気づいた時にはそばにいた

 陛下がおわす城に隣接する、女王陛下の姉妹たちが暮らす屋敷の庭で、午後のお茶を楽しむ夫婦が二組いた。

 天使が祝福するようなキラキラと輝く光の中で、よく似た女がふたり。生まれたての子供を抱いて微笑み合う。

「可愛いわね〜、赤ちゃんって」

「えぇ。三日違いで生まれるなんて、強い運命を感じます」


 紺の長い髪と深緑の短髪を持つ子供がそれぞれの母親の腕の中で、優しくゆったりを抱かれている。夫たちは写真を撮っては、仲良く話し笑みをこぼす。


 カメラのタイマーをセットして、夫二人は母と子に近寄ってきて、


「きっと仲良くなるわ。夕霧とひかりは」

「そうして、元気にすくすくと育って欲しいものです」


 ふた家族六人で初めての思い出づくりが始まった。やり直しという、記憶を失った特殊な時空の中で。


    *


 女王陛下が校長先生を務める、姫ノかんはちょうど授業を終え、たった二クラスしかない二年生の教室では、生徒たちがそれぞれ休み時間を迎えた。


 深緑の短髪を持つ夕霧命ゆうぎりのみことに、紺の長い髪をしている光命ひかりのみことは素早く近寄って、去年習った言葉を巧みに使い、夏の日差しが窓から入るのを眺めた。


 テストもないこの世界の学校では、宿題ももちろん出ない。ただ自分で課題を見つけてくるという自主性が重視される。


「夏休みの宿題は決めたかい?」

「まだだ」


 無感情のはしばみ色をした瞳が横へゆっくりと揺れると、光命の綺麗な唇からこんな話が出てきた。


「君がその言葉を言うのは、これで三十七回目だ」

「いつから数えていた?」


 夕霧命は不思議そうな顔をしていたが、小さな光命はそれを気にした様子もなく、彼の物差しで答えてしまった。


「去年の七月十五日月曜日、十一時十五分二秒からだ」

「お前の頭はどうなっている?」

「どういう意味だい?」


 あどけない水色の瞳とはしばみ色のそれは一直線に交わったまま、チャイムが鳴るまで動かなかった。一気に成長した十八歳の時の記憶は完全になくなっている証拠のやり取りだった。


    *


 夕霧命の家にある広い芝生の上で、二度目の夏休みを迎える子供たちを見ながら、母親たちは楽しそうに横座りをして、アフタヌーンティーを楽しんでいた。


「夕霧ちゃんは落ち着いてるわね。いつ見ても」


 ずっと同じ場所に座っていて、自分で決めた夏休みの宿題――切り絵をしている無動のはしばみ色の瞳が動くことはほとんどなく、飽きることもなく、絵を完成へと向かわせていた。


「そうね。ほどんど動かないし、ひとつのことを淡々とこなすのが向いてるみたい」

「光はまったく逆ね。何か気になるものがあると、そこへすぐに行って、調べ物をしているみたい」


 対する光命の夏休みの課題は、身の回りにあるものを理論に変更するという、彼らしい宿題だった。


「ふたりともそれぞれ個性があっていいんじゃないかしら?」

「そういえば、さっきから姿が見えないわね。どこへ行っちゃったのかしら、光ったら」


 個性である以上、髪が肩より十センチ長いのが当たり前の我が子――光命はお茶だというのに、子供らしく何かに夢中で、気づくと大抵そばにいないのだった。


 母親同士が話していることを、さっきまで背景みたいにして聞いていなかったが、夕霧命は手を止めて、地平線を描くほど広い庭を見渡す。


「どこへ行った?」


 学校でもそうで、気づくと光命はそばにいないのだ。他の人から見ると、何をしているのかと首を傾げるようなことをしているが、理由を聞くと納得させられる。


 無感情のはしばみ色をした瞳は、自分と背丈が変わらない従兄弟を茂みの近くで捉えた。


「何をしている?」


 誰もいない場所で、そこに子供が好きな遊具があるわけでもなく、それどころか興味を引くようなものはない。夕霧命が眺めている先で、光命の小さな体は円を描いているようだった。


