神が空から降りてきた

 毎日のように近くのレストランで外食。さっぱりしたサラダをフォークとナイフで、澄藍すらんは上品に食べようとすると、コウがぽわんと音を出して、煙が拡散するように現れた。


「人間から神様になれるって知ってたか?」

「そうなの?! なれないと思ってたよ」


 奇跡来きるくだったら今ごろ、ガチャンと派手な音を出してフォークとナイフを落としているところだったが、冷製な頭脳を持つ澄藍はただ手を止めただけだった。


「どうしてそう思う?」


 落としてしまったルッコラを再びフォークに刺して、独特の香りを楽しむ。


「人は人、神様は神様でしょ?」


 同じ世界に存在できるはずがないと、勝手に信じ込んでいた人間の女に、子供の姿をしているが大人の神である、コウはどういう存在だと思って神々が生きているかを説いた。


「神様も人として生きてる。それに、心に線引きなんて必要ないだろう? それこそ差別だ」

「そうか……」


 炭酸ジュースが受け付けなくなった、澄藍は水を飲んで、物思いにふけった。


 境界線を引いていたら、神様はおそらく横暴になるだろう。人間を自分たちよりも下に見ていることになるのだから。同じ心を持っている存在だと、神は思っているからこそ、世界の境界線を乗り越えられて、人間に手を差し伸べられるのだ。


 逆に言えば、神様も心を持っていて、傷ついたり、悩んだりもするのだと気づいたものが、神界へ行ける条件をひとつクリアするのだ。


「人間だって心を磨いて、神様と並べば神界へと上がる」

「神様になる人間がいるんだ」


 おごり高ぶらないからこそ、神の領域へと行ける存在。だからこそ、本人は何も言わないから、名前もそんなことがあるとも知られていないのだ。


    *


 陛下がおわす城はどこにも見えず、あの首都の摩天楼の群れももちろんなかった。晴れ渡る空は同じ。いや少々不透明だった。神世と違って、美しさが少ない世界。


 人々は今日も集まって、あれこれと話し始める。


「悪が倒されてから、はや三年」


 頭の上に光る輪っかが乗り、背中に立派な両翼を従えた人々。地上と神界の間にある、霊界の住人であることを表していた。細く分けるのなら、神の世界へあともう少しで上がれる人々が暮らす、天使たちが住む天界。


「色々と法則が変わりますね」

「えぇ、しかし、神様のすることですからなぁ」


 家族や愛する人でも、霊層という魂の透明度を分ける数値が違えば、一緒に住むことは許されない、厳しい世界が天界を含めた霊界だ。


「そうですな。私たち人間にはどうすることもできません」


 統治者が邪神界を倒したとなると、の価値観が要求され、霊層を分ける条件が変わり、同じ世界にいた人々が別の次元へ移動することが言い渡されるなど、人の動きが激しい日々だった。


「先生、いかがですか?」


 空を見上げ、見えない神界を眺めていた男は、隣に立つ背が異様に高い男に声をかけた。漆黒の長い髪は、頭高く結い上げてもなお腰までの長さがあり、聡明な瑠璃紺色の瞳はどこまでもクール。


「私は先生ではありませんよ。みなさんと同じ人間であり、霊層です」


 謙遜する男は、薄手の白い着物のような服を風になびかせた。


「そうは言ってもですなぁ」

「生きていた頃の話です。人間である私には何の力もありません」


 死後霊界へと来て、地上よりも世界は広く、霊層というものが必要不可欠で、それがないばかりに、幽霊の自分には世界を変えることはできなかった。


 男のまわりにはいつの間にか、たくさんの人々が集まっていて、神か何かをあがめるように手を合わせて、頭を下げ始めた。


「色々と教えていただいたのは、先生のお力です」

「そうです。先生がいてくださったから、私たちはこうして、無事でここにいるんです」


 昔の名残りはいつまで続くのか。男はそう思う。そこに甘んじていては、足元を救われ、自身の発展はない。つまり、勝つ――世界を変えるために必要な霊層が上がることはない。


