やまない雨はない
季節は確実に夏へと向かっていた。
7月。
もうすぐ夏休みに入る。
咲達三年にとって、高校最後の夏休みだ。
咲は勉強の心配はする必要はない成績だが、泉と晴美はどうだったのだろう?
進学も決まったらしく、呑気に構えていた。
その分、部活に嫌でも熱が入る。
先ずは、夏休み恒例の強化合宿の日程を決める。
三人で既に決まっている日を除いて、空いてる空間で一週間の合宿を決めた。
夏休みが一番多く練習が出来る。
「じゃあ7月28日から8月4日までの一週間で、決めていいね?」
「誰か、この中で都合の悪い人はいる?」
一週間となると、中には何かしらの予定が入ってたりするものだ。
それを咲は咎めたりはしなかった。
たとえ部活でも、個人の都合も考えてやらなければ、絶対に続きはしない。
咲は、その事を辞めて行った同期の子を見ていて痛感していた。
先輩達はそういうところに、理解がなかった。
それでみんな続かなくて辞めて行った。
「はい、咲先輩。全部じゃなくて、8月2日だけ抜けさせて下さい」
「分かった、いいよ。朝から?前の日から?」
「前の日の練習が終わってから抜けます」
「晴美、書いといて」
「了解。1日夜から2日、一年鈴木朝子(すずきあさこ)欠席、と」
「他には?まだ分らなければ、その時に言ってくれて構わないからね」
今日は練習抜きで、部室で夏休みの合宿の計画を立てていた。
早めに予約を入れないと、合宿所がいっぱいになってしまうのだ。
「じゃあこれで顧問の先生に許可を貰うとして……次は調理人を探さなきゃ」
合宿中の食事の支度をしてくれる人の事を、運動部の人はそう呼んでいた。
「そうねぇー、何せ30人分の食事の支度だから、5,6人は必要だよね」
「んじゃ、あたしらの友達の中でさ、部活入ってない子に頼むか」
「だね!それなら5,6人くらいすぐ集まるよ」
「じゃ、早速やってくれそうな人にメール出そう?」
「誰がいる?鈴子は?玲子とか。英子もいいんじゃない?」
「よっしゃ、まずその3人にメールするから、後3人考えて」
泉は早速その3人にメールを送信した。
こういう時の、泉の行動力の速さには驚かされる。
「あと誰かいるかなぁ~……」
相変わらず咲はこういう事には頭が回らない。
その為に、泉と晴美がいるのだが。
泉はチアガール部の会計、晴美は書記。
そして咲がキャプテンという訳だ。
「咲、3人ともオーケーしてくれたよ」
「よかった、じゃ後3人だね」
調理人と言ってもそんなに甘いものじゃない。
30人分プラス自分達の分の献立を、考えて作らなければならないのだ。
勿論その間は一緒に合宿所に泊まる事にもなる。
その事を分かってる人でなけりゃ頼めない。
そう考えると、合宿も大変なのだ。
コンコン!!
!突然、部室のドアがノックされた。
咲はその音に、過剰なほどに驚いた。
泉と晴美は、その咲の変化を見逃さなかった。
また、咲の身に何かが迫ってる……。
「誰?」
すかさず泉が声を掛けた。
「赤井です。咲、いますか?」
「えっ?翔君?」
急いで走りドアを開ける咲。
「練習に来てなかったから、何かあったのかと思ってさ」
「あれ?あたし言わなかったっけ?今日は夏休みの合宿の日程調整があるから、練習は休みって」
「そんな事一言も聞いてねぇし。そんならそんでいいけどさ、心配するじゃんよ?こっちはまた咲を狙ってる奴がいるけど、正体が掴めてないんだからさ」
「ごめーん。てっきり話してあったと思ってたから。で、それで来たの?」
「いや、もう終わったから、迎えに来たんだけど?」
「えっ?今何時?」
「そろそろ7時半になるよ」
「大変!みんなごめんね。今日はここまでで解散しましょう」
時間の経つのを忘れていた。
なんて失態。
「「はい!お疲れ様でした!」」
「お疲れ。遅くなっちゃったけど、気を付けて帰ってね」
いつでも誰にでも優しい咲。
そんな咲だからこそ、みんなも付いて来るんだろうな。
それに可愛いし……って、それは俺だけにしかカンケーねぇな。
「じゃあ俺達も帰ろう、咲」
「うん、ちょっと待ってて。これだけ職員室に置いて来るから」
「職員室なんてもう真っ暗だぜ?」
「あれ?顧問の先生も帰っちゃったのかな?じゃあ明日でいいかな」
「何の書類なの?」
