四通目 『おたか』さんからのお便り

 この番組のリスナーさんにはお若い方が多そうですので、私のような二児の母がお便りを送ってもいいのだろうかと迷いましたが、勇気を出して送ってみます。

 平日のレディースデイ、子どもたちが小学校へ行っている間、私はママ友と二人で近場の映画館へ行きました。彼女がホラー映画の鑑賞券を雑誌の懸賞で当て、一人で観るのが怖いからと私を誘ったのです。

 私もホラーは苦手ですが、誰かと一緒に観て感想を語り合えば恐怖も和らぐのではないかと思いました。

 その映画館は、シアターが二つあるだけのこじんまりした規模です。チケットカウンターと、パンフレットなどを販売する売店がぽつんとあり、飲み物はロビー備え付けの自販機で買うシステムでした。舞台挨拶アイサツなどのイベントがたまにあるとき以外は、基本的に自由席です。

 私たちはそれぞれペットボトルの緑茶とカフェオレを買い、後ろから三列目の真ん中辺りの座席に座りました。観客は、私たちを含めて十人前後だったと思います。

 ママ友と雑談をするうちに、場内の照明がゆっくりと落ちていき、十分程度の予告編上映が流れ出しました。その間、私は心の準備をしました。本編冒頭からいきなり怖い場面が来るかもしれない、と。他作品の予告編には、明るい内容の映像もありましたが、緊張感がじわじわと高まっていきました。

 そして、配給会社のロゴがスクリーンに大きく表示され、ついに本編が始まりました。冒頭は主人公の日常生活風景だったので、私はほっとしました。

 ですが、この時から不思議なことが起きました。


 パシッ。


 主人公たちの台詞にかぶり、急に近くで音がしました。頬を平手で殴ったような。

 最初は、映画の効果音かとも思いました。

 でも、何の変哲もない日常の場面でこんな効果音を入れるのは、演出であっても不自然ではないだろうか。

 疑問を持ちながらも、私はカフェオレを飲んで画面に集中しました。

 ところが、その音はそれからも不規則に鳴り続いたのです。場面の雰囲気やテンポには全く関係なく。


 パシッ。

 パシッ。パシッ。

 パシパシッ。


 だんだん不安になってきた私は、ママ友の肩をそっと叩き、小声で訊きました。

「ねぇ、さっきからなんか変な音してない?」

「だよね? あたしも気になってた」

 ママ友も同意してくれました。

 自分の空耳ではなかったことに安心しましたが、ますます謎が深まりました。

 映画館自体もかなり古く、最近流行はやりの立体音響設備もありません。場内のスピーカーもステレオのはずなのに、謎の音は色々なところから聞こえていたのです。天井のほうだったり、横だったり、後ろだったり、足元だったり。

 音のせいで、私は映画にも集中できなくなり始めました。

 木造住宅では、湿度などの影響で木材が乾燥し、軋んだ音を立てることがあるという話は聞いたことがあります。ですが、その映画館には以前から何度も訪れていましたし、上映中に変な音が鳴り続けたことは一度もなかったのです。

 一旦外に出て、スタッフに相談してみようか。

 そう考え、ママ友に言い置いて席を立とうとした時でした。


 カフェオレのペットボトルが、なぜか隣の空席のドリンクホルダーに移動していたのです。


 えっ、と思わず声を漏らし、腰を浮かせかけた姿勢のまま、私は固まってしまいました。

 ママ友と私の座席の間には、彼女の飲む緑茶のペットボトルが確かにありました。

 数分前に飲んだ時は、ちゃんと右手側のホルダーに置いたはず。私が間違えたとしても、身体カラダを傾けて腕を伸ばさなければ届かない距離なのに。

 くいっとママ友に手を引かれ、私はやっと我に返りました。

「どうしたの」

「あ、ええと……あとで話す。行ってくるね」

「わかった」

 ペットボトルを持ってそそくさとロビーへ行き、男性スタッフに事情を説明しました。

 彼は真剣に話を聴いてくださり、一緒に場内へ入りました。


 パシッ、パシッ。

 パシッ。


 謎の音は、やっぱりまだ続いていました。

 確かに変ですね、とスタッフは渋面になりました。上映前の清掃時間にも、装置や設備の点検は普段通りきちんとしていたそうです。

 スクリーンには映画が流れ続けていましたし、ほかのスタッフも私の意見を聞いて非常口や映写室を調べてくださいましたが、特に何の異常もないということでした。

 おかしな音だけで上映中止はできない、と彼らには平身低頭で謝られ、逆にこちらが申し訳なくなりました。

 せっかくママ友が誘ってくれたのだし、最後まで観なければ損だ。

 そう思い直し、私はお礼を言って座席へ戻りました。

 また勝手に移動していては困るので、ペットボトルもバッグと一緒に膝の上で持っておくことにして。


 結局、映画が終わるまで謎の音は鳴り続け、ママ友も私も、内容が全く頭に入らないまま九十分間を過ごしてしまいました。

 ロビーに出たほかの観客たちも、皆どこか納得のいかないような顔をしていました。

 帰りにお茶でもしようとカフェへ歩きながら、私たちは苦笑いを浮かべました。

「あの音、最後のほうは激しくなってなかった?」

「うん、バンバンって感じだったよね。布団叩きみたいな」

「そうそう」

「あんたのカフェオレの件もヤバいし、家に着いてからなんか出ちゃったらどうする?」

「やだー、やめてよー」

 カフェオレは、あの後も飲む気になれず、映画館のトイレの洗面台で中身を流してから、ゴミ箱に捨ててしまいました。


 私の隣の空席に、がいたなんて、今でも信じたくありません。

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