彗星の如く現れて
東京の主要駅付近のおしゃれなレストラン。週末の混雑でテーブルは満席。楽しそうな笑い声や食器のぶつかる音がするにぎやかな場所。
それなのに、男のいる世界では誰もおらず、話し声も聞こえない。テーブル席に座る人間はどこにもいないが、料理だけがパーティーの途中で客に何かがあり、全員逃げ出してしまったように置いてある。
男の見ている世界のレベルを下げると、友人同士やカップルで食事をする人々に囲まれて、ふたりがけのテーブル席に一人でポツリと座り、ピザやパスタをノロノロと食べている女がいた。
独り言は言っていないのに、彼女の声が聞こえてくる。
「隣の席にいる人、旦那さんの相談してる」
彼女をさっきから見守るように、少し離れた場所に立っている男は、肉体を持って物質界には存在していない。神世にいながら地上に降りていた。
男の名は明智 光秀。十日ほど前、守護の仕事を陛下から言い渡された神だ。あれから、守護する人間の女を諭そうとするが、霊感があるはずの彼女は聞き取ることができなくなってしまっていた。
光秀は思う。神界は心の世界。見えていても聞こえていても、本人が否定していては存在していないのと同じになる。心を閉ざしてしまえば、神の声ももう届かない。
死後も存在するためには、霊層を上げることが必須。それならば、正しい世界のあり方を学ばなければ遠ざかりやすい。つまり、神様と話ができるのなら、それが近道のひとつとなる。
存在を許されなかっただけあり、何が自身に必要で、何をどうすればそれが叶うのか考えるどころか、別のところに心を奪われ、遠回りをしている人間の女。
レストランはこれだけの混雑だというのに、魂はひとつも入っていない。守護する神もそばにいない。
ここはサブの世界。神世の技術はとても優れていて、魂が回収された肉体のそばにいなくとも、コンピュータ制御で守護できる。
分身という手段もあるが、神の姿を見て話ができないのならば、本業や家族を犠牲にしてまで、誰もいない肉体を見守る必要性はないのだ。だから、守護神は誰もまわりにいない。
パスタをフォークで巻いていた手を止めて、倫礼はテーブルに頬杖をつき、まだぶつぶつと心の中で話していた。
「私も誰かに相談してたら、別れたりしなかったのかな?」
後悔ばかり。霊層の通りだった。生産的なことは何も考えられない。今のままでは時間だけが悪戯に過ぎてゆき、肉体は滅んでしまう。
守護神である光秀は、人間の女の未来がはっきりと見えていた。それでも、今はただ黙って見守るだけ。自身で気づき、乗り越えてゆかなければ、霊層は上がるどころか、下がる可能性も出てくる。
「はぁ〜、何食べてもおいしく感じない。本当は一緒に来たかったけど、一人……。みじめだなぁ」
横顔は自身の娘――三女にやはりよく似ている。波動を受けているだけだが、神の目から見れば、何の損傷もなく魂がそこにあるのと一緒だ。
広い宇宙の中でこの肉体と一番合っているのが娘だった。そういう話だ。性格や性質。ものの考え方。どれもよく似ている。守護神ともなれば、担当する人間のそれまでの過去は全て簡単に追える。
特に似ているのは日本という国に住みながら、クリスチャンのように神に感謝を捧げ、聖書などを読むあたりは、娘が生前していた姿にそっくりだった。不思議な巡り合わせもあるものだと、光秀は思った。
しかし、慈愛の精神を持つ彼は、自身の娘だからといって決して甘やかすような性格でもなかった。
守護神になってから今日で十日になる。あれから、娘には問いかけてはいるが、言葉は聞こえず、姿も見えないようだった。ただ心の成長にならない方向へ行きそうな時は、神の力を使い修正するだけ。
憔悴しきっている倫礼はぼんやり目に見えるものだけを眺めて、ため息を料理の上に積もらせる。
「引っ越すから、早くマンションから出て行ってだって。帰る場所がないのに……」
負のスパイラルに入ってしまって抜け出せない娘だったが、そこから逃れる方法をある程度今学ばないと、この先の人生が非常に苦しくなるのが、守護神の光秀にはよくわかっていた。
「誰かに相談すればよかったのかな? それとも……」
倫礼の心の声はさっきから堂々巡りをしていた、その時だった、彼女の背後にすうっと人が立ったのは。