「夏休みのね、合宿の日程表。これ出さないと合宿所の予約が取れないから大変なんだ」
「合宿?いつから?」
翔が心配そうに聞いた。
「えーと、7月28日から8月4日までの一週間。翔君は?ない筈ないよね?合宿?」
「バスケ部は8月1日から一週間だったぜ、確か」
「ふぇ?うちと重なるの?それは拙(まず)いかも知れないなぁ……」
「何で?でっかい合宿所なんだから大丈夫なんじゃね?」
「でも調理室とお風呂は共同だよ?食堂も同じく。部屋は色々あるけどさ。3階建てだから」
「じゃあ咲と一緒に入ろっかなぁ~。んで、一緒に寝よう?」
「ふ、ふざけないでよ翔君。あたしにだって立場があるんだから。部活とプライベートは別だからね」
「ぶっ、咲今の話しマジだと思った?笑える~。これだから咲は危ないんだよなぁ」
「な、何よ、それ。翔君最近あたしの事バカにしてないかなぁ?他に好きな子でも出来たんじゃないの?」
「咲!冗談でもそんな事は言うな!誰が聞いてるか、判んねぇんだからよ。お前から俺が離れた、なんて噂にでもなってみろ。今まで隠れてた奴らがお前を狙って来るからな」
思ってもいなかった翔の答え。
「何それ?何で別れたら狙われるの?意味分かんない」
「俺がお前の傍にいる間は、誰も手出しは出来ない。けどな、俺の守りがなくなった無防備な咲なら誰にでもどうする事も出来るんだよ。分かったか?」
「つまりそれだけ翔君はあたしを守ってる、そう言いたいんだね?」
「あ、あぁ。ま、そうだけどよ」
珍しく翔が顔を赤らめて言葉に詰まっていた。
それだけ咲の言葉は的を得ていたのだ。
合宿か……。
何も起こらなければいいけどな。
夏休みか。
咲とどっか行きたいなぁ。
やっぱ海かなぁ~。
咲の水着姿ってのも見てみたいもんだな。
ついでに写メ撮って待ち受けにしとこ。
「ねぇ、咲」
「なぁに?」
「部活休みにさ、海行こうよ」
歩きながら話し出す翔。
「海?いいけど、あたし泳げないよ?それに電車混むんじゃない?」
「へへ、単車の免許なら俺、持ってるんだぜ」
「単車?バイク?それにふたりで乗るの?」
「俺、運転は上手いから大丈夫だよ。これでも特攻隊やってたんだからさ、あのスリルが大好きでよ」
「特攻隊って、なに?翔君?」
「暴走族で一番先に走る奴の事だよ。赤信号もぶっちぎりで行くんだぜ。俺は頭やるより特攻やる方が好きだったからな」
「翔君……もし、赤信号で交差点に入って、それでもし止まれない車が来たりしたら……どうなるの?」
「あー…そりゃ死ぬかもしんねぇ。実際死にかけた事、あるしな」
そんな話し……初めて聞いたよ……。
もし、翔君がいなかったら……。
考えたくない!
「……翔君、もうそんな危ない事やらないで。お願いだから……」
語尾は泣き声に変わっていた。
「咲?どうしたんだよ?お前が泣くなんてよ」
翔が優しく咲を抱き寄せる。
すれ違う人がふたりを横目で見ては、通り過ぎる。
そんな事はお構いなしに、咲をなだめる翔。
「怖いの……翔君がいなくなっちゃう事が怖くてどうしようもないの……」
「あー……そーゆう事かぁ。もう族はやってないよ、昔の話し」
「……本当?翔君の昔、あたし何も知らないのに」
「何?知りたい?俺の過去も全部が知りたいってか?」
「それは……好きな人の事なら、何でも知りたくなっても、おかしくはないでしょ?」
「まぁな、その気持ち、解るけどよ……咲、怒るからなぁ~」
「じゃあ怒らないって約束したら、教えてくれる?」
「う~ん……どうすっかなぁ~。それだけじゃ足りないかなぁ」
「じゃあどうすれば「やっぱり、海行こうぜ、咲。そしたら全部教えてやる」」
「え……?なんで海にそんなにこだわるの?」
「ここんとこさ、嫌な事ばっか続いてるじゃん。俺だってそんな事忘れてさ、咲と一緒にいたい訳。分かる?」
「うん……それはあたしも同じ気持ちだけど「決まり!海行こうな、咲!」」
「分かったよ、翔君って、言い出すと絶対引かないよね?」
「なに?それって俺が一方的に我が儘(まま)通してる様にしか聞こえないんだけど?」
「違うの?その通りじゃないかなぁ」
「あっそ。咲は俺が嫌いなんだ、俺といたって碌(ろく)な事ないもんな」
「そんな……こと……、言って……ない……、のに……」
ありゃ~。
また泣かしちゃったよ。
何やってんだ?俺?
