第32話 誰も居なくなった

 

 受付の列に並び直して数時間後。

 とてもマズイ事になっている。

 非常に危険な状態だ。

 それは、命に関わる事。

 生命で生理的現象。

 我慢もイッパイイッパイの状態。

 ……漏れそうだ。

 ここで漏らしてしまっては、中三男子の命がない。


 後五人程の事なのに。

 何故に猫達は来ない。

 どうでも良い時は来たのに今来ないでどうする。

 

 ほんの一瞬、少しだけ……緩んだ。

 

 列を離れて駆け出した。



 三度目の受付の列。

 スッキリはしたが。

 出すモノと一緒に気力と何か大事なモノまでも流してしまった気がする。

 

 そんなで呆けた俺に猫が声を掛けてきた。

 「まだ、並んでるのかよ」

 

 声にならない叫びで返す。

 何で今なんだよ!


 が、そんな事は知らないとたった一言で消えてしまった。

 確かに知らないのだろうけど……もう一度言いたい。

 何で今なんだよ!


 数時間後。

 受付のお姉さんに疲れ切って掠れた声で聞く。

 「書き方が……」


 「五番窓口へお願いします」

 たった一言だった。

 

 その場にヘタリ込む。

 だが、もちろん列には弾かれてその脇でだ。


 「大丈夫ですか?」

 優しく掛けられる声。

 振り向けば制服っぽい服を着たおじさん。


 「五番窓口は? 何処ですか?」

 泣きそうだ。


 「案内しましょうか?」

 

 優しい、良いおじさんだ。


 頷いて着いて行く。


 今度も列は短い。

 受付以外はそんなに混んで居ないのに、何故に受付だけ。

 と、後二人。

 何やら話し込んでいるおばさん。

 どうも、数時間前にここで痴漢に会ったらしい。

 胸を下から掴まれて、二回揉まれた。

 そう訴えている。


 ……。

 一旦トイレに行こう。


 暫く様子を見して。

 さっきのおばさんが居ないのを確認してから動き出す。

 もう一度五番窓口へと行った。

 並んでいたのは二人。

 すぐに順番が来るに違いない。

 

 実際に早かった。

 次が俺の番。


 前のおじさんが退いて、俺が前に出る。

 その瞬間に、窓口の前に板が置かれた。

 ソコには、本日の業務終了と書かれていた。

 ……。

 握り込められた用紙に目を落とす。

 何で?


 その疑問の答えが出るはずもない。

 

 そして、市役所の中には……誰も居なくなった。

 




 「役に立たないなぁ」

 猫が辛辣に言い放つ。

 「たかが並ぶ事も出来ないのか?」

 

 ここは、噴水前。

 最初に現れたその場所。

 今は夕暮れ時。

 

 市役所は時間外で閉まってしまった。

 そして途方に暮れる俺に追い討ちをかけているのが猫。


 「どうすんだよ、もう夜だぜ?」

 指を立てて追い詰める。

 「明日の朝まで何処で何をしてれば良いんだ? 泊まる所も無いんだぞ!」

 

 そう……それはわかっている。

 いるのだが、仕方が無いじゃないか。

 市役所の中で色々と有ったんだ。

 どうにも成らなかったんだ。

 

 「ここで……野宿ですか……」


 「鎧君までもが追い詰めるのか?」

 もうわかったから許してくれ。

 反省はしている。

 キッと睨み付けた。


 その睨まれた鎧君。

 「いえ僕は何も言ってませんが?」

 顔の前で手を振っていた。


 「1日掛けて進んだ距離は、たったそれだけか?」

 だが、声は聞こえる。


 猫を見た。

 

 首を振る猫。

 

 ランプちゃんは女の子だ、声は明らかに男、つまり除外。


 まさか、フクロウが喋ったのか?

 頭の上のフクロウを捕まえて睨んだ。


 だが、小首を傾げて。

 「ホウ」


 「誰だ?」

 猫が剣を抜いて構えた。


 「何処ですかね?」

 鎧君も臨戦態勢。


 「ふはははは……そう驚く事も無かろうに」

 良く確認してみれば、俺の知っている声じゃない。

 いや、聞いたことは有るような気がするが。

 何時ものメンバーじゃない。


 「せっかく約束を果たしに来てやったのに……」

 夕陽で長く伸びる俺の影の中から、赤い霧が沸き上がる。

 「剣を引きたまへ……戦う意思は無い」

 霧が形に成り。

 そして、吸血鬼に成った。

 「返してもらいに来ただけだ」

 無防備を装い、噴水の縁に腰を掛け足を組む。


 実際には緊張感でイッパイなのが、すけて見えるのに。

 平和的に解決しようとの建前を全面に出している、そんな演出の積もりか?

