第515話 愛すべき平和な日々よ(1)

「――じゃ、行ってくるよ」

 朝8時過ぎ。影人は制服姿で玄関で靴を履くと、廊下の先のリビングでバタバタとしている日奈美にそう言った。

「はいはい、いってらっしゃい。事故に気をつけるのよ。穂乃影もそろそろ出ないとまずいんじゃない?」

「うん。今から出る」

 影人が日奈美からレスポンスを受け取ると、リビングから制服姿の穂乃影が廊下を歩き、玄関の方にやって来た。

「何だ。穂乃影も出るのか。だったら途中まで一緒に行こうぜ」

「・・・・・・何で朝からそんな罰ゲームをしないといけないの。嫌。じゃ、行ってきます」

 穂乃影は心底嫌そうな目を影人に向けると、日奈美に出かける言葉を述べ、玄関の扉を開けた。

「罰ゲーム扱いは酷くないか!?」

 影人は軽く悲鳴を上げながらも穂乃影の後に続き家を出る。穂乃影は振り返らずにこう言葉を紡いだ。

「・・・・・・妥当な表現だと思うけど。あなたみたいな不審者と一緒に登校だなんて・・・・・・というか、嫌って言ったのに何で一緒に来てるの」

「しょうがないだろ。俺も出るつもりだったし・・・・・・」

 本気で嫌そうな顔を浮かべる穂乃影に、影人は軽く泣きそうになる。ウチの妹はツンデレならぬツンドラ――文中でそういう表現をした小説、もしくは漫画があった気がするが――だ。冗談半分、本気半分に影人はそんな事を思った。

「しかし・・・・・・何だかんだ俺も高3か。来年には卒業って考えると早いよな」

 結局、マンションを出た影人と穂乃影は途中まで一緒の通学路を歩いていた。今は4月も半ばを過ぎ、下旬に差し掛かった頃だ。陽華や明夜、イズ、暁理、光司、アルファベットズたちを含む前3年生が卒業して1ヶ月の時が経った。影人も無事に3年生に進級する事ができ、新しいクラスにも慣れた。

 まあ、慣れたとは言っても、影人は相変わらず積極的には他者と関わらないスタンスだし、クラスメイトも影人とはあまり関わろうとしないので、要はぼっち状態なのだが。だが、影人からすれば、それが正常の状態で、最も落ち着く状態だ。ゆえに、影人は自分が新しいクラスに慣れたと本気で思っていた。あまりにも常人とかけ離れた感覚と思考回路に恐怖すら覚える。

「私と同級生って事が既におかしいんだけど・・・・・・はぁ、こんな事を言うのは嫌だけど、本当に嫌だけど、もう留年しないで、来年にはちゃんと卒業してね。じゃないと、もう化け物としても扱わないから」

「そこは人として扱わないじゃないのか・・・・・・? いや、言ってて悲しくなるけど。え、俺ずっとお前に化け物って思われてたの? というか、化け物扱いより下の扱いって何・・・・・・? 何か、知りたいようで知りたくないっていうか、すっげえ怖いんだど・・・・・・」

 穂乃影と影人がいつも通り? の兄妹トークをしていると分岐点の道に至った。影人と穂乃影の通う学校は別なので、影人と穂乃影が一緒にいられるのはここまでだ。

「・・・・・・じゃあ」

「ああ、またな。気をつけろよ穂乃影」

 何だがんだ、小さく手を振ってくれた穂乃影に影人は笑顔を返す。そして、影人と穂乃影は別れ、それぞれの学校へと向かった。

「じゃ、いつも通りそこら辺ふらついてろよ」

 影人は学校まで後少しといった所で、憑いて来ていた零無にそう言った。零無はいつも通り不満そうな顔を浮かべながらも、「分かったよ」と言ってどこかへと消えて行った。

「おはよう!」

 正門前には体育教師の上田勝雄が立っていた。勝雄は笑顔で登校して来る生徒たちに挨拶を述べている。影人もペコリと頭を下げて正門を通過した。

 ちなみに、数日ほど前から勝雄の左薬指には銀色の指輪が装着され、その指輪が装着され始めた時から勝雄の機嫌は目に見えて良くなった。指輪が装着された意味、勝雄の機嫌が良くなった理由は明らかだ。まず間違いなく結婚したのだろう。お相手は恐らく、10歳下の北の海に蟹漁に行ったりしていると噂の女性だろう。中々にとんでもない女と結婚したものだなと影人は思ったが、外野がそんな事を考えるのも野暮というものだろう。

