第31話 屋根裏部屋
次の日、雨は前日よりも酷くなり、屋根はずっと物音を立てていた。常代によると、この辺りは小雨はよく降るが、ここまで酷い雨が降るのを見たのは初めてらしい。心配性の賢によって家は浸水しないようになっているため、各々が安心した様子でくつろいでいる。
「あーあ。すごい雨ですね」
「そうだな。でもここは農村地帯だから、雨が降らないとやっていけねえだろうけど……それにしても強い雨だな」
和葉の言葉に返事をし、周はすぐに視線を本に戻した。
一方本を読む習慣のない和葉は、1行読んでは顔を上げ……と繰り返し、すっかり飽きてしまっていた。日本にいるときも教科書以外の本を読むことは、ほとんどなかったと言っていい。
同じくらいの年のリンは人見知りらしく、和葉とは距離をとっている。常代はそんな和葉を気遣い、「いいものを見せてあげる」と、彼女を屋根裏へ連れて行った。
屋根裏部屋は、やや埃っぽいがよく整頓されているようだ。虫の類は見ても、蜘蛛の巣はない。今は雨だからジメジメしてカビの匂いがしているが、晴れた日にはいい遊び場にななりそうだと、和葉は胸を躍らせた。
常代が和葉に見せたのはオルゴールだった。蓋を開けてネジを回すと、聴いたことがない美しい音楽が流れた。外の雨音と合わさって心地よい。
「これはね、息子から貰ったオルゴールなの。戦争が激化する前に買ったんですって。自分に何かあったら、真ん中で歩いている兵隊さんを自分だと思って大切にしてほしいって言ってたわ」
蓋を開けると曲が流れ、兵隊の人形がクルクル回る仕様になっていた。古くなっているからか、人形の動きはぎこちなかった。武器も持っていないため、服が軍服でなければ兵隊には見えなかった。
「このお人形のポーズは何ですか? 何か持っていたような……」
「ああ、それ! 銃を持っていたのよ。息子の戦死を知ってから、むしゃくしゃして捨てちゃった。今思うと、兵隊さんの人形から銃を取り上げるのはちょっと可哀そうだったわね。でもこれさえなければ、息子は死ななかったんだから。この兵隊さんみたいに歩き方がぎこちなくなってでも、帰ってきてほしかった」
常代は遠くを見るような目をして、悲しそうに笑った。和葉はその表情を初めて見たような気がしたが、常代は何度もその表情をしてきたのだろうと思った。寂しい音色が屋根裏部屋に響く。
「和葉ちゃんは、15歳だったわよね。リンと同じくらいの歳よね。リンは人見知りなだけで、悪い子じゃないのよ。あの子の親たちが死んでしまってからずっと育ててきたけど、自慢の孫なの。あの子の名前は、私が30年前に出会った恩人の名前が由来なんだけど、その人みたいに優しく育ってくれたわ」
あまりにも彼女が誇らしそうに笑うので、和葉もつられて笑みをこぼす。聡い彼女には嘘をつく間もなく、大学生ではないことがばれてしまった。それでも特に追及してくることはない。
「あなたみたいな笑い方をする人だったわ。ちょっとはにかんだ感じで」
常代は懐かしむような顔をして、体をゆっくりと揺らした。
ちょうどその時、屋根裏部屋にリンが昇ってきた。おずおずと頬を赤らめながら、チラチラと和葉の方を見ている。
「ほら、リンおいで! 勉強も大事だけど、たまには息抜きも必要よ」
「うん……あの、こんにちは……」
リンは話し始めると、意外とよく話した。根は明るいのかよく笑い、笑顔が常代によく似ていた。和葉は彼女のえくぼを見て、内心羨ましがった。特別美人というわけではないが、愛嬌のある可愛らしい顔だ。
和葉たちは2人で話すよう勧められ、常代は下の階へ降りて行った。
「リンさん、お医者さんを目指してるんですね! すごい……。頭いいんだあ……」
「そんなことないよ。周りの友達と比べたらまだまだで……でも私は医者になりたいから、頑張ってついていってるって感じかな」