すらっとした体躯で、洗練されたファッションに身を包む。貴族的な雰囲気の若い男。気づかないまま、倫礼はもう何度ついたのかわからないため息を再びつく。
「結婚したのが間違いだったのかな?」
銀の短髪は襟足が一本の乱れがないほど整えられ、前髪は長く片目が隠れていた。唯一出ている左目が光秀をまっすぐ見た。
その瞳は重厚感が漂い、感情が見て取れない鋭利なスミレ色の切れ長なもの。顔立ちは可愛らしいが、愛想など不要と言わんばかりに、超不機嫌で台なしになっていた。
男が両足をきちんとそろえると、距離をたもったまま、光秀と男はお互いに軽く会釈をした。男はテーブルの脇を抜けるのではなく、一瞬にして倫礼の向かいの席へ瞬間移動で腰を下ろしてた。
足を華麗に組み、腰のあたりで腕組みをして、見ることもできない人間の女を真正面から、堂々たる態度で見据えた。
倫礼はお一人様デビューで緊張をしているわ、ショックで激落ち込みをしていわで気づきもせず、さっきから同じことを永遠と繰り返していた。
「どうやったら別れなかったんだろう? っていうか、急に引っ越せなんて自分勝手すぎない? 失踪してきたこと知ってて、どうすればいいわけ?」
男の指先はイライラしているように、トントンと組んだ腕に叩きつけられていたが、不意に止まり、奥行きがある少し低めの声で言い放った。
「彼だって傷ついたんだ――」
「え……?」
光秀が話しかけてもまったく聞き取れなかったが、男の声はすんなり一回で倫礼に届いた。彼女は食べていた手を止めて、目の前に座っている男を見つけた。
生まれて初めて見る大人の神様に出会い、倫礼は膝にかけていたナプキンの端を落ち着きなく触る。
「誰? どの神様?」
彼女は懸命に、コウに教わった神様を一人一人思い出せる範囲でたどってゆく。見えなかったなりに、彼女の感じる力は人よりもかなり精密だった。
一度話を聞いたことがある神様なら、どこかで霊的に引っ掛かりを覚えるはずだ。霊感の直感とは、森羅万象のどこにも歪みがないものが、答えだ。
宇宙の果てを目指して三百六十度3Dで空中遊泳をして探してゆくが、ピタリと当てはまる人も物事も何もなかった。
映画のポスターでも見ているような、セピア色の店内で暖色系のスポットライトを浴びながら、神がかりな美しさで目の前にある席へ座る神聖なる存在。
人間と出会ったとしても、こんなに衝撃的で秀麗な出来事ではないだろう。倫礼はこの瞬間を一生忘れることはなかった。いや、翌日に起きる大事件で忘れられなく、神々にさせられたのだ。
「……新しい神様ってこと?」
おしゃれな都会のレストランがあせてしまうほどの、人々が跪いてしまうような優美で高貴さ。この世のものとは思えないほど綺麗な男。
「…………」
聞いても答えなかった。それでも彼女は怒るとか傷つくとか、そんな気持ちをなぜか抱かなかった。それよりも、心が満たされてゆく不思議な感覚に、倫礼は囚われた。
とっくに冷めてしまったパスタとピザの皿にまわりに、フォークとナイフを置いて、彼女の特徴らしく、神がさっき言った言葉をすんなりと受け入れた。
「確かにそうだ。神様の言う通りだ。相手も傷ついたよね。自分のことばかり考えてた」
あっという間に、負のスパイラルから抜け出し、倫礼は他の人にはわからないように、正面を見つめて心の中で丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございます。教えていただいて、感謝します。気持ちが少し楽になりました」
男としてはイライラして言っただけなのに、お礼を言われたものだから、首をぎこちなく傾げると、銀の長い前髪がサラサラと落ちて、鋭利なスミレ色の両目があらわになった。
「…………」
不思議な生物でも見つけたように、倫礼をじっと眺めていたが、小さな口元は全く動かなかった。
見え始めた彼女の霊感は不安定なもので、油断すると消え去ってしまうほどだった。いたりいなかったりする男の前で、気にしていないのかはわからなかったが、倫礼は大きく息を吸って、みるみる笑顔に変わってゆく。
「とにかく、東京のどこかに引っ越ししよう。そうして、一人暮らしをして、学べることはどんどん学ぼう! よし、やるぞ!」
