マリッツァと房総海岸のシェールオイル

ラリー・クルス

I

 町で一番大きな銀行の自動ドアから出て行こうとしたとき、後ろから外国人の男に話しかけられた。男は仰々しく俺が立派な人だと讃えてから、自分はシリアからトルコにかけて石油ビジネスを手がけているトルコ人だと語った。不審に思っていると、男は日本のある海岸で、シェールオイルを採掘する技術を開発したので、事業化するために出資者を探していると言い出したので、納得がいった。

 このトルコ人は銀行の資産運用窓口でカモを探していたのだ。俺はそこでブラジル国債に70万円投資した。13年間続いた労働党政権が崩壊し、新政権下でのブラジルの経済成長に希望を持ったからだ。俺はトルコ人の言うことを少しも信じなかったし、そもそもこれ以上、投資に回す金などなかったが、彼の戯れ言に付き合ってみる気になった。

 トルコ人に促されて喫茶店に入ったので、注文は俺が促して二人ともブラジル産コーヒーにした。俺がブラジルの未来を称賛し、700万円投資したと言うと、トルコ人は目を輝かせてシェールオイル事業の出資は500万円からだと言った。金額を一桁多く伝えたのは見栄を張った訳ではない。この詐欺師に俺が金持ちだと思わせるためだ。

 旨いコーヒーを飲みながら俺は全く興味のないシェールオイルの話しを聞いていたが、相手に合わせて乗り気な振りをし、シェールオイルがどこで採掘できるのか聞いてみた。トルコ人は詳しく話せないが、房総半島のある海岸だと言った。そして、次に会うときには内密の資料を見せると言い、俺に六本木のエジプト料理店でご馳走してくれると約束した。


 約束の日、トルコ人は自分の娘を連れてきた。マリッツァという名で、年は14、5歳だろうか。彼女は見るからにインド人で、父親とは似てもにつかなかった。トルコ人の黄褐色の肌と違い、エチオピア人のような漆黒の肌をしているし、顔立ちは混血の余地がないインド人に見えた。

 俺たちはひよこ豆のペーストをはさんだパンやナイル川でとれた白身魚のグリル、ラム肉の串焼きを食べながら内戦終結後のシリアでのビジネスが盛んなことや、イスラエルとイランの仲がアメリカとロシアの思惑通り小康状態を保っていること、そして、何より房総海岸でのシェールオイル開発について話し合った。トルコ人は写真入りの資料を俺に見せ、房総海岸のある地点にあるという黒くべっとりとした砂浜とその地質学的に特異な構造を力説した。それから自分の妻がクルド人のテロで殺され、以来、娘と二人きりだと語ったが、そのころにはコプト教徒の作ったであろうビールで酔っていた俺でも、この男の言うことはやはり信用しなかった。

 マリッツァはその間中、一言も話さなかったが、時折黒いダイヤモンドのような瞳で俺を見つめてきた。不真面目な父親とは違う試すような眼差しに俺は笑顔で応えたが、彼女の感情は読めなかった。

 トルコ人が、出資するなら秘密を守ることを条件に海岸に連れて行くと言ったので、俺は700万円出すと言った。機嫌を良くした彼はシーシャを吸おうと言い、給仕にメニューを持ってこさせたので、俺はココナッツのフレーバーを選んだ。タバコを吸わない俺でも南国の香りに心地よくなり、まるで天国にいるかのような気分になった。美しいマリッツァを天使のようだと思っていると、トルコ人が「娘は魅力があるか?」と言った。俺が「もちろん」と答えると、トルコ人は娘と一時婚をするように勧めた。「まだ子供だから無理だ」と言い返した。マリッツァの方を見ると、彼女は相変わらず試すような瞳で俺を見ていた。どう言えば彼女を傷つけずに済むのか分からずに、ただ笑顔で応えた。

 トルコ人はトルコにはノアの箱舟の遺跡があると言った。俺は確かにマリッツァの瞳に魅了されていたが、彼女を異性として見ていなかったし、過ちを犯さなかったことを神に感謝した。




 


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