ついてくる視線

 仲のいい友達のNから急に相談を受けた。


「最近さぁ、なんか誰かにつけられてる気がして……」

「え、ストーカーってこと?」

「う~ん…かどうかはわかんないんだけど、外にいると誰かの視線を感じるの」


 俯いて見るからに気分が優れない様子の彼女。たしかにNは女の私から見ても可愛く大人しい見た目なので、変な男を引き寄せやすいのかも知れない。

 ただ彼女は、少し自意識過剰なところがあるため時折似たような相談を受ける。結果そのたびに何ともない、思い過ごしだったことがある。

「また気のせいじゃないの?」なんて言えないので、

「大丈夫? あれなら警察に行った方がいいんじゃない?」と上手く自分では対処しなくて済むように、真面目に返事をした。


「でもなぁ、面倒なのは嫌だしぃ……」


 Nは気だるげな態度で髪を弄りだした。


(せっかく私が相手してあげてるのに、何その感じ?)

 苛つく私はその後も適当に話を濁して、気のせいだと彼女に言い聞かせた。




 それから一週間。

 Nから再び連絡を受けて、会うことになった。


「ちょっ、その顔、大丈夫!?」


 彼女は見るからに血色が悪く、目の下の隈は濃く体重も減っているように見えた。


「……うん……ごめんね、また呼んじゃって」

「いや、私は別にいいけど……」

「ありがとう……あのさ、やっぱり誰かに見られてるの」

 か細い声で聞き取るのがやっとだった。弱々しい彼女の姿を目の当たりにしたら、先週の私の対応に罪悪感が湧く。

「こないだはごめん。本当に、何かあるとは思ってなくて――」

「いいの、私もおかしいと思うし……だって家の中にいても、視線を感じるんだよ。もう気が変になりそう……」

 髪をかき上げ涙ぐむN。真剣に悩んでいる友人をないがしろには出来ない。

「……わかった。その話、もう少し詳しく聞かせて?」

「うん、ありがと……」


 Nによると、始まりは2週間前。アパレルショップの仕事終わりにコンビニへ寄ったときだった。

 棚に並んだパンを物色していると直感的に視線を感じた。じっとりした嫌な視線。どこからだろうと出所を探したら目の前の棚の隙間、反対側の通路からこちらを一点に見つめる両目が見えた。

 一瞬で目を逸らし、出そうになった悲鳴を喉に押さえ込んだ。他の客もいるから、なるべく自然な態度で店内を歩き、パン売り場の反対側へ回り込んだ。しかし、そこには誰もいなかった。

 それから同じ視線があちこちでするようになったという。通勤中でも、職場でも、そして自宅にいても、あらゆる隙間や壁からもあの両目が自分を見つめている気がするらしい。

 日に日に増える嫌な感覚と誰かに監視されているというストレスでたった2週間で体調も崩れ、ここ数日は仕事も休んでいる。


 全ての話を聞いた私は、やはり一つの結論に行き着いた。


「やっぱり、警察に行った方がいいと思う。最初にコンビニで会ったときに家までつけられてたかも知れないし、仕事場もバレて、家で感じる視線も盗撮とかされてるかも。だから1回警察に相談しよう? 一人が嫌なら私も一緒に行くから」


