135話 ひたすら苦い

 思った通りになる人生はすばらしい。


 それでもなお時折肩すかしを感じてしまうのは、『障害を待ち望んでいた!』という話ではなくて、『あると思った壁が、実はなかったのに、壁を破るための準備をしてしまっていた』からなのだろう。


 サラとブラッドの結婚において、一番の壁になるかと思われたブラッドのじいさんは、壁にならなかった。


 ホテルの高そうな部屋で二人きりにされた時は緊張で死ぬかと思ったが、そこでブラッドのじいさんは、サラとブラッドの結婚に反対しない旨を明言したのだ。


 シーラの――娘の自由意思をずいぶん潰して、家出同然に出て行かれたことがだいぶ堪えているらしかった。


 俺といるとキレてる印象の強いシーラだが、家では静かで、常にうつむいて、しゃべらず、怒りも泣きも笑いもしなかったのだとか。

 そんなシーラが出て行く日に言ったのは『今まで私にかけた養育費は必ずお返しいたします』という一言で、実際、毎月、養育費返済名目のお金が振り込まれてくるのだとか。


 ……クッソきつい。

 もしも俺がサラにそんなことをされたら首を吊りかねない。


 実際、そのことを話すシーラの親父さんはずいぶん憔悴して見えた。

 報道番組などで映っている、ひょうひょうとしてつかみどころのない老紳士という印象はなく、ただの小さい老人にしか見えなかったのだ。


 老人との話を終えた帰り、俺は喫茶店でありのままを話した。

 どう思うよシーラ。


「全部事実だけど、あたしに言うかあ?」


 ブラッドとサラの結婚において、シーラおばさんはかなりのキーパーソンだった。

 ブラッドの両親の説得や、説得のための連絡係など、我が家とシーラの実家をつなげる役回りもかなり負ってもらっている。


 その縁で、今回、シーラの父親に呼び出された時も「なんかあったらすぐ連絡して」と心強いお言葉をいただき、会談場所のホテルそばで待機しててくれたのだった。


 あたしに言うかあ? とこいつは言うが……

 あったことを報告するのは普通に義務だと思う。


「あんた、娘を持つ父親として、うちのじいさんに同情してるでしょ」


 同情はした。

 でも、俺が心と行動を切り離すタイプなのを、お前は知ってるはずだ。


 報告の義務を感じたから報告しただけだよ。

 本当に他意はない。


 だいたい、俺が気をつかって話の内容を伏せたら、それはそれで『なんで黙ってんのよ』ってキレたろお前……

 俺にはわかるんだ。


「うっ、ま、まあ、そんな気もするけど……でもほら、テキトーにでっちあげるとか……ああ、うん。わかった、わかった。でっちあげる理由がないもんね、あんたには」


 互いに互いのことをよくわかっているので、話がスムーズで助かる。

 まあ、『じいさんは結婚を認めた』『シーラが出て行ったことを後悔している』の二点で報告は終了だ。

 あとはだらだらコーヒー飲んで帰ろう。


 俺たちはだらだらコーヒーを飲み始めた。

 政界の大物と一対一で会談したのだ。内容は予想とちがうものではあったが、緊張感はあとから疲労となって押し寄せる。


 シーラの見つける喫茶店はだいたいコーヒーがおいしいので、俺はだらだら二杯目のコーヒーを頼んだし、ケーキも頼んだ。

 ミリムも連れて来ればよかったんだけど、あいにくと義母かあさんの体調もよくないし、そもそもシーラパパが俺と一対一での会談を望んでたからな。


 俺はだらだらしながら三杯目のコーヒーを頼んだ。


 シーラは一杯目のコーヒーに視線を落としたまま、ピクリとも動かない。


 さすがにこれ以上ダラダラするのにもしびれを切らして、俺は言う。


 シーラさん、あなた、なにか相談ごとがありそうな顔をしていてよ。


「……戻るべきだと思う?」


 俺に『べき』を問うなよ。

 当事者じゃないんだから事情の細かい部分もわかんないし、世間一般ほど無責任な関係性でもないから一般論も言えない。


「そう来ると思って言わなかったんだけどね」


 俺たちは互いに互いのことをよく知っている。

 だから、相手が言いそうなことはなんとなくわかる。

 たとえば俺が『長い滞在をするのにカップが空のままだと店員さんに悪く思われそうだから、ガブガブコーヒーを飲む羽目になった』というのも、シーラはわかっているだろう。


「うちのじいさん、もうすぐ死ぬのかな」


 それは予想だにしない言葉だった。

 しかし、ただの思いつきとも思えない雰囲気だった。


「七十はもう超えてるし、聞くからに激務だし、寿命削っててもおかしくはないんだよね。そのうえ、けっこう、あたしのしたことでショック受けてたんでしょ? ……どうかなあ。どう見えた?」