 それは自身で気づき、登ることだ。自分は人々に何もしていない。アドバイスはできても、最終的に変えたのはそれぞれなのだ。男は春風のように柔らかく微笑んだ。


「少しでもお役に立てたのでしたら、嬉しい限りです」

「さすが先生は有名なであっただけありますね?」


 にっこり微笑む彼の心の内では、それはもうすでに過去なのだ。ただの事実のひとつに過ぎないのだ。


「死んだのはもうずいぶん前の話です。ですから、軍師ではもうあり――」


 男の言葉の途中で、集まっていた人々の一人が空を指差し、大声を上げた。


「あ、あれは!」

「誰かが降りてくるぞ!」

「あれは神様ではないのか?」

「神様が人間の世界に来るのか?」


 次々に人々の意識は空から降りてくる、光り輝く二人の人物に集中した。希望の光が人々に降り注ぐように地面に降り立つと、貴族服を着たウサギと人間が同じ背丈で、漆黒の長い髪をした男へと近づいてくる。


 人々は威厳と神聖を肌で感じ取って、モーセが海をいたが如く左右に分かれ、貴族服の人たちと男との間に道を作った。


 話ができるほどそばへやって来ると、ウサギの耳が前へお辞儀して折れた。


「失礼します」

諸葛亮孔明しょかつりょうこうめいでよろしいですか?」


 人間の形をした神に、男は生きていた時の名前を言われた。聡明な瑠璃紺色の瞳は隙なく神ふたりを見つめる。


「はい。ですが、の名は死んだと同時に捨てました。ですから、現在は諸葛孔明です」


 警戒心は自然と出る。邪神界の上層部は神の領域だったと聞いた。新しい統治者が人々の幸せを考えているとは限らない。


 ウサギはにっこりと微笑み、深々と頭を下げた。


「さようでございますか。失礼いたしました。それでは、改めまして、諸葛孔明、陛下がお呼びでございます。神界の謁見の間へご同行願えますか?」


 孔明と呼ばれた男は、クールな頭脳の中で自分の秤にかけた。


(部下の言葉遣いと態度がきちんとしている。神であっても、人間の意見を問うている。陛下は人々の幸せを考えているという可能性が非常に高い。自分の欲や地位のために上に立つ者の部下は横柄になり、身分で人を差別して、相手の意思を無視する傾向が強い。そういう政治は長く続かない。話をする価値は十分にある)


 ここまでの思考回路、0.01秒。孔明は足をそろで、陛下の部下に頭を深々と下げ、


「はい、かしこまりました」


 すると、神の力であっという間に、神界にある城の謁見の間へ連れて行かれた。


    *


 瞬間移動をかけられた孔明としては、さっきまでいた霊界とは違って、暖かな柔らかい空気が自分を包み込み、どこかの聖堂かと思うような高い天井がある建物の中にいた。


 真紅の絨毯の先には立派な玉座。その両脇には、獅子が前足を上げ立っている堂々たる姿が描かれた国旗が掲げられていた。


 洋風の甲冑を着た男が肘掛にだるそうにもたれかかり、こっちをじっと見ていた。生前や霊界での経験を生かし、孔明は絨毯の上に最敬礼でひざまずく。


 すると、高い声を無理やり低くしたような男の声が、臆することなく響いた。


「そなたのことは以前から聞き及んでいる」

「身に余る光栄でございます」


 お礼はするが、それで浮かれるような自分ではない。何の用件で呼ばれたのかと思いきや、陛下がおっしゃったのは驚きの内容だった。


「私はそなたを神の域へと上げたい。しかし、その前に、お前たちに聞きたい。この者の評価はどうだ?」


 絨毯の両脇にずらっと並んだ重鎮たちに陛下の視線を向けられた。すると、一人がサッと手を上げた。


「はい」

「申せ」

「人間として生まれましたが、神にも勝る頭のよさです」


 品定めといったところだろうと、孔明は思った。


「はい」

「申せ」

「反則と言っても過言ではありません!」


 謁見の間がざわざわとし、他の部下たちも同乗した。


「はい」

「申せ」

「ここまで頭の切れる人物は、神世でも存じ上げません」


 百点満点どころではなく、千点満点だった。陛下は足を堂々たる態度で組み替え、重鎮たちを見渡す。


「他は?」

「…………」


 さっきまでの活気はなくなり、人々の視線は孔明がいる絨毯に雪崩れ込む漆黒の長い髪に集中していた。


「ないか?」

「…………」


 あとから来た者を取り立てる。それは先にいたものにとっては、少々気になることであって、陛下はそれを考慮して、部下たちの意見も聞いたのだった。


「それでは、この者を神の領域へと上げる」


 謁見が終わってしまうような流れになり、絨毯を見つめたままの孔明の瑠璃紺色をした瞳は少しだけ大きく見開かれた。


(陛下のご意思はどこにあるの? みんなの意見だよね? それとも……)


