出番ですよ!新井さん2

3塁コーチャーのサインは送りバント。見紛うことなきはっきりとしたバントのサイン。


しかし、1口に送りバントといっても色んなパターンのサインが存在する。




よく見るのは、これは足の速いバッターが打席にいて、早いカウントの時に多い、セーフティ気味にバントしなさいというサイン。




これは相手の守備の穴をつけそうな時とか、ファーストをコミュニケーションの取りづらい外国人が守っている時なんかにも出ることがある。



これが出たらバッターは当然ピッチャーがボールを投げてからバントの構えをして、3塁線、1塁線ギリギリを狙うバントを試みる。



2つ目はバスターをしてもいいよというサイン。


バントはしたいが、相手ピッチャーとの相性が良かったり、打力のあるバッターにバントのサインが出される時がある。



特にファースト、サードが猛チャージしてきたらかましてやれ! みたいな場合によく出る。


3つ目は結果的にバントはしないのだが、バットを引いてボールを1球見逃しなさいというサイン。


これは、相手の守備がどういう出方をしてくるかという様子見したい場合に使われる。



他にもいろいろあるのだが、俺に出されたのはノーマルなバントのサイン。


きっちりバントして、ちゃんとランナーを進めなさいというサインだ。


しかし、誰が素直にバントするかっての。


俺はそう心に決めながら打席に入った。




「バッターボックスには連城の代打であります、新井がバッターボックスに入りました。さて、どんな作戦でくるでしょうか、大谷さん」


「セオリーはバントなんですけどねえ。しかし、新井君は昨日4安打ですから、私個人としては打たせてあげたいんですけど………。左ピッチャーですしねえ。でも、今日絶好調の桜池ですから。


送らせるでしょうねえ。とにかく得点圏にまずランナーを置くというのは大前提ですから、0ー0ですしね。そのためのこの場面での、新井くんの代打起用でしょうからね」


「新井は先発出場した昨日の試合は4打数4安打。阿久津の3打席連続ホームランをお膳立てした形でした。


また、代打ではここまで4度の送りバント成功がありますが。………あっと! 新井は送りバントの構えをしました」





打席に入り、俺がバントの構えをすると、相手の内野陣があからさまにバントシフトに移行してきた。


3塁手がジリジリと前進してきて、キャッチャーから若干長めのサインが出された。


初球。


相手の左ピッチャーが1塁ランナーをケアしながら高く足を投げて投球。


ファーストとサードがものすごい勢いダッシュしてきた。


速い真っ直ぐが低めにきた。


俺はバントの構えからバットを引く。


ズドン! という鈍く重い音が立った。


「ボール!!」







1球バントの構えから見逃した。


その感想は…………すごい。


すごい球だ。


今まで2軍戦やら、1軍で代打で出た時とか。それまで対戦した他のピッチャーとは全然違う。ボールの迫力が違う。




速いとか。おっ、今のはいい変化球だなとか。あー、今のはいいコースだ。ちょっとヒットには出来ないなあとか。


そう思うことはあっても、ただただすごい。


そう思ってしまったのは初めてだ。


むしろ、相手ピッチャーが放ってきたボールに俺は少し感動してしまったのだ。プロ野球に、それも栃木とお隣の埼玉県のチームにこんなすごいピッチャーがいるのかと。


俺はそんな相手ピッチャーを尊敬すらしてしまいそうになってしまっていた。


それと同時に、こんな俺にも変わらず全力投球してくれることにも嬉しく感じてしまった。


1年前は未来が見えなかったアルバイト店員だった俺に、かつての甲子園の大スター。鳴り物入りで5球団競合の末、入団し、今年覚醒したサウスポー。


ここまで沢村賞候補レベルの活躍を見せるそんなすごいピッチャーが俺に対して、自らの持てる力を全て注いで真剣勝負。


150キロオーバーの速球をこれでもかと、必死な形相で投げ込んできている。


これに興奮せず、何がプロ野球選手か。


俺はそんな高揚感を胸奥に押し留めながら、また投球前に、バントの構えをしてみた。

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