「さっきから同じところをぐるぐる回っている……」


 自分も滅多に行かない場所だが、そこに何があるのか思い出した。


「あれは小さな池だ」


 切り絵を風で飛ばされないよう本の間に挟んで、夕霧命が芝生の上を歩き出すと、母親たちのおしゃべりが背後でどんどん小さくなっていった。


    *


 七五三で履くような立派な革靴は子供の足の大きさで、さっきから池のまわりに置かれた石の不安定な上を一生懸命歩いていたが、足元がフラフラし出して、靴は滑り落ち、


「うわっ!」


 光命は驚き声を上げて、池の中にジャボンと落ちた。小さな王子様みたいな服はあっという間に水に濡れて、綺麗な紺の髪までびしょ濡れ。


 尻餅をついたまま、くりっとした水色の瞳は池の水面が激しく揺れているのを見下ろした。


「いや、こんなことになるなんて……」

「手を貸す」


 自分とは違って低い響きを持つ子供の声が聞こえると、小さな手が差し伸べられていた。いつも自分が何か失敗すると、こうやって助けに来る人がいる。それが従兄弟だ。


 光命は池から片腕を出し、その手をしっかりつかんだ


「あぁ、夕霧、ありがとう。君はいつも優しいんだね」


 屈託のない笑みをする従兄弟を、夕霧命は引っ張り上げた。神の世界で暮らす人々は小さな子供でも、困っているのなら助けるという精神だった。


「当たり前のことだ。何をしていた?」


 今回の従兄弟の失態は何なのか、単純に気になった。どんな回答を返してくるのか、ただ気になった。


 すると、光命はあっという間に乾いてゆく服の乱れを直しながら、まだ揺れている水面へ振り返った。


「この池のまわりを何歩で歩けるかの平均を取っていた」

「一学期に、学校で教わったやつか?」


 汚れるという概念も現象も起きない神世だからこそ、親にどこで遊んできたのかと叱られることもない。子供の探究心が何かに邪魔されることもなく、実現する世界。


 夕霧命とは違って、光命が勉強熱心なのは知っていたが、他の人と違っているようなのだ。


「そうだ。教わったんだから、僕も何かで試してみたくなったんだ。データが多いほうが正確さは増すだろう? 今で池のまわりを回るのは、百七十八回だったんだが……」

「紙に書くのも大変だ」


 晴れ渡る青空を見上げて、夕霧命はため息をついた。その幼い横顔に、光命は問いかける。


「なぜ、紙に書く必要があるんだい?」


 百七十八回分だ。夕霧命はまだ光命の精巧な頭脳の全てを理解していなかった。


「どういうことだ?」

「覚えているじゃないか」

「覚えている?」


 単純に自分が覚えていることを、光命は従兄弟に教えたかった。ただそれだけ。自慢するとかそういうことではなく、事実は事実だと伝えたかっただけ。


「だってそうだろう? 一回目は十歩で……」


 こうして、夕霧命は従兄弟の頭の中にある、百七十八回分の歩数を聞かされることとなった。その間鳥が空を飛ぼうが、宇宙船が離陸しようが、ふたりにとっては蚊帳の外だった。


「……百七十七回目は、十二歩。途中で池に落ちたから、百七十八回目のデータはまだない。だから、全ての歩数を足し算して、百七十七回で割ると、平均は11.4歩だ」


 長い説明は終わり、夏休みの暑い空気が再び色鮮やかにふたりの間に戻ってきた。夕霧命はたった一言で終わりにした。


「お前は頭がよすぎだ」

「どういうことだい?」


 あごに手を当て、思考時のポーズを取っていた光命は、しかめっ面を解いた。


「普通は覚えていない」


 小さい頃から光命は人と同じだと思っていた。しかし、まわりの人の反応がおかしいとも気づいていた。何か理由があるという可能性があると思っていたが、今日その可能性が八十二パーセントを超えた。


