第34話 共通点

 手を振って分かれた後は、中央地区行きの電車がある駅へ入った。使う電車が古いため、中央地区へは丸1日かかる。3人は無事に席に座ることができたが、和葉は長い道のりを思ってうんざりした。

 乗って2時間くらいは楽しく過ごせたが、しばらく経つと泣きごとを言いたくなってくる。常代が作ってくれたおにぎりも、既にほとんど腹の中だ。

「はあ……暇だなあ……お腹すいた……」

「あんなに早い段階でおにぎり食っちまうからだろうが。相変わらず計画性がないな」

 周は困ったように片方の眉を歪めた。楽し気な様子で口角を上げている。和葉はムッとしながら、以前も聞いたことがある周のセリフを反芻した。

「だってこんなに時間かかるとは思わなくて……飛行機とかないんですか?」

「飛行機? お前そんなのに乗ったことあんのかよ。親父さん軍人か何かか?」

 和葉は周の言っていることの意味が分からずポカンとした。アーネストだけはクスクスと意地悪そうに笑っている。

「ニホンでは旅行で飛行機に乗るんだろ? この国ではまだ戦闘用の飛行機しかないんだよ。もう戦争が終わってしばらく経つし、そろそろ一般人も乗れるようになるだろうな」

「は? なんでそんなに知ってんだよ」

 周は随分二ホンに詳しいアーネストを問い詰めた。

「『ヘレンの書』に書いてあったんだよ。親父はニホンから来たリンタロウっていう少年と数日間旅していたらしいんだが、彼がそう言ったらしい」

「リンタロウ! 常代さんも会ったことあるみたいですよ!」

 和葉は興奮を隠さずに言った。ここで繋がっていたとは思わなかった。そして思わぬ共通点があるもんだと感心した。

「へえ、それはすごいな! いい研究材料になりそうだ……」

「ったく、相変わらずの研究馬鹿だな……。話聞く限り、先生と親父さん、結構似てんじゃねえか?」

「えー。複雑だなあ……。確かに父親のことは尊敬してるけど、俺なら子どもを置いてったりしないよ。和葉ちゃんは親父さんに似てるのか?」

 周とアーネストの会話は、コロコロと話題が変わる。和葉は「へ?」と間抜けな返事をして考え込んだ。

「悔しいけど似てるかも……。お母さんからもよく言われてたし。納得いきませんけどね!」

「ははは! いいじゃないか! 女の子は父親似がいいって言わないか?」

「先生はそう言って女の人を口説いてきたんだ。『母親似』って言ったら『美人母娘なのかあ! いいなあ!』って言うんだろ」

 周は軽蔑するような眼差しでアーネストを見る。

「ちょっ! なんで知ってるんだ! あ、いや、そんなこと言ってないけど……カマかけたな!」

「えー。言ってるんですね……」

 和葉も周と一緒になってニヤニヤしてアーネストを見た。少し虐めすぎたと思ったのか、周は話題を戻した。

「それはそうと、一般人が乗れる飛行機ってのも面白そうじゃねえか。大学卒業したら金稼いで、絶対先生より先に乗ってやる。乗った感想だけは教えてやるよ」

「周、お前さん高所恐怖症じゃないか。飛行機は灯台より高く飛ぶんだよ? きっと失神するだろうし、感想は期待しないでおくよ」

 相変わらずのアーネストの軽口に、掴みかかりそうな勢いで周が「なんだと!」と突っかかる。

 (平和だな……)

 言い争いを見て平和だと思うことがあるなんて、数日前の和葉は考えたこともなかった。何度も過酷な現場を見てきたため、余計にそう思える。そして、軽口をたたき合える関係が、和葉にはまぶしかった。

 (家に帰れたら、お父さんと話したい。ちょっと前まで帰りたくないかもとか思ってたけど、今は無性に帰りたい……。お父さんと会いたい)

 言い争っている2人が、涙を流す和葉に気づいて慌てた。

「なんだなんだ、意味が分からねえ! 別にお前を罵倒してたわけじゃねえよ! あれ? 前もこんなこと言ったような……」

「いや、違くて……お父さんに、会いたくなっちゃって……」

「ははは! しばらくぶりのホームシックか? 安心しな。この本を信じよう。せっかく5人分の涙が集まったんだから」

 アーネストは和葉の顔をハンカチで拭いた。日本に帰るには、5人の涙とは別に、自分の涙も湖に入れなければならない。これで和葉自身が湖に飛び込んだら、日本に帰れることになる。勿論、「ヘレンの書」に書かれた内容が事実であればの話だが。

「あの伝説が本当かどうか不安か? まあ、先生の親父さんが書いたものだしな、不安になる気持ちは分からんでもない。普段からしょうもない嘘ばっかつくし……でもな、先生は論文に関しては嘘をつかねえんだ。きっと親父さんもそうだろ」

 周は穏やかな顔で微笑んだ。元の顔が美形であるため、微笑むと絵画に描かれた天使のようだ。

「お? どうした? いつになく褒めるじゃないか! もっと普段から褒めたっていいんだよ?」

「へえ、感動で泣きそうか? 昨日みたいにさ」

「可愛くないなあ……そう簡単に泣かないさ。涙が高く売れると思っていたときは、全然泣くことは恥ずかしくなかったんだけどなあ。売れないと分かった瞬間、なんか恥ずかしくなってきちゃって」

 アーネストはバツが悪そうに顎を掻いた。

「でもまあ、俺の涙も合わせてちょうど5人分だろ? お前さんの帰国の手伝いになったんならよかったよ。周は恥ずかしがって、涙を拭かなかったからなあ……」

「ちょっと待て! なんで知ってんだ! まさか、父上の部屋に先生もいたのか?」

「あ、やっぱり泣いたんだ。いいじゃないか、泣くことは別に悪いことじゃないさ。いつかヘレニウム病に罹ったとき、涙が出ないと死んでしまうみたいだからな。死ぬよかいいだろ」

「くそっ! カマかけやがったな!」

 周は白い頬を赤く染めて、頭を乱暴に抱えた。顔を隠しているつもりが、耳まで赤くなっているのでアーネストに笑われている。

「ははは! 俺たちは父親から受ける影響が大きいな!」

 周はその言葉を否定することなくもごもごと口ごもった。和葉も否定できなかった。


 和葉がふと外を見ると、山が厚い雲に覆われていた。

「雲行きが怪しいですよ。やだなあ。なんか気分下がる……」

「いや、ちょうどいいぞ! 『ヘレンの書』に書いてあっただろう、30年前にニホン人が帰国したとき『雨が降っていた』って! なるべく当時の様子に寄せた方がいいだろう。ほら、大切なのは……」

「共通点!」

 周と和葉は同時に声を発し、同時に顔を見合わせて笑った。雨はシトシトと振り続けている。そういえば、この国に来た時も雨が降っていたなあと、和葉は頭の片隅で思った。

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