触れる幽霊

 日々の退屈な生活に疲れたOLがいた。女は家に帰ってもやることのないのが嫌になり、居酒屋で知らない人に声をかけ、新たな友達を作ろうと考えた。ある日仕事終わりに初めて行く店に入った。


 週末だったので混雑していたが適当に座って注文をした。すると、後の座敷に座っていた四人組の男に声をかけられた。


「一人ならこっち来ていっしょに飲みませんか?」


 元々の目的があったので、すぐに了承して席を移動した。


 男は皆同世代のサラリーマンだった。わかりやすく見た目で分けると、メガネ、大柄、坊主、細身の四人だ。


 彼らは学生時代からの仲らしく、女もその輪に交じって年が近いこともあり、予想以上に話が盛り上がった。


 だが、女には一つ不思議に思うことがあった。細身の男だ。彼だけ会話に参加せず、料理も食べず、酒どころか水も飲まない。


 よくよく注意していると他の三人も細身の男について触れないようにしていると感じた。この四人には何かあるのだろうか?


 そう思っていると、ふらっと細身の男が立ち上がり、トイレか何かへ歩いて行った。良い機会だと思い女は三人に聞いてみた。


「ねえ、彼ってどうして何も話さないし何も食べないの?」


 一瞬、場の雰囲気が変わった。が、メガネの男が少し言葉に詰まりながら口に出した。


「あいつ、幽霊なんだよ。」


 女は目を丸くして驚いた。大の大人の口からまさかの答えが出てきたからだ。どう返せば良いか迷っていると、


「いや、信じられなくてもしょうが無い。でも本当なんだ。あいつは大学時代に死んでるんだよ。ちょうど一ヶ月後が、七回忌だ。」坊主の男が話し始めた。

「元々あいつと俺たちは一緒に居たんだけど、色々あってあいつが死んで……でもその後もあいつは俺たちに付いてくるんだよ。しかも念が強いからなのか、霊なのに触れるし、本当は会話もできる。でも、今はもう何も話さないんだよ。」


 彼らの口をつぐんで、苦虫をかみつぶしたような表情を見ると嘘をついているようではなかった。しかし百歩譲ったとして、会話ができるどころか触ることもできる幽霊とは聞いたことがない。


 いまだ半信半疑でいると、細身の男がゆらゆらと帰ってきた。


 改めてこの男を見ると、ばさついた髪の毛、ひどい目のクマ、青白っぽい顔色をしている。にわかには信じがたいが状況証拠だけだと幽霊でもおかしくない。


 けれども信じるには、最後にもう一つ後押しが欲しい。そう思った女は細身の男にこう聞いた。


「あなたって、幽霊なの?」


 その途端、細身の男はクルッとこっちを向いた。そして、ゆっくりと首を縦に振った。


 女はしぶしぶ信じることにした。


 この後、全員と連絡先を交換した後、この日は解散した。


 しかし女は幽霊のことが気になって仕方なかった。


 家に帰ると早速、幽霊に連絡をしてみた。


“次は二人でご飯でもどうですか?”メールを送ると、一時間後には返信が来た。


 幽霊はメールを打つこともできるらしい。

“僕と関わるのは止めた方が良いですよ。”