 だから、従兄弟の話も受け入れて、紺の長い髪を縦に揺らし、納得した。


「そうか……僕は人と違っているんだな。だから、クラスの他の子たちが不思議そうな顔をしていたんだな」


 光命には感情がある。夕霧命にはないが、従兄弟にはある。小さい頃からを見ていたからわかる。冷静な頭脳で抑えているが、傷ついたりしていると。だから彼は落ち着き払った様子で言葉を添えた。


「それはお前の個性だ。気にすることではない。だが……」

「だが?」

「お前は平均に囚われすぎだ。そんな小さな池を何周も回ったら、目を回して池に落ちる」

「その可能性を導き出せなかったのが、今回の失敗だった」


 何を言っても、従兄弟はどこまでも冷静で、ただただデジタルに次の対策を取るために記録しているだけなのである。


「人は失敗しながら学ぶものだと、先生がいつか言っていた」

「それは、去年の六月一日土曜日、算数の授業の時だ」


 また人より細かく答えてきていた。光命は彼のスピードと方法で失敗を乗り越えてゆくのだろうと、夕霧命は思い、少しだけ目を細め、何も言わず珍しく微笑んだ。


 ひとまずの研究結果に満足して、光命は芝生の上を歩き出した。


「君の意見はいつも参考になる。僕が気づかないことを君は教えてくれる。君が従兄弟で本当によかったよ」


 いつだって従兄弟は他人に感謝をすることを忘れない。神様を信じていて、その下で光命は生きていて、自分もいるとは思っているが、そこまで信仰しているわけではない。しかし、心地よい言葉だ。夕霧命はゆっくりとあとを追いかける。


「それはこっちのセリフだ。俺が思いもつかないことを、お前はする」

「教会で言ってたんだ」

「説教ってやつか?」


 一緒にいない時のことも、よくお互い話して、知らないことがないほど仲がいい、たった三日しか誕生日が変わらない従兄弟同士。


「そうだ。どんな人間関係にも運命というものあるし、相性というものはある。僕と夕霧に神様がそれらを与えてくださったから、お互いのすることが相手のためになるのかもしれない」


 この世界は神の慈愛に満ちていて、光命には全てが輝いて見えた。ピアノが好きな音楽肌らしく、美的センスのルネサンスに包まれている従兄弟の紺色をした長い髪を、感情を一切交えない淡々とした生き方をしている、夕霧命はいつものように追いかける。


「お前は何でも難しく考えすぎだ」

「そうかい?」


 後ろ向きで光命は歩き出した。転ばないという可能性が高いと踏んでいるのだろう。夕霧命は単純明快シンプルな回答をした。


は、だ。事実は事実だ。それ以上でもそれ以下でもない」

「そこから、可能性や何かを導き出すから、生きていることは楽しいんだろう?」


 相手を変えたいとは思っていない。ただお互いの意見を言い合う。そうして、夕霧命は相手を受け入れたいのだ。


「お前はそれでいい。それがお前だ」

「そうだな。君はあの芝生の上でじっとしているのが、君らしいってことだ」


 光命から見ると、夕霧命はそう見えるようだった。何かに夢中になっていても、自分と違ってまわりの情報をもちゃっかり収集している光命。無感情のはしばみ色をした瞳はまた細められた。


「そうだ」


 細い腕を組んで、光命は正面を向いて、ぶつぶつと思案し続ける。


「違っているのに共感できるというのは、どういう理由がそこに存在するんだろうな?」

「考えるな」


 この従兄弟ときたら、さっき池に落ちたことはデジタルに切り捨てて、好きな思考回路にまた酔いしれている。言っても聞かないのだろうと、夕霧命は珍しく再び目を細めた。


    *


 大きなコンサートホールでたくさんの観客の前に、黒いグランドピアノが音色を人々に響き渡らせていた。


 激しい雨を表すような十六分音符の六連符。雷鳴のように不規則に入り込むフォルティッシモの高音が、紺の長い髪を持つ十一歳になったばかりの、中学一年生の両手で奏でられてゆく。