さっきまで暗い気持ちで、疲れ切った顔をしていたのに、残りの料理をバクバクと食べ始めた。
「ふふ〜ん♪ 一人でレストランもいいね〜。料理もおいしいし、ワインも最高!」
自分の話を聞いて、一を十にして、いやそれ以上に効果をもたらして、勝手に前向きに解釈する女だったが、男の気分は決して悪くなかった。
食べ物を食べるという概念がない男は、足を華麗に組み替えて、さっきのことを思い返す。いやさっき生まれたばかりの男は、この女に会うまでの十数分間を思い出した。
*
今日の謁見は全て終了し、あとは書類の整理を残すだけとなった、神界にある城の執務室。陛下はペンを動かしていたが、心の中に急に浮かび上がった。
(それがああだから、そうする……)
何かの決断をして手を止め、表情ひとつ変えずに側近に声をかけ、
「あとはいいから、下がれ」
「はい、かしこまりました」
部下は丁寧に頭を下げて、扉から出て行った。人払いをした執務室で、陛下の体は薄く光り、トレースシートに書いた二枚の絵がずれるように、もう一人の人物が現れた。
銀の髪を持ち、鋭利なスミレの瞳で、最低限の筋肉しかついていないすらっとした体躯の男が、書斎机の真正面に立っていた。
「別の個体として生きていくよう、お前は私の一部分を分身させた」
高い声をわざと低くしたようなそれで言う陛下の前で、潔癖性を表すようなきちんとした服装の男は、生まれたばかりだったが、礼儀はきちんとわきまえていて、床に片膝をつけ最敬礼で跪き、
「はい」
前世でもなく、どこにも属さない、突然十八歳から人生が始まった男に、陛下は最低限の施しをする。
「お前には、
「恐れ入ります」
蓮は大理石を見つめたままうなずいた。
与えられないのが普通で、与えられるのは奇跡であり、至福なのだと、陛下から生まれた神はよく理解していた。
陛下が椅子の上で足を組むと、鉄でできた鎧が足元でカチャッと音を立てた。肘掛にもたれかかり、暮れてゆく首都の街並みを背景にして、堂々たる態度で言った。
「これから命令を下す。よく聞け」
「はい」
そうして、陛下の口からこの人の名が告げられた。
「明智 光秀という人物がいる。その三女の名は倫礼と申す」
「はい」
蓮の意識は急速にはっきりとしてゆき、次々に欠けていたパズルピースが解かれてゆくように、ここから一人で生きられるための常識が伝授されてゆく。
「地球という場所の情報はすでに魂の中に入っておろう?」
「はい、ございます」
人間が厳しい修業をする場所で、自分たちが守護をする世界。邪神界の影響が今も色濃く残り、先日大勢の魂が霊界へ引き上げられたところ。
「そこで生きている肉体のひとつに、倫礼が魂の波動を与えている。その人間の女のところへ行け。その後はお前の好きなようにしてよい。守護神をしている明智 光秀には、私からお前が行くことは直接伝えた」
「はい、かしこまりました」
「この部屋を出たと同時に、お前とは親子でも何でもない。一人の人間として生きてゆくがよい。以上だ」
「はい」
蓮はそう言って、生まれたばかりの記憶を使って、瞬間移動で倫礼と名乗ることが許された人間の女の元へ来たのだった。
そういうわけで、彼女を真正面にして席に座っている。
蓮は思う。自分の中にある情報では、目の前にいる人間の女は、大人の神の声を聞くことはできても、見ることはできないと。
しかしさっきのあの視線は、確実に自分を見ている目だった。愚かなことに、今まで聞いた他の人間から自分を探そうとはしていたが。
何が起きているのか、何がそうさせたのか、生まれたばかりの蓮にはまったく見当がつかなかった。
*
粉雪でも舞うように桜の花びらが、星空の下でゆらゆらと落ちてゆく日本庭園。獅子落としがカコーンと気を引き締めるように遠くから聞こえてくる。
紫の綺麗な顔を見せる月は、南の高い位置に座して、首都の中心街の明かりにほのかに色を添える様が風流で、縁側に座って見上げている女は感動のため息をもらした。
「はぁ〜、静かな夜」
首都の喧騒ははるか遠く。段々畑のようになっている住宅街の一角。まだ発展途上のため、お隣さんがいなくて、家々も少ない場所。
コの字を描く縁側に並ぶ障子戸は乱れがなくきちんと閉められている。部屋はたくさんあるが、人の気配がしない家。
