どうあがいても死あるのみ!〜もしかしてスローライフな人生は送れない!?〜

変態ドラゴン

三十分の間に足掻け!

一回目 罪を認めて刑を軽くしてもらおう!

 目の前にある鏡台に呆気にとられた顔が映る。机の上に置かれたアクセサリーは我が家の財力を証明していた。耳には婚約者から贈られたイヤリングが揺れる。


「ジュリア様、如何なさいましたか?」


 私の髪を梳かしていた侍女のソフィアが首を傾げながら手を止めた。訝しげに鏡の反射を利用して私の顔を見る。


「いや、なんでもないわ。気にしないで」


 鏡に映る顔を繁々と眺めた。緩やかにウェーブのある金色の髪、青空を切り取ったかのようなサファイアの瞳。そのどれもが現世の体であって前世の体ではない。


 前世の私はどこにでもいるような平凡なOLだった。黒髪ストレートに瞳孔と区別のつかない瞳。休みの日にストロング零のプルタブを開け、乙女ゲームをプレイするという細やかな楽しみを糧に世知辛い社会を生きていた。家に突っ込んできた車に潰されて死んだことは覚えている。


 冴えない前世と違って現世の私ことジュリアはスチュワード公爵家の一人娘、なんとも華やかな出自!


 貴族の中でも最大勢力であるスチュワード家と王家は代々婚約を交わすという慣例に従って、王太子ヘンリーと私は婚約をしているのだ。政略結婚である。


 前世では婚活しても結婚できずにいたというのに、現世のなんとイージーモードなことか!!


 だが、ここでぬか喜びしてはいけない。何故なら私が今いる世界は前世で大人気だったファンタジー乙女ゲーム『漆黒の薔薇〜宵闇にあなたの腕に抱かれて〜』なのだ!


 ある日、平民だったヒロインに伯爵家から迎えが来る。ヒロインの母と伯爵の間に生まれた子がヒロインであり、ヒロインは跡継ぎのいない伯爵家のために結婚相手を学園で探すという王道シナリオ乙女ゲームである。


 攻略対象は少ない。この国の王太子であるヘンリーとその側近かつ護衛のアランの二人だけ。


 大して作り込まれていない世界観、パースがおかしいイラスト、OPから分かるクソゲー、かつワンコインというお手頃価格も人気になった理由の一つだ。


 「十宵闇にあなたの腕に抱かれて十」というタグがインターネットで流行るほどの人気ぶりだ。


 本題に入ろう。この乙女ゲームが大人気となった理由は、悪役の悪役っぷりがあまりにも悪役だったからである。『笑った顔が気に食わない』という動機で悪役令嬢、ジュリアはヒロインを徹底的に苛めるのである。


 その期間、なんと学園入学から卒業までの四年間!


 貴族の圧力を使って同じクラスになるように仕向ける程の執念。水かけ、持ち物損壊、暴行、恐喝。非道と呼ばれる行為を全て網羅するほどヒロインを冷遇するのだ。そのためならばジュリアは労力を惜しまない。休みの日にすら嫌がらせをするのだ。他にやることはなかったのか?


 なんやかんやあってその苛めに心を痛めた攻略対象達がヒロインを庇うことで知り合うきっかけになる。さらになんやかんやで心の通じ合った二人はやがて手を取り合い、卒業パーティーでジュリアの悪事を暴露し、彼女は投獄からの追放。


 愛し合う二人は結婚して幸せハッピー!これが大まかなストーリーである。実に王道、まさに乙女ゲーム。


 そして、私の名前はジュリア。ヒロインを虐めた記憶もバッチリ残っている。正直に言って何故ジュリア記憶を取り戻す前の私がヒロインを徹底的に虐めたのかは分からない。だが、私は私の所業を全て覚えている。


「お待たせいたしました、ジュリア様。準備は整いました、それでは卒業パーティーに行ってらっしゃいませ」


 私の身支度を整えたソフィアが恭しく一礼して下がる。


 パーティーが始まるまであと三十分。私は椅子から立ち上がり、扉へと向かう。


 本来ならばここでパートナーであり婚約者でもあるヘンリー王子の迎えを待つのだが、彼は十中八九ヒロインであるリリアのところにいるだろう。来ない相手をいつまでも待つというのも性に合わない。


「なるほどね、今日がその断罪イベントなワケだ。まあ、虐めたのは事実だしさっさと自白して追放先で細々生活していこう」


 覚悟を決めて私は更衣室の扉に手をかけた。


◇◆◇◆


 私が通う学園の卒業パーティーには異性を一人、パートナーとして同伴させるというしきたりがある。ペアダンスの相手だけでなく、周囲に『私たちこういう関係です』とアピールする目的もあるのだ。早い話が、SNSにカップルの写真を投稿するようなものである。


「あら、ジュリア様が一人でパーティー会場へ?」

「ヘンリー王子に逃げられたんだろう、何せ性悪女だからな」


 私をチラチラと盗み見ながら他の生徒達が口元を隠しつつ互いに囁いている。私の悪評は学園全体に伝わっている。誰もが私を見てヒソヒソと噂話をするのだ。それに耐えていた前の私のメンタルはやはりどこかおかしいんじゃないか?