 それだけだった。


 女は諦めなかった。触れる・話せる幽霊への知的好奇心が強かったのだ。


 何度もメールを繰り返すうち、少しずつだが心を開いてくれたのか、初対面から三日後、二人で会うことになった。



 前回とは違う、感じの良いバーで待ち合わせをして仕事終わりに落ち合った。


 幽霊はこないだと変わらず調子の悪そうな見た目でやってきた。


 女は、いざ誘ってみたは良いけど前回何も話していない幽霊に対して、どう会話をすれば良いのか悩んでいた。


 いきなり霊について質問をするのは失礼と考え、適当に身の上話を聞いてみた。すると、案外ポロッポロッとだが口を開いて話しをしてくれた。


 内容は、最近のことはほとんど話さず、幼い頃の話や小学校の話辺りが多かった。昔の話をする彼の表情は、女には少し和らいでいるようにも見えた。


 女自身の話もしながらの会話はとりとめも無い中身だったが、意外なことに楽しかった。それこそ時間と当初の目的を忘れてしまうほどに。


 女は人としての彼に惹かれ始めていた。


 つい話し込んでしまい、いつのまにか終電の時間に。急いで会計を済ませ店を出ると、男が今日最も大きな声で一言、


「今日は、人生で一番楽しい日でした。」


 そこまで言われると女の方が少し恥ずかしく感じてしまう。


 駅で別れ際、彼から小さな声で“ありがとう”と聞こえた気がした。



 数日後、あの日出会ったメガネの男から女に連絡があった。


 一つは幽霊の彼がどこかに消えたこと。


 二つ目は、大柄な男が数日前に死んでいたこと、殺人だった。


 あの日、初めて会って話をしたとはいえ、唐突な人の死はさすがに驚きと悲しみがあった。


 それに、幽霊の彼がいなくなったとはどういうことだろうか。死んで何年も三人に取り憑き、触れるほどの念でこの世にとどまっていたというのに……。


 彼に連絡をしてみるが返信は無かった。もういなくなってしまったのだろうか。



 それから一週間、またメガネの男から連絡はあった。


 今日、坊主の男が死んだというのだ。しかも殺人で。


 電話越しのメガネの男は、声だけでも明らかに動揺しているのがわかる。


 落ち着かせようにもこちらの話が耳に入っていないようで、“次は俺だ次は俺だ次は俺だ”と言い続ける。


 何しろ親友が二週続けて亡くなったのだ。女にも気持ちはわかった。


 今はそっとしておこうと電話を切った。

 だが、女の心にも何か引っかかることがあったが、このときはまだ、本人にもよくわからなかった。



 一週間後、そろそろ落ち着いたかと思い、メガネの男に連絡するが通じない。


 嫌な予感が脳裏によぎる。聞いていた男のアパートの部屋へ急いで向かった。


 ドアは鍵が開いていた。


 そっと中に入ると、男は部屋の中央で天井から血まみれでぶら下がっていた。女は警察に連絡した。



 この三週間で知り合った男が立て続けに死んだ。


 しかも一番仲が良くなりかけていた幽霊の彼はどこかに行ってしまった。

 女は心が疲れているのに、第一発見者として警察の取り調べを受けなければならなかった。長い長い聴取は憂鬱でしたかなかったが、なにやら担当の警察官の様子がおかしい。言いたげなことがあるみたいだが言い渋っているみたいだ。


「何かあるんですか?」曖昧に聞いてみると、ようやく警官が口を開いた。


「あの~、実はですね、今回殺された男性と、先週先々週に殺された男性二人、彼らに共通する人物がいるんですよ、」


 女はすぐ、幽霊の彼だと思った。だが彼はもう……。



「その共通する人物、まあ男性なんですが、昨日自室で死んでいるのが発見されました。死後間もない状態でした。」



 初め、正しく言葉を飲み込めなかった。なぜなら彼は数年前にすでに亡くなっているのだから、死体が見つかってもおかしくないからだ。


 だが、おかしいことにすぐ気付いた。死後一ヶ月?彼は大学時代に亡くなり、今年で七回忌だと聞いていた。それならば昨日まで生きているはずがない。


 女は事情を話そうと思った。


「え、あの信じてもらえないかも知れないんですけど、彼、自殺した友人達や自分でも幽霊だと言ってましたけど。」


 警官は、話し始めた。


「あー、それについてなんですが、私たちの調べによると、殺された三人は昨日自殺した男性は中学校からの同級生だったんですが、ずっと男性のことをいじめていたようです。靴や教科書を隠されたりボコボコに殴られたり、かなりひどいものだったようで、その中でも一番ひどかったのが、大学入学前、いじめの一環で三人は生前葬を行なったことです。それから男性のことを“幽霊”と呼んでいたみたいなんですよ。」


 女は言葉が出なかった。彼は触れて会話ができる幽霊などではなかった。


 幽霊ではないのに幽霊のように扱われ、からかわれているだけの、普通の生きている人間だったのだ。


「そうしたいじめが原因で、男性は他の三人を殺害後、自らの命を絶ったと言うわけです。」


 一応女に配慮してか、落ち着いたトーンで話をする警官。


 女はショックが大きすぎていた。全ての経緯を聞いた後、聴取は終了し、女は家に帰された。

 





 二人きりで会ったあの日、最後に彼が言った“ありがとう”は、人間扱いされてこなかった彼に優しく普通に接してくれた彼女への最後の感謝だったのだろうか。


 だけどもう辛いことは何もない。



 なぜなら本物の幽霊となった男は女にしか見えない存在として幸せに暮らしていけるのだから。



 この先もずっと。女が死んだ後も、永遠に。





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