 陛下の話の順番に、どうもきな臭い感じが漂っていた。


「お待ちください」


 孔明はサッと立ち上がって、陛下の瞳をじっと見つめた。それでも、皇帝は動じることもなく、ただただ椅子に腰かけている。


「何だ?」

「なぜ、陛下は私のことを神の領域へと上げるとご判断されたのですか?」


 もうすでに駆け引きは始まっていたのだ。感覚の人間であれば、質問を投げかけ続ければ、相手の情報は手に入る。


 しかし、相手も駆け引きができるとなると、質問するのは愚策。自分の聞きたがっている内容が情報として渡ってしまうのだから。もちろん余計なことを話すのは論外。


 つまり陛下は理論の人なのだ。そうなると……。


 ここは素直に聞かないと、負ける可能性が一気に上がってしまうと、孔明は踏んで陛下へ問いかけた。そばに控えていた部下は、孔明と陛下の駆け引きが何なのか知らず、人間から神へ今上がったものを、いさめようとした。


「これ、失礼が過ぎ――」

「構わん」


 陛下は相変わらず、肘掛にだるそうにもたれたまま、声の威圧感だけで部下を呈した。


「は、はい……」


 お付きのものが戸惑い気味に返事をすると、重鎮たちの視線は二人に集中した。陛下が噂話を鵜呑みにしていないことが明らかになる。


「記憶が定着してからの、全ての物事を覚えており、そこから可能性を導き出して、世のため人のために策を投じ、人々に幸せをもたらした。そなたの策は完璧だった」


 孔明の功績を全て知っていると言うことだ。しかもそれは、純粋に策だけを見ればの話をしている。孔明は食い下がった。


「しかし、私の戦略ははずれ、戦いの全てに勝利はしていません。なぜ、このようなことが起こったのでしょう?」


 知りたかった、孔明は長い月日知りたかった。それでも原因は死んで突き止めた。神である陛下には、人間である自身の心の声は今も聞こえているだろう。


 陛下は自身が予測した通り、孔明はそこを知りたがった。今の態度からして、本人は未だ対策が生み出せない。頭脳の人間には頭脳を持って制する。忠誠心を得るには、孔明の求めている答えを告げることだ。


 陛下は少しだけ珍しく微笑む。


「そなたのその考え方ならば、人間同士では十分通用する。右に出るものはおるまい。しかし、そなたは大切なことをひとつ忘れていた」

「どのようなことですか?」


 孔明はそう聞いて、ゴクリと生唾を飲み込んだ。自分がずっと考えてきたことだ、あの策が破られ、それに対してどんな対策をするべきだったのかが未だにわからないのだ。ここへ話を仕向けた陛下ならご存知だろう。


「この世界で大切なことは策ではない。心だ。人間のそなたが思ったこと考えたことは、そなたよりも霊層が上の霊や神の域のものには筒抜けだ。人を幸せにしたいと望んでいるそなたを、邪神界のものが邪魔するのは当然だ。そなたの作戦が失敗に終わるように、地上にいる人間を動かした。それは、この世界のものとっては簡単だ。つまり、そなたは考えていることを隠すべきだった――」


 自分の中で考えて、勝つ可能性の高いものを選び取れば、それは霊的な存在には次に取る言動が筒抜けなのだ。思考回路を隠す。それでは思案できないのでは?


 会いたいと思っていた人物は陛下だった。聞きたかった答えを持っているのも陛下だ。孔明は恐れ多くも正直に質問した。


「陛下は私と同じように、地上で生きていたと伺っています。戦争を指揮する王として生きていらっしゃたとも聞いております。しかし、私のように負けることはございませんでした。邪神界に知られないために、どのような方法を用いたのですか? 神としてのお力を使われたのですか?」

