人の身にして精霊王
山外大河
プロローグ
襲撃とブラックアウト
俺、瀬戸栄治の長所が何かと聞かれれば、それは自分が正しいと思った事を損得勘定無しでやれる事だと思う。
周りの目を気にして皆が出来ない事を率先してやる。それは凄い事だと、小学生の頃に担任の教師が褒めてくれたのは高校生になった今でも記憶に残っている。
そして俺の短所、欠点が何かと聞かれれば、それは自分が正しいと思った事を損得勘定無しでやれてしまう事だろう。
「マジで何考えてんだよてめえはッ!」
やれてしまった結果が、右頬が張れている親友にブチ切れられている今の状況だ。
八月上旬の気温に熱せられた路地裏のアスファルトにへたり込み、壁に背を預けている俺は、全身の痛みを堪えつつ目の前の親友、土御門誠一に返答する。
「だってよ……あんなもん、身捨てらんねえだろ」
俺の周囲には、絵に描いた様にガラの悪い不良達六人が転がっている。
俺の全身の痛みはコイツらに殴られ蹴られた事による物で、誠一の右頬の張れもコイツらの拳を貰った事が原因だ。
逆に不良達が転がっているのは俺達が……いや、主に誠一が殴り倒したからだ。
つまり俺達はつい数分前まで不良と二対六の喧嘩をしていた訳だ。
そしてそうなるに至った原因は俺の欠点にある。
「身捨てりゃいいんだよ! 見ず知らずの奴助ける為に、どうにも出来ねえ事背負い込んでんじゃねえよ!」
喧嘩になるに至った原因。それは俺が不良のカツアゲ現場に割って入った事にある。
被害に会っていたのは同い年位という事位しか共通点を見出せない少年。
路地裏に少年が連れ込まれる前に俺を含め数人の目撃者が居た訳だが俺以外の全員は無視を決め込んだ。
だから俺が動いて割って入った。
つまりは事実上、俺は不良六人相手に喧嘩を売ったのだ。
そうなった先に勝ち目なんてなかったのに。
「分かってんのか!? ああいう馬鹿は簡単に一線を超える! お前、もし俺が助けに入ってなかったら場合によっちゃ病院送りで済まねえ様な事になってたかもしれねえんだぞ!」
逃げ出した被害者が偶々路地の外に歩いていた誠一に助けを求めたらしい。
結果、様子を見に路地の中に入ってきたタイミングで喧嘩が勃発した。だから誠一に助けられた。
そんな奇跡と言っても過言ではない様な事が起きたから、こうして俺は全身に軽度の怪我を負っているだけで済んでいるだけで、誠一の言う様な事が起きていた可能性だって確かにある。
そしてそんな事は言われなくても分かっているんだ。
俺にはどうにもできないって事も理解していたし、無茶をする事がどういう結果を招くかなんて事は明確に理解している。
していたからこそ、止めに入る時の手足は震えていたし、声だって震えていたのだろう。
それなのに動いてしまう程に、俺の短所は致命的だ。
そしてそれは誠一だって理解している。理解しているからこそ、こうして俺の性格を少しでもまともにする為に、事あるごとにこうしてキレてくれているのだ。
俺は多分そういう好意をまた裏切るのだろう。そう考えていると申し訳なくなってくる。
尚も言葉が止まらない誠一に対して、自然とこんな言葉が漏れだした。
「……悪い」
俺がそう呟くと説教はピタリと止まり、一転静かな声で言う。
「何に対する謝罪だよ」
「こうして怒ってくれてんのに、また何かをやらかしそうだからさ……」
「なんで端からやらかす前提でいるんだよてめえは……ったく」
誠一は深くため息を付いた後、一拍空けてから諭す様に俺に言う。
「なぁ、栄治」
「……なんだよ」
「俺は別にお前のやっている事が間違いだとは思ってないからな。悪いのはこの不良達で、正しいのはお前だ。だけどな……その馬鹿正直な正義感を振るい続けてたら、本当にどこかで潰れちまうぞ」
