98話 甘すぎるもの
四月生まれ最強説を推している。
四月から年度が始まるこの社会において『四月生まれ』と『三月生まれ』にはかなりのスペック差が生じる。
もちろん『教育』によってその差は縮まり、大学受験をするような年齢になれば頭脳でも肉体でもほぼスペック差は消え去るだろう。
しかし幼児期の肉体的スペック差はやはり無視できないものがある。
うちのサラは五月生まれだ。
本当は四月生まれにしたかったが、四月は出産のための休みがとりにくいという判断をしたため、五月生まれになるよう調整したのだ。
まあ、連休中に生まれてほしいという計画は、その通りにはならなかったわけだが……
ともかく、サラは強い。
強いというのも不便なものだ。
特に同級生との身体能力的な差が大きいと、ちょっとしたことで相手にケガなどを負わせかねない……
このあたりを言い含めるだけで配慮させられたら、どんなに楽か。
二歳になったサラはとにかく『イヤ』が多くなってきていた。
俺がなにかを言えばとりあえず否定をし、ミリムがなにかを言えばちょっと考えてから否定をし、自分で積んだ積み木はなぜか不満げに崩すし、本棚の中身とかも勝手に並べ替えて、そしてやっぱり納得いかない様子で本を投げ捨てたりもする……
頭では理解していたことだが、今は実感をともなってわかる。
『子供には、子供なりのこだわりがある』。
『子供は素直』というのは幻想だ。『親の言うことは絶対』というのも幻想だ。
子供には子供なりの、大人からすればまったく理解のできない美学がある。
子供とは、美学をもとに行動する『一つの人格』なのだ。
ならば一つの人格を相手にするなりの下準備をせねばならない。
そして俺は『わからないことは、まず知る』というのが信条だった。
そのような理由で時間をとってもらった本日のゲストのシーラさんです。
よろしく。
「……いや、いいんだけどね」
静かで狭いこの喫茶店は、俺がシーラに法律関係の相談をするさいによく利用する場所だった。
なにを隠そう、シーラの現在の職業は弁護士なのである。
しばらく弁護士をやって、そのうち親の地盤を継いで政治家になるとかいうルートを歩んでいるのだった。
レールの上の人生だ。俺はうらやましいが、シーラはそうでもないらしく、そのへんのことに触れないのが俺たちのあいだでは暗黙のルールとなっている。
六月を迎えて気温は例年をはるかに上回る高まりを見せていた。
俺たちが喫茶店で注文したのは冷たいコーヒーとサラ用のジュースであった。
サラはミリムの膝の上でおとなしくしている……そう、外面がいい子なので、あんまり知らない相手の前だと、家での暴虐ぶりを隠蔽することを知っているのだ。
「っていうかなんで、子育てについての相談であたしに来るの? ないんだけど、経験」
子育ての経験を分けてほしいのではない。
四月生まれの経験を分けてほしいのだ。
お前が幼児の時、どういう配慮をしていたか、また、どうしてそんな配慮をしようと思ったのか、そういうあたりを教えてほしいんだ。
「あの……覚えてるわけがないんだけど……」
ほんの二十五年ぐらい前の話なのに?
……あっ、マジで? もうそんなになる?
感覚的には数ヶ月前まで幼児だった気がするのに、俺はもう三十を迎えようとしているのだった。自分で言って自分で愕然とした……
俺、もう二十八歳やん。
「あの、自分で言って自分でショック受けるのやめてもらっていい? っていうか同年代にショック受けられるとあたしもなんだがショックだわ……」
しかもシーラは四月生まれだもんな。俺より一歳上……
「一歳も上じゃないんですけど!? せいぜい八ヶ月とか――ってそんな話はどうでもいいのよ。……あのねえ、レックスのことだから、またおかしな考えをもとに、あたしに相談に来たんでしょうけど……」
どうやら友人・知人のあいだで俺は『おかしな考えをする人』であると根強く支持されているらしかった。
普通であろうとして生きてきた二十八年間はいったい……
「そういうのは、四月生まれ本人よりも、四月生まれの子供を育てた経験のある人に聞くべきなんじゃない?」
つまりシーラの両親か。
しかし……俺はシーラの跳ねた赤毛を見つつ記憶を探る。
シーラの両親……その容姿さえ記憶にない。というか会ったことはあっただろうか? シーラの勝ち気そうな顔立ちも、クセの強い赤毛も、高い身長も、それらは両親由来のものなんだろうけれど、彼女を見てたって全然思い出せない。
「まあ、行事に来るような両親でもなかったし、あんたは知らないかもね。っていうか、大人の事情があって、あの学園の子たちとつきあいが深まるのをよく思ってなかったみたいだし。出身校による派閥があるみたいで……」
俺は当時子供だったのでよく知らなかったが、シーラが初等科修了と同時に転校していった背景には、政治家をやっているシーラパパの政治的派閥移籍が関係していたっぽい。
「……まあ、うちの両親にいきなり『子育てについて教えてください』って言いに行っても、門前払いされるでしょうね。だから、あんたらはあんたらでがんばりなさいよ。あたしは力になれそうもないから」
シーラはどこか吐き捨てるような様子で言っていた。
しかし俺はサラがオレンジジュースを一口飲むたびびっくりしたような顔をして俺たちになにかをうったえようとするので、そっちの対応でいそがしくて、シーラの内心にまで踏み込めなかった……
サラ、お前、なんでオレンジジュース初体験みたいな顔するの?
それともこの喫茶店のオレンジジュースそんなにおいしいの?