咲を泣かして何やってんだよ?
「咲?ごめん、俺が言い過ぎた。だからもう泣くなよ、な?」
「でも……翔君最近意地悪ばっかり……これって、あたしの事、もういらなくなっちゃったからじゃ、ないの?」
「違うって!ほんとにごめん!俺が悪かったんだよ。咲は俺の大事な女なのに、俺はちゃんと守れるのかって、最近そんな事ばっか考えてて……そしたら本当にやり切れなくて、俺って何だか頼りない男だよな……」
「そんな事ないよ、翔君はちゃんとあたしを守ってくれたもん。一緒に海、行くんでしょ?」
「う、うん!咲泳げないって、水泳の授業どうしてんだよ?」
「普通に出てるよ。プールなら平泳ぎだけは出来るんだよ」
ぶっ……。
何だよ、それ?
プールなら泳げるけど、平泳ぎ限定って?
咲らしいっちゃ、らしいかもな。
でも笑える、けど笑ったらまた咲の機嫌が地球の反対まで落ちそうだしな……。
「翔君?「うわぁぁぁ!び、びっくりしたぁ。お、俺笑ってなんかないよ?」」
「へ?何の事?それより何をそんなにびっくりしてるの?」
「えっ?な、何の事かなぁ~?そ、そうだ!咲の水着ってどんなのかなぁって」
「水着?特に変わった水着じゃないと思うけど?それがどうしたの?」
「咲の水着姿、写メ撮っていい?「いいわけないじゃん!翔君のスケベ~!!」」
街中に響き渡る、咲の声。
それを聞いた人々が、くすくす笑いながら翔の顔を見て通り過ぎてゆく。
な、何か、俺のイメージが音を立てて崩れ落ちてく様な気がするな……。
いや、気がするんじゃなくて、本当に崩れてるよな……。
「翔じゃねぇの?お前こんなとこで何やってんだ?」
「清志……。い、いや、別に何でもないぜ。なぁ、咲?」
「あれ~、咲ちゃんいたんだ。この間はこいつ大丈夫だった?」
「こんばんは、大丈夫みたいですよ。あ、でも頭のネジがどっか飛んじゃってるみたいなんだけど……」
「咲、俺は特に変わりはないんだけど?「清志君、この人の頭大丈夫なのかな?」」
「翔はいつもどっかおかしいから、それが普通だよ、咲ちゃん」
おい、ふたりで言いたい放題じゃねぇか。
清志まで咲と一緒になって、俺の事そんな目で見てたのか。
「清志、咲ちゃんって、もしかしたら紅葉のあの噂の可愛いって子かよ?」
「あぁ、そうだっけな。でも男いるぜ、飛びっきりヤバい奴がな。咲ちゃんの隣りにいるだろ?見覚えねぇか?赤井翔だよ」
「あ、赤井って、あいつか?あいつがあの子の彼氏なのかよ?」
「そうだよ。ケンカはしない方がいいぜ。何でもありだし、恐いもの知らずな奴だからな」
「赤井翔って言ったら、市内じゃ知らねぇ奴はいねぇよ。そんな奴が彼氏じゃ、遠くから見てるだけだな。……成る程ね、これは噂通りか、それ以上の可愛さじゃね?」
「おい、さっきからなーに咲の事じろじろ見てんだよ?咲は俺の女だからな、勝手に見てんじゃねぇよ」
「翔、こいつ覚えてねぇ?いつだかケンカになった奴なんだぜ」
「あぁ?ケンカした相手なんざいちいち覚えてねぇよ。清志のダチかよ?」
「んだよ。小谷の情報教えてくれたのって、こいつなんだぜ」
「おっ!あん時の。いやぁ助かったよ、お陰で返り討ちに出来たし、咲も無事だったしな。咲、こっち来いよ。こいつがお前の恩人だぜ」
「こんばんは、咲ちゃんって言うんだ?噂以上に可愛いね。頼もしい彼氏がいてよかったね」
「こんばんは。あの、小谷さんの事、その後どうなったのか知りませんか?あの日から学校にも来なくなっちゃって……翔君は何も知らないって言うし」
