6
「うっわ、地味な城……。うちの馬小屋の方がまだマシじゃね?」
日光に輝くきらびやかな鎧をまとい、白馬にまたがる金髪の男が眉間にシワを寄せて不機嫌そうに言う。
そばに控える従者は慌ててたしなめた。
「王子、城の者にに聞こえてしまいますゆえ!」
「大丈夫大丈夫。慣れてるし余裕だよ。だって、さらわれたお姫様なり囚われた女の子なり、助けに行くのもう六人目だぜ? 流石にもう緊張もしなくなるわ」
そう淡々と述べる王子は、形式ばかりの防具と装飾のほどこされた美しい剣を見下ろした。
「こんなゴテゴテしたのもなくたってさぁ……。特にこの城、今まで助けに行った中で一番のザルだよ。どこからだって入れるし、あとボロいし」
森に跋扈しているといわれていた凶暴な狼たちは、まるで誰かにそう指示されたかのように一匹たりともその姿を見せていない。来る者を拒むような殺気が全くない城門。城のそばには一面に花を咲かせている花壇さえ見える。
「こいつら魔族のくせに花とか育ててるよ、気持ちわるっ」
「口がわるうございますよ! 頼みますから王子らしくしていてください!」
「皆が見てるところでは王子らしくしてるだろ。俺はあと五人くらいぱっぱと女たちを助けて、その内一番きれいな女を正室にするって決めてるんだ。あとは全部側室にする。美人だらけのハーレムを作るまで、俺は悪いやつを倒しまくってやるぜ」
とても王子らしくない、とんでもない野望を言ってのける王子に、従者は肩を落とした。
そしていよいよ王子が城に入り、魔王の間の扉を開こうとする頃。
入り口からはるかに続く赤絨毯の先、真っ赤なベロアが張られた大きな椅子に、魔王が座していた。
ついにこの時がきたのだと、覚悟を決めながら。
男は軽く前かがみになり、身体全体ににぐっと力を込めた。
すると全身は紫色の不気味な光を帯び、己を中心とする周囲一帯の空気をブオンと震わせた。辺りに広がる圧倒的なまでの魔王の力。森の奥深くのどこからか狼たちが遠吠えを繰り返し、城の周りのカラスたちが一斉に飛び立つ。
女をさらって以来ずっと擬態していた人間の姿が解けてゆく。
手は大きく広がり関節が太く浮いて、爪が長く鋭く伸びる。目は瞳孔を無くし、瞼の下からのぞくそこは瞳の区別なく、輝く緋色に染まった。耳の先はとがり、上がった口角からは牙が覗く。体躯全体もわずかに大きくなり、ほどかれた髪はゆうに男の背を越すまでに伸びていた。
本来の姿に戻った男は久々に見る自分の本当の右手を見つめ、ゆっくりと握った。長い爪が空を掻いてゆく。感覚がにぶったりはしていない。むしろ、悲しみで研ぎ澄まされているくらいだ。
そこに王子が現れた。魔王に向かって勇ましく赤絨毯を駆けてくる。
「魔王! お前がさらった女を助けに来た。痛い目を見たくなくば大人しく女を返せ!」
これが女を助けに来る男たちの形式上決まったセリフなのだろうか。男が絵本で読んだ通りだった。
威勢よくそう言いきった王子に対し、魔王がいつもそれらしく振舞うような高笑いなどする気力はなかった。
男は左ひじを椅子のひじ掛けについたまま、そっと右手を上げて軽く指を折った。
すると王子の身体は一瞬わずかに浮遊したかと思うと、激しい勢いをもって背後に弾き飛ばされ、そのまま壁に叩きつけられた。古びたそれからわずかにパラパラと壁面が剥がれ落ちる。
「くは……っ。な、なんだ……こんなの、聞いてないぞ……」
今まで対峙した相手とは全く格が違う。今更そんなことに気がついた王子が、自らの命の危険を感じ、痛む身体を引きずり逃げ帰ろうとした時だった。
魔王の低い声が響く。
「……これ以上、お前に我が城で暴れられてはかなわない。女を連れていけ」
あんたが吹っ飛ばしたんじゃないか、一体何を言っているんだと、満身創痍の王子が顔をゆがめた時だった。
幼い人間の姿をした二人の家来たちに連れられた女が、奥の扉より現れた。
その女の姿を見て王子は息を飲んだ。
女の顔色は良く、髪は艶やかに整っており、レースがあしらわれたきれいなドレスに身を包んでいた。取り乱すこともなく静かに家来たちのあとに続いている。
王子の経験上、今まで助けてきた女性はみな自分に泣いてすがりつき、人によっては叫び取り乱しているものもいた。みな一様に表情は疲れ果て、姿は汚れて乱れ、精神や栄養状態が非常に不安定であることが一目で分かった。
しかしこの女は違った。
女は立ち止まった家来たちから離れ、一人ゆっくりと王子の元へ足を進めた。
そして最後に一度だけ、自分をとらえていた魔王を振り返った。
以前に魔王を見たときは人間の姿だった。今は全く違う恐ろしい魔族の姿。鋭く吊りあがった血の色をした眼は、悲しげな光を宿しているように思えた。
自分を振り返った女に、男は最後に小さな声で一言だけ告げた。魔王らしい威厳を、男らしく堂々と、と言う家来たちの願いを裏切って。
「色々すまなかった。どうか、元気で」
女がその言葉を聞き取れたかは分からない。
今まで彼女は誰だか分からない相手に手紙を送り続けてくれていて、自分は何も返してやることができなかった。これが、男が最初で最後に彼女に贈ってやれる精一杯のメッセージだった。