 天才という名がふさわしい少年が、両手を飛び跳ねるように鍵盤から離すと、曲はフィナーレを迎え、会場から拍手喝采が上がった。


 全体的に線の細い従兄弟が演奏を終えて、お辞儀をしているのを、無感情のはしばみ色をした瞳が頼もしげに見つめていた。


 コンクールは表彰式まで終了し、ロビーは親子連れでごった返していた。その中で、順調に背丈が伸びている夕霧命は、人々に囲まれ、カメラのフラッシュを浴びているている一位を取った子に近づいていった。


「光、コンクール一位おめでとう」


 テレビ局のカメラや雑誌の記者は仕事を終えたというように、光命から去っていった。緊張の多かったコンクールだが、いつも通りの従兄弟を前にしてほっとし、光命は上品に微笑んだ。


「ありがとう。君のことを思って曲を作ったんだ」

「感謝する」

「でも、僕と君は違うところが多いだろう? だから、弾きこなせるようになるまで、いつもよりも練習を多くした」


 表現をするためには、それを演じる力も必要なのだと、すでに学んでいる将来有望なピアニストは、また理論を披露した。


「何回増やした?」

「五十二回だ」

「相変わらずだ」


 花束に埋もれた光命はコンクールのたびに祝ってくれる従兄弟に、自分も同じことをしたくなった。


「君は何か習い事はしないのかい?」

「思いつかない」

「いちばん好きな教科は?」

「体育だ」


 乗馬はするが、どうも学校の体育は得意とは言えない光命。あごに手を当てて、思案し始める。


「体を動かすことか。そうだな? 水泳なんかはどうだい? イルカの先生が教えてくれる塾があるって聞いた」

「参考にはしてみる」


 嘘をつかない従兄弟が光命は好きだった。やらなければ、やらないだ。しかし、いつかは夕霧命を光命は今日彼がしてくれたように、応援する立場になりたいと願った。


 お手伝いさんが花束をリムジンへ運び出した。


「今日、コンクールで一位を取った記念にお祝いを家でするんだ。夕霧も来ないかい?」

「邪魔する」


 荷物はすぐに運び終え、光命は近所に住んでいる従兄弟に振り返った。


「それじゃ、一緒にうちのリムジンで帰ろう?」

「家に連絡する」


 中学生でも親に連絡をしないで、従兄弟の家に行くのは、しつけが厳しい家庭で育っている夕霧命には許されていなかった。しかし、それはいつものことであり、光命は何が起きているか予測済みだった。


「僕の母親がもう連絡している可能性は99.99%だから、する必要はないかもしれないよ」


 いつも自分たちだけの秘密だと思っていることが、母親二人まで知っている。しかも話題にして、楽しそうに笑っている姿を二人とも見てきた。


「そうだ。俺たちの母親たちは仲がいい」

「その影響を受けて、僕たちもさ」


 ピアノのコンクールに相応しく、正装をしている従兄弟二人は、運転手によって開けられたドアから、黒塗りのリムジンへ乗り込んだ。


    *


 十二歳、中学二年生の二学期。秋空に飛行船が銀の線を引いて飛んでゆく。青々とした学校の芝生に、光命と夕霧命は寝転がって、草の隙間からお互いの声を聞いていた。


「夕霧、地球という場所があることは習っただろう?」

「肉体を持って人間が修業をしているところだ」

「そこには、太陽というものがあるらしんだ」

「どこで知った?」


 学校で習っていないことを言い出した従兄弟を見ようとしたが、腕枕をしているそれで隠れていて叶わなかった。


「ネットに地球についての研究論文を載せたサイトがあってね。それで知った」

「論文……」


 従兄弟の学力は学年の中で一番を常に貫いていて、とうとう飛び級するみたいなレベルまで行っていた。


「この世界には太陽がないのに、空は明るいだろう?」

「夜は暗い」


 夕霧命は気づいたいなかった。話に罠が張られていて、話題を自分からではなく、相手から引き出すように仕向けられていたと。光命はうなずく。


「そうなんだ、そこが問題なんだ。地球では太陽が地上を照らさなくなると、夜になるらしい。そこで、疑問が浮かぶ。なぜ太陽がないこの世界でも、夕方がやってきて夜になって、朝が来るのか。その原理を知りたい」

