第12話 メディアと言う武器
「えっと、もう帰ろうかなって」
「折角来たのに勿体ないですよ。どうせならちゃんと楽しんで帰らないと」
「もう十分楽しみましたよ。帰って部屋でゆっくり過ごします」
「理佐が帰った途端帰るなんて……」
「すみません。夏目さんももし帰るなら送――」
こちらの話を遮るように彼女は一歩近づき、そのまま自身の右手をゆっくりと私の頬に添えてとても綺麗に微笑んだ。
「えっ、夏目さん?」
「理佐の唇って柔らかくて気持ちいいでしょ?」
そう言うと今度は、右手の親指で私の唇をなぞり、切なそうに目線を逸らされた。
「がっかりです。佐野さんがこんな大勢の人の前であんな風にキスを許すなんて。軽率ですよ?」
見られた。しかも、彼女は絶対に見られてはいけない相手だったのに。何か弁解をしないとこのままじゃマズイ。そう思っても頭に浮かぶのは何の説得力もない薄い言葉たちばかりで、自分の嘘を色濃くしていくだけのものだった。浮かぶ言葉たちでは、その場しのぎにもならない……。
「ふふっ、バッチリ見てましたよ?」
悪戯っ子のような笑顔を向けられ、また一つ彼女に弱みを握られた気がした。
「あの、夏目さん」
「私は黙っててあげます」
「……えっ」
「あんなところを見せられて本当は凄く嫌だけど、私は佐野さんを苦しめたい訳じゃないし」
「……」
「だから、黙っててあげる」
「……ありがとうございます」
「でも、今のままじゃ嫌」
添えられていた右手の温もりなんて分からなくなるほど、それが突然に触れたせいで拒むことも突き放すこともできなかった。 触れた感触を理解できた瞬間に彼女と距離を取り、今度は自分の右手で唇を拭えばそこに着いたキラキラと光るグロスにため息と罪悪感が生まれる。
「ふふっ、上書き。いくら誘ってもきっと佐野さん残ってくれないだろうから私ももう帰ります。送ってくれますよね?」
「……はい」
まるで悪気が無いと言わんばかりの笑顔で楽しそうにしている夏目さんを見ていると強く責めることが出来ない。いけないと分かっていても、そこはまだ直せなくて自分でももどかしい。
帰りの車内では、今度の舞台オーディションや今やっているレギュラーのスポーツキャスターの収録、取材スケジュールの話など殆ど仕事の話題で、あっと言う間に彼女の自宅マンションに着いてしまった。
「ありがとうございます」
「いいえ」
「じゃ、また明日宜しくお願いします。お疲れ様です」
「明日の詳細後で連絡しておきます」
「はい」
「それじゃ、お疲れ様です」
夏目さんを送り届け、自宅に着いたのはお昼の一時を過ぎた頃。まだまだ会食は終わらないだろうし少し休もう。そう思ってベッドに倒れ込む。
少しだけと思っていた仮眠も起きた頃には、外は茜色になり寂しさを感じるほどの綺麗な夕陽に眩しくなる。
「六時二十六分……」
とっくに会食は終わっているはずなのに理佐からの連絡は何も着ていなくて、半分拗ねながらメッセージを送ることにした。
お疲れ様。会食どうだった?