和葉は話を聞きながら劣等感を感じていた。勉強もろくにせず、父親に怒られてばかりの自分とは格が違う。年だってさほど変わらないのに……と彼女は悲しくなった。
「和葉ちゃんは、勉強好き?」
「全然! お父さんから勉強しろって怒られてばっかりですよ……本当にうるさくて……」
言ってから和葉はハッとした。リンには父親がいないのに、配慮が足りなかったかと慌てた。和葉の焦った顔を見て、リンは気にしていない様子で穏やかに笑った。
「お父さんが死んだのは私が物心つく前だから、気にしなくていいよ。それより、和葉ちゃんのお父さんは女の子にも勉強させるんだね。ここら辺……東部地区ではあんまり女の子は勉強するように言われてないから……中央地区はやっぱり進んでるんだ! いいなあ。私は医者を目指す学校に通ってるけど、女子がいないからいつも奇異の目で見られちゃうんだよね……。中央地区では女医さんも沢山いるから、そんなことはなさそうだね」
「そ……そうですね……」
中央地区で生まれ育った訳ではない和葉は内心焦りつつ、何とか話を合わせた。
「お父さん、優しいね。和葉ちゃんのこと心配なんだよ」
「そんなことないですよ! 勉強しろって言うのも、自分の娘が馬鹿だったら恥をかくから、それが嫌なんですよ。お父さん、多分私のこと嫌いだし……。私はお父さんのこと、別に嫌いじゃないけど」
和葉がそう言うと、リンは少し困ったように笑った。相変わらず空は厚い雲に覆われていたが、雨脚はいつの間にか弱まっていた。
2人がぎこちないながらも穏やかに会話をしている中、外では騒がしく不穏な空気が流れていた。
「常代さん! 賢さん! 大変だ! 神様がお怒りだ!」
何やら玄関の方が騒がしい。和葉とリンも慌てて下の階へ駆け降りた。近所に住む村人がドタバタと家の玄関に入ってきているところだった。体から滴り落ちる雨水が、灰色の玄関の色を変える。村人の顔は真っ青だ。
「なあに? どうしたの。何事よ」
常代が落ち着くようになだめながら対応しても、村人の焦りは収まらない。
「『神様の場所』が川に沈んでんだ! 川に流された連中もいる! とにかくあいつらを探さないと……」
和葉たちは小雨が降る中外に出た。「神様の場所」までは距離がある上、村人たちがパニックになっており、なかなか辿り着くことができなかった。
時間をかけて「神様の場所」が見えるところまで来たが、近づくことはできなかった。川が氾濫してあまりにも危険だったためだ。
「おーい! 何やってるんだ! 早く川から離れろ!」
「友達が流されたんです! 助けなきゃ……」
若い女は川に入ろうとしたが、周が近くまで行き、彼女の腕を引っ張った。
「あんたも道連れになるだけだろうが! いいから逃げるぞ!」
「嫌だあ! アンちゃーん! 唯ちゃーん!」
友達であろう名前を叫び、女は周の腕の中で暴れた。冷静さを欠いた女の力は強い。アーネストも周に近づき、2人がかりで彼女を抑えつけた。女はぺたんと座り込み、俯いてしまった。垂れ下がる髪の毛で表情は見えない。
叫び声をあげているのは彼女だけではなかった。仲間や友人を探して何人もの人々が右往左往していた。村人たちの悲鳴や怒鳴り声が山に木霊している。数分後、東部地区の役人が来て人々を避難させるまで、騒ぎは収まらなかった。
すぐに川に流された人々の捜索をしたが、半分以上は見つからなかった。数日後、あまりに死者が多いということから、地区全体で合同の葬式が行われた。
地区長によるダラダラとした慰めの言葉を聞き流しながら、和葉は周囲を見渡した。こういう時は多くの人が泣く印象があったが、この国では数人が涙を流していたものの、虚ろな目をした人の方が多かった。瞳に光が宿っていない。同じ人間とは思えないような表情を見て、和葉は背筋がひんやりと冷える心地がした。
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