「肉体を持った神はどこにも存在しない。私はそなたと同じ条件で指揮を取った」


 輪廻転生を陛下も繰り返し、下々のものの苦しみや人間としての死の恐怖、そうして邪神界――悪の感情を知っているからこそ、どこまでも強く優しくいられるのだ。


「それではなぜ?」

「それはこう考えていたからだ」


 こうして、陛下の口から、孔明が一番聞きたかった情報がもたらされた。


「あれがこうで、そうがああだから、こうする――だ」


 自分の記憶力なら、指示語に置き換えても、何を意味しているのかわかる。それを陛下もしていて、数々の戦いに勝利したと言うことは、自分を超えているのだ。孔明は跪いて、こうべを深く垂れた。


「参りました。陛下にお慕い申し上げます」


 自分が負けたのだ。それなのに、陛下はやはり他の上に立つものとは違っていた。


「これからは、お前の望むことをするがよい」

「暖かいお言葉ありがとうございます」


 孔明はさらに頭を深く下げた。場が静かになると、神世の住人となったと男から、天使の証である光る輪っかも立派な両翼の翼も消え去った。


 もうここにいる誰にも自分の心はのぞかれなくなり、神――平等となった。孔明は謁見の間から速やかに出てゆく。


(恐怖政治は続かない。人々を従わせるには言葉でなく、行動で示すほうが伝わる。だから、陛下は僕の職業を命令しない)


 自分と入れ違いに、次の順番の人が呼ばれ陛下の前へ歩いてゆくのを背中にして、孔明は城の広い廊下を見渡した。


(ボクが神様? 神様の世界はどんなところなんだろう?)


 制服も様々なものがあり、人間だけでなく、他の種族も当たり前のように話して、笑っている世界。それに違和感を持っている、新参者の自分はまだまだ心を磨かなくてはと思う孔明だった。


 散策する。どんな政治形態なのか、どんな人々がいて、どんな話をしているのか。白い薄手の着物はフラフラと廊下を歩きながら、精巧な頭脳に記録しながら、自身の名前について考える。


(亮って漢字の意味は、明るい。ボクの名前は、孔明。重複表現だと思う)


 歩いても歩いても廊下が続き、終わりがこない広大な城。さっきすれ違った人の話では、陛下の家だけでも地球五個分あるとという、桁違いの場所。


(それに、亮の漢字のもうひとつの意味は、まこと誠実。ボク、策が成功するためなら、嘘はたくさんつくんだよね。ボクにあってないと思う……。だから、死んでからやめちゃった)


 大きな噴水があるエントランスへやって来て問題に出会した。あの出入り口を出れば、普通の生活が待っている。いきなり神界へ来てしまった孔明は家もなければ、家族もいない。知り合いがいたとしても、探す術がない。荷物が何もないのだから。


 案内所へ行こうとすると、親切な女性の声が抜群のタイミングで背後からかかった。


「孔明様?」

「はい?」


 振り返ると、クジラの女性が空中に浮かんでいた。神様が差別などおかしいと思うが、目の当たりにすると、やはり多少は驚くもので、孔明は海の生き物だった人たちは、空気中でも泳いで移動するのだと判断した。


 クジラの女性は小型コンピュータを小脇に抱えて、そこで情報を管理しているようだった。


「どなたかご家族などを、今後迎えるご予定はございますか?」

「いいえ、一人です」


 孔明は漆黒の長い髪を横へ揺らした。霊界は霊層ごとに住む世界が違う。死ぬ時は一人とよく言うが、本当に一人で暮らしてきたし、元に戻ることが自分も含め生前の親族の幸せにはならないと、客観的に思う。だから、家族はこの先もいない。


 地上では人々に狩られたことあるだろう、クジラの女性は気にした様子もなく、小型コンピュータを慣れた感じで操作した。


「そうですか。それでは、お一人の屋敷をこちらでご用意いたしますが、何かご希望はございますか?」

「そうですか。費用はいくらですか?」


 人として当然の質問だったが、クジラの女性はこっちもこっちで当たり前に返した。


「このような状況ですから、当面は城のほうで費用は負担します」

「そうですか」


 時間を稼ぐための相づちをついて、神をも唸らせる聡明な頭脳を素早く回転させる。


(それではいつか国も傾く……。それとも、人々の忠誠心を得るため、もしくは、人々の幸せを心から望んでいるため? それでも、勝算がないと……)


