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 ポケベルの音は誰にも聞こえなかった。チュウカに対する警戒心から、その場にいる多くの者が後ずさりの構えを取ったが、それでもその音は聞こえなかった。どれだけ注意していた人物であっても、付近の周辺住民にさえ聞こえはしなかっただろう。なぜなら、彼が鳴らしたのは〝この街そのもの〟だったのだから。まあ、音が出ていない以上当然と言えば当然だが。



 ポケベルが電波を発した瞬間、どこかに忘れられて壊れ果てたはずのゲームセンターに所属していたメダル媒体が、ふと一部だけ光を放ち、ちかちかし始めた。やがて、どこかの電線が千切れているのか、音を鳴らさずに媒体から火花が散り行き、そしてその徐々に散り始めた火花は、やがて近くに置かれていた燃えやすい導線へと向かい、引火。そのまま炎は導線に逆らうことなく誘導された。導かれた炎の先に待ち受けていたのは、およそ手で持つことができないようなロケット花火であり、そして火は否応なくこれに到達。使命を与えられた炎はこの花火の火薬を燃やし尽くすために、一揆奮闘し、そしてここで初めて分かりやすい音を立て始めたのだった。



 軍隊が、これらの異変に気付き始めたときにはもうすでに十六方位からやや巨大なロケット花火が放たれ始めていた時だった。花火独特の発射音がもたらした違和感はやがて彼らに確信をもたらすと同時に容赦なく降り注ぐ。本部隊、表町部隊、捜索部隊。皆平等に、降り注いでいく。



 裏街側の防備は完璧で、領主ともいえるチュウカによる作戦に対して自らが害を被ることはない。シャッターや戸締りは完璧に通達されたおかげで実行され、また、木造家屋に火の手は及ばない設計である。万が一軍隊が火を点けた場合にも備えてあるため、この街は見た目以上に機能が発達、発展し連動している。下手な名ばかり都市よりも優れている可能性だってある。それでも、日常を妨げられる〝開戦〟状態は避けたかったチュウカであったが、理想だけで現実は動かないこともよく知っているからこそ、この度の戦いであった。



 しかし、それでもやはり軍隊である彼らはプロであった。想定外の攻撃に対して混乱しつつも、対処応戦するその行動は冷静そのものであった。火の矢が飛び回るのは確かに脅威となりうるものであったが、しかし、兵器ではない以上彼らにとってはおもちゃをあやす程度にしかならないのも、また事実。


 

 そう、これでいい。これがプロに対して彼が渡り合うための作戦。



 チュウカはすぐに行動を開始した。



 軍が不意を突かれた攻撃に対して驚きつつも、余裕を持って対処できることが重要だった。一瞬でも目を逸らすことができれば、その間にの少年が飛び回るために必要な時間は十分であり、それが短期決戦へ持ち込まれるトリガーと成りうる。たとえ、相手が反撃しようとも、それは悔し紛れに一矢報いるだけに過ぎず、意識が外れたその刹那に機動可能な戦車隊は存在せず、ただ黒い煙を静かに上げることしかできない。



また、この花火もまったくの目眩ましという訳ではない。十メートル近く飛翔するロケット花火はそれなりの爆発力を保有し、さらに煙をばらまく。戦車隊だらけの敵ホームを崩御させ、危機感を潜在から引き出すことがこの一瞬の隙を各自に生み出すものとさせるのだ。兵士だって人間である以上、人間の特性から逃れることはできない。どれだけ訓練されていようと、生命維持機能を完全に放棄することは難しい。その時間を縮めることができても、ゼロにはできないだろうというチュウカの読みであった。

 

 

 しかし、さすがは国家権力を盾にするだけのことはある連中である。例外も少なからず存在した。戦車を襲撃し続けるチュウカの速度に追いつき、目標となる鉄隗兵器に隠れ、その陰からチュウカの攻撃を迎え撃ってきた。連続で無作為に放たれた小さな殺し屋は、しかし目標的中とならずチュウカの偽中華包丁に当たって落下。貫通も埋め込みも行われず、着地から全力で駆けてくる少年が目の前で行った飛翔を邪魔さえすることなく転がった。勢いそのままに振り下ろされた偽中華包丁は咄嗟に構えられた銃身の長い銃と交戦。そして勝利。その背後で構えていた兵士を勢いのまま蹴り飛ばし、そのままこの戦車はすぐに黒い空気を掲げ始めた。

 

 

 戦車隊は開戦後僅か数秒でそのすべてから黒い煙を上げることとなり、少なからず彼らから焦燥とやられたという悔恨は拭えなかった。しかし、それを浮かべていたのはこの軍隊を率いている隊長以外の兵士だけであり、あの女隊長は笑みすら浮かべていた。



 最後の一台を制圧し、偽中華包丁を地に着けて勢いを殺しながら滑走して振り向いたチュウカであったが、今度は逆に不意を突かれることとなる。彼がその異変に気がついたときにはもはや先ほどの兵士同様にその様相を目で確認することしかできないほどの時間しかなく、無情にも敵の反撃は人間以外が震動する程の爆音によって開始された。



「……ったく、そんなのありかよ」



 戦車はすでにチュウカによって黒煙をあげざるを得ない状況で、その車体がさらに斜体し、中には装甲の一部が吹き飛んでいるが、最初からそのつもりであったらしい。奴らにとって自分達の兵器や兵士が重要なのではなく、任務の遂行だけが全てだったのだ。



 チュウカは奴らの本気を少なくとも甘く見ていたことを否めなかった。



 自らの車体を犠牲に、裏街へ放たれたのは己の最大出力以上の砲撃。全車両が軋みながら一斉に方々へ発砲した。角度はチュウカによって初期値から大きく外れているがそれもお構いなし。ただこの街に砲撃を与えたという事実は作られた。一度の着弾で数件の建物が誤って踏みつけてしまったウエハースのように砕けていった。それはもう一度拾ってみようと思える状態ではなく、中々に当事者の心を折るのには十分な衝撃であった。



 チュウカは片膝ついて俯いていた。遠くで炎と共に爆発が大きくなった音がした。微かに流れる風は砂埃しか巻き起こさない。彼がこの事実をどう受け止め、何を考えているのかは、まだ分からない。



「さあ、少年。きみはこれでもまだ、抵抗するつもりかな?」



 彼女は言う。チュウカは偽中華包丁を静かに背へ戻し、片膝からその両足でしっかり立ちあがる。その言葉をしかと聞いたことをその動作で伝える。俯いていたその顔をすっと上げ、綺麗な景色をつくりあげてしまいそうな表情からくるぶしに至る出で立ちでどこかで何かが焦げる匂いを置き去りにして彼女の方へ歩き出した。

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