第2話 幽霊騒動

「いやぁ、ずいぶんと涼しくなりましたね」

 秋風が涼しい昼下がり。日の傾きが早くなってきたと言いながら瓦版屋が姿を見せた。

 六薬堂の店主、詩乃は相変わらず店の奥の小上がりに座り、煙草入れをいじっている。番頭は、入り口側の番頭台に座ってそろばんをはじいていた。

 瓦版屋は特徴のない顔をした男で、背丈もそこら辺にいる者と変わらない。ずるそうな顔をしているとか、お調子者の言い回しなどもない、まるでつまらない男だが、情報収集能力は高い。―詩乃にとって不必要な情報収集能力なので、この男の人相やら素性はまったく興味がないのだ―

 そんな瓦版屋が六薬堂に出入りするようになったのは、以前の事件がきっかけだったが、さして大きな事件でなかった。その現場に不釣り合いな紺地に真っ赤な牡丹の着物を着たおかっぱ頭の詩乃に魅かれて、更には、同心たちをも唸らせる知識を持っていることに興味をもったからだった。

「また、女郎の死体でしたよ」

 瓦版屋はそういって帳面を開いて詩乃に見せた。

「画力の低い絵だねぇ」

 瓦版屋の描いたものはどう見てもちくわのような女体で、それに手足が伸び、丸い玉が多分頭だろう。それにくっついているのは髪の毛だろう。ただし、五本のみ。

「いやいや、なかなかうまく描けてますよ」

 という瓦版屋の言葉に、覗き込んだ番頭が苦笑する。

「と言いますけどね、本当に、こんなふうだったんですよ。こんなふうに、両手両足がびろーって伸びてたんですよ」

 そこか。と番頭は思いながら、呆れて見向きのしない詩乃のほうを見て首をすくめた。

「これで今月4人目ですよ。うち二人は無理心中でしたが、この女と、月の始の女は恋煩いだろうって、

 北町の堀田様は、常に難題を抱え込まない方ですからね」

 瓦版屋の言いたいことは―北町奉行にいる与力の堀田は事なかれ主義者で、賄賂などでのし上がった。という噂のあるほど、あまり治安捜査に積極的ではない。それどころか明らかに殺人事件であろう案件も自殺や事故で処理しようとする。らしい。これは、瓦版屋の意見なので、信ぴょう性は低いが、

「それにしても、多すぎだね」

 詩乃はキセルを燻らせて言う。

「そうなんですよ。北町の当番でも、これだけ殺人事件―だとおいらは睨んでますがね―が起こってるって、なかなか異常ですよ」

「南町の当番では今までなかったかしら?」

「そういうわけではありませんがね、南町の当番になると、見回りに人が多く駆り出されているおかげか、ぐっと少なくなりますよ。

 えっと、そうですねぇ、南町の当番の時には、あの、厄介な「大麻くさ」の事件があって、女が誘拐されてぇと、大きな事件は起こってますが、女郎が死んだってのはないですね」

 と帳面をめくりながら言った。

「それで、今日の遺体の死因は?」

「自殺らしいので、水死。でしょうね」

 詩乃が興味なさげにキセルを燻らせた。


「面白くないでしょう?」

 瓦版屋がそういって閉じた帳面を叩く。まるで場面の切り替えを強要するような音に、番頭台に座っていた番頭ですら顔を上げた。

「それが、こうも女郎ばかりが死ぬてぇとぉ、そういう話が出てくるもんでね、」

「そういう話?」と番頭。

「ええ、どうも、岡場所の位置的に、大潮の時に飛び込むと、茅野原かやのはらの方に流れていくようでしてね、その茅野原、出るんですよ」

 瓦版屋はそういって少し待ってから、両手を胸の前まで上げ、

「女の幽霊が出るそうです」

 といった。

 番頭が眉を顰める。

「おや? 番頭さんはこういう手の話は苦手でしたか?」

 にこやかな顔を見せ、瓦版屋は詩乃を振り返ったが、詩乃は全く動じていなかった。

「まぁ、詩乃さんはそうでしょうよ。でも、大騒ぎなんですよ。幽霊を見たって人が大勢いましてね、」

 瓦版屋はそういって、帳面を広げて、また叩く。今度はそれほど大きな音はしなかった。

「新月の夜に女がふわふわと飛んでいたとか、女がいたんで声を掛けようとしたらふっと消えたとか」

「新月の夜に出歩くばかがいるのかい?」

 瓦版屋は吹き出し、大声で笑い「そう、そこなんですよ、皆が話をしているのを聞けば、誰それの嫁の妹が見たという話しだがとか、誰それの何やらがとか、本人が見たわけじゃないようですが、それでも、あまりにも多いので、女郎が流れ着いたのでそういう話が盛り上がっているのだろう。と思うんですがね。

 どう思います? もし、本当に幽霊だったらなんですが、でも、幽霊ではなく、だけど、幽霊話をでっちあげたい輩がいるとして、その理由は何だと思います?」

 瓦版屋は興味津々で詩乃を待った。

「さぁ、何があるんだろうかね」

 詩乃はたっぷりと時間を使ってそう答えた。

 瓦版屋が「意地悪言わないで、考えてくださいよ」というのを、

「あ、お客のようです」

 と番頭が追い払った。

 瓦版屋の魂胆は解っていた。詩乃に何らかのことを推理させ、それを瓦版に載せるのだ。幽霊騒ぎの真実。なる見出しにして売ろうというのだろう。その魂胆が解ったので、詩乃も適当に返事をしたのだ。