 城で働いているものである以上、クジラであろうが仕事はテキパキと早く、話がまだ途中の孔明に戸惑い気味に聞いてきた。


「あ、あの……?」

「えぇ」


 霊界から神界へやってきて人の世話はもうずいぶん前からしていて、クジラの女性は孔明の心配事をすぐに解決した。


「地上とは違ってですね、経済はお金ではないんです。物々交換が当たり前ですから、費用はあまり気になさらなくても大丈夫ですよ」

「そうですか」


 孔明は表情に出さずうなずいたが、彼の心の中では革命が起きた。


(ボクの概念が通じない世界……みたいだ。勉強しがいがある)


 クジラの女性がコンピュータの画面をタッチすると、


「こちらの物件はいかがですか?」


 ふたりのそばの空中にホログラム式の画像が表示された。しかしそれは、クジラと孔明の両脇を通り過ぎてゆく人々には見えない、高度技術の為せる技だった。


    *


 綺麗な秋空の下に、孔明が突如現れた。都心から瞬間移動をして、今まさにこれから自宅となる建物の上に浮かんでいた。


「ボクは人が多いところがあまり得意じゃないんだよなぁ〜」


 地上での古いつくりを再現したのが売りの物件で、木のような素材でできた引き戸を開け、死んでから気づいた薄暗くてもよく見える目で、まっすぐ縁側へ向かって歩いてゆく。


 そうして、ガラス窓を開け、雨戸を全開にすると、黄金色の尻尾のように揺れるススキ畑が目の前に広がった。


「自然がいっぱいあって、とても住みやすそうだ。遠くに山も見える」


 たとえ首都であっても、町全体の景観を崩さないにように、建築業者もデザイナーも国家の部隊も最善を尽くすため、自然を十分楽しめるように、隣の家との感覚が広く取られていた。


 街へ買い物に行くにも、交通の便を気にする必要もない。瞬間移動ができるのだから、所要時間ゼロ分でこの宇宙ならどこへでも行ける。


 生きていた時のように、両腕で頭の後ろを包み込み、孔明は縁側に仰向けに寝転んだ。足を組んで、浮いているほうをぐるぐると弄ぶ。


「ん〜〜? どうしよう? ボク、仕事何しようかな?」


 自然がたくさんなのに、首都らしく別の宇宙へ飛んでゆく飛行船が銀の線を斜め上に向かって引いてゆく。


「やっぱり、理論立てて考えることは好きなんだよね。城で陛下に仕える?」


 貴族服を着て、あの城の大きな廊下や謁見の間で忙しく働く人々を思い出した。


「でも、みんな政治手腕にけてる。何より、陛下が一番長けてて……」


 孔明はサッと起き上がって、片膝を立てて、城からプレゼントされた扇子せんすで顔を仰いだ。


「統治者が変わると、前の統治者や制度から変わりたくない人も出てくるんだよね。それって不穏分子。それを放置すると、政治がひっくり返されちゃう」


 神界にも邪神界はあり、五千年も続いたあとの、三年後となると、まだまだ世の中は不安定で、いくら神様でも人々の暮らしは混乱することも多少は起きている。


「そうなると、たくさんの人が迷走してしまう可能性が上がる。何の罪もない人が幸せでいられなくなる。ボクはそれが一番起きてほしくない」


 ただ普通の暮らしをしたいだけなのに、政治情勢に左右されてしまう民。それを見ているだけで、何もしないような人間は神代に招かれるはずがなかった。


「でも、陛下はその辺の対策も十分されてる。特別任務を行う、聖獣隊せいじゅうたい。メンバーを調べてみたけど、神様でも上層部にいた優れた人材ばかり。忠誠心もきちんとあって、うまくできた組織」


 せっかくの城へ訪れた機会だ。情報を得るにはうってつけ。孔明は間違った振りをして、あちこちの部署に行っては、人々に罠を仕掛けて、政治体制を調べてきていた。抜かりなし。


