みるみる上げる新井さん

というジョークが思い付くくらい、今の俺には余裕があった。


1週間前の全くヒットが出なかった時とはまるで精神状態が違う。


その時は、とりあえずの1本を欲しすぎて来るボール来るボール全てを打ち返したくて力みまくっていたのだ。


女子プロの鍋川ちゃんには散々力むなと指導していた俺自身が、ないパワーで力みまくっていたんだから、俺もまだまだだなあといい勉強になった気がした。




そんな思考を持ちながら、俺はまた次の試合に臨む。




「打ちました、アウトコース。ライトが前進しますが……打球はその前に落ちました。1塁ランナー柴崎は2塁ストップ! 1アウトランナー1、2塁。新井が今日2本目のヒットです」



「甘くなった外側の変化球でしたねえ。新井くんにあのコースは打たれますねえ。バッテリーはもう少し考えて配球しなければいけませんよ」



アウトコースのやや低い高さの変化球。


一瞬だけキュッと体の動き出しを我慢して、ボールを引き付ける。


後はバットにさえ当たれば、右方向に飛ぶ角度にバットを出してやるだけ。


自分の調子のよさが手に取るように分かる。


それが打球に現れている感じだ。



非常に自分のバッティングが充実している。



「いい当たりだ! 阿久津の打球は左中間深いところ破っていく!柴崎が2塁から、あっという間にホームイン! 1塁ランナーの新井も3塁を回って返ってきます、ホームイーン! ビクトリーズさらに追加点! リードを広げます!」



結局のところ、俺のバッティングというのは、どれだけボールをバットの芯で捉える確率を上げられるかただそれだけだ。


他の選手達のように、外野の頭の上ないし、芯さえ食えばスタンドに放り込めるようなパワーや、目を見張るような足の速さがあるわけでもない。



守備も上手くはないし、肩も強いわけではない。


バットに上手くボールを当てることが出来るというそれだけ。


その1点勝負といってもいい。



しかしそれこそが、バッターとして成功する上でのウエイトがどのくらいあるのだろうと推測と、最も必要な能力なのでは? と考える。


どんなピッチャーがどんなボールを投げてきても、俺はいつでも右方向に打ち返すイメージを高めている。


他には何も考えない。ストレートで押し込まれようが、外のボールゾーンに逃げる変化球で誘い出されようが、胸元をしつこく攻められてバッターボックスで尻餅を着くことになろうが。



少しでも打てるボールがくれば、馬鹿の1つ覚えのように1、2塁間目掛けてバットを振る。


1、2、3でスムーズに振る。



それだけ。



それだけをなにかに取り憑かれたように繰り返す俺の打球は、相手野手を嘲笑うように間に抜け、線上に落ち、誰もいない場所に転がっていく。



その結果として、一時は3割3分まで下がっていた俺の打率がみるみる上がっていったのだ。







プロ野球のシーズンも8月に差し掛かり、いよいよ最終順位争いが白熱してきた。


西日本リーグは、福岡ハードバンクスの独走状態で、シーズン1位は決まってしまったのも同然の状態。


東日本リーグは、オールスター頃までは東京スカイスターズが首位をひた走っていたのだが、7月終わり頃から調子が下降気味。


北の大地に本拠地を構える雄。北海道フライヤーズが、自慢の機動力とチームバランスのよさで、順調に白星を積み上げ、6月に最大7あったゲームがついに1。東日本のペナント争いが混沌としてきていた。


まあうちは春先にコロコロと選手起用をチグハグさせていた、いわゆる出し引き将棋をしていたことが功を奏し、投手野手ともにバテてくる夏場になっても大きなケガなどて離脱する選手が他のチームに比べて比較的少ない。


そのおかげでチーム力がガクンと落ちることなく戦え、他球団に離脱者が出た分それなりに5位とのゲーム差が縮まってきていた。


とはいえ、15連敗のツケはまだまだ残っており、5位横浜ベイエトワールズに12ゲーム差。4位東北レッドイーグルスに20ゲーム差と非常にしょぼーんな状況になっているが一時期よりはマシ。



そんな中、まるで野球の女神様に愛されるが如くの俺は164打数64安打。打率を3割9分まで上げて、8月12日。


日曜日の東京スカイスターズ戦を迎えることになった。







「マイプロTVをご覧の皆様こんにちは。本日は北関東ビクトリーズ対東京スカイスターズの第16回戦です。解説はお馴染みの大谷さんです。よろしくお願いします」


「はい、よろしくお願いします」



「本日は真夏開催。本来は安全面からナイター開催日なんですが、午後14時の試合開始。しかし今日は日光山から涼しい風時折吹いておりまして、この時期にしては非常に過ごしやすい陽気となっています」



「確かに昨日までは暑かったですが、今日は最高気温が30度くらいですねえ。茹だるような暑さではありませんから、選手はまだやり易いでしょうねえ」


「ええ。……世間はお盆ですから、スタンドには親子連れ、もしくはご年配の方が帽子を被った小さなお子様を連れている姿が目立ちますね。


本日の試合は、夏休みわくわくデーということで、試合開始前から、試合が終了した後も様々な企画、イベントを開催していくということです。


テレビをご覧の皆様も、試合中継のどこか発表しますキーワードを集めてご応募頂きますと、選手のサイン入りグッズが抽選で当たりますので、そちらの方もお楽しみ頂ければと思います。


それでは既に両チームのスターティングメンバーが発表されています。まずはそちらを確認していきましょう」

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