ファンタジー生物保護部

真白 悟

依頼

第1話 心の在り処

「心ってどこにあると思う?」


 唐突に僕の隣に座った女の子が僕の方を向いて聞く。

 授業中になんてことを聞いてくるんだと、思いつつも彼女の疑問に答えようと深く思考を巡らせる。

 もちろん、明確な答えなど見つかるはずもない。だから、僕は投げやりにこう答えた。


「心臓のあたりなんじゃない?」


 何かに心を痛めたり、心躍るようなことが起こった時にいの一番に反応するのが心臓だから、実際そうなのじゃないかと僕は思っていた。ちなみに次の候補としては脳みそがあげられる。

 しかし、隣の少女は僕の答えに少しだけがっかりしたように肩を落とした。


「それは違うんじゃないかな?」

「じゃあ? どこにあると思うの?」


 僕はいつの間にか、彼女の言葉に期待していた。彼女は自分の疑問について答えを持っているのではないか、その独特の見解を僕は待っていたのだ。僕がそう思ってしまうのも仕方のないことで、彼女は日本人とアメリカ人のハーフらしく、日本人離れした胸と、異質な金髪青目がほかのクラスメートと違うと感じさせたからだ。

 そんな彼女が口を開こうとした時、僕の背後から垂直に僕の頭の頂点を何かが小突いた。あまり痛くはないが、さすがに突然人の頭を殴るのはどうかと思う。

 すぐに僕は、その何かの持ち主が僕の一つ後ろの席に座っているクラスメートのものだと思い。怒りをあらわにしながらも、ゆっくりと振り返る。

 そこに立っていたのは、僕よりもはるかに怒り狂った、若くも小太りの教師だった。


「授業中にお喋りとは……気合入ってるなあ?」


 彼は、僕の部活の顧問でもある。基本的に怒ることはないが、生徒が悪いことをした時は迷わず手を出せる最近では珍しい教師だろう。それがいいことだとは思わないが、ことこの先生に関しては話が別だ。

 どの生徒も彼に対して訴え出たことがない、それは彼が学校に一人はいるであろうヤクザのような風貌をしているからだとか、人間離れした体格をしているだとか、恐怖によるものではない。むしろ逆だ。彼が学校中の生徒から信頼されているからこそなせる技だ。

 僕は彼から幾度となく軽く頭を小突かれたことがあった。だからこそ、今回のものも彼の拳から繰り出された拳骨だということに気がつくべきだったんだ。

 それを僕は背後に回られたことにすら気がつかないという失態を犯してしまった。


「お前はただでさえ出席日数が足りてないんだ。まあ、特別免除だかなんだか知らんが、せっかく参加した授業ぐらいはまともに受ける気にはなれんのか?」

「先生! 僕は先生のそういうところは好きですよ」


 僕の言葉を聞いた先生は、さも嫌な顔をする。

 わかっているとは思うが僕が言いたいのは、先生としての信念とかそういう物の話だ。


「生徒に対してこんなこと言うと問題発言になりかねんが、お前相変わらず気持ち悪いな」

「いや、そういう意味じゃないですよ」

「わかっとる……とにかく、また部活の時しっかりと指導してやるよ」

「先生の方こそ気持ち悪いですよ」

「なるほど、いつもの百倍こき使ってやるとしよう」

「過労死します!」

「大丈夫だ。その寸前までにしておいてやる」


 そんな僕と先生のやり取りが数分ぐらい続いたところで、ほかの生徒から苦情が出た。当たり前だ。これほど長く茶番を見せられる生徒の身にもなってほしい。――まあ、おもに僕のせいなのだけど。


「先生、そんな馬鹿はほっといて授業をお願いします!」


 元気よく僕を非難するのは、僕の幼馴染の少女だ。名前は七瀬沙知(ならせ さち)で、クラス委員を担っているような、いわゆるエリートというやつだ。

 クラス委員をやっているだけでエリートというのはいささか語弊があるような気もするが、ともかく、彼女はエリートで、クラス委員だって、40名近いクラスのうちの二人しかなることができないのだからエリートと呼んでも差し障りないだろう。

 ともかく、僕はそんな彼女にすごく嫌われている。理由はわからない。ともかく嫌われているのだから仕方がないとしか言いようがない。

 僕はため息をつきながらも、いつものように反論する。


「おいおい、七瀬そんな言い方はひどいだろう? 一応幼馴染なんだからもう少し言い方を、だな……」

「うるさい……! 授業をまともに受けるようになったら考えてあげるわよ!」


 僕が何を言っても、彼女はいつもこの調子で、取りつく島は……あるのだろうが、どうしようもないほど、僕を真人間にしようとしている。

 もうそんなことは不可能なのに。


 結局、彼女が僕を無視し始めたのを皮切りに、授業は再開した。といっても、僕はもはや授業についていくことは出来ないわけで、どれほど授業が進もうと、それは変わりようのない事実としてとらえるほかない。