 どこまでも……見栄と面子か?


 「で……約束とは?」

 昨日の事だから、もちろん覚えている。

 委員長の事だ。


 「見付けたので」

 右手をヒラリと返して。

 「案内してやろうと、出向いてやったのだ」

 

 無理矢理に格好を着けないと、虚勢も張れないのか?

 「ほう……では、お願いしようか」

 だがまあ、それに付き合ってやろう。

 ここで、揉めても得られるモノは無いのだろうから。

 戦闘態勢の二人にも頷いてやる。


 「ふむ」

 ほんの少しだが、緊張が薄れたようだ。

 取引の反故を恐れていたのだろうか。

  

 スクっと立ち上がり。

 「着いて来い」

 それでも、警戒は解く積もりは無いようだ。

 完全には形に成りきっていないのだろう。

 何時で逃げられる様にか動く度に赤い霧がチラつく。

 

 もちろんそれはこちらも同じ事。

 平静は装ってはいるが、猫も鎧君も納めた剣に手はかけたままだ。

 



 吸血鬼は適当に歩いているのかと思う程にアチラコチラと進んで行く。

 表通りから脇道。

 脇道から裏路地へ。

 そして大きな下水道の中に進む。


 「酷い匂いだな」

 鼻を摘まんでいても目に染みてくる。

 「こんなところにか?」


 「ここを通らねば辿り着けないのだ」

 吸血鬼は先頭に立ち、俺達に背後は晒しているが依然として霧がまとわりついている。

 そして顔は見えない。

 その考えも見えない。


 「しかし、良く見付けられたな?」

 猫も探りをいれようとか?


 「我の眷属に掛かれば造作もない」

 猫に答える喋り方はまだ警戒が残るのか?

 仰々しい言い回しだ。


 「眷属……コウモリか?」

 昨日の事を考えるとそうだろう。

 俺も呟く。


 「それと……」

 下水を走る小さな生き物を指差し。

 「ネズミだ」


 「オオカミ男は違うのか?」

 猫が問う。


 「あれは低脳な下僕だ」

 肩を竦めるのが背中から見える。

 「ただの家畜だよ」


 「成る程……良く躾られていたのだな」

 だから建物には入って来なかったのか。


 「躾は大事だ」

 鼻で笑っている。


 「で……まだ行くのか?」

 猫にとってはこの臭いは堪らないのだろう。

 そろそろ我慢の限界か?


 「もう少し先に階段が在る、ソコを昇ってスグだ」

 

 「下水に近いのか……」

 猫が呻いた。

 近ければ臭いも薄れる事も無いと考えられる。

 詰まりは我慢も続けねばならないと、そんな気持ちが言葉にのっていた。


 「諦めるのだな」

 やはり鼻で笑った。


 


 階段は実際、すぐに在った。

 連れ違う事も出来そうに無い狭い階段。

 ソコを少し登って、そのまま真っ直ぐのやはり狭い通路。

 そしてその奥には、巨大な空間。

 ソコから見下ろせば、地上とは違う街が在った。


 「ここは?」

 余りの巨大さに驚きを隠せない。


 「アンダータウンだ」

 

 「初めて聞く言葉だ」

 下町とも違うようだが……。


 「ここの住人が勝手にそう呼んでいるのだ」

 指を上に差し。

 「上と区別を付ける為と……自虐だろう」


 大きく、広く、深く掘り下げた場所、そのせいで天井は高い。 

 だけど地下の空間だその天井が無くなることはない。

 薄暗い場所。

 建物は普通に石で出来ている、造りは上と同じだ。

 そこかしこから煙が立ち上っている。

 其々の家の釜戸か何かの煙か?

 そのせいでか、全てが黒く染まっている。

 煙の煤がまとわりついての事だろう。

 それらが一望できる。


 「環境は良さそうには見えないな」


 「そりゃそうだろう……ここの住人は上には住めないヤツばかりだ」

 

 「犯罪者か?」


 「それも居るだろうが、そのほとんどが住民票を貰えなかった者さ」


 「何故?」


 「理由は様々だろう? 税金が払えなかった者……単にドロップアウトした者……市長様に嫌われた者……そして本物の人間」

 

 「人間? 人?」

 上に居たのは違うのか?


 「そう人だ」

 もう一度上を差し。

 「上に居たのは、人間のフリをした魔物どもさ」

 笑って。

 「もちろん市長様もだ」


 眉間にシワが寄る。

 あの優しそうなお姉さんも魔物だったのか?


 「まあ……詳しくは、君達が探しているその委員長とやらに聞くが良いさ」


 成る程……委員長はここで何かをしているのか。

 「で、その委員長は何処だ?」


 ニッと笑う吸血鬼。

 「こっちだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る