<社会人編>ep4
杉本君と再会し、半年ほどが経過した頃。私は酷く体調を崩してしまった。気怠さが何日か続き、とうとう腹痛と吐き気に襲われダウンしてしまった。職場に病欠の連絡をすると、お局さんが電話に出て、嫌みをチクチク言われた。話しをするのも辛いし、苛立ちが沸き上がってきたので、失礼しますと通話を切った。きっと、明日、職場で色々言われるだろうけれど、そんなことを考えるのも億劫で、眠ることにした。お母さんが出勤前に様子を見に来てくれて、病院に連れて行ってくれるとのことであったが、さすがにただの風邪で手を煩わせるのも申し訳ない。私は丁重に断り、自力で病院へ行くことにした。しかし、歩くことも辛かったので、タクシーを呼んで総合病院へと向かった。
「妊娠していますね」
適切な風邪薬をもらって、早く帰って眠りたいと思っていた。医師の言葉が耳から入ってきたが、脳へと辿り着く前に気泡と化したように、理解することができなかった。私は、何度も『何ですか?』と尋ね、その度に医師は同じ言葉を繰り返す。機械的にお辞儀をして、病院から飛び出した。怠いし、気持ち悪いし、頭が痛い。スマホを取り出し、杉本君と表示された画面を眺め、画面を消す。そして、またスマホを取り出し・・・歩きながら、その動作を繰り返す。
これは、なにかの間違いだ。これは、何かの間違いだ。これは、何かの間違いだ。
心の中で、何度も呟く。頭に浮かぶのは、杉本君の顔だ。困った表情をしている。
どれほど、歩いていたのだろう。気が付けば、私の母校である小学校の前にいた。平日なので、当然まだ授業中だ。私は足早に、その場から立ち去った。当時の思い出が蘇ってくる場所には、居られない。何故だか、小学生の私に、今の私は見せられないと思った。それから、人が少ない道を選んでは、歩き続けた。体の至る所が痛いし、息苦しい。
しばらく歩き続け、高台の公園へと辿り着いた。古びたベンチに腰を下ろす。何時間も茫然と町の景色を眺めていた。次第に、日は傾き、オレンジ色が町全体を包み込んだ。すると、スマホが鳴った。確認すると、杉本君であった。さすがに黙っている訳にもいかない。私は意を決して、スマホを耳に当てた。
杉本君の声はいつも通り明るく、少し心が軽くなった。その後、いつも通り今からホテルまで来て欲しいという要件だ。私は返事をするのを一瞬躊躇い、唾を飲み込んだ。
「あのね、杉本君。話があるんだけど」
『ん? 何? 会ってからじゃダメなの?」
杉本君の言葉に逡巡する。会って話した方が良いのだろうか。しかし、実際に顔を見れば、躊躇ってしまいそうだ。しかも、躊躇っている間に、杉本君はことに及ぼうとするだろう。私はそれを断る勇気がない。今は、行為をしたくない。
『おーーい! どうした?』
杉本君の呼びかけに、大きく息を吸って、大きく吐き出した。肺が空っぽになるまで。そして、ゆっくりと酸素を取り込んでいく。
「私、妊娠したの」
声が自然と震えてしまう。ギュッと目を閉じ、杉本君の反応を待つ。心臓が爆発してしまいそうだ。
『ふーん、そうなんだ。それで?』
同じ口調のまま杉本君は、平然と尋ねてきた。
「それでって・・・」
頭が真っ白になって何も言葉が出てこない。全身の力が抜けて、その場で崩れ落ちそうになった。ベンチに手をついて、体を支える。呼吸が荒くなってきた。耳の傍で、杉本君の溜息が聞こえた。
『本当にさ、そういうの迷惑なんだよ。事実無根でもイメージがあるからさ。勝手に処理してくれない? 俺には未来があるんだからね。決して公言しないこと』
杉本君の言葉の一つ一つが、石礫を投げつけられているように感じた。私には、未来がないということなのだろうか? 勝手に処理とは、どういうことだろう?
「事実無根って・・・」
『そうだろ? 証拠があるのかい?』
何も言い返すことができない。私が悪魔なのだろうか? それとも彼が悪魔なのだろうか? そんな証拠提示できる訳がないのだから。
『ジャイ子ちゃんなら、俺との約束を守ってくれるよね? 信じてるからね。じゃあ』
一方的に通話を切られた。きっと、切られたのは、通話だけではないのだろう。もう一度、通話ボタンを押しかけ、やっぱり止めた。これ以上、傷つきたくない。
杉本君との約束。彼のことを第一に考え、誰にも公言しない。画像や動画を撮らない。
「ああ、なるほど。そういうことなのか」
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