第41話 1つ
「そんな……ありえない! どうして、アヤメ!?」
宮下はかなり取り乱している。
彼女の心は僕にはわからないが、なんらかの変化があったというのはわかるような気がする。
だけど、それでも、僕の心は彼女を離すべきではないと感じている。
「離さないし、お前とはもう話さない」
「離せ!!」
さっきよりも強い口調で、大きな力で僕を振り解こうとしている。
それに伴って、僕も腕の力を強くした。
「アヤメが望んだ世界を作ろうとしただけなのに……」
「私はそんなこと望んでない」
「アメリカでも、日本でもどこに行ってもはみ出しもので、友達が出来なかったあなたを傷つけた世界なんて滅びるべきだわ!」
「私は傷ついてなんてないよ」
「気がついてないだけ、心は簡単に壊れるし、壊れたって本人にはわからない。あなたを傷つけるものは全て滅ぼすべきだわ」
「違う。そんなこと考えたこともない……」
「心に余裕がなかったからよ」
「違う! 私が自分の世界を変えなかったから……だけどそれは昔のこと。もう一人の私……私は日本に帰ってきて、変わりたかった」
「でも、変わらなかったじゃない。FAだってことを隠しても、ハーフだってことで差別する。人間は自分と違うものを認めない。下らない価値観で人を見下して、危険だと思えば排除する」
「そうじゃない! ……ただ、わからないから怖いだけだよ」
「そう、だから怖いものじゃないって教えてあげないとね」
「でも、それは自己満足でしかないよ」
「人間ってそういうものでしょ?」
「だからこそ、私たちは人を導くべきでしょ?」
「そういうこと……アヤメがそうしたいなら、そうするべきなのかもね」
一人で問答する宮下は僕の目からみても変わり者だと言わざるをえない。
僕は思わず彼女から手を離した。なんとなく離しても大丈夫な気がしたからだ。それでも、彼女は異常に見えることには変わりがない。
しかし、自分に問いかけて、自分で答えを見つけることは誰だって常日頃から行なっていること、それが表面に現れただけのことだ。
彼女達は人とは違う。それは心がいくつもあるから……というだけではない。
そもそも、人というのはすべからく違った一面をもつ。僕からしてみれば、FAとは違う人間だって変わった存在だし、同じFAである彼女達もまた同じだ。
「結局、心がどこにあろうが、心というものはいつだって僕たちを助けてくれるんだな」
心のありかも、そのあり方も人によって違う。それは、各自の能力がどこに作用しているかとかそういうことじゃなくて、どうあるべきか、ということに主軸があるからだと僕は思う。
くだらない学校教育とやらに力を入れる奴、マイノリティを無視することに優越感を覚える人間、そんな彼らにだって、僕と同じように大切なものはある。
それは家族だとか、もう一人の自分だとか、人との繋がりだとか、自分の意思なんていう、自身を構成する成分だ。
しかし、それをよしと思わないものもいるだろう。
「――くだらない」
一ノ瀬は先生に捕まったまま、面白くなさそうに吐き捨てた。
「あんた達は結局、宮下アヤメでしかないってことか……だけどあたしは違う……! 宮下アヤメから生み出されたそれ以外の物。いまで言うなら一ノ瀬雫だ。あたしはやめない……どれだけ邪魔されようと、アヤメがやめて欲しいと願おうと……結果的に世界が壊れてしまおうと、関係ない全てはアヤメのために差別のない世界を作らなければならない」
続けてそう話すと、一ノ瀬は先生の腕を振り払う。
「私はそんなこと望んでないんだよ?」
すっかりと心が元の体に戻ったアヤメは一ノ瀬を諭す。だが、そんなこと関係ないと、一ノ瀬は薄ら笑いを浮かべる。
「心を持った今だからわかる。アヤメの体にいた彼女にはわからなかった。あたしは本当の意味で、アヤメに幸せになってもらいたい」
本心だ。彼女は嘘をついていない。もちろん彼女が本当に心を持っていればの話ではあるが……だがそれでも、一ノ瀬はもっともらしくそう言った。
「それは、それは……素晴らしい愛情ですね。いえ、傲慢とでも言うべきでしょうか? 誰かのためになにかをしたい……それが望まざることであったとしても…………自己満足ですね」
先生は面倒くさそうに、それでいて静かな怒りを浮かべながら呟いた。
「人間は自己満足のために生きてるからね。それに、これでもかなり譲歩した方だと思うけどね……どうしようもなく悪い奴を数人傷つけただけだし」
彼女は悪びれる様子もなく笑う。
「個人が個人に罰をあたえる。それじゃあ法もなにもあったもんじゃない。正当防衛ならまだしも、お前は過剰防衛だ。俺はお前のやり方を認めない」
いつになく、先生は暑くなっているようだ。
それもそうだろう。なぜなら先生は生徒のことを一番に考えて行動している。
だから、生徒をないがしろにすることだけは絶対に許さないと言う傾向があるからだ。
「今回はあたし達の負けだけど、アヤメも含め、全てのあたしをいつか返してもらう。そして、世界はあたし達が住みやすいように作り直す」
「そんなこと私がさせない。これ以上、私の好きにはさせないから」
アヤメが言った言葉は、なんだか自分にいいきかせているようにも感じた。
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