反論の余地も無い。だってそれはきっと、正しい事だから。
「せめて少しは自制しろ。自分の手の届く範囲だけ手を伸ばせる様にな。それが難しいってのは見てりゃ分かるけど……それでもやるしかねえよ。協力するからさ」
「……ああ、頼むよ」
自分のこの性格が、長所よりも欠点という側面が大きい事は理解している。
行動した先に見返りなんて殆ど無く、待っているのは苦痛ばかりだ。自分で自分に呆れてしまう。
……なんでいつもこんな事をしてしまうのだろう。
俺は十六になっても今だに分からないその答えを考えながら、もう何度目になるか分からないこの性格を直すという誓いを立てた。
十分後、俺は怒りの収まった誠一と共に、古いラーメン屋のカウンター席にて注文したラーメンが出来るのを待っていた。
元々誠一は昼飯を食べに行く途中だったらしく、今回の礼も兼ねて俺が奢る事になり、今に至ると言う訳だ。
「……で、お前アレ食いきれんの?」
「しらん。好奇心だ」
俺は普通の醤油ラーメンを頼んだ訳だが、誠一のは所謂チャレンジメニュー。時間内に完食すれば賞金。出来なければ罰金というアレだ。
「万が一の時の罰金払えんのかよ」
「馬鹿野郎。てめぇの奢りじゃなきゃ、こんなもんチャレンジするわけねえだろ」
「……マジでか」
失敗した所を見て笑ってやろうかとも考えたが、これは完食してもらわなければ困る。
「まあ心配すんな。成功期待度は三十パーセントオーバーだ」
「半分切ってんじゃねえかよ……」
俺達がそんな絶望的なやり取りをしていた所で、店内に設置されたで流されていたワイドショーが、次のトピックスを流し始める。
『昨年我々人類を襲った多発天災の終結から、もうすぐ一年となります。そこで本日は専門家を交えて、当番組で取材して来た国内外の被災状況を振りかえると共に――』
どうやらその内容は一年前の多発天災のドキュメンタリーらしい。
俺達は自然と会話を打ち切り、番組に耳を傾ける。
そしてポツリと言葉が漏れ出した。
「……もう一年か」
一年半前、決して少なくない人が世界の終わりを感じたと答える様な異様な事態が起こった。
半年間に渡り世界中で地震や台風などを初めとした天災が、異常なまでの高頻度で発生し続けたのだ。
それは日本も例外では無く、俺の住んでる池袋を含めた東京二十三区は精々超大型台風の直撃程度で済んだものの、九州の方と北海道では大震災と呼んでも刺し違えない様な大地震が起きてしまっている。
目立った被害が二か所の大型地震という日本はまだいい方で、酷い所では国家としての機能が完全に麻痺している国もあって。
世界中がそんな事になっていれば、世界の終わりを連想する奴が居てもなんの不思議も無いだろう。
そんな事を考えながら、俺はチラリと誠一に視線を向ける。
誠一は一年前まで。中学三年の頃に件の九州に住んでいた。だから身を持って体験している訳で……多分こういうニュースはあまり見たい物ではない筈だ。
「……もうああいう事は起こらねえよ」
真面目な表情でそう呟く誠一の言葉は、きっとなんの確証も持てない希望だ。
そんな事が分かるのだとすれば、きっと一年前の多発天災にもっとまともな対策が取れた筈。分からず取れなかったのがこの結果だ。
そんな事を考えた時、店内に誠一の携帯の着信音が鳴り響いた。
「わり、ちょっと出るわ」
「静かにな、店ん中だし」
「分かってる」
そう言って誠一は着信に応じる。
「もしもし……はい……え、マジっすか……分かりました。いますぐ行きます」
え、ちょっと待て……いますぐ行きます?
