神様に会いたくて

 *この章は、心霊現象が少しだけ出てきますので、苦手な方はご注意ください。


 足が冷えないように毛布をぐるぐる巻きにして、澄藍すらんは書斎机の椅子に座っていた。パソコンはスリープ状態となっていて、いつも聞いている音楽再生メディアも一時停止。


 彼女は目を閉じて、背筋を伸ばしすぎず曲げすぎず、リラックスした姿勢で深呼吸をゆっくりと何度もしている。


 外から聞こえてくる音。足や手の感触。それらをできるだけ無にして、真っ暗な視界で思い出す。コウから伝授された霊感を磨く方法を――


    *


 ――都会のマンションに住んでいた頃。


 恋愛シミュレーションゲームや小説書きの合間に、澄藍はパソコンの前に座らされていた。コウはキーボードの上を別次元で右に左に行ったり来たりする。


「よし、澄藍、今日は霊感を磨く練習をする」

「うん」


 神である以上、人間の過去など、いくつもの人生をさかのぼれるが、理論派のコウはわざと聞く。


「幽霊を見たことがあるか?」

「ない」


 即答だった。


「そうだ。だから、お前の霊視範囲は特殊だ。通常、幽霊が見える。だが、お前は周波数を高いところに設定してるため、そのすぐ上にいる神様の子供が見えるようになってしまった」

「なるほど」


 澄藍は怖い思いをしないで、スピリチュアルの世界へ入ってしまった、異例中の異例である。だからこそ、偏ってしまっている霊感だった。


 コウ教授から次々に質問をされてゆく。


「霊感で使う脳はどこだ? 答えろ」

「左脳の少し下で、中へちょっと入ったところ」

「まずはそこを意識するために、指先でトントンと叩け」

「よし」


 言われた通り、一人壁を見つめたまま、頭を叩いている人にまわりから見えるが、澄藍は至って真面目だった。


「意識が強くなったか?」

「うん」


 クルミ色の瞳は焦点が合わず、どこか遠くを見ているようになった。感覚をいくつも研ぎ澄ます作業。


「そのまま三百六十度3Dで、意識を広げてゆく」

「うん、広げる……」


 あっという間に太陽系を追い越して、人間が行ける限界――宇宙の果て――壁へと一気に迫る。自分の存在が小さく感じ、大きな運命の流れが絶えることなく動いている――言葉で表すなら、森羅万象しんらばんしょう


「次は今感じている世界よりも下にしろ」

「下にする……。神界じゃなくて霊界……」


 ちょうど夜空にオーロラが出ている位置から、地上へと降りる真ん中あたりを見るように、ラジオのチューニングを合わせるように、神経を研ぎ澄ます。それを神の目線で受け取ったコウは、パソコンの隣に陣取った。


「よし、それを保ったまま、動画サイトを開け」


 そうっと目を開けて、澄藍は意識を宇宙の真ん中に浮かばせたまま聞き返す。


「動画サイト?」

「心霊スポットに行くつもりか? お前昔、幽霊苦手だっただろう?」


 澄藍は珍しく慌てて、両手を体の前で横にフルフルした。おまけに言葉遣いまでおかしくなる。


「ダメです。ダメです。見えなかったけど、感じるからこそ、逆に正体がわからなくて、怖さ百倍だった」

「そうだろう? そうだろう?」


 電気スタンドを街頭のようにして、コウは寄り掛かった。澄藍は両肩を手のひらで寒さから凍えるように抱く。


「お墓参りに行くと、家族しかいないのに、視線がいっぱいある感じがするんだよね。見られてるって感じ。でも振り返ると誰もいない。それでも、やっぱり見られてる感じ」


 怪談話など聞いたら最後、一人でトイレにも行けないような少女だったのだ。彼女の実家には北側にしか窓がない薄暗く湿気のあり、仏壇と三面鏡、それに加えて黒に近い木目がついたタンスが壁を埋めるように置いてある部屋があった。


