから答える。


「……良く分からん」


 だけど出てきたのはそんな言葉だった。


「世界がどうこう言われても、国や地域によって色々と違うだろうからな。でもまあ少なくとも、一部を除いて基本的にみんな優しいっていう風に断言できない時点で、お前の思うこの世界の人間よりは優しくねえんじゃねえの?」


 まあその真偽は分からないけれど。


「……だけどまあ少なくともキミは優しいんだと思うよ」


「……そうか?」


「そうだよ。いくら精霊が虐げられるのが間違っていると思っても、それを行動に移すなんて事は中々出来やしない。それをキミは……しているんだ。今だってそんなにズタボロになってまで、エルを助けようとしている」


「まあ、それが正しい事だと思うからな」


「……」


 シオンは何か引っかかった様に、一拍置いてから俺に尋ねる。

 まるで自分が求めた回答と返ってきた答えが違った様に。


「……失礼な事を言うかもしれないけど、まるでエルを助ける事が間違ってると思ったら助けない様な、そんな口振りだね」


「まあ……そうだろうな」


 その問いに自然と出てきた解は、そんな言葉だった。

 何故か反応を返さないシオンに対して、俺は言葉を続ける。


「……俺がそう思ったんならそうするんだと思う。そう思うに至るまでに色々あって、色々あったからそう思ってんだろ。だったら……それが正しい事なら、きっとそうする筈だ。まあ、んな事にはならねえと思うけど」


「それは何かの冗談……ではないよね」


「ねえ……と思う。実際そういう場面なったら俺はそうすると思う。思うというか確信だ。相手がどんな奴だろうと。自分とどういう関係性を築いていようと、変わらない。躊躇いはあってもきっと決断する。変わらない様な奴だから、俺は自分を半殺しにした奴を助けようだなんて思ったんだと思う」


「半殺し? ……ちょっと待て。その半殺しにした相手って言うのは……」


「エルだ。俺の非もあったけど、結果的に俺はエルに半殺しにされた。親切な人に助けられていなけりゃ、間違いなく死んでた。俺はそういう奴を助ける為に命を掛けたんだ」


 シオンからの返答は無い。でもきっとそれでいい。

 あまり長く続けていい話ではない。


「もうこの話は良いだろ。とにかく先を急ごう」


 エルは助けるべき存在だ。見捨てる理由なんて何処にもない。

 これからもきっと、見捨てる様な選択肢が出てくる様な場面は来ない筈だ。

 でも……もし来るとすれば、その時俺とエルは一体どういう事になって居るのだろうか。

 ……一体俺達は、どんな表情を浮かべているのだろうか。

 でも、どんな表情を浮かべていようと結果は変わらない。

 今の俺がその選択を拒んでも。その場の俺は受け入れる。躊躇いに躊躇っても、その引き金を引く。

 ……そうする事がきっと、俺が取るべき正しい事なのだから。

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