 仰いでいた手を止め、扇子を手のひらで綺麗に畳んだ。


「というわけで、陛下の元でのボクの仕事はない。平和である限り、戦争もないし、軍師もいらない」


 生きている間、好きでなった職業ではなかった。だからこそ今、陛下がおっしゃってくださった通り、本当に望む仕事をと思い、孔明はサッと立ち上がった。


「ボク、ずっとやりたかったことがある。だからそれをやる!」


 大きく右手を上げて、ススキ畑に響き渡るように大声で言った。


「私塾を開こう!」


 すると、孔明の姿はすうっと消え去り、今度は屋根の上で寝転がっていた。天井も柱も視界をさえぎるものがない青空を見上げる。


「ん〜? まずは何が必要かなぁ〜? それを考えなくちゃ!」


 廊下を歩いている間に、他の人々が手にしていたものや、聞こえてきた話からピックアップする。


「携帯電話。パソコンが操作できるようにならないと、難しいかも? 車が欲しい。ボク乗ってみたかったんだぁ」


 肩肘で頭を支え、手持ちぶたさを感じる。


「それから、せんべい! とびっきり硬いやつ! これはデパートかな?」


 中心街には、高級品を扱う大きな店があった。人々がそこを指差して、デパートと呼んでいたのを、孔明はもうすでに覚えていた。


 新参者の自分を売り込む方法が必要不可欠の事業。自分を知らない人など数え切れないほどいる神界。それでも、孔明には少々の勝算はあった。


「宣伝は陛下がボクを呼んだことで、効果はもう大きく出てると思う。足りなかったら、やっぱりネットかな? それとも、どこかに宣伝する組織とかあるかな?」


 行政に関しての総合案内所が設置されているのは確認してきた。向上心をもっている人ばかりが暮らす世界では、誰かの役に立つために何をすべきか常に考えられていて、その対策も人間界よりはるかに早かった。