「理科の先生には聞かなかったのか?」

「聞いたけど、まだ研究が進んでいないらしい」


 何だか話がおかしかった。研究者が書いた論文だ。一教師である学校の先生が知るはずがない。いつもなら、光命がその点を突っ込んでくるはずなのに、夕霧命は真っ直ぐな性格でそのまま話を進めてしまった。


「それなら、結果が出るまで待つしかない」

「そうか」


 いつもの従兄弟なら、こんな可能性があるとか何とか言って、食い下がってくるのに、納得しているかわからないが、ただのうなずきはどうやってもおかしかった。


 夕霧命は上半身だけ起き上がって、すぐ隣にいる光命を見下ろした。


「どうかしたか?」

「いや、何でもない」


 大人になりかけている冷静な水色の瞳は答えるとすぐに、視線をそらして、草の音を鳴らしながら、自分と同じように起き上がった。


 部活動をする生徒たちをグラウンドに眺めながら、光命は今の自分のことを考える。


(これはどういうことなんだろう? 夕霧のそばによると、ドキドキして、嬉しいと思う。この気持ちは待っていても答えが出ない可能性が非常に高い)


 小さい頃だって、そばにいた。それなのに、最近おかしいのだ。


(父や母に聞いてみたけど、わからないと言っていた)


 特に気にした様子もない夕霧命を視界の端でうかがって、光命は可能性を導き出す。


(君に関係することだと思うんだ。それならば、答えが出ないものを君に聞いて困らせるより、まずは他で調べてみてからにしよう)


 ポケットに入れていた携帯電話を細い指先で、誰にも気づかれないように触れた。


(ネットで調べよう)


 記憶を消された少年ふたりには何の対策もなく罪もなく、思春期を迎えるのだった。


    *


 マンションの床の上で、澄藍すらんは足を伸ばして柔軟体操をしていた。体が硬くなると、心も硬くなるという考えのもとに前屈をしていると、コウがいつも通り現れた。


「これからの子供の成長が大きく変わった」

「どんなふうになるの?」


 指先で、足を包み込むように触りながら、体が伸びてゆく気持ちよさに、澄藍は思う存分ひたる。


「全員生まれてから二ヶ月ごとに、五歳まで歳を取ってゆく」

「ということは、十ヶ月で五歳になるってことだね?」


 数字に強い彼女には簡単すぎる計算だった。


「そうだ。さらに二ヶ月後の、誕生日に一歳から五歳までの誕生日会をまとめてやる」

「いいね。みんなで仲良く誕生日パーティー」


 法律もあるが、見知らぬ子供でもすぐに仲良くなって、協力している姿を澄藍は今までも見てきた。ということは、学校に通っていれば、クラスメイトが友達を呼んで、そのまた友達が呼んで、大賑わいのパーティーになるだろうと容易に想像がついた。


