神隠しからの餞別

 あなたは誘拐――いや、"神隠し"を体験したことがあるだろうか?

十中八九、未体験でしょう。

でも神隠しは現実にある。多くの人には信じてもらえないだろうが……。



 あれは5年前、小6の修学旅行の事だった。


 Nは優等生だ。学年で1つしかないクラスでずっと中心的な存在でクラスメイト全員と友達だった。勉強もできたし先生からの信頼も厚い、マンガキャラのような女児童だった。

なので修学旅行でも、初日からまとめ役や忘れ物の確認など、色々と仕事を任されて大変だった。

彼女が災難に見舞われたのはそんな疲れもあったせいかもしれない。

2日目の朝。N達一行は観光バスで移動して某市郊外の山まで向かった。中世から地元民の信仰を広く集める霊山である。

他校の修学旅行ではなかなか訪れない、しかも小学生には関心の薄い場所だ。しかしNの学校は昔から何故かここに行くという伝統があった。

 宿泊施設から1時間はバスに揺られた。車内ではガイドの話やカラオケをして皆楽しげな雰囲気だった。

やがてバスは急角度の山道を右に左に曲がりくねり走る。そのせいで車酔いの子が何人か出てしまった。


 到着した時には40人に満たないクラスは目的地への興味の薄さも相まって、若干気分が斜めになっていた。

 Nは雰囲気を察して、普段以上に明るく振る舞い先生よりも全員を牽引した。

駐車場から寺院がある場まで、しばらく細い林道を先頭を担任、最後尾をNで列をつくり歩いた。カエデやイチョウの木が群生した、暖色を散りばめた山林の内側は地面もいっぱいに色紙を敷き詰めたような美しさがあった。子供心にもわかる和風の自然美。Nにとっても未知の感性に、少し大人の気分がした。

 紅葉のトンネルを抜ければ、厳かな空気漂う檜皮葺きの立派な屋根の本殿があった。

点呼の後、寺の説明を受けつつ全員で参拝と記念撮影を終えた。

 昨日の疲労が抜けてない中のバス移動とウォーキング。友人らには気取られないよう空元気で踏ん張ってきたN。

朝から動きずめの上、身体の奥から迫ってきた空腹がさらなる追い打ちをかける。

道を引き返し、昼ごはんの会場まで向かうぞーと担任が呼びかける。

行きと同じく列の一番後方で皆を見守る役目は、今のNには苦行でしかなかった。口数も減っていく、思考も回らない、リュックの重さが肩にのしかかる。クラッとめまいがした


 意識が再覚醒した時にはもう手遅れだった。

山の斜面、道の右手側に脚を滑らせ、Nは声を出すまもなく流れ落ちてしまった。

鮮やかな落ち葉が滑落を加速させる。美しさに塗れて死ぬなんて皮肉な結末になった、Nはそんなことを思った。

Nの脳裏に過ぎる思い出の数々。12年の人生は5秒足らずで振り返り終わった。体感で1分は過ぎた時、ようやく大木の根元にリュックが引っかかり身体が止まった。彼女は全身打撲で既に気を失っていた。



 目覚めたのは、どのくらい経ってからだろうか。

目を開けた瞬間から体の各部位が悲鳴をあげていた。打ち身と切り傷と擦り傷と捻挫と…あらゆる怪我が同時に襲いかかってきた感じがした。

苦痛に支配されている意識でも、持ち前の真面目な性格が発揮された。

"いま、わたしはどこにいるんだろう?"

思ったのは、滑落が止まった大木付近ではないこと。なぜなら体は平地に寝ているからだ。斜面ではない。

加えて天井がある。建物の中だろうか。誰かが助けてくれたのか。

一般的な小学6年生以上に色々考えを巡らせるも痛みが邪魔をする。

 このまま自分はどうなるのかわからない、不安感に心を侵され涙が溢れた。

「霧。眼蛾左匁焚夏」

聞いたことの無い言語だった。

小学生ゆえの無知のせいか? いや大人だろうと大学の言語学者だろうと一生理解できない言葉が聞こえた。

何かを話しながらNの顔を覗き込んだもの。

彼女は衝撃を受けた。

小さく黒い帽子に白く丸い綿のような数珠状の飾り、絵巻の登場人物みたいな羽織を着た山伏風の姿。そして何よりも目立つ、真っ赤で細長い鼻。

本やアニメで見たことある、天狗がぱっちり目でこちらを覗き込んでいたのだ。

「ホンモノ……?」

思わずNは言った。

「弧真津焚名。夜葉李弧戸刃葉津宇自名胃夏」

ドスの効いた声は耳でわかる。けれどどうしてもなんと言っているのかわからなかった。

ただ、創作物に出てくる悪戯をするような悪いものでは無いことは理解出来た。

たぶん助けてくれたのが、この天狗なんだろう。

彼女の涙はいつの間に止まって、代わりに笑みがこぼれた。

「尾尾、和羅津焚名」

なぜだか天狗も笑っていた。


 それから幾日もこの天狗も元で過ごした。

数日経って分かったのはここは高い木の上だということ。いわばツリーハウスだった。

依然として言葉は互いに通じなかったが、天狗は熱心に傷の手当をしてくれた。

見たこともない、嫌なら臭いの軟膏?を塗られたり、キノコの生えた虫とかヤモリも食べさせられた。Nはいつもだったら絶対拒否しているはずの物も、素直に受け入れた。彼女のあらゆる世話を無償で行う天狗にNは自然と心を許し、天狗も大人しい彼女に信頼を置いていた。


