第11話 時雨

 肌寒いと思ったら、雨が降っていた。さっきまで晴れていたのに、最近はこんな不安定な天気が多い。寒いといっそう体調を崩しがちになり、ナオが動けないとチームの稼働率が下がる。憂鬱だった。

 もっとも、冬は発電量が落ちるし、装備が増えて遠出のコストが上がるため、探掘遠征そのものが減る。ミズハは報告書をまとめて来年度の備品獲得に余念がなく、旧文明の機械に詳しく、陽気で人好きのするタキはいつだって忙しくしている。イナサはギアの手入れをしていたかと思えば白い息を吐きながら往来をランニングしたり、子どもらに混じって鳩を追いかけたりと、活発に動き回っている――普段通りに。

 遠洋の大型魚には動きを止めると死ぬやつがいるらしいが、イナサにぴったりの喩えだ。いや、魚に失礼か。

 山裾の川べりで肩を寄せ合って暮らす第三区民にとって、魚は重要な蛋白源だ。そのためか、ナオが初めて幻視したのは魚だった。暗い海(夜の川? いや、海だろう)を泳ぎ、ちらちらと光るプランクトンを喰うおおきな魚を視て、幻視そのものにも、魚の生々しさにも驚きショックを受けて、しばらく寝込んだのだった。

 そう、目を覚ましたら部屋中に魚の絵が貼ってあって、またびっくりしたのを覚えている。何でも、「魚、魚」とうなされていたらしく、それを聞きつけたイナサが魚の絵を描いたのだとか。

 イナサの絵は金魚やメダカやカラフルな熱帯魚など、お気楽な魚ばかりだった。体の弱いナオを心配してのことだともわかるから、起き上がれるようになってから、絵を切り抜いて釣りごっこに興じた。あれは五歳だったか、六歳だったか。右も左も分からない子どもだった。子どもでいられた。両親だけでなくミズハやタキら身近な年長者に守られ、幻視を気味悪がる人々から庇われて。

 三区は他区に比べて食糧事情が良いから、移住希望者は多い。しかし発電機や医薬品、家屋の不足から、すべては受け入れられない。健康診断を実施して、三十歳以下の健康な者を優先して受け入れ、高齢者や病人の移住は拒否している現状を、皆はどう考えているのだろう。三十歳以下ではあるが健康ではないナオは、移住者が「三区に住みたかった、受け入れてもらえて良かった」と笑うたびに逃げ出したくなる。

 二年前に成人して、「大人」になりはしたけれど、チューニングのおかしい感覚器や、打たれ弱い体が浪費する資源は、探掘家としての成果よりずっと大きい。不甲斐ないし、情けないし、だからといって死ぬのは恐ろしい。

 何よりも貴重な資源が人命だから、死ねと言われず今日まで生きてきた。日常生活ではお荷物なばかりの感覚過敏や幻視が役立つなら、生きていても良い気がする。許される気がする。だから探掘家になったのだ。

 卑屈だと思う。根暗だと思う。生き甲斐も娯楽も遠い。自分のため息が耳につく。

 自然界のあらゆるものから電力を取り出し、天を衝く高層住宅に住み、通信網を駆使し、宇宙にまで手を伸ばしていたという旧文明の暮らしはもう望むべくもない。それでも、単独では生きてゆけないから、人々は集団で暮らしている。連帯する命を選びながら。

「晴れたー!」

 イナサの歓声が上がった。窓の外には薄日が射している。往来の水たまりを跳ね上げて、幼なじみが走り回っていた。

 やっぱり、魚だ。細く窓を開け、その姿を飽きず見つめる。

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