「今日も縁側から中庭を一人で眺めて、一日の大半は終わっちゃったわね」
少し前が懐かしい。池の鯉を眺めたり、夕涼みをしたり、庭の草木をめでたり、家族で過ごすことが多かった。
「霊界から上がってきて、他の兄弟はあっという間に結婚して、この家に残ったのは私だけ」
永遠の世界で真実の愛に出会い、独立した兄弟たち。一人残されたこの家の娘は足を組み替えて、胸に落ちてきてしまったブラウンの髪を後ろへ払う。
「家族が全員そろったのはよかったわね。死んでバラバラになってしまったから」
自害という死に方だったが、それを悔やんでいるわけでもなく、誰かを恨んでいるわけでもなかった。だからこそ、消滅をまぬがれるだけの霊層があり、全員神の領域へと無事に上がったのだ。
幸せだ。これ以上の幸せはない。それは神様や家族のお陰だ。それでも、一人きりの縁側で女はため息をついた。
「でも、こんなこと言いたくないけど、寂しいわね。みんないないなんて」
足をきちんとそろえて、夢見る少女のように頬杖をつく。縁側へ上がるための大きな石の上で、かかとを軸にして爪先を上げて下ろすと、視界が縦にガクガクと激しく揺れた。
「私の運命の出会いはどこにあるのかしら?」
流れ星が横切り、思わず祈りそうになったが、四百年近くも生きている女ははたと気づいて、自分の幼さっぷりに恥ずかしくなった。
「いやね、私ったら暇なのかしら? 結婚しなくても生きていけるのよ、人生なんて」
女らしさはあるのだが、サバサバとした性格で、基本的に恋愛や結婚に興味がないのが彼女だった。
しかも、この世界へ来たばかり。働かなくても生きていけるが、誰かのために何かをしたい人たちが暮らす神世。女は当面の心配を口にしようとしたが、途中で玄関のほうから男の声がした。
「それよりも仕事をどうするか考えな――」
「――戻った」
台所で夕食の支度をしていた母が、待っていたというように幸せそうに廊下を急ぎ足で進んでゆくのがわかった。
「は〜い、お帰りなさい。あなた」
両親はいつも仲が良く、お互いを信頼しあっている。どんなことがあっても出迎えるのが母の信念でいつものことだった。
しっかりとしたクルミ色の瞳で、女は壁にかけてある時計を見上げて、
「父上、今日遅かったわね。何かあったのかしら?」
珍しいことが起きていた。父は非常に真面目な性格で、仕事で遅くなる時はきちんと家に連絡をしてくる。友人とどこかへ行くにもきちんと告げてゆく。何も言わずに遅くなるなど、初めてのことだった。
ブラウンの長い髪が肩からサラッと落ちると、玄関のほうで母の歓喜が上がった。
「あらまぁ〜! さぁ、上がってください」
女は縁側から立ち上がって、障子戸に手をかけようとした。
「
「は〜い。今お茶用意します」
母からの呼びかけで、娘はいつも通り台所へ行って、おもてなしの準備をしようとしたが、父の落ち着き払った声が待ったをかけた。
「いやいい、お前は座敷にいなさい」
「はい、わかりました」
少し開けていた戸を閉めて、客間へと急いで縁側を歩いてゆく。障子に人影が二つ映り、
「どうぞ、そちらへお座りください」
「失礼いたします」
知らない青年の声がした。娘は縁側に座って戸を静かに開けた。
そこには、一輪の高貴な花という名がふさわしい男がいた。針のような輝きを持つ銀髪で、スミレ色の切れ長な瞳、最低限の筋肉しかついていないすらっとした長身で洋服を着ているのに、正座をしている。
どこかで会ったことがあると娘は思った。反対側に座る父を自然と見た。黒の長い髪に切れ長な瞳。やはりすらっとした長身。どことなく父と似ている、落ち着いた雰囲気の綺麗な顔をした男だった。
この家の主人――明智 光秀は礼を重んずる人物。すぐさま娘に注意がいった。
「挨拶をしなさい」
「あぁ、そうね」
居住まいを正して畳に三つ指をつき、娘は丁寧に頭を下げた。
「初めまして、娘の倫礼と申します」
倫礼の本体に男は綺麗に四十五度向き直って、同じようにお辞儀をした。
「月水 蓮と申します」
お茶の用意を持って、妻が座敷へやって来ると、光秀は陛下からの
「蓮さんは陛下から分身をされて、ご命令で地球の娘のところへ来てくださったので、家へ招待した」