 天狗に拾われて7日目。

入院しても完治に2ヶ月はかかる大怪我がもうほとんど治っていた。天狗秘伝の治療法のお陰だろうか。

打撲も骨折も治り立ち上がれるようになったN。

元気になると、自分が突然いなくなったことによるクラスや先生、家族が探してくれているんじゃないかと心配になった。

"早くみんなの所に帰らないと"

世話を続ける天狗にそう伝えたいがその術がない。

1週間生活を共にしても感情はわかっても言葉の意味は不明のままだ。

でもいつまでもここには居られない。

Nはここを出る決心をして、身振り手振りを駆使して天狗に説明を試みた。

「私を助けてくれてありがとう! でも家族も友達も先生も心配していると思うの。だから返して欲しいの!」

表情もなるべく誇張して自分の気持ちを伝えようとする。

「土宇市焚? 名荷乎胃胃焚胃ン田?」

天狗もその意味を読み取ろうと頭を回転させているみたいだった。

数分間、何度も同じ言葉を繰り返した。


「祖宇夏! 模戸乃刃市夜荷夏絵李焚胃ン田路宇!?」

天狗の顔が閃いた表情をした。

「伝わった!?良かった…じゃあ…」

Nは荷物を背負う。

天狗が彼女に背を向けてしゃがんだ。

おんぶの姿勢だ。

無言の意思疎通、そのまま彼女は背負われた。

天狗はしっかり抱えると家の扉を開けて宙に飛び出した。

Nがここに来てから初めて見た外。

「え、うそ高っ!!」

30mはあるだろう、高さの木から何も無い空中に出たのだ。

原始的な恐怖のあまり叫びそうになった瞬間、重力が消えた。


「……あれ?」

彼女と天狗は浮いていた。1枚刃の下駄が空気の上に地を作っている。

そのまま天狗は大股で空を走った。

空中散歩とは正にこのことだ。さっきまでの恐怖はどこへやら、Nはすっかり楽しくなっていた。子供らしい年相応の屈託ない笑顔をみせた。

後ろを確認した天狗も嬉しそうな顔をした。



 楽しい時間は過ぎるのも早い。

木々の上を暫し進んだ先で階段を降りるように下へさがった。

Nが1週間ぶりに降りた地上は、早朝のあの寺の前だった。

天狗と別れる時が来た。

ずっと2人きりで、会話はしたくても出来なかったのに彼女の胸の内には思い出がいっぱいになっていた。

「短い間だったけど、本当に、ありがとう」

深々とお礼をした。ここにいれば寺の人が見つけてくれるだろう。

惜しみながらも天狗と離れようとしたら


「真手」

呼び止められた。

天狗は自分の腰巻に差していた、顔より大きな鳥の羽で作られたうちわをNに渡した。

「弧砺乎模津手胃毛。焚胃市焚模乃時夜名胃蛾、気津戸夜苦荷焚津田路宇」

ニカッと口角を上げた真っ赤な顔。

それがあれば言葉なんかいらない。

うちわを受け取り、ニパっとNも笑い返した。


するとNは強烈な眠気に襲われた。

「また、どこかで」

急激にぼやける視界の中、天狗が何か言った気がした。




 大勢の人から声をかけられNは目を覚ました。

どうやら捜索隊によって寺の境内で寝ている所を発見されたらしい。

ぼんやりする意識のまま日付を聞いたら、驚いたことに1日も経っていないという。

記憶にはっきり残るあの赤い顔。あれば幻だったのだろうか。


クラスメイトや急遽駆けつけてくれた家族に連れられで救急車に乗り込むNが振り返ると、羽団扇が描かれた寺の旗がそよ風に靡いていた。



帰ってから5年経った今まで、Nは誰にもあの話はしていないという。

どうせ言っても信じて貰えないだろう。



じゃあ、あの経験は彼女の夢の作り話だったのか?




――――そんなことは無い。


なぜならNは、不思議なことに毎年の猛暑を羽のうちわ1つで快適に過ごしているのだから。

















あとがき




最後までお読みいただきありがとうございます。


ちょっとだけ解説というより補足を。

蛇足だったらすみません。以下、興味のある人だけご覧ください。




今回の話は拙著「鰻捕り」のような作品を目指しました。

……そのはずが書いている内に段々と逸れてしまい、ちょっと情緒的な物語と言うより異界の存在と人間との出会いと友情の話になってしまいました(^_^;)

でも自分らしいオチで終われたかなと思います。


天狗という妖怪ものは、今回で一応3作目です。

「鰻捕り」はノスタルジックな少年時代の夏の思い出話。

「真夏の犬」は反対に当時の日常に紛れた恐怖を描いた話。

そして今作は子ども時代に体験した不思議な出来事の話。


共通するのは「子どもの時」ということです。

それぞれ昭和と現代と時代は違いますが、結局今の人間に妖怪を認識することはできないと思います。

本気で妖怪の存在を信じる人はどれくらいいるでしょうか。

彼らは純粋さが残る子どもにだけ姿を認識できる、儚い存在だと思っています。

向こうもそういう相手にしか姿を見せないのです。


今作はそれが顕著に表れています。

天狗に助けられたNですが、互いに言葉は通じません。

目には見えるのに言葉の応酬はできないのはやはり根本的に異なる存在だからなのです。


ただし、この天狗の言葉はじつは読めるようになっているので、ちょっと意識して読んでみると視点が変わってみえるかも知れません。

話しているのは普通の内容なんですけどね('-'*)


ちなみにもらった団扇は仰げば必ず心地よい風が吹く、ちょっぴり便利な道具という設定です。



思わず話が長くなってしまいました。

こんな所まで読んでいただきありがとうございます。



今後ともよろしくお願いしますm(_ _)m


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