75話 外堀

『娘さんを僕にください』というアレをやってみたかった思いはある。


 いや、それもやらずにすんだから思うことなんだろう。アレは絶対に過剰なストレスがかかる。相手がミリムの両親であっても、いや、だからこそ、どういうツラしてそんなことを言えばいいのかわからない。


 ともあれ俺とミリムが結婚するという話については、ぶっちゃけ俺の全然あずかり知らないところで進んでいて、というかミリムが勝手に進めていて、気づいたらそういう空気になっていた。


 俺はと言えば『よくできた嫁だなあ』と感心した。

 いや、この時点ではまだまだ嫁じゃないのだけれど、結婚という行事にかんしておそらくもっとも面倒くさい『あいさつまわり』を勝手に進めておいてもらえたのだ。感謝しかない。


「……まあミリムちゃんはけっこう、そういう子だよね」


 アンナさんに『二年後結婚するんで』という連絡を送ったところ、速攻で音声通話がかかってきて、しばらくぶりに俺たちは話し込んでいた。


 静かな夜だった。

 俺が一人暮らしをしているアパートは狭くて壁が薄いので、夜になると鳥や虫の声がよく聞こえる。

 五月も半ば以上をすぎたこの日は特に虫の声が大きいように思われた。最近、季節がぐちゃぐちゃで、春が寒すぎたり夏が暑すぎたり、秋が消え去ったりしている影響か、生態系にも変化が起こっているのかもしれなかった。


 そんな壁の薄いアパートだから、俺は自然と声をひそめるような話し方になる。


 ミリムがそんな子って、どういうこと?


「……んーと……手段を選ばないっていうか……」


 手段を選ばない。

 なるほど、たしかに一般の人たちは、かなり『手段を選ぶ』ように思われる。

『卑怯』『善悪』『こだわり』『不必要な労力カット』……そういった様々な理由で、かなり手段を限定し、非効率な人生を送っているような印象があるのだ。


 その点、ミリムはたしかに『手段を選ばない』。

 俺と同じく非効率と無駄を嫌う性分なのだった。もちろん法やモラルは守るが、効率のためなら『こだわり』を捨てられるタイプであり、また、そのへんが周囲には理解されないところでもあった、のだとか。


「まあレックスくんがいいならいいんだけど……あ、いいならいいんだけど、じゃなくて、まずは『おめでとう』だったね。ごめんなさい」


 祝福してもらえて嬉しいです。

 あと、こんなこと言っても反応に困ると思うんですが……

 俺、あなたにあこがれてたかもしれません。


「そういえば、したねー、結婚の約束」


 アンナさんは通話口からでも相好を崩しているのがわかる声で言った。

 今日の彼女はどこか普段以上に軽やかで、結婚相手が決まっている俺でさえ、その少女のような口ぶりにはドキドキした。


「あったかなあ、私たちが結婚する未来って」


 なかったと思う。

 聖女聖誕祭の日にちょっと考えてみたけど、俺たちはきっと、そういう運命の中になかった。

 運命――その言葉を俺は嫌悪してはいるのだけれど、運命という言葉がはらむ意味の多さ、それゆえの利便性には、どうしたって逆らえない。


 俺たちが結ばれる運命は、なかった。

 それは、ずっと前に、俺が考えて、結論したことだった。


「レックスくんは断固としてるよね」


 ……ひょっとして俺は今、ものすごいチャンスを自らたたきつぶしたのだろうか?


「いやいや。チャンスって。ダメだよそういうの。……まあでも、レックスくんってさ……『とりあえずレックス』みたいなところあるじゃない?」


 なんですかそれは。


「安定感あるんだよね、性格に。だからこう、すべてあきらめて帰った時に、つい頼りたくなる感じっていうの?」


 アンナさんは酔っているのかもしれなかった。


 まあしかし、彼女が濁した言葉の真意が、俺にもなんとなくわかる。

 俺はいわゆる『キープ枠』なのだろう。

 派手さがなく、堅実で、そこそこ。

 だからきっと、いろんな人にとって『めんどうくさくない相手』なのだと思う。


「派手さがなく? 堅実で? そこそこ?」


 えっ、違う?


「いや、派手だよ君は……堅実でもないよ……『そこそこ』でもないよ」


 どうやら俺の思う俺と、アンナさんの中の俺は、だいぶ違う人物のようだった。

 ここまで地味に堅実に生きている生物も、俺の他には家スラ(家飼い用スライムのこと。愛玩動物として進化している)ぐらいのものだと思うのだけれど……


「地味に生きるのは、派手だからだよ。堅実に生きようとするのは、そうじゃないからだよ。自分がそうじゃないから、目指して生きるんだよ」


 ……たしかに、言われていることはわかる。

 俺が地味で堅実でそこそこであれば、そうあるように生きる努力は必要ない。

 きっと俺がそうじゃないから、俺は地味に、堅実に、『そこそこ』で生きていこうという努力を重ね続けたのだろう。


「まあとにかく、ミリムちゃんならいいと思う。君たちはなんていうか――嘘つきだから。すごく似合ってる。……あ、褒めてるんだよ?」


 どこか口調がふにゃふにゃとしている。

 しかもそれは、会話の最中にだんだんとふにゃふにゃ感が増しているようにさえ感じられた。


 ひょっとしたら俺と通話を始めたあたりで飲み始めて、今なお飲み続けているのかもしれない。

 アンナさん――深酒は禁物ですよ。寿命が縮むから。


「私は短く派手に生きたいんだけどね」


 それは意外な言葉に思えた。

 けれど、すぐに意外でもないと気づけた。……大輪の花を咲かせ一瞬で燃え尽きるような人生を望まない者が、堅実な道を捨てて、冒険のような人生を選ぶわけがないのだから。


 アンナさんは、今では注意深く音楽関係のニュースを追っていれば、はしばしでその名が聞こえるような人にはなっているが……

『音楽家』というものの不確かさから考えれば、そうならない可能性のほうがずっと高かったのだ。


 きっと努力をしているのだろう。

 でも、努力なんかみんなしている。


 才能があったのだろう。

 でも、プロになる者は多かれ少なかれ、才能があるはずだ。


 その中で淘汰されず生き残るには、才能と努力の上に運が必要で、運なんていうものは、たまたま手にするものだ。手にする確率を高くできたとしても、手にできるかは、それこそ『運次第』、なのだ。


「……レックスくんは、たまに、私より年上なんじゃないかって思うよ」


 まあ人生百万一回目ですからね――俺は冗談めかして言った。

 アンナさんは笑って、「じゃあ、遅いから。招待状はちょうだいね」と言って切った。


 俺は――

 通話の切れた携帯端末をながめて、ぼんやりとする。


 なぜだろう。

 アンナさんとの関係は、今までと変わりなく続いていくだろうはずなのに――


 なにか、妙な寂しさがあって、その日はなかなか寝付けなかった。

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