五通目 『ハタハタ』さんからのお便り
去年の夏休み、わたしが通う中学校の移動教室に行きました。ある島に地元の区の教育委員会が、移動教室や部活合宿用の施設を建てていて、一年生は毎年そこへ三泊四日で行くことになっています。
移動教室では、朝早く全員でラジオ体操をしたり、昼間は勉強や運動をしたり、学校とあんまり変わらないことをして過ごします。でも、勉強は自習方式で、苦手な科目の先生にわからないことを好きな時に聞いて教えてもらえました。いつもの授業よりも眠くならないのが、ちょっとお得な感じです。
ただ、移動教室の施設には、怖いうわさがありました。
わたしたちと同じように、昔そこに泊まっていた男子中学生が、首吊り自殺をしたらしいんです。
施設のそばには林があって、そこでレクリエーションをしたりします。
自殺した男子は、その中の木にぶら下がっていたそうです。外で運動した時、大縄跳びで使っていた縄を、その男子は首にかけていたとか……。
自殺のくわしい理由はわかりません。クラスでいじめられていたんじゃないかとか、ずっと死にたがっていたけど実行できるタイミングが移動教室しかなかったんじゃないかとか、いろいろ言われていましたが。
自由時間や食事の時間には、だいたいその話で持ちきりでした。
「ほんとに幽霊が出たらどうする?」
「ヤバいよ、寝られるかなぁ」
友達と一緒に、ああでもない、こうでもないとうわさについて話し合うのは、ちょっと楽しかったです。
わたしたちの移動教室は大きなトラブルもなくて、あっという間に三日目の夜になりました。
林で肝試しもしましたが、おどかし役の生徒や先生たちの演技が面白くて、全然怖くありませんでした。
「結局、幽霊なんて出なかったね」
「やっぱり、ただのうわさかぁ」
友達と笑い合いながら、移動教室最後の夜を過ごそうとしていました。
わたしたちの寝室は、左右の壁際に二段ベッドが一台ずつあって、一部屋に四人で寝ていました。もちろん、男子棟と女子棟に分かれています。
わたしは二段ベッドの下段に寝て、真上には友達がいました。反対側の二段ベッドには、普段あんまり仲の良くないクラスメイトが二人寝ていました。ギャルっぽいノリの子たちだったので、わたしはちょっと苦手でした。
消灯時間になって、静かで真っ暗な部屋の中で、わたしは目を閉じていました。でも、なぜかその日だけはなかなか寝つけませんでした。暑くて寝苦しいわけでもなかったのに。
寝返りを打った時、急に荒い息遣いが聞こえてきました。向かいのベッドの下段で、ギャルの一人がうなされているみたいでした。よく聞くと、その上のもうひとりのギャルも、うーん、うーんとうなっていました。
――二人して悪い夢でも見てるのかな。起こしたほうがいいのかな。とりあえず、先生を呼びに行ってみようか。
わたしが起き上がろうとした時でした。
たまたま見上げた天井に、何かがぶら下がっていたんです。
ひっ、と小さく悲鳴を上げてしまいました。
窓から差す夜の青い光に、真っ黒な影が浮かび上がっていました。手足がだらんと伸びて、頭もうつむいていて、最初は水泳の飛び込みのポーズかと思いましたが、すぐにそうじゃないとわかりました。
飛び込みの姿勢なら、上半身がもっと前にかたむいているはずです。でも、影の胴体はまっすぐでした。
――首吊り自殺をした男子かもしれない。
ぞわっと全身に鳥肌が立って、わたしは動けなくなってしまいました。声を出したら大変なことが起きてしまいそうで、両手で口を押さえました。
宙ぶらりんの影はぴくりともしないで、ただそこからじっとわたしたちを見下ろしているみたいでした。顔はよく見えませんでしたが、目を合わせるのも怖くて、わたしはなるべく向かいのギャルを見つめていました。
その子は過呼吸みたいになってしまっていて、本当に危なそうでした。
――早く先生を呼びに行かなきゃ。
そう思うのに、影がなにをしてくるかわからなくて、わたしは全然動けませんでした。
――ここはあなたのいるとこじゃないよ。お願いだから、いなくなって……!
心の中で、影にそう念じ続けました。
そのうちに、空気がふわっと軽くなった気がしました。おそるおそる天井を見上げると、謎の影はすっかり消えていました。
「よし!」
わたしはやっと起き上がって、急いで先生たちに事情を説明しました。養護の女の先生が来て、ギャルたちを
わたしの友達だけは、二段ベッドの上段でのんきにすやすや寝ていましたが。
「あんたが先生呼んでくれたの? ありがとね」
「どういたしまして。ほんと、具合悪そうだったから心配で」
ひとりにお礼を言われて、わたしは笑いました。でも、あの影のことは、口が裂けても言いたくありませんでした。
養護の先生も、安心したように微笑みました。
「大事にならなくてよかった。明日も朝早いし、ゆっくり寝てね」
「はーい」
出る時に先生が電気のスイッチを押して、また部屋は暗くなりました。
それぞれベッドに戻ると、ギャルがぼそっと言いました。
「実はさ、あたし、起きるまで変な夢見てたんだよね」
「えっ、あたしもなんだけど」
もうひとりのギャルも答えました。
嫌な予感がしましたが、わたしはつい気になって聞いてしまいました。
「……どんな夢?」
「そこの林の中でさ、なんでか夜に自分ひとりでうろうろ歩いてたわけ。そしたら――」
「木でだれかが首吊ってた?」
「そう、それ!」
「あんたも見たの?」
「ううん。なんとなく、そんな気がして。ほら、あのうわさもあるし」
二人に驚かれて、わたしはあわててごまかしましたが、二人は気まずそうに押し黙ってしまいました。
「……そいつ、あたしが近づいても全然動かなかったのに、急にぐるっとこっちに顔向けてにらんできたんだよね」
「そーそー。マジでキモかった」
あの影は、それから一度も出てくることはなくて、次の日にわたしたちは全員地元へ帰って家にも着くことができました。
もしかしたら、自殺した男子も当時はわたしたちと同じ部屋に泊まっていたんでしょうか……。
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