俺も頼もうかな……いやまあ、あまるか……
俺はシーラに言った――ごめん、言葉の後半聞いてなかった。
「……あたしじゃ力になれないって話よ」
シーラはぶっきらぼうに言った。
サラがオレンジジュースを一口飲んで、またこっちの顔を見る。
なんだ、なにをうったえたいんだ……サラはとっくにある程度の言葉を操れるのだが、それはまだ達者ではないせいか、目が口以上にものを言うのだ。
うちのサラはぱっちりおめめのかわいい子なので、目をまんまるに見開くと本当に目がでかい。アニメかなんかのヒロインみたいだ。あるいはお姫様なのかもしれなかった。
俺はついに耐えきれずに言った――パパにもジュースを一口ちょうだい。
しかしサラは首を横に振る。びっくりした顔のまま首を横に振る。最近、サラは俺の発言を耳にするととりあえず首を横に振る。反抗期だろうか。早くない? それともうちの子は成長が早いのだろうか……
俺はショックを受けながら言う。シーラ、お前も反抗期早かった?
「だから覚えてないって言ってんでしょ!? 聞きなさいよあたしの話!」
どうして怒ってるんだろう……
シーラにはよくわからないポイントでキレる悪癖があった。それはどうにも治っていない様子で、彼女との会話は地雷原を歩いて抜けるかのような緊張感が常につきまとう。
俺はシーラをなごませるつもりでサラに言う。サラ、お姫様のポーズをとれ! サラはお姫様のポーズをとった。
俺の言うことに逆らいがちなサラは、しかしアニメで見たお姫様のポーズだけは誰に言われてもやるのだった。
しかしもう一度ジュースちょうだいと言うと、サラはやっぱり首を横に振る。
俺は悲しくなってきた。そのうち洗濯物もパパと同じ洗濯機で洗わないでとか言い出すんだろう。俺はサラさんにおうかがいをたてる。あの、姫、抱きしめてもよろしいですか?
姫はミリムのふとももから俺のふとももへ移動した。俺は姫を抱きしめた。まだまだ脂肪分が多い幼児の体はふわふわで温かくて、俺は生命のぬくもりを感じた。
「レックスはほんと、会話してる相手を放っておいて変なことやりだすわよね」
お前をなごませようと思って……
「なんでそうなるのよ」
どうやらシーラは『お姫様のポーズ』だけではなごまない、かたい心の持ち主のようだった。
仕方がない……
俺はサラの大きな真っ黒い目をじっと見る。姫、あの赤い髪の人をいやしてさしあげなさい……
俺は今、たいていの問題はサラのいやし効果によって解決すると思っているので、妙にいらだっているらしいシーラの機嫌も、サラによって治ると信じていた。
さいわいにもサラさんは珍しく俺の指示にうなずいてくださったので、いったんミリムにサラを返し、ミリムがサラをシーラのところまで運搬した。
しかしここでシーラは変なごねかたをする。
「こ、子供はいい。あたし、子供との接しかたわかんないから……」
本気でいやがってるんだったら『なら仕方ないな』と引き下がるのだが、シーラがサラに興味津々なのは視線の動きでバレバレだった。
親というのは自分に向けられる視線以上に子供に向けられる視線に敏感になるものなのだ。嘘やごまかしは通じない……
押し問答を三回ぐらいしたすえに、シーラにサラをあずけることに成功した。
シーラはこわごわとサラに触れる。サラは外面がいいのでおとなしい。というか自分をかわいがらせるのを自分の仕事だと思っているフシがあった。あの年齢にして自分には役割があると認識し、その役割をこなしてみせる。天才だった。
「……あ、一個だけ思い出しちゃった」
シーラがちょっとだけイヤそうな顔をした。
「ここまで小さいころの話じゃないけど、初等部時代とかさ、あたし、レックスによく、つっかかってたじゃない。アレね、両親の影響だわ」
初等部時代っていうか、俺の人生でシーラと衝突してなかった時代のほうが珍しい。
「『一番をとれ』って言われてたのに、あんたが常に立ちふさがって……まあ、ほんと、気に入らないヤツだったの、思い出した。……そうね、そこから教訓めいたものを言うなら……『一番を強要しないであげて』ってことかな。一番になれるかどうかなんて、同じ時代に誰がいるかによって変わるんだから」
強要もなにも、サラは俺の一番なので……
一番をとれとは言わない。なぜなら、もう一番だから。
「……やっぱ、あたし、子供苦手だわ」
サラが帰ってくる。
シーラが全然口をつけていなかったコーヒーを飲み干した。
「もっと大人にならないと、やっぱり苦いものね」
砂糖入れろよ……
とは、言わなかった。なぜか、それはコーヒーに対しての感想ではないように思えたからだ。
「じゃあね。相談料はいらないけど、コーヒー代はよろしく」
こちらの都合で弁護士先生を呼び出したので相談料ぐらいは払う腹づもりでいたのだが、うまくかわされた。
それは俺にとって無駄な出費ではないので払うと食い下がりたかったが、シーラの行動は迅速で、俺がなにかを言う前に、サラをミリムに渡し、彼女は店を出て行ってしまった。
俺はまだ残っているコーヒーを見つめ、それからオレンジジュースに視線をやった。
パパにもちょうだい。
再三のお願いについにサラが折れて、俺はオレンジジュースを飲むことに成功した。
そのあとに飲んだコーヒーはやたらと苦くて、俺は自分で『砂糖入れろよ』と思った。
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