通話を切った誠一は、携帯をポケットに仕舞いながら言う。
「バイト先からだ」
「……なあ、今すげえ不穏な言葉が聴こえた気がするんだが」
「なら説明の必要はねえな……後、頼むわ」
「え、いや、頼むってちょ、ふざけんな、せめて喰ってから――」
「わりぃ、大至急って言われてるから。健闘を祈るぜ!」
「お、おい!」
そう言って店内から出て行ってしまう誠一。
そして入れ替わる様にやってくる悪魔。
「はい、醤油ラーメンと、チャレンジラーメンお待ち!」
普通サイズの醤油ラーメンと比較すれば、如何にムリゲーかが分かる頭のおかしい量のラーメンが目の前に置かれた。
「す、すみません……チャレンジャーが居なくなってしまったんですけども……」
「ユーアーニューチャレンジャー」
「……で、ですよねー」
俺は虚ろな目をしてそう返す。
こうして、不良六人相手に突っかかるよりも無理ゲー感がする戦いが始まってしまった。
「やべえ……半年はラーメンなんて見たくもねえ」
俺は吐きそうになりながらも店内を後にした。
粘った。粘った。死ぬほど粘った。そして粘り損だった。
「……時間制限とか、ふざけんなよ」
そんな死角からトドメを刺されるとは思わなかった。俺は一体何の為に伸びきったラーメンを食べ続けていたのだろうか。
それにこの炎天下の中で財布は驚く程に寒くなった。散々だ。散々すぎる。
そんな風に心身共にフラフラになりながらも、俺は本来の目的地だった本屋を目指す。
まさか漫画を買いに行くために外出して、こんな事になるとは思わなかった。
そんな思いで歩き始めてすぐの事だった。
セミの鳴き声が場を制していた所に、突然轟音が響き渡った。
「な……ッ」
その発生源の方向に視線を向ける。
この道を抜けた先にある大通り。そこが今の音の発生源だ。
そう判断した次の瞬間、そうして見える大通りの一角を、大型トラックが転がって行った。
「……は?」
走り去った訳では無く、転がって行った。スリップどころの騒ぎでは無い。
まるで許容範囲を超えた横殴りの突風を受けた様に、文字通り転がって行ったのだ。
そして間髪入れずに悲鳴が響き渡る。
あの場所で何が起きているのかは分からない。だけどそれが決していい事では無い事は理解できた。はっきり言ってあの場所から少しでも遠くに行くべきだと、そう思った。
だけどそれが理解できても自然と足取りは大通りへと向く。
何が起きているか分からない以上、何ができるのかは分からない。
だけど分からないからこそ、何かが起きているその場所で、誰かがやらなくてはいけない事があるかもしれないと思った。
思ってしまった。
少し前に立てた誓いを早くも破り捨て、俺はその足を速める。
そうして辿りついたその場所の状態を見て、俺は思わず息を呑んだ。
この世の終わりの様な大惨事が目の前に広がっていた。
それは玉突き事故が起こったとか、タンクローリーが事故を起こして爆発だとか、そういう本来起こってもおかしく無い状況とは比べ物にならないほどの悲惨な状況。
「なんだよ……これ」
上層階が抉り取られた様に欠けていているビル。大穴の空いたアスファルト。
天変地異でも起こったのではないかと思える様な爪痕がそこら中に散りばめられていて……そして、そんなジオラマの様な光景の中で大勢の人が倒れていた。
大人から子供まで無差別に。
何がどうなれば突然こんな事になるのか、到底理解できなかった。
周囲を見渡すがこうなった原因となりそうな存在は見つけられず、この惨状以外に異質な光景があるとすれば、倒れている人の中に、夏だというのに黒いロングコートを来た人間が数人いる事位だ。
その時、背後からようやく生きている人間の声が聞えた。
「栄治!」
それはつい先程まで一緒に居た親友、土御門誠一。
だが先程までの誠一とは色々と違っていて、服装は夏だと言うのに暑そうなロングコートに変わっている。
そして俺のすぐそこにまで来て分かった事だが……額から血を流していた。
「お前、血……それになんだよその格好……」
「俺の事はいい。とにかくこの場からさっさと逃げろ」
「逃げろってちょっと待て。お前はどうすんだよ。それに倒れてる人達は――」
「言っただろ、見捨てりゃいいんだよ! お前にどうこう出来る状態じゃねえだろ! 此処は俺に任せてお前は行け」