 小さかった。

 報道番組で見るより、ぜんぜん、普通の――いや、普通よりも枯れた、『じいさん』だった。


「あたし、あの人のこと嫌いだけどさ。なんでだろう。『死ぬかも』ってリアルな予感がよぎっても……スッキリとかは、全然しないんだよね」


 ――ひたすら苦い。


 シーラはそう言いながら、苦さを消したがるみたく、ブラックコーヒーを一気に飲み干した。


「姉さんはそのへん全然言わないから。まあ、大物政治家の死期にまつわる話なんか、『外部』に漏らせないわよねえ。でもなんか、そろそろ危ないんじゃないかって、そういう予感はずっとしてた」


 まあ報道番組で顔とか見るからな。

 世間一般からは元気そうに見えても、家族から見たら違うのだろう。


「ねぇ、レックスはさ」


 シーラはそこでいったん言葉を切って。

 肩をすくめて。

 笑って。


「聞くだけ無駄そうだわ」


 いちおう言ってよ。


「親の死に目を近くに感じるなら、顔ぐらい見せるべきだと思う?」


 あー。

 聞くだけ無駄だったわ……


「やっぱり。……あんたはほんと、責任回避の達人よね。安易にここで『帰るべきだよ』って言われたら、あたしは『じゃあ』って言って帰った。そんで後悔してもあんたのせいにしてたと思う」


 わかってると思うけど、一応言う。

 俺は、無関係だ。


 我が家とそっちの家は親戚関係になるかもしれないが――

 シーラとその父親の重ねてきた歴史について、俺は、永遠に部外者だ。


 だから自分で決めて、自分で後悔したり、自分で満足したりしてくれ。

 俺のせいにされても困るけど、自分のせいで後悔するなら、愚痴を聞くぐらいはできる。


「ひょっとしてあんた、あたしの友達だった?」


 それはわからない。

 俺は中等科の教員で、お前は弁護士の先生だ。

 俺とお前はテストの点数で競い合ったライバルだ。

 俺とお前は幼稚舎から付き合いのある腐れ縁だ。


 気に入った関係性を選んでほしい。

 多少は相手の要望に応じてかぶる仮面も用意してある。


 悲しいことに、大人だからな。


「それもあたしに選ばせるんだ」


 この話の主導権を持っているのは――

 というか、お前とお前の父親にまつわる話の主人公は、お前と、お前の父親だから。

 選択するのは、主人公であるべきだと思う。


「レックスはモテないわ」


 いいよ別に。

 奥さんと子供いるし。


「こんなに厳格でこんなに誠実なくせに、頭のネジがどこかに吹き飛んでるんだから、そりゃあ、まずい人だわ」


 俺がまずい人扱いされたことがあるみたいな言いかたをやめてもらおうか。


「えっ」


 えっ?


「……よし、わかった。じゃあ――ちょっと行ってくる。まだいるかもしれないし」


 そう言うとシーラは伝票を持って立ち上がった。

 俺はシーラが手にした伝票を、なんとか、つかんだ。


「なにすんのよ」


 お前、俺に支払い能力ないと思ってない?


「思ってないけど、お礼っていうかさ」


 俺は無関係だ。

 で、お前は急ぐ必要がある。こうしてるあいだにもお前の親父が帰っちゃってるかもしれないから。


 お前には娘の結婚関係で尽力してもらってるし、ここは俺がおごるよ。

 だからさっさと行け。


「……お礼は言わないほうがいいんだよね」


 俺がお礼としておごるって言ってるのに、お礼を言うとか妙な話だな。


「……じゃあ、またね」


 シーラはなにかを飲み込むように俺を見てから、去って行く。


 こうして俺がコーヒーを飲んでいるかたわら、俺とは無関係な話が始まったり終わったりするのだろう。


 ふと、伝票を見る。


 俺はそのあと顔をあげて、黒を基調とした天井でまわる、謎のオシャレファンの動きをじっと見た。


 ため息をついて、思う。


 シーラの選ぶコーヒーに外れはないが――

 彼女の入る店は、ちょっと、高い。

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