 実際、というべきか、生徒も教師も大いに喜び、勝雄を祝福している。中には、なぜか泣き出す者さえいたくらいだ。影人も勝雄に直接伝えてこそいないが、心の中では祝福していた。

「ふぅ・・・・・・」

 自分の教室――3年7組に辿り着いた影人は窓際の自分の席に着席した。またしても、7組でどういうわけか担任も紫織だが、これは偶然ではない。進級した日にすぐに紫織から言われたが――正確には愚痴だったが――、影人が来年には確実に卒業できるように、影人と付き合いの長い紫織のクラスに入るように調整されたという事だ。紫織からしてみれば、今年も厄介な荷物を押し付けられたという認識らしい。それを本人に直接愚痴る(しかもはっきりと厄介な荷物と言われている)紫織に、影人はマジかこいつとドン引きしたものだが、まあ、紫織の立場も理解できたので、その時は特に何も言わなかったが。

「・・・・・・」

 影人の隣の席の女子生徒は、影人が着席しても特に何の反応も示さずに、ずっとスマホに目を落としていた。影人も特に挨拶などはせず、鞄から読みかけの本を取り出す。2回目の2年の時は、隣の席に海公という話し相手がいたので、挨拶をしたり会話をしたりしたものだが、このクラスには海公も、ついでに言うと魅恋もいない。なので、1年生や1回目の2年生の時と同じで、影人はクラスメイトと必要最低限の言葉しか交わさず、また関わりも持たなかった。

 影人が読書に耽っていると、朝のホームルームを知らせるチャイムの音が鳴った。影人は一瞬「っ・・・・・・」ともうそんな時間かといった顔になると、栞を挟み本を閉じた。

「え、もう?」

「やっぱり名物コンビのアレがないと感覚狂っちゃうよね〜。いっつも、アレがあってホームルームって流れだったし」

「だよなー。もうアレがないと朝って感じしないぜ」

 影人と同じ事を思ったクラスメイトたちがそんな会話を交わす。アレ、というのは陽華と明夜がほとんど毎朝行っていた、遅刻劇とでも言うような朝の猛烈ダッシュの事だ。風洛高校の生徒は、大体あれを見た後にホームルームを受けていたので、何か物足りなさや違和感のようなものを感じていた。

「ふぁ〜・・・・・・春は眠た過ぎてダメだな。お前ら、さっさと席に着け。面倒だが、ホームルームやるぞー」

 教室のドアがガラリと開かれ、やる気のカケラも感じられない声と共に紫織が入室する。クラスメイトたちはそれぞれ着席した。

「えー、じゃあ今日の連絡事項だが・・・・・・」

 紫織が教壇に立つ。そして、今日も今日とて、平和と少しの退屈に塗れた愛すべき今日が始まった。











「・・・・・・今日もいい天気だな」

 午後12時過ぎ。午前の授業が終わり、風洛高校は昼休みに入っていた。影人は自分の席で、1人で弁当を食べながらそう呟く。昨日は雨だったが、今日は春らしい快晴で、窓の外から入って来る風も心地がいい。太陽の光もいい具合に暖かく、このまま昼寝をすればさぞ気持ちがいいだろう。

「・・・・・・ごちそうさまでした」

 弁当を食べ終えた影人は両手を合わせた。そして、何とはなしにスマホをイジる。

(・・・・・・この陽気のせいか、何だかすげえダルいな。やる気がないっていうか何というか・・・・・・サボりてえ・・・・・・)

 そんな思いが沸々と湧き上がってくる。そして、膨れ上がった思いはもう誰にも止められない。そうTO☆ME☆RA☆RE☆NAI。影人は午後の授業をサボタージュする事を決意した。別に1日くらいサボってもまた留年という事にはならないだろう。そうと決まれば善は急げだ(明らかに善ではないが)。影人はスマホを鞄に入れると、鞄を持ってそっと立ち上がり教室を出た。