 それがトイレの隣だから、彼女の恐怖心はさらに煽られ、高校生になっても、夜中に目が覚めた時は、毛布で背中を覆わないと、そこへ行けないほどだった。


 何の因果か、三十歳を迎える寸前で、霊的なものが見えるようになった、完全に霊媒体質。


「よし、じゃあ、もうひとつの訓練のために、そこへ魂を飛ばして、霊視してみろ」

「あの墓地に行く?」


 遠くの宇宙の流れに乗っているところで、ここから何百キロしか離れていない、ピンポイントへ肉体を残して飛べと言う。


 見えるもの触れるものに縛られている人間の女を、コウは神の言葉で解放する。


「心の世界は思い浮かべれば、その場所へ簡単に行くことができる。神様が瞬間移動できる原理だ」

「なるほど。よし、やってみよう」


 彼女は他の人と価値観が違っていた。神様とはうやまうもので、距離をきちんと取らないといけない、という考えは持っていなかった。


 とある本で読んだのだ。神様とは友達のように仲良くなったほうが、願いを聞く側も聞きやすと。同じ心を持った存在だからこそ、コミニケーションが大切なのだと。


 神様であるコウが言っている以上、人間の自分でもできることなのだろう。人間からも神様に近づいたほうが、見えることにつながる。


 何の疑いも戸惑いもなしに、澄藍は集中するために、またまぶたをそっと閉じた。


「ん〜〜? あぁ……」


 写真のように鮮やかに蘇るが、まわりに生えている草木は、リアルタイムで風に揺れている風景の中に立っていた。


「何か見えたか?」


 そこへ、白い着物を着た人たちが今度は映り出す。


「おかしいね。昔は見えなかったのに、今は見えるようになったんだ。周波数を合わせていないだけで、見えてるんだ、本当は」


 神様がそばにいる以上、幽霊は寄ってこれない。霊感が弱かった頃の視線の数と、今見ている人の数と角度が合っている。感覚でそれはわかる。


「何かをしてくる雰囲気じゃないんだけど、それぞれの家のお墓まわりに人が立って、生きている人のことをじっと見てる」


 肉体を持って歩いている墓参りをする色を持った、洋服を着た人たちが景色に入り込んで、図形などを写しとる、トレースシートを二枚重ねたようにピタリと別々の次元が重なり合った。


 初めてにしては上出来な人間の女に、コウはお褒めの言葉を遣わす。


「正解だ!」


 とても重要な気になることがあって、澄藍は話を続けようとしたが、まさしく神業の如く、素早くさえぎられた。


「あ、でもね――」

「待った! お前が言いたいことはわかってる」


 人間の未来を予測できる能力を持っているだけあって、以心伝心で嬉しい限りだ。


「やっぱり神様だね。私の思ってることがわかるなんて」

「当たり前だ。それは最後にしろ」

「うん」


 急いで霊視の場所を元へ引き戻してきて、澄藍はあまり入力するのは気が引けるキーワドだと思いながら、『心霊スポット』とキーボードを打ち込んだ。


「準備は整ったか?」

「できた」


 画像がいくつも縦に並んだ。


「じゃあ、上にスクロールしていけ。こっちで例題を教える」

「うん」


 ワイヤレスのマウスに手を乗せ、ゆっくり小さな丸を指先で下へなぞる。いくつもいかないうちに、コウの声が響き渡った。


「ストップ! 上から二番目のだ」

「これね」

「再生してよく見ろ」


 フルスクリーンにして、澄藍は椅子の背もたれに寄り掛かった。


    *


 海外にある一軒家で起き続けるポルターガイスト現象。過去に殺人事件現場となった家を買いつけて、新しい住人が来るが、心霊現象に耐えられず、家を出て行くと家族があとをたたないと言う。


 この家に住んだことのある、とある家族からの証言。静かな住宅街の一角で、買い物などにも便利な住みやすい家だった。一家は事故物件だと知らず購入。


 しかし、引っ越した日の夜から、風もないのに窓を叩く音が聞こえたり、廊下を歩く足音がするが、姿を見ることはできない――怪奇現象が起きていた。家族が触ったはずのないものが動いていたり、なくなったりと、日に日に状況は悪化して行く一方。


