中華を食べたい新井さん6

「レフト新井が落下点に入る! サードランナー、ベースに戻ってタッチアップいくか!」


「これは行くでしょう!」



横浜の夜空に真っ白の打球が上がる。


バッターが打った瞬間は小さくなっていたボールがあるところから落ち始め、だんだんくっきりと視界に入る。


真っ黒の空からスタジアムの照明が照らす光の中に落ちてくる。




やたらそのボールが大きく、くっきりとして視界に入ってくる。


俺は予測した落下点から2、3歩後ろにポジションを取り、グローブを下げたまま、顔だけを上げて打球を見る。


落ちてくる打球と呼吸を合わせるようにタイミングを取り、前に助走をとりながらグローブを差し出す。





「定位置からやや前に出まして、新井が打球を掴みました! 3塁ランナースタート!!」


タイミングはばっちり。捕球からスムーズにボールを右手に持ちかえて、送球動作に入る。小さいテイクバックと細かいステップで少しでも速くボールを離したい。


3塁ランナーがタッチアップしたのかは分からない。


分からないが、中継にきたショートの赤ちゃんの姿がなんとなく見えたが、俺はホームにレーザービームを放ってやるつもりだ。


ランナーがどうしてようと、俺にはそうするしかない。


元ピッチャーとしてのプライドと、ほぼ定位置からランナーを刺すにはノーバウンドのストライク送球しかない。


そう思ったのだ。





そこからはまるでスローモーションのようだった。1点にピントを合わせて覗き込んだカメラのように。


周りの音は何も聞こえない。


しかし、グラウンドには他のチームメイトがいて、相手のランナーがいて、コーチャーがいて、審判もいて、スタンドにもたくさんの両チームのファンがいるはずのだが、何も見えない。


キャッチャーすら見えない。


見えるのは、レフトからホームベースまでの空間と、グイーンと伸びながら遠ざかっていく自分の送球。その空間だけ。


思っていたよりも、相当いい送球になった。


助走も上手くいき、スムーズに送球でき、ボールに体重が上手く乗った。ノーバウンドのレーザービームとは惜しくもならなかったが、低いワンバウンドでホームベースの真ん中にボールが向かう。


現時点での、俺の中ではベストのバックホームだった。


そのバックホームをキャッチャーの鶴石さんが捕球して、すぐさま体を翻すようにして左腕を伸ばし、頭から滑り込むランナーに激しくタッチ。



ランナーとキャッチャーによる本塁上のプレーが終わり、マスクを外した主審がそれを凝視し、一瞬の静寂がグラウンド、そしてスタジアム中を包む。





「セーフ、セーフ、セーフ!!」









その一瞬の後、喜んだのは相手チームの方だった。








「タッチは………セーフ!! セーフだ!!サヨナラー!! サヨナラです!横浜ベイエトワールズ、サヨナラ勝ち! 3連勝ー!!」


プレーを見ていた主審が右腕を大きく広げると、生還したランナーと次打者の選手が飛び上がって喜ぶ。


そして相手ベンチから次々と青いユニフォームのはしゃいだ選手達が飛び出してくる。


ホームインした選手が次々とチームメイト達に手荒く出迎えられ、犠牲フライを放った選手が水を入れたボトルを持った選手に追いかけ回されている。


本当にチーム全員が今日の勝利を心から喜んでいる。俺のタイムリーで2点を勝ち越され、3連勝はなしか……。と、諦めかけてのサヨナラですから、喜びもひとしお。


真っ青に染まったスタンドも狂喜乱舞の如く弾けたように盛り上がり、そんな光景を目にして、俺の胸に悔しさが込み上げてくる。


気付いたらもう、グラウンド内に味方の選手は誰もいない。


勝ち越しタイムリーを打って、絶好のバックホームをしても、今日の試合は勝てなかった。


なんともやり場のない気持ちが身体中に充満していく。思わずグラブを叩きつけたくなるような衝動をぐっと抑えると、じわっと目尻が熱くなった。


打球を処理した場所からようやく立ち上がり、3塁ベンチまでの距離がやたらと遠く感じたのだ。

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