第14話 笑顔とは
「佐野なおさんですよね? 櫻井理佐さんと同じマンションに住んでいるのは、何か訳があるんですか?」
翌朝、マンションの前には幾つもの週刊誌の記者たちがエントランスの前に集まり誰かを待っていた。
「今日発売の週刊誌に櫻井さんのスキャンダル記事が載っていますが、お相手は貴方じゃないんですか?」
「この写真は貴方ですよね? どうなんですか?」
「貴方が先にここに入居して、そのあとに櫻井さんがここに引っ越してきてますよね?櫻井さんならもっと良いマンションに住めるはずなのに、どうしてわざわざこのマンションに?」
「……」
「佐野さん答えて下さい! 櫻井さんとはどのような関係なんですか?」
付き合っている、そう大声で叫べばこの人達は薄ら笑いを浮かべ、きっと夕方のニュースはこの件で騒がれるだろう。でも、そんなことはさせない。
遠慮無くガツガツと近寄ってくる名前も知らない記者たちとは目を合わせず、黙り込んで車に乗り込む。今日はこのまま事務所に行って夏目さんの取材に立ち合って、その後は舞台の顔合わせに行って、途中で来週のロケの香盤表を確認して代理店に営業周りに行って――、周りの雑音を掻き消すように今日のスケジュールを頭の中で何度も何度も確認する。
こんな事で乱されちゃだめだ。何も答えてはいけない、何も反応してはいけない。否定も肯定も今はしちゃいけない。耐えるんだ。理佐の為に耐えるんだ。
「おはようございます」
事務所に着いてスタッフたちに挨拶をすれば既に出社していた同僚たちに声を掛けられる。
「今日発売の櫻井理佐の記事だけど、相手が佐野さんだって噂が流れてて……」
「……噂?」
「うん、昨日収録で聞いて……」
「それ、誰から聞いたの?」
「それがさ、櫻井理佐のマネージャーの森橋さんが言ってて」
「……」
「おかしくない? 自分のタレントのスキャンダルを売るようなこと」
「森橋……美由紀……」
同僚の話を聞いてやっぱりそうなのかもしれないとまた少し確信に近づいた。もう本人に確認するしかないよね。話聞かせてくれてありがとう、と今朝買っておいた缶コーヒーをお礼に手渡し、席を離れ建物裏にある外階段へ繋がる扉をそっと開ける。
「もしもし?」
「もしもし、お久しぶりです」
「佐野さんが電話をくれるなんて珍しいですね」
「……えぇ」
「理佐の状況が知りたいんですか?」
「それもあります」
「も?」
「森橋さん、今夜お会いできませんか?」
「私、ですか」
「はい。できれば二人だけで」
「……いいですよ。夜九時に六本木でどうですか?」
「分かりました」
「詳しい場所は後で連絡します」
「有難うございます。では、また後程」
通話が終わり真っ暗になった画面にため息をひとつ。もう、直接話すしかない。
煙草は吸わないけど、きっと喫煙者ならこんな時は此処で一人、気を紛らわすように煙草を吸うんだろうな…。その仕草や格好を素敵だと思っていた頃もあったけど、どうしてもあのニオイが苦手で吸う気にはなれなかった。
目の前に広がる都心のビル群を眺めながらそんな事を思っていたら掌で震える携帯がメッセージの受信を教えてくれた。
「理佐」
そこには短く 会いたい、とだけ書かれていてチクッと胸の奥に痛みが走る。私も会いたい。
でも、会いたい気持ちを押し殺して指先で思いとは違う言葉を綴る
今は周りに記者が多すぎるから会わない方がいいと思う。少し間耐えよう?
