新井さんがいないビクトリーズ
「続きまして、後攻の北関東ビクトリーズ、スターティングメンバーを発表致します」
グラウンドでは両チームのシートノックが終わり、グラウンド整備が行われ、それなりにスタンドにお客さんが入り、試合前独特のざわざわした緊張感が漂い始める。
「1番、センター、柴崎」
「2番、レフト、杉井」
「「…………ああー……」」
スタメン発表で2番レフト杉井とアナウンスと、スタンドからは残念そうなため息交じりの声がベンチまで届いた。
それを聞いた俺はちょっと嬉しくなり、ベンチの奥で腰を落ち着けながら1人で笑う。
もちろん、杉井がスタメンでがっかりというわけでなく、俺がいなくてだいぶがっかりという反応。
昨日、最終打席でツーベースを打ちながら足を痛めて、1塁コーチおじさんおんぶされてベンチに引き下がった俺。
それを見て、プロ野球情報サイトや野球関連の掲示板などを確認して、やきもきしているファンも多少はいてくれたことだろう。
公示などのビクトリーズからの公式発表もないし、試合後の萩山監督の談話でも、俺に関しては何も話していないみたいなので、次の試合のスタメン発表まで俺の安否は謎だった形になる。
やっぱりスタメンからは外れたかと、ため息をついたファンが多いのは俺個人としては嬉しいですわね。
昨日足痛めたみたいだけど、新井は出るかなあ。
今調子いいんだから、多少無理してでも試合出るだろう。
いや、もう最下位はほぼ確定しているわけだから、そんなに無理しても仕方ないだろう。
いやいや、今ビクトリーズに新井の打率以外の何があるんだよ。
でももう規定打席は届かないわけだから、打率にこだわっても仕方ないし。
このままいけば、400打席以上に立って打率4割だろ。十分価値あるわ。
いろいろな考えがあるだろうが、ビクトリーズ首脳陣の判断は無理はさせない。あいつ、すぐ調子に乗るから試合には出さないという判断。
指名打者制があればまた違ったかのかもしれないけど。
レフトしか出来ない子だと思われているんでね。
足が痛いんじゃ、余計守備範囲は狭くなるし。余計に文字通りの足引っ張り役になってしまう。
ベンチとしては賢明な判断である。
「よーし、昨日借りを返せよ、お前ら。今日は打ち勝つぞ」
「「おっす!」」
両チームの監督同士がホームベースまで歩き、握手をしてメンバー表交換。
萩山監督がベンチに帰ってくると、ヘッドコーチが昨日のド貧打を振り払うように手を叩きながら選手を鼓舞した。
俺がいないチーム打率ドン下がりの打線がどこまでやれるのか、見せてもらいましょうかね。
「1回表、横浜ベイエトワールズの攻撃は、1番センター、桑ノ原」
相手の1番打者が右打席に入る。打率は2割6分ほどだが、今シーズンここまで10本のホームランを放っているパンチ力が怖い。
うちの先発ピッチャーである千林君。身長190センチの細身な体がマウンドにひょろっと立っている。
その千林君が鶴石さんのサインに頷いて、投球動作に入る。
足を上げて、左手のグラブを本塁方向に真っ直ぐ向け、上げた足にタメを作りながらゆっくりと踏み出し、長い腕を真上から振る。
白いボールがホームベースに向かっていく。高いリリースポイントから投げ下ろされたストレート。
やや上からの角度がつきながら、低めいっぱいきわどいところ。バッターが見逃す。
鶴石さんのミットにボールが収まった。
「ボール!!」
球審の手は上がらない。
2球目。
今度は胸元の高さに外れた。
2ボールからの3球目。
初球よりも少し高いところにボールがいった。2ボールになってしまい、ここは多少甘いゾーンになっても、まずはストライクが欲しい場面。
相手バッターはスイングしてきた。
カアンッ!
きっちりと打ち返された打球はいい当たり。相手チームのファンの歓声がわあっと上がり、三遊間の真ん中を痛烈に破っていった。
打球が三遊間を破った瞬間、マウンド上の千林君はしまった! と、顔を歪ませる。
打球は今日俺に代わってレフトに入った杉井の元へあっという間に転がっていった。
「うーん」
いきなり先頭打者を出してしまったか……。
ベンチの左側でグラウンドを見つめる首脳陣達の鼻息が大きくなる。
初球、2球目とボールになり、ストライクを取りいった3球目を打たれた。
特に初球だね。初球の低い際どいところをボール判定されたのが地味に痛かった。
こういう時はもう1球同じところに投げ込んで本当にボール球なのかを確かめにいくくらいの胆力が欲しいところだった。
いきなり1番打者に会心の当たりをされる、なんだか不安になるピッチングだが、続く2番打者3番打者を打ち取り、2アウト。
「4番、レフト、筒薫」
よしよし、なんとか2アウト。
このままきっちりコントロールして無失点で初回を終えて欲しかったのだが。
カアアンッ!!
左打席に入った相手チームの主砲。ぐっとボールを引き付けて、 バットを振り抜く。膝元の変化球を捉えた。
好球必打。乾坤一擲。
打球は右中間へと舞い上がる。
まだ明るい、色が薄くなり始めた夕方の空にベイエトワールズ4番打者の打球が上がる。
センターの柴ちゃん、ライトの桃ちゃんは少し走ろうとしたところで、打球を追うのを諦めた。
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