20 朝食

 そして朝が来た。耳をすませば、窓の外で鳥の鳴き声が聞こえてくる。祐介は目をこすりながら、薄い夏掛け布団を退かした。

 隣を見れば、根来が死体のように静かに横たわっていた。無論、死んでいる訳ではない。ただ息を吸う音もせずに、うつ伏せのまま眠りこけているのだった。

 根来が泊まるというので、民宿の店主は気を利かせて、広い部屋に変えてくれたのだった。なんで部屋を分けてくれなかったのかは不明である。同じ部屋の方が、事件の相談などしやすいと思ったのかもしれない。

 さて、昨夜の胡麻博士の講義があっさりと終わったのは、口寄せの光景を口頭で説明するよりも、実際の様子を見てもらった方が早いという胡麻博士の判断からだろう。

 祐介が起き上がって、窓の外を見れば、すでに参道の日差しは眩しくなっていた。時計を見れば七時半だった。少し寝すぎてしまったか。祐介は反省しながら、根来を置いて、廊下に出た。

 祐介は階段を下ってゆく。眠気のせいで、大した感情も湧き上がらないまま、一階の広間に着いた。

 見れば、ジャズの親父……つまり民宿の店主が、広間横の食堂というか御座敷のテーブルで、お盆のようなものを片付けているのが見えた。


「おはようございます」

 ジャズの親父は、その声に振り返って、サングラスを片手で浮かせると、

「おはようございます。昨日は眠れましたか?」

 と尋ねてきた。

「おかげさまでぐっすりでした」

 何がおかげさまなのか分からないが、祐介は感謝の笑顔を見せた。

「今日は正午から、御巫さんのお屋敷で、ですか?」

「ええ、口寄せがあるということですから……」

「どうなりますかね。私も心配なのですが、あまりごたごたの起こらないように、羽黒さん、私からもお願いしますね」

 サングラスの内側でずっと心配していたのか。

「根来さんは、まだお休みですか?」

「ええ、根来さんはしばらく起きてこないでしょうね。このまま起こさなくても良いのですが」

「そんな、私が怒られてしまいますよ」

 店主は、やけに根来におっかないイメージを持っているようであった。祐介はそれがちょっとおかしくて笑った。

 ちょうどその時、根来が浴衣の胸元を少しはだけ、髪の毛が寝癖で少し逆立ったまま、階段を下りてきた。それは一言で言えば、戦国武将らしい豪快な出で立ちであった。

「どこで顔を洗えば良いんだ……」

 店主は慌てて、二階の風呂場に案内した。


 顔を洗った二人が、また一階の広間に降りると、御座敷のテーブルの上には、ちゃんとお盆が二つ並べられていた。二人は、御座敷のテーブルの両側にしゃがみ込んだ。

 お盆には、大盛りの白飯、新鮮な生卵、身がふっくらと焼きあがった鮭、納豆、梅干し、ひじきの煮物、味噌汁というオーソドックスな朝食が並べられていた。さらに飲めと言わんばかりにコップに牛乳がなみなみと注がれていた。

「これは美味そうだなぁ。ところで、胡麻博士は?」

「さっき食べ終えて、ジョギングに出かけました」

「そうですか」

 さっき、片付けていたお盆は胡麻博士のものだったのだろう。

「根来さん。ひじきの煮物もらっていいですか?」

「駄目に決まっているだろう。それよりも、羽黒。今日は口寄せが行われる日だ。気を引き締めていけよ」

 根来はそう言って、鮭の身を箸で摘むと、続けて、白飯の塊を大口に放り込んだ。それを飲み込むと、今度は味噌汁を啜る。そして、また白飯をほうばる。あっという間に茶碗に盛られた白飯が消えてゆく。

「お代わりもらっていいですか?」

「ええ。今日は多めに炊きましたから……」

 祐介は、しばし感心したように根来の食べっぷりを眺めていたが、そんなことをしている場合ではないと、手元の味噌汁を一口すすったのであった。


 食事を終えた二人は、御巫家の屋敷に向かうことにした。

 少し早すぎる気もしたが、事件の関係者も事前に把握しておきたいし、遠慮などしている時ではないのであった。

 民宿の店主は少し驚いた様子で、

「もう行くのですか、早いですね」

「ぎりぎりに行ったのでは何にもなりませんからね」

 根来はきっぱりとそう言うと、自分の車に祐介と乗り込んで、颯爽と民宿を走り去っていった。

 田んぼの間の車道を車で走り抜けてゆく。彼岸寺の参道から離れれば、そこはただひたすら田んぼと民家が広がるパノラマなのだった。それを取り囲むようになだらかな山が広がっていた。

 間もなく、丘の上に一際大きな屋敷が建っているのが見えてきた。見事な門構えである。坂道を登って行って、駐車場らしいスペースに車を停めると、根来と祐介はその門へと歩み寄っていった。

 祐介は、その門に「御巫」という表札が掛かけられているのを確認した……。

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