ごめん! 会食の後に企業案内とか色々あって、
しかも、このまま夜もまた食事になりそうなでたぶん今日戻れないかも……
美由紀も止めてくれないから
可愛い女の子が泣いているスタンプと一緒に送られてきたメッセ時を読んで、森橋さんは止めないよなーと妙に納得してしまった。
朝早かったのに色々大変な一日になっちゃったね。
きっと夜も遅いだろうし無理しなくて大丈夫だからまた今度ゆっくり過ごそうね。
そうメッセージを送り携帯をベッドの隅に軽く投げ捨てた。森橋さんの存在があまりにも大きすぎる。このまま理佐をどんどん遠くに連れていかれてしまいそうな気さえする。
+++
翌朝、事務所に出社してすぐに電話の音がフロアに鳴り響く。その電話は私宛てだったらしく、相手が誰が確認して期待を込めて受話器を握った。
「お電話代わりました佐野です――」
「えっ……別タレントで正式決定した? そんな、あの案件はもう殆ど夏目で決まりだったじゃないですか! 撮影のスケジュールだってキープしてたのに何で今更、選考落ちだなんて! ちょっと待ってください、ちゃんと説明してもらわないとこっちも納得できませんよ!」
電話の向こうに居るキャスティング担当は、こちらに一方的に用件を伝え遠慮なくガチャと耳障りな音と共に通話を切った。
「……ありえない」
隣のデスクにいた同僚も只ならぬ空気を感じたのか心配そうに声を掛けてきた。
「電話荒れてたけど、どうしたの?」
「……夏目さんがオーディションに残ってた化粧品メーカーの広告ダメになった」
「あぁ、あれかなり大きい案件だったもんね」
「最終選考まで残ってたし、そのあとのメイク、カメラテストだって凄く好評だった。先方のスタッフさん達も夏目さんにぜひお願いしたいってほぼ決定状態だったのに……。いきなりこんなの可笑しい」
「そう言えばその広告って、櫻井理佐でしょ?」
「えっ…?」
「いや、そのメーカーの新イメージキャラクターは、櫻井理佐に決まったって。まだ情報解禁前だけど、さっき営業の人たちがそう話してたから」
「えっ、待って、イメージキャラクター? この案件は新ファンデの広告でしょ?」
「それがさ、急に単品じゃなくてブランドとしてのイメージキャラクターを作ってその人に全商品の広告任せることになったんだって」
「……そんな」
「それにしてもやり手だよね」
「……何が?」
「森橋さんだっけ? 櫻井さんのマネージャー。今回の件で色々裏で根回ししてたらしいよ。同い歳くらいなのに凄いよね」
森橋美由紀 負けたくない。この人だけには絶対に負けたくない……。
「佐野くん、ちょっといいかい?」
「社長、はい」
グッと力が入っていた拳を解き社長室へ向かう。
「失礼します」
「うん。……単刀直入に聞くが、君と櫻井理佐さんはどう言った関係なんだ?」
「えっ、急にどうし――」
「今朝、事務所宛てにとある週刊誌からこの記事が送られてきてね」
そう言って社長が机の上に置いたのは、世間で一番知名度が高いと言えるゴシップ誌だった。怖いと言う感情と冷静にならなければと言う気持ちで心臓が圧迫されたように痛い。青い付箋がしてある箇所が恐らくその記事があるページ。ゆっくりとその付箋のページを開き中身を見た途端、ギュと心臓を潰されるような感覚に襲われた。
『純白の櫻井 人気テーマパークへお忍びデート
ファンを騙し続けた大恋愛・相手はライバル事務所の若手マネージャー』
見出しと一緒に大きく載っている写真に言葉を失う。
「……これは、」
「この記事の写真には相手の顔にモザイクが掛かっているが、事務所には丁寧にモザイク無しの写真も一緒に届いていたよ」
「…っ」
社長が引き出しから取り出した一枚の写真には、あの日、別れ際に交わした私と理佐二人の姿が綺麗に撮られていた。
「説明してくれないか? この記事とこの写真の真相を」
「……」
「もし、君たちが付き合っ――」
「友人です」
付き合っている、それは絶対に知られてはいけない、絶対に。
「友人? 櫻井さんと友人と言うことかい? 付き合ってはいないと?」
「……はい」
「じゃ、この写真はどう説明するんだ?」
「確かにこの日、櫻井さんと一緒にここへ行きました。ですが、この写真はキスしてるんじゃなくて、まつげのごみを取りたくて櫻井さんに見てもらっていた時にふざけて顔を近づけ合っていただけです。角度的にキスしているように見えるかもしれませんが、……そんな事実はありません」
「そうか、因みに櫻井さんとはどういった知り合いなんだい?」
「同級生です。中学までですが……」
「同級生か。この記事は、明日発売になるこの雑誌に掲載するとのことだ。相手が佐野くんであることは伏せるらしいが、事実でないなら私は君を守る為にも出版社に抗議するよ」
「……有難うございます」
「こんなことで潰れるなよ」
「はい」
また嘘を付いてしまった。恋人だと言えず、お互いの本当の関係を否定してばかりで、どうして好きに対して素直に生きていけないんだと押し込めたはずの感情が溢れ出しそうになる。
それでも、少しずつ大人になるにつれて必要な嘘もあると学んだ。大切なものを守る為には、嘘も必要だし、悪者にだってならないといけない時もある。
社長は、私を守ると言ってくれた。私も理佐を守りたい。守りたいだけなのに、私はあまりにも無力過ぎる……。
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