「さて、せっかくサボったんだ。何をするかね・・・・・・」

 昇降口で靴を履き替え学校から抜け出した影人は、これからどうするかと軽く考えを巡らせた。サボって行く所の定番といえばゲームセンターだが、今の影人は制服姿だ。平日の昼間に制服姿でゲームセンターにいれば普通に通報ものだろう。ゆえに、1度家に帰って着替えでもしない限り、ゲームセンターには行けない。だが、それをするのは面倒だ。そのため、影人はゲームセンターを行き先から除外した。

「・・・・・・まあいいや。適当に、気の向くままにぶらつくか」

 結局、明確な目的も目的地も決めないまま影人は歩き始めた。

(自主的にサボったのはいつぶりだったか・・・・・・ああ、思い出した。去年の1月、レイゼロールとの最終決戦が終わった後か・・・・・・)

 ちょうど自分が世界から消えた時だ。あの時の事はよく覚えている。今でこそ懐かしいなくらいにしか思わないが(それをソレイユに言えば本気でぶん殴られるだろうが)、あの時は本気だった。本気で覚悟して死んだ。

「あの時のサボタージュは死に行くサボタージュだったが・・・・・・今日は違う。気楽に、のんびりと今日っていう日を楽しんでやるさ」

 フッと相変わらず気持ちが悪い笑みを浮かべた影人は、気の向くままに街へと繰り出した。











「信じてるものを強く◯き寄せる〜。凍えた眼◯しも守ってあげるから〜。願いは緋の螺旋に◯い降りてく〜」

 約20分後。影人は機嫌が良さそうに鼻歌を歌いながら、街の賑わっている大通りにいた。この辺りならば一通り店が揃っているので、暇はしないだろうという安易な考えから、影人はここに来ていた。

「さて、まずはどこに行くか。本屋で本をチェックするのもいいし、映画館で適当な映画を見るのもいい。くくっ、今の俺は昔の俺とは違う。今の俺はバイト戦士。来いよ資本主義。遊んでやるぜ」

 ご機嫌な蝶になった前髪野郎は立ち止まると、急に笑い始めた。結局というべきか、影人は今でも蓮華の事務所でアルバイトをしている。そのため、以前よりかは金銭面には多少の余裕があった。

「ママー。あの前髪のお兄ちゃん変ー」

「シッ! こら、指を差しちゃダメよ!」

 横を通り掛かった子供が前髪の化け物に向かって、あまりにも真実な言葉を投げる。子供の母親は危険人物から我が子を守るように、さっさと影人から離れて行った。

「ふっ、子供には俺という狼は刺激が強過ぎたみたいだな」

『黙れよ化け物。お前は狼なんかじゃなくて、人類から「いらね」って感じで捨てられるような何かだバカが』

 格好をつけて謎のポーズを取る前髪にイヴは心底呆れと軽蔑が込もった言葉を投げかける。イヴの暴言に慣れている影人は「相変わらず口が悪いな」と言い、特に表情を変えなかった。

「そうだな。まずは本屋に行ってみるか」

 影人が取り敢えずの目的地を決める。ここから本屋までは約10分ほどだ。影人は再び歩き始めた。

「――ねえねえ見て『芸術家』! これすっごく可愛くない!?」

「ふむ。いいね。薄い桃色と黒のコントラストが実に可憐だ。真夏くんによく似合うだろうね」

 影人が大通りを歩いていると、服屋のショーウインドウを覗いている2人の女性の姿が目に入った。そして、その2人は影人がよく知っている人物であった。

(げっ、会長にピュルセさんじゃねえか・・・・・・)

 影人は思わず内心でそう呟く。なぜ平日の昼間からこんな場所にいるのか、という考えは無意味だ。真夏は大学生だし、ロゼも時間に融通が効く職業だ。逆に、この場合高校生である影人がこんな場所にいる事の方がおかしい。

(見つかったら面倒だな・・・・・・せっかく1人でのんびりとサボってるんだし)