「あの女の心配なんか、する必要ないよ。本当に汚い女だからね」
「そう……なんですか……」
「咲、まだそんな事考えてたのか。咲は何も悪くないんだから、気にするな。……今度呑もうぜ、じゃな清志」
「おう。咲ちゃん、またね」
「おやすみなさい」
そう挨拶すると、咲はひとりでさっさと歩き出した。
茫然としていた翔が、咲の腕を掴んで「咲、待てよ!」と、声を掛けると、掴まれた腕を振りほどいて咲は走り出した。
「咲!待てよ。何怒ってんだよ?」
すると、咲はその足を止め、くるりと向きを変えると翔に言った。
「別に怒ってないよ?でも、翔君の頭の中っていつもそんな事ばっかり考えて、それでそんな目であたしの事見てるのかな、って」
「青春真っ只中の男が考える事なんか、みんな同じなんだぜ?咲だって読んだんだろ?お前に来た男からの手紙をさ」
「読んだよ、でも本当にみんなそんな目であたしを見てるの?」
「そうだよ。だから言っただろ?咲は今はひとりになったら危ないんだって。お前本当に危ない目に遭わなきゃ分かんねぇのかよ?」
冗談じゃねぇよ。
本気でこっちは心配してんのによ。
咲に自覚がなかったら守り切れねぇよ。
ん?
もしかしたらさっきの水着の事でまだ怒ってるのか?
「咲?ちょっと聞くけど……もしかしてお前さっきの水着の話しでまだ怒ってるとか?」
「いやぁぁぁぁ!!翔君の変態ぃ~!!」
ズ-----…ン!!
俺、今度こそ立ち直れなくなりそうだ。
翔は力失くしてその場にしゃがみ込んだ。
周囲の人がこっちを見て何か言ってるよな……。
これが市内では名の通った赤井翔とはな。
誰も思わねぇよな。
「……けるくん、翔君。何だかみんな見てるよ?大丈夫?」
「咲ぃ~、お前があんなにでっかい声で怒鳴るからだろうが~。もう俺のイメージ丸崩れだよ……」
「そんな事気にするんだ?翔君って変わってるね。あたし全然気にしないけどなぁ。」
そうだった。
咲は周囲(まわり)の事なんか気にならないんだった。
何しろ超が付くくらいの天然だからな。
忘れてた俺が悪いのか……。
だからって、あそこまで怒鳴らなくてもいいじゃねぇか。
って、もう手遅れだよな。
はは……。
7月28日。
今日からチアガール部は、一週間の合宿に入る。
ゴールデンウィークにも3日間の合宿はやっているので、一年生でもこれが二度目の合宿になる。
ただ、今回は日にちが長い。
体調管理も重要になってくる。
季節は真夏。
体育館の中はまるでサウナのように暑くなる。
それで体調を崩す子が、毎年ひとりふたりは出てしまうのだ。
体育館、ステージの上から咲の声が聞こえて来る。
「それじゃあ今日から一週間の合宿に入ります。暑いので各自体調管理はしっかりね。具合が悪くなったら、我慢しないで三年生に言う事。それではまず午前の練習から始めます」
「「はい!よろしくお願いします!」」
よく通る咲の、ちょっと低めのアルトが体育館内に木霊する。
翔はその声を聞きながら、何も起こらない事を祈った。
どんなに一緒にいたくても、合宿中だけはどうしようもなかった。
でも、8月1日からは一緒に合宿だな、咲。
結局、チアガール部とバスケ部の合宿の日程は後半だけ被ってしまったのだ。
まぁ…。
顧問の先生もいる事だし、何より練習のスケジュールが詰まっている。
何も起こらないよな。
でも、咲の方が先に合宿が終わってしまう。
その間、咲をどうやって守ればいいんだろう?