 ある日、リビングの壁から緑色の血のような液体が流れ出てきて……。


 ……この物件は今でも売りに出ていて、過去に殺された人の霊が、住人たちを襲っていると言う――。


    *


 画面から一度も視線をはずさなかった澄藍は、別のところに感動していた。


「不思議だね。昔こんな映像なんか見たら怖くてしょうがなかったけど、今全然平気になった。神様のお陰だ」

「感謝それくらいにして、今のがどうかを答えろ」


 トレーニングの趣旨が脱線しそうになっているのを、コウが的確に戻した。澄藍は頭の中で動画を整理する、霊感を使って。


「え〜っとね、いたよ。でも、殺された人じゃない。別の人で、それに……言い方は嬉しくないけど、便乗してる人たちが何人かいた」


 心の目に写っていたのは、別人だった。写真がなくても、彼女は本人かそうでないかがわかった。殺された時刻へと、心が勝手に戻って、被害者が誰だか探し当てるのだから。霊感とはそう言うものだ。


「他には?」

「全部が幽霊のせいじゃない。壁から緑の液体が出てくるのは、接着剤か何かが、ここは多少は霊的な存在でも手を加えられるけど、壁の外に溶け出るようにしただけ。心霊現象のうちのいくつかは、ただの自然現象」


 クイズ番組で鳴るピンポーンピンポーン! のあと、いつの間にか用意されていた薬玉がパカっと割れ、鳩が飛び立ち、色とりどりの紙吹雪やテープがキラキラと現れた。


「正解だ! よし、次だ。すぐ下のやつだ」

「これね」


 次をクリックする。


    *


 主人のもとで働いていた使用人がほんの些細な失敗で次々と殺され、証拠隠滅のために投げ捨てられた井戸が家のすぐ近くにある場所。


 恨みや憎しみが詰まっており、夜には井戸から人の苦しそうな声や悲鳴などが近隣住民でも聞いたことがあると、もっぱらの噂。


 壊れたオケや鉄屑などが投げ込まれている雑多な、井戸の中をカメラで写しながら、今の持ち主である人のインタビューが流れている。


 何度も怪奇現象に遭い、その中でもある晩、井戸の近くの水道をひねると、血が出てきたと言う――


    *


 澄藍は平気な顔で、全て見終わった。


「どうだ?」

「これは幽霊はいない」


 即答だった。どこにも霊感は引っかからなかった。


「そうだ。人間疲れてると幻覚や幻聴を聞きやすくなる。単なる勘違いだ」


 コウが言うように、根拠のないものほど、人は想像力を働かせて怯えるものだ。澄藍がミネラルウォーターを飲むと、コウが指示を出した。


「よし、少しスクロールしろ」

「うん」

「よし、それだ」


 動画の説明を読む前に、澄藍は表情を鈍らせた。


「これ? これはやばそうだね」

「いいから見ろ」


 覚悟しないとけないと思いながら、幽霊を霊視する訓練中の女はプレイボタンをクリックした――


    *


 心霊スポットとして有名な外国の古城。見にくる人々があとを立たず、宿泊プランまで用意されていて、部屋に泊まることもできる。


 今は墓地としても利用されている広い庭園が映し出され、澄藍は途中で思わず声をもらした。


「あぁ〜、最初からすごいよ。花火大会みたいに幽霊で大混雑だ」


 彼女の心の目には、夜色の庭が真っ白になっていた。


 場面は変わり、部屋の中にある肖像画などが映し出され、利用した客がおかしな音を聞いた、視線を感じたなどを答えていた。


「肖像画が見てる気がするか……。それはそうだよね。肖像画のところにぴったり幽霊が立って見てるから、それはそう感じるよね」


 笑いを取ってくる幽霊だなと、澄藍は思った。その後も、あちこち映し出されていたが、彼女の心には白く透明な人ばかりだった。


    *


 頭に三角の白い布をつけて、コウがおどろおどろしく、澄藍の背後から出てきた。


「聞くまでもないが、どうだ?」

「これは全部幽霊がいた」

「最初に言えなかった感想を今言え」


 白い着物を着て、お化けの真似をしている神様に振り返って、彼女は聞き慣れない言葉を口にする。


審神者さにわをすればわかるけど、これは今はこの場所にいない。昔の話」

「正解だ!」


 クルッと空中で一回りすると、コウの白い着物は元着ていたカラフルな洋服に戻り、パンパカパ〜ン! とラッパが鳴り、紙吹雪が天井から降ってきた。


「人間は、この審神者を忘れる。心の世界は時間軸が物質界より非常に曖昧だ。今日の朝食のことを考えただけで、心は朝の時間に飛んでしまっている。霊視すると、過去の出来事や未来のことも、今現在に起きているように見えがちだ。そこで何が起きたなどの既成概念を持って見るなら、なおさら事件のあった時刻へ戻ってしまう可能性が高い。だから、確認する作業――審神者をする必要がある。本当に今起きていることなのか、過去なのか未来なのかをな」