 たしか、ゲームではジュリアはいつまでも現れないヘンリー王子に腹を立てて登場していた。ヒステリックな彼女は暴行未遂で取り押さえられるんだったか。生憎と私は叫び声をあげながら他の生徒に絡む勇気などないので大人しく端っこに居座ろう。


 前世の記憶を思い出した弊害なのかは分からないが、思考回路はかなり前世に引きずられていると思う。前の私は自分を客観視出来ていなかった。それこそ、自分は皆に愛されていると本気で思っていたのだ。前の私はヤバイ奴である。


「あれ、絡んでこないぞ……?」


 もはや聞こえる声量で囁く生徒に視線を向けると慌てて柱の影に隠れた。そういえばジュリアは怒り顔がデフォルトだった。そのつもりがなくても視線が交差しただけで相手を威圧してしまうのだ。


 微笑みを浮かべれば多少はマシになるのかもしれないが、このあと待つ断罪イベントを前に笑うほど私の神経も図太くない。


 しょうがないので足元のカーペットに目線を落とし、毛足を一本一本数えて時間を潰すことにした。


 千を超えたあたりでようやく会場の明かりが絞られ、演奏隊が演奏を止める。ダンスホールに通じる階段の一番上、1組の男女にスポットライトが当てられた。


 プラチナブロンドの髪を後ろに撫でつけ、白いタキシードを身につけたヘンリー王子。僅かに隙間を開けた腕にリリアの腕が絡まる。


「まあ、あのドレスは!」


 私の後ろにいた女生徒が驚きの声をあげる。


 リリアが纏うドレスは真っ赤なマーメイドドレスである。国宗で最も尊いとされる生命の象徴である赤色を公共の場で身につけていいのは子爵以上の身分と決まっている。


 更に金色の鎖に繋がれた滴型のルビーのネックレス『血の涙』は国宝であり、王妃となる者にしか着用は許されていない。


 ゲームをプレイしていた時は『ようやくここまで来たか』と達成感と疲労で特に何も感じなかったが当事者となるとドン引きするシチュエーションである。


 当人達はともかく、対外的には私とヘンリー王子は未だ婚姻関係にある。不貞として責められても弁解できない。恋は盲目、若さゆえの過ちというやつだな。


 自分のことを客観視出来ている私は落ち着いた心と生暖かい眼差しで二人を見守る。


「『血の涙』を着けているってことは王子ルートか」


 攻略ルートによって追放される行き先が違う。王子ルートでは隣国なのだ。アランルートでは国内追放という些細な違いがある。


 ちなみにアランルートでは銀の鎖にサファイアの腕輪『天の涙』を身につける。亡国の王子アランが戦火の中、母の形見として持ち出したというお涙頂戴のエピソードがある。


 たっぷりと階段を一段一段降りていく。一段辺りおよそ十五秒掛けていることからどれほど優雅かお分かりいただけると思う。その速度で三十段を降り切った。


十五秒×三十段÷六十秒=七分五秒


 ダンスホールに到着したヘンリーは使用人からワイングラスを受け取り、勿体ぶって口を開けた。


「今日は僕が主催する卒業パーティーに参加してくれてありがとう。別離を惜しみ、互いの将来を祝福しよう!」


 ヘンリーの乾杯という掛け声と共に生徒達がグラスを天に掲げた。チラリとヘンリーがこちらを見て勝ち誇った顔をしながら私に視線を向けた。


 ゲームだとヘンリーはリリアに気持ちが傾いた時点でジュリアへの未練や情はない。だからこそコネクションのない隣国追放という処置になるのだ。


 私もヘンリーはタイプではないので特に何も思わない。私のタイプは彼の護衛であるアラン、陰のあるワイルドな男性なのだ。彼から冷たい視線が突き刺さる。虐めシーンを目撃されているので好感度は最底辺だ。ちょっと悲しいけど何か新しい扉を開きそう。


 私の顔を見たヘンリーは眉をしかめ、グラスを使用人に返した。隣にいるリリアの手を握り、覚悟を決めた顔で会場を見渡す。断罪イベントの始まりである。


「聞いてくれ、みんな!僕はそこにいるジュリア公爵令嬢と婚約を破棄し、リリア伯爵令嬢と新たに婚約を結ぶ!この卒業パーティーに参加する君たちに証人となってもらいたい!」


 ぱちりぱちりと拍手が生徒の間に広がっていく。一番大きい音は当然私だ。


「おめでとう、ヘンリー王子!末長くお幸せに!!」


 ついでに野次を飛ばすと周りの生徒がこっちを驚いた顔で見ていた。ヘンリーもあんぐりと口を開けて私を見ている。


 今までヒステリックな叫び声か高らかな笑い声しか発しませんでしたからね。


「ありがとう…?」


 頭に疑問符を浮かべながらも感謝を述べるヘンリー。地面に落ちた小鳥をわざわざ巣に戻すほどの優しい青年である。隣に立つリリアも目をグルグルとさせながらヘンリーの腕を強く抱きしめた。


