癒やしの湯

 観光客もまばらな温泉地に来た。


 雰囲気も値段も悪くないが、如何せん都市から距離があるためイマイチ客入は良くないらしい。個人的にはその方が好きでいいんだが。



 雪化粧の山肌と眼下には川が流れる渓谷があって眺めのいい。しかし温泉に入っているのはせいぜい地元のお年寄りくらい。

 山の麓だからさすがに12月は寒くて肩までどっぷりお湯に浸かっていた。


 白い湯気に囲まれて、漫然としていると少し離れたところで入浴していたお爺さんに話しかけられた。


「あんたぁ、ここらの人じゃないのぉ?」

「そうなんですよ、ここの湯がいいって風の噂で聞いたんで」

「ほぉ〜よく知っとるの」


 話し方に何か違和感がある。

 湯気に遮られて顔ははっきり見えないが、仙人みたいな髭の好々爺だ。俺に話しながら隣まで移動してきた。


「じゃぁこれは知っとるかな」

「何ですか?」

「ほれ、あれが見えるか?」


 爺さんが指差す先には大人1人と子供1人、俺らの反対側で仲良く温泉を楽しんでいる。親子だろうか。


「まぁはい、見えますけど」

「あれらは人じゃない」

「……は?」

「もう死んどるじゃよ」


 いきなり何を言い出すんだと思った。たしかに少し距離もあるし湯煙もあるからよく見えないけど、いくらなんでも死んでるなんて……。


「む、信じておらんの」

「いや、そりゃぁ…そう言われても……」

「声、聞こえるか?」

「え? ――あっ」


 楽しげに談笑している親子の口は盛んに動いているのに、こちらに声は届いていない。そんな離れているわけじゃない。何を言っているか分からなくても声くらいは聞こえなきゃおかしい。

 爺さんの言葉が一気に信憑性を増してきた。


「いやいや、でも……そんなまさか」


「女湯には、母親がおるらしい」

「なら、全員家族ってことですか?」

「……もう10年は前になる」


 突然、口調が重くなった爺さん。

 話によると、ここの温泉から見える渓谷に身を投げた人達がいたそう。経済的理由による一家心中だった。

 事件後、まことしやかに噂されているのがここの温泉に死んだ一家が出る、という話。

 家族が平和に暮らしていた頃、全員で訪れたというこの地を懐かしんで成仏出来ずにさ迷っているのだという。


 よくある様な話だ。



「それがあの父子なんですね……でもどうして俺にも見えるんですか?」

「……やっぱりあんたぁ、まだ気づいてないんか」

「? 何がですか?」


「ここには死んだやつしか来れんのじゃよ」


 雷に撃たれたような衝撃が脳天から貫いた。


「え…いや、え……?」


「自分の身体をよぉく見てみなさい」


 そう言われて確認した俺の胸には大きな穴が貫通していた。


「――ってことはお爺さんもっ」

「あぁ…そうじゃよ」


 晴れてきた湯煙の間に見えた爺さんの頭は半分ほど抉れていた。


「なら、なんでお爺さんの声は最初から聞こえたんですか?」

「…心の声で喋りかけてたからの」


 初め感じた違和感の正体、爺さんは口を動かしていなかった。



「ここは人が入る温泉であり、死者が身体を癒す湯でもあるんじゃ。ここでめいっぱい休んだらあの世に向かう」

「そう、なんですね……」



「わしはもうすぐ旅立つ、それまでよろしくの」


「――こちらこそ」




 生前のことは思い出せないままだが、しばらくはここでゆっくりしよう。





 それに――



 これから長い付き合いになるかもしれない。




 さしあたって、ここの先輩に挨拶をしておこう。




 傷だらけで楽しげに話す父子の方に向かった。





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