「……うん」


 元気のない同意だった。




 次の日、最寄りの警察署まで二人で行った。


「――と言うことなんですけど、なんとかしてもらえませんか?」

 気力の薄いNに変わって、私が受付で事の経緯を説明した。


 中年の男の警官は、頭を掻きながら眉をひそめて言った。

「って言われてもねー。うちらも証拠がないと簡単に動けないんですよ。その視線?ってのが誰のものかもわかんないんですよね? 確証が持てないし、どうしようもないね」


「なっ、彼女の顔見れば分るじゃないですか! こんなにぐったりしてるんですよ!?」

「いやーそれなら病院に行った方がいいですよ。どのみち、被害の証拠もないなら警察は出られないから」

「っ!」


 私は無言のままNの手を引いて署を出た。

 話には聞いていたが、こういう場合に警察は役に立たないのは本当だった。


「ごめんね、N」

「…ううん」

「他の方法も考えよう。このままにしておけないし、早く元気になってほしいから」

「ありがと……ぁ、あ、ああああ!」


「え?」


 ふらっと私の手をふりほどいて、Nは突然走り出してしまった。


「いいぃやああああぁぁ!!」

「まって! どうしたの急に!?」


 どこにそんな体力が残っていたのか、凄い速さで追いつけなかった。その後ろ姿は何かから逃げているようにも見えた。

 警察に行くのも精神的に辛かったのかなと思って、私は追いかけるのをやめた。また今度会って今後の話をすることにした。


 しかし、その日以降、Nからの連絡は途絶えた。


 私からメールや電話をしても返事がないし不在着信になってしまう。気持ちが焦る。

 早くNの安否を確認したかった。


 最後に会った日からまだ4日。私は仕事帰りに彼女の家まで大急ぎで向かった。



「N~!? 私だけど、いるなら出てきて!」

 マンションの管理人に事情を説明して建物内に入れてもらったが、いくらドアを叩けども反応がない。鼓動が加速していく。頭の中はNの顔と例の謎の視線でいっぱいになった。


 中から人の気配を感じないNの部屋。

 見かねた管理人はマスターキーで鍵を開けた。


 開いたドア。


「N…? 寝てるの……?」

 私は心からの願望を口に出していた。

 最悪を回避したかったのだ。



 夜だというのに電気は付いていない。通路は私の背後から射す明かりで照らされるのみ。辛うじて見える床には物が散乱して、ひどく荒れた生活感に満ちていた。


 私と管理人は足の踏み場に気をつけながら一先ず入ってすぐにあったスイッチで通路の明かりをつけた。


 書類の束やゴミに脚が掠める音に進めば進むほど強まる臭い。どう考えても奥の扉から漏れ出したものだ。

 何度か来たことがある私は通路の先にリビングと寝室があるのを知っていた。



 扉を引くと、カーテンも閉め切られた完全な闇の空間に入った。



「臭っ!」

 入って左手にはキッチンがあったはず。異臭の元はそこだろう。

「ゴホッ、どこにいるの、N!」


 鼻を押さえながら呼びかけるも、やはり返事はない。


 このまま暗闇を探しても埒があかない。とはいえ通路からの薄明かりだけじゃライトのスイッチの場所も分らない。

 私はスマホを取り出し、ライト機能を使った。



 一瞬にして強烈な明かりが部屋の中心から壁までを照らした。


「うわぁ!」

 悲鳴を上げる管理人。


 それも仕方ない。

 文具や食器や傘までも散乱する床の惨状――ではなく、部屋の四方の壁面にギッシリと、見開いた目玉の絵が描き殴られていたからだ。


 正確に言えば、上から下まで壁に眼が彫られていた。



「なに、これ……」


 私はそれ以上言葉が出てこなかった。

 思い当たるのは、Nが何度も口にした「視線」のこと。この目玉は、Nが描いたものなのか……?それとも――


 ぐるりとリビングを照らしたがNの姿がない。

 となれば隣の寝室だと、私は引き戸を開けた。


「ひっ…………」


 Nはベッドの上で仰向けになって絶命していた。

 その顔は苦悶に支配されていた。



 慌てふためく管理人は一目散に部屋から出て、警察に通報し始めた。



 取り残された私と干からびたN。



 静寂を破ったのは、部屋を照らすスマホの着信音だった。


 驚いて寝室から飛び出た。



 来たのはメッセージ、送り主は――すぐそこのNからだった。



「え、うそ、なんで…?」


 戸惑い混乱したが、中身が気になる。



 冷えきった指で画面をタッチした。




『相談に乗ってくれてありがとう。そして、黙って逃げちゃってごめんなさい。私には耐えられませんでした。だから死にます。今まで迷惑かけてごめん。』




『最後に。私に憑いてた眼、あなたに憑いちゃったみたい。』




「は、なに言って――」



 ぞくり。


 背筋が痺れる感覚。


 じっとりした、人を不快にさせる視線。



 背後の壁には目玉が何百と並んでいる。


 そのせいだ。それ以外考えられない。こんな部屋に長くいてはいけない。私までおかしくなってしまう。メッセージも気のせいだ、死人から連絡が来るはずない。



 必死に何度も己に言い聞かせるも、膝に力が入らない。



 暗さに慣れてきた視界はどこを見ても目玉だらけになる。


 目玉の粗い輪郭線が震え、形を変えていくように見えてくる。

 まるで生きているかのように……。


「もうやめたて!!」


 見るに堪えない光景。

 膝を床に着いてぎゅっと眼を閉じても、瞼の裏にまで大量の目玉が私を見つめて睨んで取り殺そうとしてくる。



「あーあああああ!!」


 全てを振り払うように叫んだ私は、足下に転がっていたボールペンを掴んで、そのまま自分の眼に――







「ああ、早くこっち来てください!」


 通報から20分後、到着した警察官をマンション入口から部屋まで案内する管理人。


「第一発見者はあなたですか?」

「い、いえ、亡くなっていた部屋の住人の友人で、異変を知らせてくれたのも、その人だったんですけど」

「なるほど。では詳しい話は後ほど改めてお聞きしますね」


 エレベーターを降りて目の前の部屋。鍵が開けっ放しで中は静かだった。


 警官数人と管理人が中に入る。

 通路の明かりは付いたままで、奥のリビングは暗闇の中、白い光が床から天井に向かって煌々と光っている。


「これはいったい……」


 絶句する警官たち。


 部屋の真ん中にいたのは、両目にペンを突き刺したまま座り込む女性が一人。


 隣の部屋には、ミイラのように乾燥した女性が横たわっていた。



 リビングの四方の壁には、三日月のようにキュッと細めた目玉の絵で埋め尽くされていた。


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