あんなに強かった自分の父親が、人間の男に母親を連れて行かれた時の気持ちがよく分かった。けして力で負けたんじゃない。相手の幸せを願うからこそ、負けたふりをして自ら引き渡したのだ。
「ほら、早く行こう! こんな鬱蒼とした所、とっとと去ったほうがいい!」
王子は近寄ってきた女の腕をひっつかんで、急いでぐいぐい出口に引っ張っていく。
鬱蒼とした所、などと言いながら、また魔王に同じ攻撃をされたら無事に帰ることは出来ないと思い焦っているのだろう。
女が王子に強引に腕を引かれて城の扉から外に出ると、晴れ渡った空の下、沢山の白い花を揺らす花壇があった。
その見覚えのあるきれいな花に、女の足は止まった。
毎日自分の部屋に届けられていたあの花束。
確かにここは鬱蒼としている城かもしれない。それでも、自分の暮らした部屋、自分を囲むものたち、毎日出される食事は不気味さとは程遠いもので。
女の脳裏に、ある日のある人の言葉が響いた。
“『彼女のことを大切に思うからこそだよ』”
女は王子の手を振り払った。
「な、何をっ?!」
制止する王子を尻目に、女はそのまま走って扉を開け放ち、城の中に駆け戻った。
全てが終わったと、静かに椅子を立った男が魔王の間を去ろうとしていた時だった。
扉が開け放たれる大きな音と足音に王子の再来を予感して、一瞬鋭い殺気を持って振り返ったが、それはすぐに掻き消えた。男の口から頼りなく言葉が漏れる。
「どう、して……」
男の目の前には、一人こちらに歩みを進める女がいた。
女は自分をじっと見つめていた。この魔族の姿の自分と以前に会った自分を同じ人だと確かめるように。
そしてわずかに距離を残して女が歩みを止め、口を開いた。
「あなたがずっと、私の食事を作ってくれていたのよね……?」
それが、女から自分に発せられた最初の言葉だった。
「その手でいつも、あの花壇から花束を作ってくれていたの? あのかわいいお部屋も家具も、贈り物も、みんなあなたが?」
驚いて言葉を返せない男にまた一歩一歩ゆっくりと近づいて、女は鱗模様の浮く男の手に指先でそっと触れた。
その慈しむような指先にビクッと身体を震わせた男に、女はこう告げた。
「あのね、ある日からあなたの部屋の欄干の蓋が開けっ放しで、会話が筒抜けなの。こちらの部屋の声が聞こえていたのだもの、そちらの部屋の声も聞こえているって気づかなかった?」
女はわずかに目元をゆるめる。そのまなざしは優しげで、男はいつかの子供時代の日を思い出すようだった。
男が女の部屋での会話を聞いてしまったあの日。ショックで放心して、そのまま蓋をするのを忘れて過ごしていたのだった。
女の部屋で声が発せられることはほとんどないし、悲しい出来事を思い出すのが嫌で男がほとんどそこに近寄らなかったせいで、ずっと気づかず今日まで過ごしてしまっていた。
それによって女は、全てを知ったのだった。
陰ながら自分を大切にしてくれている人が誰で、それが本当はどんな人なのか。どんなことを想い、どんなことをしてくれていたのか。
混乱して何も言えない男に、女はたずねた。
「私、まだもう少しここに居たい……。だめかしら?」
衝撃の言葉に男は目を見開いた。
「今、なんて……」
男が聞き返そうとした時、再び派手な音を立てて城に入ってくる者の姿があった。
「何を馬鹿なことを言ってるんだ! 王子でなくこんな気味の悪い奴を選ぶってのか?!」
再度迫ってくる王子を男はちらりとも見ずに、そちらに向けた指先で軽く宙を弾いた。
すると王子の身体はまたあっという間に背後に吹っ飛んだ。更にいつの間にか扉の両脇に控えていた双子竜たちがドアを開け放ったおかげで、今度は壁にぶつかることなくそのまま城の外に放り出された。
そして男は何事もなかったかのように話を続けた。
「いいのか……? まだここに、いてくれるのか?」
「うん。ずっと居るかどうかはまだ分からないけれど、今は私、ここにいたい」
男は女が人間と異なる自分の姿を怖がらぬようにと、彼女を連れてきて以来ずっと人間の姿を擬態し続けていた。しかし、彼女は自分の本当の姿を前にしても、まっすぐ自分を見つめ、こんなことを言ってくれる。
とても嬉しいのになぜか泣きそうで、男は全身にぐっと力を込めた。
すると再び人間の姿に戻り、幸せそうに微笑んで彼女にこう言った。
「ありがとう。君が少しでもここを気に入ってくれるように、頑張るよ」
そう言う男に、女もほほえみ返す。
家来の双子竜たちも、陰ながらその様子を見守っていた召使たちも笑顔でうなずきあっていた。
そこにまた邪魔者が、よせばいいのに戻ってくる。
「まだこんな所に囚われていたいなんてほざくとは、ホント頭おかしいな! お前なんて頼まれたってもう二度と助けに来てやらねえからな! バーカバーカ!」
男はモーションなしに一瞬にして本来の魔王の姿に変えると、指先を指揮するように動かして、そのまま王子を城の外、森より遠くへ飛ばしてしまった。間抜けで情けない悲鳴を響かせて、従者や白馬ともども消えていく。
そしてまた瞬時に姿を戻すと、男を見上げる女がクスッと笑った。
男もおかしくなって、しばらく二人は笑い合っていた。
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