暗箱
噎せ返る強烈な、甘い、花弁の匂い。
虫がおびき寄せられるように意識が覚醒し、気付いたら、男の目の前が真っ暗だった。
自分の状況が上手く飲み込めない。記憶が曖昧だが、喉元の皮膚がひりつき、息苦しさが残る。
身体は――横になっている。体勢は仰向けだ。
恐る恐る、手を動かす。
顔の前、頭の上、足の下、身体の左右すぐに壁があった。全身が上手く動かせず、窮屈だ。
見えないからわからないが、服は着ている。だけど手持ちにはない、薄い和服?のような格好に着替えさせられている。
一通り状況確認をした男は、こうなる前の記憶を必死に検索する。
そもそもなぜ寝ていたのか。もしくは気絶していたかもしれない。
……普通に仕事で会社にいて、昼飯を食べに出かけて――
思い出した。
人通りの少ない通りに入った瞬間、後ろから誰かに首を絞められたのだ。
ならここは死後の世界なのか……?いやいや、感覚はしっかりあるし、意識も現実的すぎる。
それに、一体どれだけの時間気絶していたのか。
謎は増えるばかり。
より情報を得るために男は耳を澄ませる。
外から音が聞こえる。人の声だ。
誰かまでは判別できない。それなりの人数が男の周りに居るようだ。
注意深く聞いていると、泣き声がする。
鼻をすする音やわめき声も。
唐突に男へ怖さが去来する。
何者かに襲われた後、目覚めたら狭い暗闇に閉じ込められ、周りに悲しみの感情が漂っている、この現状。
非日常に放り込まれると、人はどうすれば良いのかわからなくなる。
だが、一刻も早くここから出なければ取り返しがつかなくなる。
そう思った。
――いつの間にか周囲の声がやんでいる。
代わりに下から、つまり背中側から、ガタガタと不規則な振動が伝わってくる。
相変わらず外の様子は知り得ないが、さっきまでとは違う場所にいることはわかる。
それにこの振動、恐らく車だ、と男は思った。
”まずい”
男はできる限り、身体をうねり動き回った。
この身を守るためならば、四の五の言ってられない。渾身の力で暴れまくる。
しかし、車は止らない。音に気付いていないのか、そもそも聞こえていないのか。
狭い空間で、無理な姿勢で動いたため、体力の消耗が激しい。
さらに、息切れで大きく息を吸うと思い出したように花の香りが鼻孔を突く。
良い匂いも過多なら害になる。
男は気分が悪くなり、疲れも相まって眠りについてしまった。
…………汗が滲む。
箱内の温度が明らかに上昇して、意識が覚めた。
轟々と聞き慣れない音が取り囲む。
男を閉じ込めていた木材と花々は燃え朽ち始めた。
気付いたときには、手遅れだった。
視界が真っ赤になって、業火に包まれていた。
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