和食好き

「おっせぇなあいつ…もう映画始まるぞ……」


 日曜の駅前、恋人や友人や家族連れでごった返す広場のベンチに腰掛けながら俺は少しイラついていた。

 3日前に男友達の1人と映画を観ようと約束して、チケットも予約して12時半にこの駅で集合する、と連絡しあっていた。

 なのにあいつと朝から連絡が取れない。時計台の針はもう13時を回ろうとしているのにもかかわらず、だ。

 遅刻癖があるやつだから、わざわざ映画が始まる1時間前を集合時間にしたのに、あと30分しか余裕が無い。

 勘弁してくれよ……このままだと予約したチケット代が無駄になる。俺の貧乏ゆすりも激しくなるばかりだ。


――はぁ、一旦落ち着こう。イライラしてもより気分が悪くなるだけだ。

 どうせ寝坊してるあいつの家からこの駅まではどれだけ頑張っても30分かかる。今からじゃ映画には間に合わない。諦めて次の回で観て、チケット代はあいつに請求しよう。


 両手を体の後ろに着いてバックを開ける。

 手にしたスマホには……あいつからの通知は来てない。既読もついてない。

(この時間をどう暇を潰そう。まあどっかカフェでも入ればいいか)


 そんな感じでこの後の予定を考えていると、広場にいる1人の男に目がいった。

 実は俺がここに来てからずっといるのは気づいていた。男はフラフラ彷徨いてはさっきから広場にいる人へ話しかけていた。こういう人はたまに町で見かけるから、そんなに気にしないようにしていた。

 格好も全体的にちょっと汚れた感じで、髪と髭が無造作に伸び、着古したヨレヨレのスーツをネクタイなしで着ていた。片手にはクシャクシャの紙袋が握られていた。

 風貌がそれだから、話しかけられた人は顔を背けたり無視してた。


 すると男がこっちに向かってくるではないか。

(うわっ、目が合っちゃったよ……)

 何気なく目線を逸らしたけど、真っ直ぐ男は俺を目指して歩いてくる。

 近づくにつれて鼓動も早まる。

 俺の両側に間隔を開けて座っていた人達はササッと席を外した。


 俺の視界に男の脚が入ってきた。

「すみません」

 しゃがれた声で話しかけてきた。

「あ、はい」

 反射的に返事をしてしまった。

「隣、いいですか?」

「どうぞ…」

 男は腕が触れるか触れないかくらいの近さで俺の右隣に座った。


 数瞬の間、沈黙が続いたが、

「あの」と男が口を開いた。

「あなた、今日の朝ごはんは何を食べましたか?」

 まさかの、拍子抜けする質問内容だった。

「え……っと、米と、味噌汁ですけど……?」

「っ! そうですか、それはそれは。何よりです」

「は、はぁ…ありがとうございます」

(なんだこの人?)

 さっきまでの死んだ眼が嘘のように子供みたいな笑顔をしていた。俺が今どきの若者に珍しく朝和食を食べているのがそんなに嬉しかったのかな。


「あー、これでやっと終われます。こちらこそ、ありがとうございます」

 そう言った男は外見とは裏腹に爽やかな印象。誰が見ても不釣り合いな組み合わせだった。


「それでは私はこれで」

 ペコリと頭を下げ腰を上げた。地面に置いた紙袋を持って立ち去る――のかと思いきや、再び広場を横断して俺の前に話しかけていた人達の方へ歩いていった。


 紙袋に手を突っ込んで引き出すと、光沢のある金属が。


「んんあぁーっ!!」

 男は奇声を張り上げて、スマホに集中していた若い女にぶつかった。

 一斉に周りの数百人の意識がその男と女に向く。女が地面に倒れ込みスマホが割れた音がした途端、人々の悲鳴が爆発した。


 すかさず男は握りしめた細身の包丁で手当たり次第に襲った。



 俺はぽかんと口を開けたまま座っていた。


 一つ一つの出来事をこの目でしっかり見て何が起きているのかは脳内に記録されていくのに、よく理解が出来なかった。



 左手に持つスマホが音楽を鳴らした。

 着信、あいつからだ。


「…もしもし」

「すまんっ! 完っ全に寝坊した! ほんとわるい!!」

「ああ…うん…」

「それで、今どこにいる?まだ駅前にいんのかっ?」

「うんいるけど…………お前、今は来ない方がいいよ」

「は? なんでさ?」

「今、目の前で、人が殺されてるから」

「はァー? 何言ってんだよお前、そんな訳な――」


 耳からスマホを外した。


 災害があったような駅前広場。あちこちに血溜まりに落ちた人がいる。



 俺は通話終了ボタンを押して、代わりに110を入力した。





 犯行開始から約30分後、駆けつけた警察官10数名に取り押さえられ、男は大人しく逮捕された。





 数日後、俺は通報者と目撃者ということで警察に事情聴取をされた。


「今日はわざわざすみません。ちょっと長くなりますがご協力お願いしますね」

「いえ…」

 机を挟んで刑事と1対1、その後ろには記録係もいる3人だけの小さな部屋で重たい空気が流れる。


「犯人のことなんですが、犯行前にあなたと何やら会話をしていたと、別の方が証言してましてね? その事を聞きたいんですが何を話しましたか?」

「えっと、向こうが俺に『今日、朝食何食べたか』って聞いてきて、『米と味噌汁』って答えました」

「なるほど……」

 押し黙る刑事。後ろのもう1人を振り返り小声でやり取りしたあとこちらに向き直り、言った。

「あなたと犯人、顔見知りではないですよね?」

「あ、はい、知らない人です」

「うん……あのですね、これはまだ内密の話なんですが――」


 口調が変わり、厳かに言葉を紡いでいく。

「一見無差別の犯行なんですが、犯人は『無視した奴と洋食食べてた奴を刺した』と言うんです。あなたは 直前まで犯人と接触していながら襲われていない。つまりは、そういうことなんです」


「それ、本当ですか…?」


 あっそういえばあの時――


「『これでやっと終われる』って、あの人……」


 俺が洋食じゃなくて和食を食べたと返事したから、刺されなかった。


 犯人はずっと和食を食べてる人を探していた……それがたまたま俺だった……?




 心にしこりを残したまま、事情聴取は丸1日続いた。







 この世界には、そんなことで人を殺す人間がいる。


 自宅で朝食を食べながら、あの事件のニュースを見て思う。連日、その妙な犯行動機について散々取り上げられていた。



 その食卓に並ぶのは、パンとスクランブルエッグ。




 事件からまだ1ヶ月だけど、俺は和食が食えなくなった。


 白米と味噌汁の中に、満面の笑みを浮かべる汚れた男の顔が浮かんでくるからだ。


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