 繊細な世界の話を、子供のふりをした神様と人間の女で繰り広げてゆく。


「そうだね。それは前よく注意されたよね。幽霊がいちいち何年の何月何日とは言わない。だから、過去を見てるのか今を見てるのか、それとも未来を見てるのか、確かめることを行わないと、除霊されたのに、まだ幽霊がいるように見えるって」


 コウは珍しく微笑み、ぴょんぴょんとコミカルに足音を鳴らしながら、パソコンの前に割って入った。


「しかし、なかなか上出来だった。大人の幽霊がほとんどだっただろう?」

「そうだね」

「これを周波数を変えれば、大人の神様も見えるってことだ」


 これが、先生の狙いだった。


「理論で考えたらそうだね。この感覚を忘れずに、練習していこう」


 あとはチャンネルを変えるだけだ。こうやって、澄藍は神様を霊視する日へと一歩一歩近づいてゆくのだった。


    *


 滅多に雨が降らない神界。今日もきれいな青空が広がり、雲ひとつない。小学校の校舎をクリアな瑠璃に染める。


 休み時間の廊下では、マゼンダ色の長い髪を持ち、ニコニコの笑みをしたカエル先生のまわりに子供たちがいつも通り集まっていた。


「先生、幽霊って何ですか?」


 子供らしい質問。肉体がない人々が暮らす世界からすれば、何のことやらさっぱり。月主命るなすのみことは人差し指をこめかみ突き立てて、小首を傾げる。


「そうですね〜? 肉体を持っていないのに、物質界――こちらの宇宙で言えば、地球にいることです」


 さすが、社会から歴史へ科目を変えた、三百億年も生きている先生だった。今度は別の生徒が、純粋な瞳で見上げる。


「僕たちが地球に見学に行ってる時は、幽霊になってるの?」


 未来の神様。人を守護するために、地球へ行くこともあるだろう。その可能性をなくさないためにも、課外授業はよく行われている。


「そちらはきちんとした許可が降りていますから、幽霊とはみなされません」


 厳しい規制が引かれており、専門機関からの許可は絶対となっている。


「勝手に行ったらどうなるの?」


 月主命先生は凛とした澄んだ女性的な声で、不気味な含み笑いをする。


「見つけ次第、地獄行きです〜」


 そこは、一畳ほどの広さしかなく、罪を償うまで中からは開けられない。百次元も上から下ろしてきたシステムで、この世界の神様でも中へ入れば自ら出ることができない。


 人間ならなおさらで、外には声、ねん――想いさえも届かない作り。子供たちはもちろん授業で勉強した。


 一人きりになってしまうのならと、子供たちは純真無垢な笑顔で、お互いを見合わせる。


「じゃあ、早く戻って来たほうが幸せだね」

「そうだね。一緒にかけっこができるよ」

「友達が増える!」


 地獄とは無縁の子供たちは、ガヤガヤと話しながら廊下を歩き出した。月主命は歴史の教科書を胸に抱き、将来有望な生徒たちの後ろ姿を眺める。


「どちらで子供たちは幽霊などという言葉を知ったのでしょう? 学校では教えていないのですが……」


 地上の出来事を知らない人は、大人でも知らない単語だ。姿を現したヴァイオレットの瞳に、青空を他の宇宙へ向かう飛行船が縦の線を描いてゆく。


「ですが、もう幽霊はいません。陛下が統治後一週間ほどで、全員回収されましたからね。しかし、子供たちの夢を摘んでしまってはいけませんからね〜?」


 授業開始のチャイムが鳴り出す。カエルの被り物を片手で軽く直し、今や地球の二倍も広さがある学校を、先生は瞬間移動で担当教室の教卓へと消え去っていった。

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