急須を傾けて湯飲みに注ぐと、緑茶の甘い香りが座敷に広がった。お茶を差し出して、母は優しく微笑み、丁寧に頭を下げた。
「娘のことを気遣ってくださって、ありがとうございます」
ここにいない女へ影響を与えている倫礼は、お茶を受け取りながら砕けた口調になった。
「そう。陛下から生まれたの。父と一緒ね?」
「一緒とはどういうことですか?」
蓮は驚くでもなく、奥行きがあり少し低めの声で聞き返した。陛下はそんなことは一言もおっしゃっていなかった。
客人の態度から、明智家の人々は悟った。地位も名誉も望んでいない私たちの気持ちを、陛下は汲んでくださったのかもしれない。
明智の家長は慎み深く言葉を紡いだ。
「私は陛下の前世のひとつで、蓮さんと同じように分身をして、別の個体として存在させていただいています」
湯呑みを傾けていた倫礼はまじまじと見つめる、部屋の明かりに銀の髪が鋭く輝いている蓮の顔を。そうして、こんなことを言う。
「どおりで綺麗な顔立ちをしてると思ったわ。心がとても澄んでるのね」
無邪気な天使みたいな可愛らしい顔をしているのに、超不機嫌で台なしだと思いながらも、彼女なりに褒めてみた。
春らしい桃色の着物に身を包んだ、母はお茶を一口飲み、少しだけくすくす笑った。
「倫ちゃんはどこを見てるのかしら?」
しかし、娘はごく真面目で、会ったばかりの男のことをスラスラと解説した。
「心を見てるわよ? 父と同じで、口数が少なくて思慮深い性格。動き回るよりはじっとしてるタイプ。好きな食べ物の傾向は肉より魚。野菜も好きかもね。足はかかとをそろえて立つんじゃないかしら?」
さっきの人間の女といい。本体のこの女といい。蓮にとっては不思議な人物この上なかった。
ぎこちなく首を傾げると、銀の長い前髪がサラッと落ちて、鋭利なスミレ色の瞳があらわになった。
「…………」
ガン見されている倫礼は気にした様子もなく、お茶菓子に手を伸ばした。
夫がなぜ、この青年を家へ連れてきたのか、妻はよくわかった。障子戸は閉まっていたが、暖かな春風が座敷へ入り込んで、娘と青年をひとくくりにするように結んだようだった。
固まってしまったみたいな蓮を心配して、母が助け舟を出す。
「いきなりそんなことを言ったら、生まれたばかりの蓮さんは驚かれるわよ。自身のことをまだ知らないのだから」
さっき生まれたばかりの蓮はお茶を飲んで、あまりの苦味に表情を歪ませたが、
「っ!」
気づかれないように平気なふりをして、すぐさま湯呑みを元へ戻した。
「……なぜそう言う?」
パリパリとせんべいを噛み砕いて、倫礼はゴクリと飲み込むと、
「あの子が学んだことよ」
魂で波動を与えている以上、記憶はすでに引き継がれ、あの肉体が過ごしてきた過去は何もかもが、この神のものとなっていた。
本体よりも、先に会いに行けと命令が下されたのなら、そこに何か理由があると蓮は思った。
「どれをだ?」
「気の流れ。あら? 知らない?」
地上にいる倫礼が、人を見る目を養うために手に入れたひとつの方法だった。それにプラスして霊感があるものだから、初めて会った蓮を他の神々と照らし合わせても、誰とも気の流れ――雰囲気が一致せずに、新しい神様だと判断したのだった。
非常に専門的な内容で、蓮は自身に与えられた記憶をたどったが、
「知っているが、何がどうなのか細かいことはわからない」
倫礼はお茶菓子の包紙を適当に折りたたんだ。
「そう。全部は引き継いでいないのね。可愛い子には旅をさせろってことかしら?」
もうすでに仕事を終えて、自宅のエリアへ行ってしまっているであろう陛下の面影を、倫礼は思い浮かべた。
話が脱線してしまい、家長は腕組みをして仕切り直した。
「前置きはそのくらいにして、本題へ入る」
「はい」
倫礼は正座をし直して、気を引き締めた。
「蓮さんにはこの家に住んでいただこうと思っている」
聞き捨てならない発言だったが、母は父の隣でにっこり微笑んで、可愛らしげに小首を傾げた。
「そうね。家を一人で探すよりも、これからのことを考えると、家族がいたほうが何かといいわよ」
慈愛の精神で何を言い出すのかと倫礼は驚き、のんびりしている両親の前で、娘はびっくりして思わず立ち上がりそうになった。