 本屋に行くためには真夏とロゼの後ろを突っ切らなければならない。だが、そうすると2人にバレてしまう可能性が非常に高い。影人は仕方なく回れ右をした。

「本屋がダメとなると、他は・・・・・・あ、そうだ」

 影人は次の行き先を考える。そして、数秒もしない内に目的地を決めた。

「いらっしゃいー」

 十数分後。影人は大通りから1本それた道にある少しボロめの、よく言えば老舗風の玩具屋のドアを開けた。中に入ると、この店の店主である髙木水錫がそう声を掛けてくれた。

「ん? 少年じゃないか。珍しいね。平日の昼間に君が来るなんて」

「こんにちは。いや、こんな日ですからちょっと自主的に早退を・・・・・・って感じです」

「なるほど。サボりか。いいね、学生らしくて実によろしい。確かに、こんなにいい天気だとサボりたくもなるよね。私も学生時代は友達と一緒によくサボってたものさ」

 影人の答えを聞いた水錫は叱るでも小言を言うでもなく、笑ってそう言った。

「そう言えば、少年はまだ蓮華さんの所でバイトをしているんだっけ。どう? 蓮華さんの所のバイトは」

「そうですね・・・・・・まあ色々と大変ですが、楽しいですよ。本当、色々と大変ですけど・・・・・・」

 店内の商品を見ながら、影人は苦笑いを浮かべる。蓮華の事務所でのアルバイトは大体が裏の、つまりは普通でない仕事だ。除霊やら怪物退治やら何か怪しいモノの封印など、中々にスリリングというか下手をしたら死ぬ仕事である。影人はその仕事に助手として大体付き合わされていた。

 ちなみに、今のところ、まだ零無のこと以外は蓮華にバレていないが、バレれば裏の仕事の半分、またはほとんどを押し付けられるかもしれない。そうなったら一気に仕事が増えそうなので、蓮華には自分の他の力の事は絶対にバレないようにしようと影人は考えていた。

「そっかー。まあ、探偵って色んな事やってそうだもんね。まあでも、楽しいって思えるのはいい事だよ!」

「そうですね。そこに関しては恵まれていると思います」

 水錫の言葉に影人はフッと笑う。それから、影人と水錫は世間話をした。そして、影人は可愛らしい謎の丸い生き物のミニフィギアを購入し、店を出た。

「うん。プリチーだな。今度嬢ちゃん家のぬいぐるみに見せてやろう。水錫さんの店の売り上げにも貢献できたし・・・・・・中々いい気分だぜ」

 買ったミニフィギアを手の上に乗せた影人は満足そうに頷いた。どうでもいいが、前髪の化け物がプリチーという言葉を使うのは、非常に気持ちが悪い。何がプリチーだてめえ。詫びろ詫びろ詫びろ。プリチーなるものに対して死んで詫びろ。

「んん? 何だい。あんた、もう学校終わったのかい」

 影人がミニフィギュアを鞄に仕舞い、気分よく歩き始めようとすると、前方から見知った顔が近づいてきた。パッと見、格好いい系のおばあちゃん。しかし、その実は謎の力を持つ探偵。現在、影人がバイトをしている九条探偵事務所の所長である九条蓮華だ。蓮華は片手に日本酒の瓶を持っていた。

「げっ、蓮華さん・・・・・・」

「雇い主を前によくもまあ、げっだなんて言えるねえ。あんた、やっぱりいい度胸してるよ」

「俺バンジージャンプは躊躇いなく飛べるタイプですから。というか、蓮華さんこそ何やってるんですか。こんな昼間から呑み歩いて・・・・・・それでも大人ですか」

「大人だから呑み歩けるんだろ。それより、暇なら私に付き合いなよ助手。水錫の奴を誘って適当に呑もうと思ってたが、あんたがいるならそれでいい。話し相手くらいにはなるだろうからね」

「嫌ですよ。何が悲しくて呑兵衛の話し相手にならなくちゃいけないんですか。それに、俺は今日バイトは休みです。フリーで、しかもせっかくサボって確保した時間をそんな事に使いたくないんで。じゃあ、また」

 影人は一方的に蓮華にそう告げると、そそくさとその場から離れた。

「ハッキリしてるねえ・・・・・・やっぱり、いい度胸してるよあんた。というか・・・・・・ははっ、サボりかい。いいねえ、青春だねえ」

 去り行く影人の背を見つめながら、蓮華はフッと笑った。別に不真面目さを肯定しているわけではない。ただ、ノスタルジーのようなものを感じずにはいられなかっただけだ。蓮華も遠い昔、学校に通っていた時はよく授業を抜け出していたから。