「そうだろう? で、そのあとは六百八十七年でひとつ歳を取る」


 成長速度が急激に変わる、五歳という境界線。


「ということは、五歳で一旦成長が止まるから、小学校一年生が莫大に増える?」

「そうだ。何十兆になる日も近い」


 新たな疑問が出てきて、澄藍は手のツボ押しをしながら問いかけた。


「同じ五歳でも、今年生まれた子と去年生まれた子ができるよね? それって、兄弟になるの?」


 六百八十七年も経ったら、一年目に生まれた子と最後の年に生まれた子は大きな差が出る。しかし、コウは銀の長い髪を横へ揺らした。


「兄と弟という歳の差を表すことはない。一年間の中で生まれたんだから」

「じゃあ、どうするの?」

「ただの兄弟だ」


 双子でもない。双子や三つ子はいる。同じタイミングで生まれてきた子供がそうだ。しかし、誕生日が違うとなると、そうとしか言いようがなかった。


「そういうところも、人間の世界と違うね。上下関係がないただの兄弟がいるなんて」


 コウの話はさらに、物質界から神世へと引き上げられる。


「五歳になったその日から、小学校に入学だ。年度なんてものは存在しない」

「じゃあ、毎日が入学式で、新しいお友達が入ってくるってことだね?」


 五歳で年が止まるのなら、そこからそれぞれスタートで、神様の世界は対応できるだけの人材と教師の数が揃っていた。


「そうだ。クラス分けは、その子供が他の生徒の中に入って、全員が成長すると先生が判断したクラスへ入ることになる」

「このクラスが人数が少ないからここに、じゃないんだね?」

「そうだ。だから、兄弟同士や甥と叔父で一緒っていうのもよくある」


 親はいつまでも若さいっぱい。とにかく子供が生まれれば、十ヶ月で五歳児ばかり。血や遺伝子のつながりというものはない。しかし、心のつながりというものが重要視され、それが一番大切なことなのだ。


 神様はさすがによくそこを心得ていた。澄藍は上半身を左右にねじりながら、自然と笑みをこぼす。


「個性がよく考慮された、素晴らしい学校制度だね」


 入学が一人一人違うのだから、卒業も一人一人違うということで、澄藍は話を続ける。


「それで、十七歳になったら大人ってこと?」

「そうだ。十七歳でちょうど高校卒業になる」


 高校では卒業式が毎日あることになる。しかし、小学生のように人数がいない。邪神界の影響で子供が産まれなかったため、高校生は今のところ数百人しかいないのだった。


「大学とかはないの?」

「あるが、行っても行かなくても関係ない。勉強したいやつが行けばいいし、仕事をしながら学びたいやつは職場で学べばいい。地上みたいに、キャリアなんてものはない。似合った努力したやつが人々に評価されるのが当たり前だろう? 学歴だけでどうこうなるほど、神様の世界は甘くないぞ」


 人間界のように好きな仕事につけないとか、やりたりことが見つからない。なんてことは起きないのだと、澄藍は以前から聞き及んでいた。


「十七歳になったら結婚できる?」

「そうだ」

「十七歳になったらお酒が飲める?」


 話の流れで当然のことのように聞いたが、コウは彼女の頭をぽかんと殴った。


「お前バカだな。人間がお酒を飲めない理由は、肉体の成長に影響が出るからだろう? 神様は肉体を持っていないんだから、お酒に関しては特別に規制がない」

「なるほど……」


 こんなに神様の話を聞いていても、まだまだ違いがあるのだと、澄藍は納得しながら、手のひらをゆらゆらと揺らし出した。


「それでも子供は飲まないけどな。おいしく感じないらしい」

「恋って小さい時からするもの?」


 大人の神様でさえ、すぐに運命の人が見つかるような世界だ。恋に年齢は関係ない。


「そうだ。ろくがいただろう? 守護が解散したあと、すぐに運命の出会いをしたぞ」

「そうか。じゃあ、十七歳になったら結婚するってことかな?」

「おそらくそうだ」

「ラブラブだね〜」


 永遠の別れが来ないというのは、子供の頃に出会おうがいつかは、魂を交換して結婚の儀式をする。そうして、永遠の時を二人で助け合いながら生きてゆくのだ。


 板床で体が痛くならないように敷いていた、ブランケットを澄藍は慣れた手つきで畳み、柔軟体操は終了した。


「それからな、以前に生まれた神様でも子供の頃の体験がなくて、不具合が出ていた神がいたからな、記憶を親が預かって、五歳からやり直すようになった奴もいる」

「その神様にはそのやり方が一番だったってことだね?」

「そうだ。だから、光命にがいただろう?」

「あぁ、いたね」


 澄藍はデジタルに切り捨てる、自分の感情を。心の声が聞こえる存在がそばにいるのだから、なおさらだ。


になった」


 神様も神様でやはり大変なのだと、未来の見えない世界で生きている女は思った。


「……人間だったらついていけないね、ちょっと。でもまぁ、みんなが幸せになれると判断して、そういう決まりになったんだから、受け入れるしかないのか。どういう心境になるんだろう? お姉さんが妹になるなんて……。何かの映画みたいだ」


 小さくなっただけでなく、記憶をなくしている。そうなると、話す内容にも気をつけないといけないということだ。やはり神様のレベルでないとできない出来事なのだと、澄藍は思いながら部屋をあとにした。

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