「任せてって、お前にもどうこうできる状況じゃ――」
言い掛けたその時だった。
「……ッ」
再び轟音が周囲に鳴り響いて、今度はその音源をしっかりと視認した。
近くのビルに、目に見える衝撃波としか言いようがない何かがぶつかり、それが原因となってビルが倒壊した音だった。
「新手か……ッ」
そう言った誠一が向いた方角に、つられる様に俺も視線を向け……その時には既に視界の先に、此方に向かってくる何かがいた。
その何かについて理解できた事はたったの三つ。
一つはその何かが女の子である事。
二つ目が、その何かがよく分からない禍々しさを纏っているという事。
そしてもう一つは、まるで俺達に敵意でも持っているかのように、凄い勢いでこちらに突っ込んで来ているという事。
その三つが辛うじて分かった時、不意にその女の子が視界から外れる。
いや、外された。突き飛ばされた。突き飛ばしてくれた。
次の瞬間、俺を突き飛ばした誠一が急接近してきた少女に勢いよく殴り飛ばされた。
「誠一!」
冗談みたいに勢いよく何度もアスファルトをバウンドしながら誠一は地面を転がり、それをやった張本人は、獲物を狙うように誠一に向かって動き出し、追撃する様に蹴り上げる。
その光景を見せられて、俺は思わずその場に凍りついた。
さっきから起きている事の何もかもが現実離れしていて、理解できる事が少なすぎて。
そしてそんな状況でも、常識的観点から語れる事だってある。
人間があんな勢いで弾き飛ばされて、蹴りあげられて、生きている可能性はゼロに等しい。
「冗談……だろ?」
一瞬、誠一が死んだという想像をしてしまうが、そのイメージを掻き消す。
……大丈夫だ、きっと生きている。だから今は誠一を助ける事を考えろ。
そんな縋る様な願望を胸にゆっくりと立ち上がる。
武器になる様な物は何もない。あった所で変わらない。それでもやる事も変わらない。
「……う……ッ」
だけど背後から聴こえた呻き声が、やる事を少し変えた。というより増やした。
その声に反応して振り返ると、倒れていた女の子の一人が意識を取り戻していた。
俺はゆっくりと体を起こしている、紫色に髪を染めていて、首からペンダントを下げた中学生程の少女に駆け寄る。
右腕と頭から血を流しているが、他は擦り傷程度の傷しか無い。命に別状はなさそうだ。
だが……この子から何ともいえない違和感を感じた。
「だ、大丈夫か!? 立てるか!?」
その違和感を飲み込んで、俺は屈みこんで少女にそう声を掛けた。
とにかくこの子を少しでも安全な場所に移動させる。そして少し遅くなるがその後すぐに誠一の元に向かう。自分の力量を考えれば、こうすることが多分正解だ。
そうやって考えを纏めた時、俺の横を何かが……さっき誠一をぶっ飛ばした女の子が、同じ様にバウンドしながら弾き飛ばされて行った。
俺は自然と飛ばされてきた方角に……誠一がいる方角に体を向ける。
視界の遠くに立っていたのは、何故か全身血塗れ程度の怪我で済んでいる誠一で……その誠一は声を張り上げる。
「そいつから離れろ! 栄治ィィィィィィィィィ!」
誠一が言ったそいつが、飛ばされてきた女の子だとは思わなかった。
というより思えなかった。
「……ッ」
誠一が声を張り上げる直前から、すぐ近くであの女の子と似た禍々しさを感じていた。
そして誠一の声を聞いた辺りで、さっきの違和感は僅かながらもあの女の子と同じ様な禍々しさを、この少女も纏っていた事だと今更になって気付いた。
誠一の言っているそいつとは。この禍々しさの発生源は――、
答えに辿りついた次の瞬間、後頭部を何かに握られた。
全身に悪寒が走った。少女が何かをした所なんて見た事無いのにそれでも死を悟った。
だが一瞬、死への恐怖が和らいだ。
「……え?」
少女が纏っている禍々しさが一瞬、薄れたのだ。
だがガラスが砕ける様な音と共にそれは再び増幅され……俺の足元を中心に、紫色の魔法陣の様な物が展開される。
「なん……ッ」
その魔法陣から強烈な光が発せられた。その光りは俺を包み込むようにどんどん強くなっていき、そして次の瞬間……俺の視界はブラックアウトしたのだった。
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