 孔明は屋根の上に力なくくたっと寝転がった。さっきまでそばにいた人々には今は会うことも叶わず、一人きり来てしまった世界で、少しだけ疲れが出た。


「でもまずは、眠くなっちゃっから、ふわぁ〜! 寝よう。お休み〜。むにゃむにゃ……」


 ススキの間を駆け抜けてくる秋風に、健やかな寝息がにじんだ。太陽がないのに、西の空がオレンジ色に染まってゆく。


    *


 配偶者が会社役員をしていた事業は失敗し、都心のマンションから田舎へ引っ越すこととなった。澄藍すらんは段ボール箱に荷物を詰めながら、掃除機をかけている。


「孔明が見つかったぞ!」


 コウの嬉しそうな声が響きたが、澄藍は興味なさそうに手を休めない。


「はぁ? 誰それ?」


 初めて聞いた名前だ。コウは小さな手で、澄藍の頭をぽかんと叩いた。


「歴史をやってこなかったから、今ごろつまずくんだ!」

「歴史上の人物ってことか……」


 彼女は痛みも感じることなく、掃除機を止めた。


「諸葛亮だ! 頭が飛び切り切れる軍師だ!」

「ん〜? 日本人じゃないね、その響きからして」


 ますますわからない。どれが苗字でどれが名前だと、澄藍は思った。


「お前がさけた、刀でバッサバサ切るゲームによく出てるやつだ」


 買っていないものを後悔しても仕方がない。澄藍はデジタルに対処して、名前も聞いたことがない人――いや、コウが話しているのだから、


「細かいことは置いておいて、神様になれたってことは、みんなの幸せを祈った人だってことだよね?」


 心の澄んだ素晴らしい人なのだろうと、澄藍は思った。コウは何も乗っていない机の上に座り、短い足を組んだ。


「当たり前だ! 頭のよさだけで、神様になれるわけがないだろう」

「なるどね。ネットで調べてみるか、どんな人か」


 ポケットから携帯電話を取り出し、澄藍は手で操作する。出てきた記事を適当にタッチして、スクロールしてゆく。


「ん〜? 何だかよくわからないけど、いろんな作戦を考えたんだ。オッケー」


 どんな作戦名だったとか、そんなことを見ずに、ゲームの画像を視界の端でチェックして、ポケットに携帯電話をしまった。


 恋愛シミレーションゲームに出ていたモデルの神に対しては、ウキウキで調べていたのに、この態度の変わりようったらなかった。


「お前、孔明に興味ないな?」

「かなり頭がいいのはわかった」


 澄藍は掃除機のスイッチを再び入れて、作業を始めた。コウはどれだけ頭がいいのかを、彼女が感嘆するように伝える。


光命ひかりのみこと月主命るなすのみことと基本的には同じだが、レベルが違うぞ。神様たちが絶賛したくらいだからな」

「うんうん」


 振り向きもせず、引越しの作業をしている女に、コウは神様代表として威厳を持って宣言した。


「お前のために、朗報を伝えてやる」

「何?」

「こんなこともあるかと思って、お前が買った恋愛シミレーションゲームに、孔明がモデルのキャラが出てる」


 ピタリと手を止めて、まだ封をしていない段ボール箱へ移動して、澄藍は入れたゲームソフトを片っ端から取り、床に並べた。


「どれどれ?」

「これとこれだ」


 コウの小さな手が、ジャゲットのイラストを指差す。無精ひげを生やして、四十代ぐらいに見える男はどこにもいなかった。


「あれ? ひげはやしてないし、こう男っぽい感じしないね」


 生きていた頃の肖像画ともまったく違う、さわやかに微笑む十代の青年がいた。コウは恋愛シミレーションゲームの絵に本人はよく似ていると、理由を説明する。


「それは、地上で生きていた時の見た目だろう。魂だけになったら、見た目が違うのは当たり前だ!」

「好青年で、柔らかい笑顔をしてる……」


 ピンクの前髪が長めで、若草色の純真な瞳。しかも、どうやらオタクキャラだった。コウはその見た目こそが、罠なのだと明かす。


「そうじゃないと、人が疑って、罠がきちんと張れないだろう」


 木を隠すなら森の中。好青年だからこそ、策士には見えないと言うことだ。澄藍はパッケージを裏返して、


「でもさ、軍師だったんでしょ? 恋愛に軍師は関係なくない?」


 決めつけたら負ける。相手は決めつけないプロなのだから。


「お前のその考え方じゃ、孔明のキャラが話してくる会話は全部普通に聞こえるだろうな?」


 死ぬことのない神界では、相手にわかるように罠を仕掛ける月主命がみたいな人物がいても構わないが、孔明は命という再生不可能なものがある、この世界で死と隣り合わせで生きてきた人物である。わかるように罠を仕掛けてくるはずがない。


 澄藍は孔明がモデルになっているキャラクターをじっと見つめる。


「え……? 恋愛を命がけの戦争と同じに考える……? 感情を数字にする? どうなるんだろう?」


 恋愛シミレーションゲームみたいに数値化できれば、世の中片思いで悩む人はいないだろう。それができないから、人は悲しんだり失敗したりするのだ。


 この時点で思いつかないということは、数字に強いはずの澄藍の頭脳でもついていけないこと間違いなし。コウはダンボール箱の中に子供が遊ぶように入る。


「いいから、やってみろ」

「そうしよう」

「じゃあ、また――」


 銀の長い髪と青と赤のくりっとした瞳が消えかけた時、澄藍は手を大きく上げた。


「ちょっと待って! 大人は一人で神界に暮らせるけど、子供も上がってくるよね? そうなったらどうするの?」


 霊層とは年齢に関係ない。心の透明度は年齢ではない。有名だから、神様になれるということもなく、名が世に知れぬ子供がすでに、どうなっているかを、コウはすんなり言った。


「大人の神様の子供になる」

「え? 養子ってこと?」


 物質界の感覚ならばそうなる。しかし、コウは少し声を張り上げた。


「違う! 結婚の儀式については話しただろう?」

「あぁ〜、魂を入れ替えるから、夫婦でも血がつながってるのと同じだって」


 澄藍は憧れた。自分に旦那の男性神はいるが、地上に生きている以上あくまでも自分は人間だが、魂がつながっているというのは、心強いものだ。


 コウはこくりとうなずく。


「そうだ。養子の子供にも、親の魂を入れる。だから、本当の子供だ」

「素晴らしいね。神界は」


 机の上の埃を指先で拭って、ふっと息を吹きかけ、日差しの中でキラキラと舞うのを眺めながら、澄藍は珍しく微笑んだ。


 幸せがたくさん詰まった神様の世界。たとえ、養子であろうと、差別をしない神様なら、同じように接するのだろう。しかし存在さえも平等にしてしまうところが、やはり神の仕業だ。


 コウの上にホコリが降り注ぐが、全て彼を素通りして、現実世界の机の上に降り積もる。 


「地上での親子関係にいつまでもこだわってるやつは、神界には上がれない。そっちは修業の場なんだからな。本当に合うやつが家族とは限らない。もちろん、本当に合ってるやつもいるけどな」


 明日には、澄藍の見上げる空は、ビルに囲まれたものではなく、遠くまで見渡せて、山脈が見えるようになる。自分たちは飛行機で移動するが、荷物は貨物列車に乗せられるため、三日後にならないと再会できないのだった。

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