 その拍子にヘンリーが正気を取り戻す。頭をブンブン振ってキッと目を鋭くさせて私を睨んだ。


「ジュリアッ!もうお前を婚約者だとも幼馴染だとも思わない。お前の悪事は全て父上、国王陛下に報告させてもらったぞ!」

「左様でございますか」

「惚けても無駄だ!リリアへの暴行脅迫窃盗とか刑事法に違反するヤツ全部証拠も目撃情報も掴んでいるんだぞっ!」


 怯えるリリアを庇うようにヘンリーが前に立った。指をビシッと私に突きつけ、瞳をメラメラと怒りや正義感で滾らせている。


「言い逃れは出来ないぞ、自分の悪行を白状しろ!」


 その言葉に周囲の生徒がヒソヒソと話し始める。


「いやぁ、認めるかなぁ?」

「認めないと思うわ、あの方とてもプライドが高いもの」

「これは王子も大変なヤツを相手に勝負を仕掛けたな」


 それらの噂話の通り、ジュリアはとてもプライドが高い。絶対に自分の過ちを認めないし責任転嫁やなすりつけも平然と行う。まごうことなき悪役令嬢。特に深い過去もないので彼女は生まれながらにして悪役令嬢なのだ。


 認めるように迫るヘンリーに対し、私は膝をついて首を垂れる。


「その通りでございます、ヘンリー王子。私が公爵家の権威を振りかざして取り巻きにリリアの服をハサミで切り裂くように命令しました」

「はさみで服をッ!?」


 ヘンリーの悲鳴に近い声が飛び出た。会場が更にどよめきに包まれる。視界の端では演奏隊の人たちも楽器を落としていた。それほど、ジュリアが罪を認めことが衝撃的だったのだ。


 そして人々は眉をしかめる。ジュリアの所業は社会常識的に許されるものではない。


「加えてリリアの勝負下着を盗み、教師に高値で売り付けました」

「勝負下着ッ!?」


 リリアが悲鳴をあげながら口を押さえた。勝負下着に食いついたヘンリーの顔が真っ赤に染まり、拳をワナワナと震わせる。


「誰に売ったのかは後で聞く!他にもあるだろッ!」

「彼女とすれ違う時小声で悪態をつき、昼食には無理やり嫌いだというピーマンを食べさせました」

「どうやって食べさせた!?」

「……フォークで刺して口に運びましたね」

「なんだとッ!?」


 ヘンリーが歯を食い縛り、呻き声を上げた。


「俺だってまだリリアに食べさせてあげてないのに……ッ!それを、ジュリアが先にッ」

「ヘンリー王子……?」


 先ほどから妙なところに食いつくヘンリーを不審に思い、リリアが恐る恐る声をかける。ヘンリーは慌てて笑顔を取り繕いながらリリアの手を握り返す。


「大丈夫だ、僕の可愛いリリア。君のことは僕が守る」


 リリアが安堵するとヘンリーは私に視線を戻した。


「罪を認めたからと言ってお前のしでかしたことは許されるものではない。然るべき報いを受けてもらう」

「覚悟はできております」


 罪を認めたから多少は牢獄にいる時間は短くなるだろう、と楽観的に考えながら大人しく目を瞑る。


 紐で手を結び、外に控えた護送用の馬車に乗る。これでジュリアはシナリオから退場するのだ。


「このような華やかで衆目を浴びる場だというのは心苦しいですが、これも王子の命令。ジュリア様、どうかお許しください」


 卒業パーティーだというのに鎧を外さないアラン。移動のたびに金属が擦れ合う音が近寄り、やがて私に影がかかる。そして、シャアアアと剣を鞘から引き抜く音が聞こえた。


「お、おい。アラン様が剣を抜いたぞ……」

「いくらなんでもこの場で処刑なんて」


 何故そこで抜刀する必要があるんですかね、アランさん?


「よせ、アラン!僕はそんなこと命令してないぞ!」


 嫌な予感が外れることを祈りつつ目を開ける。豪勢なシャンデリアの光を鈍く反射する刀身が目に飛び込んだ。


「あの、何故剣を抜いたのでしょうか?」


 恐る恐る問いかけ、アランの表情を読み解こうと覗き込む。光を背にした彼の氷点下の如く鋭い瞳が爛々と輝く。彼は獰猛に口角をあげ、犬歯を衆目に晒し吐き捨てるように告げた。


「罪を認めたお前の顔が気に食わない」


 彼は一切躊躇うことなく剣を振り上げた。己の逃れられぬ死の運命を悟り、非力な私は襲い来る痛みに備えて目を瞑って叫んだ。


「あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

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