不調に陥った新井さん6
「いや、失礼! 見逃しました。低め外れて1ボール。バントの構えからバットを引いた新井。初球ストレート低めを見逃して1ボールです」
ちぃ。バントのサインだったけど、バスターして強襲ヒットにしてやろうと思ったのに。残念、ボール球だった。
しかし、ピッチャーがボールを投げた瞬間、相手のサードとファーストが、2塁でアウトにしようとものすごいダッシュを仕掛けてきた。
それが一瞬見えたのもあってバスターしようと思ったのもある。
打席を外して3塁コーチおじさんのサインを見る。
………。
変わらず送りバントだ。
さっきと同じように、バントの構えをして、ピッチャーを睨み付ける。
ガルルルル………。と、唸り声を出しながら、1球牽制球を挟んでも変わらず送りバントの構え。
ピッチャーが足を上げる。
その瞬間、すっとバットを滑らせながら、バスターする素振りをして………ボールがきた時には、勢いよくまたバントの構えに戻して、そのままコツン。
バントしたボールはピッチャー前のややサード側へ。
俺のちょろまかしのおかげか、サードの出足が一瞬遅れた。
ピッチャーがマウンドを急いで駆け降り、ボールを拾い、くるっと反転して、素早いモーションで2塁へと送球した。
「新井は、バントしました。ピッチャー前に転がった! ………ボールを拾って……2塁に投げました! きわどいタイミングだ!
………セーフだ! ショート本倉が1塁へ転送しますが、1塁も間に合いません! オールセーフ! 記録は、ピッチャーのフィルダースチョイス。ノーアウト、1、2塁となります」
「いやー、これは痛いですねー。1点取られたら終わりの場面ではないですから。裏の攻撃があるんでね。確実にアウトに出来るならいいですが、今のは無理に2塁へ投げるタイミングではないですねー」
必死になって1塁を駆け抜けると、1塁塁審がセーフのジェスチャー。
エッチなランプの下の下にある、FカップとCカップの方、絶賛募集中!を意味するランプが点いた。
珍しいランプだ。
「バカ野郎。あぶねーコースにバントしやがって。もう少しでダブルプレーになるところだったじゃねえか。もっと丁寧にバントしろよ!」
1塁コーチのおじさんは、そう言いながらも、労うようにして、ヘルメット越しに俺の頭を撫でる。
Fカップを誘ったつもりで微妙なコースに転がしたわけではもちろんない。
ボールがくる最後の最後まで、バントするかバスターするか考えてしまったのだ。
危ないところだった。
何はともあれ、ノーアウト1、2塁という形として最高のものとなり、打席にはベテランの風格漂う主将の阿久津さんがバッターボックスへ。
1発があり、広角に打ち分けられる勝負強いバッターだ。
ガツンとスタンドに放り込んで頂いて、試合を決めてもらいたいもの。
その願いは、横浜スタジアムのレフトスタンドを埋めるピンク色の集団も同じで、ここぞの時にしかやらない大チャンステーマが演奏される。
12回表、選手と同じように最後の力を振り絞る数千人の応援団の声が重なり合い、迫力ある野太いものとなって、スタジアム中に響く。
相手バッテリーも阿久津さんを打席に迎えて慎重になる。
初球はボール球になる変化球で誘いにきたが、阿久津さんのバットは止まり、2球目のアウトローギリギリのところはボール判定で、カウント2ボール。
当然フォアボールを出して満塁には出来ない。
キャッチャーはまたアウトローに構えたが、ピッチャーの投げたボールは逆球。
インコースの低めにいった。
阿久津さんがそのボールをたたく。
打球は痛烈なゴロとなって、3塁線を襲う。
しかし、サードのグラブにその打球がビタッと収まり、打球を取りに踏み出した右足が既に3塁ベースを踏んでいた。
そして、踏ん張って2塁に投げていた。
あ! やばい!!
そう思った時にはもう遅かった。
俺は2塁へ頭から滑り込んだ。ベースに入ったセカンドの選手に抱きつくようなヘッドスライディング。
しかしそれは遠く及ばず、簡単に1塁へ送球された。
阿久津さんが駆け抜けた1塁ベースを振り返る必要もない。
さっきまで大騒ぎだったピンク色のお客さんが静まり返り、その反対に青いユニフォームのお客さんがわあーっ!と、一瞬にして沸騰したようにして、スタンドが沸き上がった。
トリプルプレー。
プロ野球でも数年に1度しか起こらない珍しいプレーだが、やられた俺達はあまりにもショック。唖然ボーゼン。
まるで凍りついたようにして呆気に取られた3塁側のビクトリーズベンチ。
その上のスタンド。
阿久津さんの打球が3塁線を破り、勝ち越しのランナーがホームに返ってくる。
打った瞬間、チーム全員の頭によぎったそれはまさに絵空事だった。
阿久津さんの会心の当たりがサードのグラブにすっぽりと収まり、そのまま3ベースを踏まれ、流れるように2塁、1塁とボールが渡ってしまった。
バッターの阿久津さんの足が遅かったというのも運の尽き。
ベンチに帰ると、みんな信じられないといった表情で呆然としていた。
「オラァ、まだ負けたわけじゃないぞ!」
1塁コーチおじさんが一喝する横で俺は………。
「でも、勝ちもなくなったもんなぁ……」
と呟くと、俺の可愛いおケツに蹴りが飛んできた。
和まそうと思っただけなのに。
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