「仕方ない。やっぱり、水錫の奴を誘うとするかね」

 蓮華はやれやれといった様子で首を横に振ると、水錫の店のドアを開けた。










「危ねえ危ねえ・・・・・・何とか逃げ切れてよかったぜ・・・・・・」

 蓮華の元から去った影人はホッと息を吐いた。もう少しで、とんでもなく不毛な時間(影人にとっては)を過ごさなければならない所だった。

「さて、次はどうするか・・・・・・」

 スマホで時間を確認すると、まだ午後2時を少し過ぎた頃だった。気ままに過ごす時間はまだまだある。

『おい影人。お前だけ楽しみを占有してるんじゃねえよ。俺にも楽しませろ。体作れ』

『私も出来ればご主人様とご一緒にデート・・・・・・こほん。遊びとうございます! 顕現のご許可を!』

 影人の内側にイヴとナナシレの声が響く。どうやら、2人とも肉体を得て遊びたいらしい。

「んー、そうだな・・・・・・いや、そうしてやりたい気持ちは山々なんだがな。ただ、平日の昼間からお前らを連れてる高校生って姿は、下手したらお巡りさん案件な気がするんだよな・・・・・・」

 だが、影人は悩むような、難しい顔を浮かべる。正直、その事が分かっているのに、なぜ普段から自分は不審者だという自覚がないのかと往復ビンタをして問いただしたい。

『ああ? んなの知るかよ』

『大丈夫ですご主人様! 私の力を使えばその辺りはどうとでもなります!』

「いや、確かに力を使えばそうだが・・・・・・」

 そんな事で、神の力や世界すらも改変できる力を使ってもいいのか。影人の中に真面目(正確には真面目ぶった)疑問が湧き上がってくる。今更何を、と突っ込みたくなる。お前が過去にやって来た事を思い出せ。

 さて、我々はここで1つ疑問を抱く事になる。それは、なぜ前髪は過去の己の愚行を忘れて、今更まともな感性がさもあるように振る舞うのか、というものである。いくらこの前髪がバカだアホだといっても、記憶もそこまで薄弱であったか。

 あった、と言えばあったのかもしれない。しかし、私はここで1つの仮説を立てたい。すなわち、前髪は化け物であるが故に、人間らしく振る舞おうとしているのだ。通常の感性を持つ人間ならば、有事でもないのに力を使う事を忌避するものである。人には理性というものがあるからだ。

 だが、前髪は周知の通り人ではない。姿形こそ人の姿をしているが、その実は前髪の化け物である。ゆえに、感性も通常の人間とは違うし、理性もないと言っていいだろう。 

 しかし、前髪が生きているのは、生活しているのは人間社会である。化け物が社会に溶け込むためには擬態をしなくてはならない。ゆえに、前髪は時々思い出したように人間らしく振る舞おうとするのだ。これが、私が提唱する仮説である。だが、この仮説は「ではなぜ擬態に最も必要な見た目に無頓着なのか。擬態するためには、明らかにあの前髪の長さは不要ではないのか」という質問に完膚なきまでに屈する事になるので、やはり仮説の域を出ない。文字数の無駄じゃねえかバカ作者。

「・・・・・・あ、そうだ。あそこなら・・・・・・」

 影人はとある場所を思い浮かべた。あの場所なら、退屈もしないしお巡りさんに通報される事もない。問題があるとすれば、が不在かもしれない事だけだ。

「・・・・・・まあ、取り敢えず行ってみるか。喜べお前ら。今から人目を気にせずたっぷり遊べる所に行くぞ」

『じゃあ、さっさとそこに連れてけ』

『なんと、そんな素敵な場所が。ご主人様、その場所というのはどこなのですか?』

 イヴはそっけなさの中に確かなワクワクを隠しきれない様子でそう言い、ナナシレはそう聞いて来た。ナナシレの質問に対し、影人はこう答えた。

「そうだな。一言で言うと・・・・・・秘密基地みたいな場所だ」

 そして、影人はその場所を目指して歩き始めた。

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