翔は何故か、嫌な予感がしてならなかった。
こーゆう当たって欲しくない予感って、当たるもんなんだよなぁ。
チアガール部の合宿中、翔は咲の練習が終わるまで、ずっと咲を見ていた。
いや、正確に言うと『見惚(と)れてた』が正しい。
翔はバスケの練習があるから、こうやって真近で咲の踊ってる姿を見た事がなかった。
いつも、バレーコート越しに遠くから見ているだけだった。
けど、今日はステージの真下に座り込んでずっと咲の姿を追いかけていた。
「翔君、帰らないの?」
不思議に思った咲は声を掛けた。
「帰んないよ。咲の踊ってるところなんて、俺見た事ないんだぜ」
「だからって、下から見てたら他の子が踊りにくいでしょ?」
「あ~気にしなくていいよ。俺、咲しか見ないから」
「ほほ~、赤井君そんな大胆な発言を軽く言いますなぁ~」
泉がまた面白がって、翔をからかい出した。
実際、チアガール部の中にも、翔のファンはいたのだ。
けれど、誰もが咲には敵わないとも思っていたし、何より咲なら翔に釣り合うと思っていたから、誰も何も言わなかったのだ。
それだけ後輩からも咲は慕われていた。
8月1日。
今日からバスケ部が合宿に入る。
そうなると、共同スペースの順番などを話し合わなけりゃならない。
食事の時間や、お風呂の順番など。
大体は一日置きに夕飯とお風呂の順番を変えるぐらいでいいのだ。
咲は部長として、バスケ部部長の野島と相談する事になった。
これは、翔にとっては非常に面白くないアクシデントだった。
幸い咲は野島が自分に片想いしてる事は知らなかった。
ただ、翔といつだったかケンカになったその訳も、知らなかった。
こういう時には咲が天然だった事に感謝だな。
「....じゃあうちは先に始まってるし、今夜はバスケ部が夕食とお風呂好きな方を選んで下さい」
「う~ん....、じゃあお言葉に甘えて、風呂を先に使わせて貰うよ」
咲はにっこり笑って「分かりました、それじゃうちが先に食事とらせて頂きますね」と野島に言った。
野島の頬がみるみる赤く染まってゆく。
まだ、咲の事が好きなのは、咲以外の人ならすぐに気付く反応だった。
ここまで分かり易い反応をしてる人を前にしても、咲にはそんな想いは通じない。
しかも今の咲には、翔以外の男の顔すら見分けが付かないんじゃ、ないだろうか?
野島と話してる咲を、苛々しながら待っていた翔に捕まった。
「咲、ちょっと....」
「え?な、なに?」
合宿所の、一室。
六畳間の小さい部屋にあたしは押し込まれた。
「野島と何を話してた?」
「へっ?今日からの共同スペースの使う順番を決めてたんだよ。翔君、何か怒ってる?」
「なぁんだ、俺はてっきり野島が咲に告ったのかと思ってたよ」
「?なんで野島君があたしにそんな事言うの?そんな訳ないじゃん。翔君ってば考え過ぎだよ」
「咲、お前本当に気付かない?野島がお前に片想いしてるって、俺前にも言ったと思うんだけど」
「でも、別に何も変わった事はないよ?クラスでも普通に話してるし」
何ぃぃ?
あの野島の野郎、咲と同じクラスなのをいい事に、俺が見てないとこで咲と話してたのか。
でもなぁ...。
この天然の咲に何か言っても、俺が悪者になるだけだしなぁ。
咲に野島の想いは届かねぇんだし、大目に見てやるか。
バスケ部が合宿に入ったその夜。
咲の携帯にメールが入った。
『さっきの部屋で待ってる』
翔からの呼び出しのメールだった。
勘の鋭い泉がすぐに翔からのメールだと、察した。
「どうしたの?咲。メール、赤井君でしょ?」
「えっ?あ、あの、そうなんだけど…何だか使ってない部屋で待ってるって。また何か怒ってるのかなぁ?」
「ばっかだねぇ~、一緒にいたいだけじゃん。ひとつ屋根の下にいるんだからさ。行ってきなよ、どうせこの部屋にはあたしらしかいないんだから」
「うん、分かった。ありがと泉」
咲はそ、と部屋を抜け出して、昼間の部屋に向かった。
「翔君?いるの?真っ暗じゃない「咲!電気はいらない」えっ....」
そのまま、本当に翔は咲を捕まえたまま、放そうとしなかった。
咲の唇に翔のそれが触れた。
柔らかい感触に、咲はもうポーっとしていた。
「くす…キスだけでもうそんなになっちゃうの?咲?」
「…翔君、あたしは「しっ!黙って!じゃないと俺、本当にここで咲を押し倒しそうになっちゃうから。…少しだけこうして抱いていさせてよ、それ以上はしないから」」
翔君の匂いがする。
あたしが一番安心する場所は、翔君の腕の中。
このまま朝なんて来なくてもいい…。
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