分かった。でも、電話は? なおの声が聞きたい
盗聴されてるかもしれないし、電話も暫くはやめよう。ごめん。
この日、私が最後に送ったメッセージに対して理佐からの返信は無かった。
守る為だと思って送った言葉もきっと彼女を傷付け、突き放すような言葉として伝わってしまったのかもしれない。守りたいのに傷付けて、全部全部上手くいかない。
大丈夫だよ。心配ないよ。こんなことで理佐への気持ちは変わらないよ。大丈夫。なんて伝えたい言葉は沢山あったのに何一つ言えなかった。
そろそろ仕事に戻らなければと扉に触れてみれば、その扉は来た時よりもずっと重くなっていて、その重さに全てが挫けてしまいそうだった。
「おはようございます」
綺麗な声がフロアに響き誰が来たかすぐに分かった。
「夏目さん、おはようございます」
「……佐野さん」
「ふふっ、夏目さんがそんな顔しないでくださいよ」
「だって、あの記事」
「私は大丈夫です。それよりも理佐の方が心配です……」
「理佐は美由紀がいるから大丈夫ですよ、きっと」
「…そうですね」
俯きそうになった時、左手に温もりを感じた。視線をそれに向ければ夏目さんが遠慮がちに手を握っていてその温かさだった。いつもは遠慮なく好き勝手やってくるのに、彼女なりの優しさに冷たく凍った心が溶けるような優しい気持ちになって微笑ましくなった。
「なんで笑ってるんですか……」
「いつもは遠慮無しなのに、今日は凄く控えめだなと思って」
この温もりも手放しちゃ駄目だと思った。その優しさに有難うの気持ちを込めて握り返したら凄く嬉しそうに夏目さんが笑うから、この笑顔もずっと守っていかなきゃ駄目なんだと思った。
大切な恋人も、大切な担当タレントも守らなきゃ。
取材の合間の休憩時間。デスクに戻りメールチェックをしようと席に着けばフロアのテレビからお昼のワイドショーの声が流れてくる。
「今回の記事が本当なら、櫻井さんはずっとファンの人たちを騙していたってことですよね?」
「えぇ、お付き合いがグループを卒業してからなのかグループ在籍中からなのかは分かりませんが、これは酷い話ですよ」
「こんな可愛い笑顔の裏でファンを裏切っていたなんて驚きですね」
別番組のインタビューに答える理佐の映像が音声無しの状態で映し出される。その映像の隅にある小さな四角い枠に顔を映した番組司会者やコメンテーターが好き勝手憶測で喋り続ける。
裏切りってなに? 理佐は何も裏切ってなんかない。アイドル時代の恋愛禁止のルールはちゃんと守っていたのに……。卒業後はそんなものに縛られていないはずなのに……。どうしてそんなに悪者扱いされるの……。二人で決めた約束を果たしてここまでやってきたのに、そんな言葉の刃物で理佐を傷つけないで――
それに違う。あんな映像に映ってるのは本当の笑顔じゃない。あんな作られた笑顔は理佐じゃない…。ぐっと目を瞑って涙も怒りも堪える。ヒリッと痛む唇には余計に力が入る。
「笑顔が見たい」そう言う人は、その笑顔が本物か偽物か分かって言っているのだろうか。
ただその表情を勝手に笑顔だと決めつけ、何の感情も無いそれを「笑顔」だと思い安心しているだけじゃないか。それはいつか慣れてしまう。楽しくなくても、面白くなくても、無意識にその表情を作れるようになってしまう……。
だから、その作られた表情の裏で心が泣いていたって誰も気付いてあげられない。いつだって世間は気付けず、傷付けるばかりじゃないか。
だから守りたい。本当の笑顔をずっと守りたい。
「理佐」
「んー?」
微笑みながらこちらに視線を向けてくれるその仕草すら綺麗で見惚れてしまいそうになる。
「楽しい?」
「うん!すっごく楽しい! なおは? 楽しい?」
「うん、楽しいよ」
「ふふっ、良かった」
理佐の笑顔はこんなにも優しくて、こんなにも甘くて、こんなに温かいのに――
そんな作られた顔を笑顔だなんて言わないで。
瞼の裏に映る君は誰よりも綺麗で優しくて、今すぐこの時に戻りたいと思ってしまった。
人は守りたいものがある時、必死に嘘をついて守ろうとする。傷付かないように、壊れてしまわないように嘘をつく。理佐だけは絶対に守りぬく。だから、私は笑顔を捨てて動き出す。
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