「一緒に暮らすっっ!?!?」
嫁入り前の娘がいる家に、青年が同棲するなどとは、まわりだけが勝手に動いて、置いてけぼりを喰らって――
「何をそんなに驚いている?」
生まれたばかり。しかも地上で生きたこともなく、肉体の欲望など知らない男に聞き返されて、倫礼は自分だけ騒いでいるのがバカバカしくなって、できるだけ平気なふりをしようとしたが、言葉がもつれにもつれていた。
「い、いえ、別に。そうね……。他に兄弟は誰もいないし……部屋もいっぱい余ってるんだから……いいんじゃないかしら?」
こんな運命の出会いがあってなるものかと、倫礼は思った。そもそも自分は今仕事を探したいのだ。
娘が波動を与えている人間の女は、さっき蓮の忠告を前向きに捉えて、お礼を言っていた。父は娘のことはよくわかっている。時々素直でないと。光秀は客人に確認を取る。
「蓮さんはいかがですか?」
「よろしくお願いいたします」
遠慮する間もなく、即答だった。
光秀は思う。自身が何度話しかけても、もう一人の娘は気づかなかった。それなのに、この青年が言葉を発したら反応し、娘は自身の力で、神を見る術を手に入れた。いや、この青年自身が知らぬ間に、手を貸したのだ。
霊感を手に入れて、六年もの月日は流れたのに、もう一人の娘を直接導いたのは、コウでもどんな神の名でもなく、さっき生まれたばかりの青年だったのだ。
このふたりならばよいと思い、光秀は陛下からもうひとつ告げられていたことを打ち明けた。
「明日以降、できるだけ早い時期に、十八歳までの記憶を育てるために、通常の十五倍の時の流れの中で、経験を積んで欲しいとの旨を陛下よりうかがっています。私と妻が親の代わりとして過ごすことになりますが、よろしいですか?」
幼い頃の記憶を作り、心の糧にする、やり直しだ。波動を受けているとはいえ、地球にいるあの女の元へ行くようにと言われたのだ。蓮は隣に座っている本体を見つめた。
「倫礼は……?」
「この子も一緒に成長するようになっています」
神々の神として君臨する陛下が見た未来は、何もかもが寸分の狂いなく進んでゆく。蓮の鋭利なスミレ色の瞳はあちこちに向けられ、しばらく考えていたが、やがて、
「……構いません」
四人の緊張感がやっと取れた気がした。光秀は珍しく少しだけ微笑み、口調を急に砕けさせた。
「それでは、改めてよろしくお願いする」
「蓮ちゃん、気遣いはしなくていいのよ」
模範の夫婦みたいに、父と母は寄り添って優しげな笑顔を見せた。
「よろしくね」
娘がサバサバとした様子で言うと、母が手を前に出して、あら奥さんみたいな感じで縦に振った。
「もう、倫ちゃんったら、丁寧語使わないんだから」
せんべいをかじろうとした手を止めて、無表情の蓮の顔を、倫礼はのぞき込んだ。
「いいわよね? もう家族みたいなものなんだから」
「いい」
蓮は超不機嫌顔のまま、こっちもこっちでタメ口だった。倫礼は得意げに両親へ振り返る。
「ほらね?」
滅多に笑わない父の隣で、母は手を口に添えてくすくすと笑い、お茶を片付け始めた。
「それじゃ、お夕食の用意は四人分ね」
「母上、なんだか嬉しそうじゃない?」
倫礼は畳から立ち上がって、茶器を乗せたお盆を手に取った。母は蓮を本当の子供のように頼もしげに見つめる。
「新しい息子ができたのよ。こんなことが待ってるなんて、お母さん思ってもみなかったわ。だから嬉しさもひとしおじゃない?」
「もう、すぐ受け入れちゃうんだから」
娘はあきれた顔をする。母は突然の出来事でも、しっかりと父へついていことする。奇跡という宝物でももらったかのように、幸せな気持ちで満たされながら。
「お父さんが厳格だから、私は柔軟でいいのよ」
いつだって両親は噛み合っていて、人のこと優先で、倫礼は誰よりも尊敬していた。娘と母が立ち上がると、
「倫ちゃん、お夕飯の支度手伝ってちょうだい」
「は〜い」
倫礼も家族が増えたことが単純に嬉しかった。こんな返事をしたら、厳格な父にすぐに注意されるのだが、今日はそんなお
縁側から入り込む月の光は、明智家の新しい日々を喜んでいるようだった。
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