この子のビーフシチュー、気に入った。
とりあえずガラス屋さんが来るまでに、お借りしたゴム手袋で重ねたビニール袋にガラスの破片はだいたい片付けしました。
さすがにこのくらいはやらないとね。
その後ろで彼女が掃除機をかけて、普通に歩けるくらいにはきれいになりました。
そしてドキドキのシチュータイム。
「さ、どうぞ。食べてみて………」
テーブルに座り、料理を作る女性の背中とまあるいお尻を見て、ちょっと興奮しながら俺は待っていた。
白く大きい器に盛られたのは、ビーフシチュー。
牛肉やニンジン、玉ねぎ、じゃがいもなどが具だくさんで、つやのあるトロトロのビーフシチューが本当に食欲をそそるいい匂い。
もう我慢出来ないとばかりに俺は、スプーンを握りながら、両手を合わせてテーブルの向かい側に座った彼女にいただきますと伝えた。
スプーンでシチューをすくい、がっつくように口に運ぶ。
う、うめえ。
コクのあるシチューに柔らかいお肉の美味しさがたまらない。
「………美味しい?」
眼鏡の女性はちょっと心配そうに訊ねる。
美味しい! めっちゃ美味しいよ! と、何度も同じことを言いながら、バクバクとシチューを口に運ぶ。
「……おかわりもあるから、よかったらたくさん食べてね」
「本当に!? ありがとう。こんな美味しいビーフシチューなら何皿でも食べられるよ!」
「随分と褒めるのが上手だね。たくさん食べて」
女性も俺のより少し小さめのお皿にシチューを盛って、ゆっくりと少しずつ食べながらも、なんとなく嬉しそう。
よし。なんとかご機嫌が上がってきたようで何よりだと、俺は彼女のその様子を確認しながら、遠慮なく、何度もおかわりを懇願した。
「こんにちはー! 山吹さーん! 大家ですー!!」
3杯目のシチューを食べていると、ピンポーンとインターホンが鳴り、元気のいいおばちゃんの声がダイニングまで聞こえてきた。
「あなたはそのまま食べてて」
彼女は椅子から音も立てずにすっと立ち上がり、玄関の方へと向かう。
どうやら、大家さんがガラス店の人を連れてきたらしい。
「それじゃあ、後は全部やってくれから。…………あら。誰か家にあげてるの? 珍しいわね」
話を聞いているだけで世話焼き と分かるおばちゃん型の大家さんは、何かを嗅ぎ取ったようだ。
玄関には、俺のトレーニング用のアップシューズが置いてあるからなあ。
「………いえ。ただのお友達です」
彼女は大家さんにそう答えると、大家さんもそれ以上は追及しなかった。
「あらそう? 私は帰るわね」
大家さんは帰った様子で、代わりに梱包された新品のガラスと工具を持った作業服のおじさんが現れた。
「あ、失礼いたしますー」
ずいぶんと腰の低そうなおじさんで、ベランダまで行くと、工具箱を開けて早速作業に取りかかった。
「20分もあれば終わるって」
「そうなんだ。ごめんなさい、本当に」
「もう大丈夫だよ。気にしないで食べて」
彼女はそう言いながら、またテーブルに戻り、そうこしている間に空になった俺のシチュー皿にまた手を伸ばした。
「ガラス屋さんのおじさま、申し訳ございません。私が割ってしまいまして」
「いえいえ!こちらこそ、お食事中にお邪魔してしまって。すぐ終わらせますので……」
そう言ってガラス屋さんのおじさんはテキパキと作業に取り掛かる。
「ねえ、おかわりする?」
「よろしくお願いします。本当に美味しくて。…………あの、大盛りで」
俺は改めて恥ずかしくなりながら、何故だか、作業するおじさんには聞こえないようにそうお願いすると、彼女はまた少しだけニコリと微笑んで振り返り、鍋のふたを開けた。
「分かった。超特盛だね」
眼鏡さん、なんだか嬉しそう。
食事も終わり、しばらくしてガラス屋さんも仕事を終えたようだ。
「お代は全て合わせてこちらになります」
「………はい。これで」
幸いあまり破片などは飛び散っておらずおじさんの作業は予定よりも早く終わったみたい。
おじさんは荷物をまとめて立ち上がると作業報告書のような用紙を取り出し、それでは代金の方をという空気になり、俺はすぐに自分の部屋に財布を取りに戻った。
1万円か2万円くらいか分からないけど、そのくらいのお金は財布にあったので、彼女にお金を渡そうとすると、彼女はそれを拒んだのだ。
さっきまで優しげな様子だったのに、お金を渡そうとした瞬間だけは、キッとした表情で俺を睨み付けた。
お前は余計なことをするな。その安っぽい財布はとっととしまっておけ。
そんな表情だ。
非常に興奮する。
「それでは何かありましたら、お気軽にお電話下さい。失礼致します」
ガラス屋のおじさんは、帽子を外しながら、何度も女性と俺と交互に会釈をして、静かに玄関のドアを閉めた。
「………デザートもあるから食べてって」
彼女はそれだけを言って、またキッチンの方へと戻る。
たらふくシチューをご馳走になり、タプタプになったお腹を擦りながら戻った俺に、彼女はガラスを割ったバットを拾い、差し出してきた。
彼女はそのバットに記された北関東ビクトリーズとプロ野球連盟公認を示す焼き印を見つめていた。
「あなた、プロ野球選手なの?」
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