「ごめん、くださいませ」

 女が入ってきた。薬屋に、本来の用事で来る者同様に顔色が悪い女だった。

 通りから向かってくる女を見て番頭が「幽霊だ」といったとおり、まるで幽霊のようなその女は、

「茅野原で洗濯屋をしております、おきよと言います」

 といった。

 お清は顔面の顔色の悪さに加え、髪の毛はひどくぼさぼさと痛み、唇は粉を拭いて乾燥していた。

「幸安先生の紹介でやってきました者で」

 そういって手紙を番頭に差し出した。

 手紙を受け取ると、封筒から手紙を取り出し、手紙は詩乃に、処方箋を見て番頭が薬棚に向かう。

 一般開業医師から薬の調合を頼まれることはよくある。だから、手紙が普通より分厚いと解ると、番頭はすぐに開封し、手紙と調剤とに分け、薬を用意する。

 番頭から手紙を受け取り、詩乃は一通り読んだ後で、

「幸安先生はお元気ですか?」

「ええ、よくしていただいております」

「なかなか腕がよくて、それに二枚目です」

「ええ、ずいぶんと流行っておりますね、あそこは、」

 詩乃は頷き、お清は小上がりに腰かけた。

「幸安先生のところでもやったと思いますがね、一応、お薬を出す以上、お客様のカルテ《問診票》を作らなくてはいけませんでね、面倒ですけれど、お答えください。

 正直に答えてくださらないと、治療に支障をきたしますのでね」

 詩乃はそう言いながらお清の手首を掴んだり、下瞼を押し下げたり、舌を出させてみたりした。

「幸安先生からの手紙には、温血湯うんけつとうを処方して二か月経つが一向に改善が見られず、とありますが、……何か心に病むことがありますか?」

 お清が一瞬顎を引いたが「いいえ」と答えた。

「……症状として今すぐ改善してほしいことなどありませんか?」

「寝不足で、仕事にも差し支えてきて、」

「仕事は―」

「洗濯屋です。

 洗濯屋なんてと馬鹿にされましたけれどね、以前住んでおりました長屋には、地方からの出稼ぎ単身者が多くいましてね、貧しいですけど、一応二枚は持っているものですが、いかんせん男の一人身、洗濯なんてするはずもなく。

 ある日、一人の若者が、見染めた女性に会いに行くと言いますので、洗濯をしてあげましたら、それがきっかけで、洗濯屋をはじめましてね。

 でも、長屋では干場は少ないですし、一日一枚が限度でして。

 それがある日、なじみの大工を通して、仲介屋さんと知り合い、なんでも人里から離れて建ててしまった家があるけど、壊してしまうにはもったいない。でも、いずれはそこは人があふれかえる。というけれど、それがいつになるか解らない。だから、家を守るためにも住んでくれないかと言われ引っ越したんです」

 番頭は(面白い)と思った。

 お清は、洗濯屋を始めた当初の話を驚くほど元気に、笑顔で話した。それが近況になるに従い、眉をひそめ、顔色さえもどんどん沈んでいくようだった。

「それが茅野原ですね?」と詩乃。

 お清が頷いた。

「その家に引っ越してから眠れないと?」

「数日は気にならなかったのですが、お得意様のところまで遠くなりましたしね、量も増やして、忙しいし、疲れて寝てしまっていたんですけど、最近になって」

「何が気になるんです?」

「……何も、」

「……ねぇ、お清さん。あなた何に気を病んでいるんですか? 洗濯屋だというから、そうねぇ、天気とか? 客の大事な着物を傷めたとか、そういった類ですか?」

「いいえ……いいえ」

 お清は首を振って俯いた。

「誰かに脅されていますか?」

 詩乃の言葉に顔を上げる。その顔が少し不思議そうなので、暴力沙汰に巻き込まれていないのだろう。では、お清は何を隠しているのか? 隠し事があるのは解る。だが、それが何かわからない。

「(それを取り払わなければ)ゆっくりとは眠れませんよ」

 と言ったが駄目だった。お清は、「何もない」と言い張った。

「では、幸安先生のところのお薬が切れているようなので、こちらで、桂枝加骨湯けいしかこつとうをだします。以前と同じく煎じてお飲みください。……まぁ、今は気にしていなくても、もしかすると、案外些細なことが気になるってことはよくありますよ。

 天井のシミが気になって眠れない人だっていますしね、明日の朝餉を何にするか気になってしまったり、ことの大小は問題ではなく、何に心を囚われているかです。それさえ拭い去れば、寝不足は解決すると思いますよ。

 まぁ、思いつくことが無いのならば、今しばらくは様子を診ましょう。それで、もし思い当たることがありましたら、いつでもおいでくださいな」

 詩乃はこの上なく優しく言い、お清は深々と頭を下げて出て行った。


「更年期でしょうか?」

「いいや、何かがあって、それを気にしている。神経過敏状態だ。驚いたのは、朝餉という言葉に反応したことだよ」

「反応しましたか? 朝餉って、あの朝餉ですよね?」

「ああ、体がはねた。朝餉を気にしているとは思えないけど、朝餉に関して何かがあったんだろうね」

「妙ですね。普通の人が気に病むと言えば、金のこと、男のこと、嫁姑とかでしょうかね? 朝餉、姑に小言を言われるとか?」

「そういう感じではないねぇ。……、まぁ、またすぐに来るだろうよ。あの薬で今日は眠れるかもしれないが、あの思いつめた様子じゃぁ、そうそう眠れやしないだろうからね」


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