 そんな事実をかみしめつつも、僕は再び隣の少女を見る。

 彼女はもはや僕に対して何の興味もないようで、黒板の方をじっと見つめて、時々ノートに文字を書き綴っていた。

 それから、授業が終わるまでの時間は睡魔と闘う地獄の時間だった。睡魔に負けた場合は、拳骨が待っているからな。


――僕はチャイムの音で、目を覚ました。

 授業が終われば隣の少女に話を聞こうと思っていたが、もうすでに隣には誰もいない。というより、クラスに誰もいない。

 それは至極当然のことで、教室の時計に目をやると、時間はすでに六限が終わりを告げるチャイムを鳴らす時間だった。残念であり、幸運であることに、今日は五限までの授業だったため、僕は実に二時間ほど睡眠をとっていたことになる。

 まあ、それはいいとしても、どうして誰も起こしてくれなかったのだろう。なんて疑問を浮かべるやつがいたらぶん殴ってやる。理由は言いたくないが、普通の人が持っているものを僕が持っていないといえばぴんと来る人だっているだろう。

 つまるところ、僕には友達と呼ばれる存在が、一人どころか、一つ足りとも存在していないのだ。ボールすら友達ではない。

 もちろん、僕は『友達がいらない派』でもなければ、『ヲタクとつるむくらいなら一人でいい派』でもない。『ただ単純に友達がいない派』なのだ。友達なんてただの足手まといだとか、人間強度が下がるから友達はいらないとか、入学早々に入院したから友達ができなかったとかそんなわけではない。

 口で説明しても仕方がないだろう。ともかく、遅刻覚悟で部活に出よう。そうすれば誰にでも理由がわかるはずだ。

 僕は急いで部活棟へと向かう。どのみち、先生にしごかれるのは避けられないだろうが、いかなければもっとひどい目に合わせられることはわかっている。

 ともかく、僕は急ぎ足で部室まで足を運んだ。

 部室のドアを開けるのがこれほどまでに恐ろしかったことはないだろう。先生も恐ろしいのだが、それ以上にもっと恐ろしい存在がこのドアの先には待っている。息をのみ、僕はドアに手をかけた。――その瞬間、ドアが勢いよく開いた。


「遅いっ!!」


 ドアの先に待っていたのは、美少女とも呼べなくない女性だ。彼女は僕の先輩にあたる葉月心(はづきこころ)、ついでに言うならば、僕と同じ部活に所属している唯一の生徒ということもできる。もちろん、恐ろしいのはこの女性だ。

 僕は、どうせ、怒られるからと、先輩の胸に手を当てた。


「相変わらず、胸は小さいですね」

「……キャッ! って、急に何をするの!? 警察に行く!?」


 相変わらず反応はいい。相変わらずなんていっても、胸を触るなんて初めての行為なんだけどね。ともかく、もう殺されてもってと想えるほどの幸福感で胸がいっぱいだ。

 あれ、そういえばやっぱり心が満たされると、胸のあたり……つまり心臓のあたりが心地よくなるな。つまり、隣の彼女……名前は忘れちゃったけど、彼女の疑問の答えはやっぱり心臓なんじゃないのかな? 

 とそこで、再び僕の頭に垂直に落ちる拳があった。


「いっでぇっ!!」


 先ほどとは違い、本気で殴られたようで、頭にかなりの衝撃が走っている。

 畜生、くそ教師が。


「誠(まこと)君、先生に対してなんて汚い言葉を使うの?」


 先輩は、先ほどのことなど忘れたように、僕に対して別のことに憤っているようだ。

 しかし、突然に言葉づかいのことでなんて怒られても、僕はまだ先生に対して言葉を発していないのだが……。


「おい、葉月こいつ何を思ったんだ?」

「畜生、くそ教師が……らしいですよ」


 やめてくれ、僕のライフはもうゼロだ。これ以上頭を殴られてしまっては頭が陥没してしまうだろう。

 胸を触ったことなら謝りますから、これ以上心を読むのをやめてください。本当にマジで。


「ダメです。胸が小さいと言ったことは許しません」

「いえ、先輩の胸は大きいです!」


 どう考えてもAだよな?


「……赦しません」


 思っていることをやめることなんて、普通の人間には無理だし仕方ないだろう。でも、普通の人間に対してなら、思っていることが筒抜けなんてことはありえない。

 だからこそ、日常生活に支障をきたすことはなく、友達なんてものを作ることだってたやすい。でも、心を読める相手に対してはどうだろう? 心を読める相手を気持ちが悪いと思うことは誰にだってあるだろう。実際僕だってそうだった。

 僕は、彼女との初対面の時、ひどく彼女に罵声を浴びせた。

 そりゃそうだ。誰だって自分のことを自分以上に知っている女性なんて恐ろしくて仕方がないだろうし、できれば関わりたくないと思うことだって当たり前だ。だからこそ、彼女には今まで本当の友達というものができたことがない。

 友達というものが何を指すというのか、それは友達というものを持ったことがない僕にだってわかりはしないだろうが、彼女にはよくわかるはずだ。


 誰もが彼女の前では心が丸裸なのだから、本当の友達など存在しないということを彼女はよく知っている。知り尽くしている。


 だからこそ、彼女は妥協することもできないし、友達が友達のことを悪く思っているなんて状況をよく知っている。

 そんな彼女に本当の友達なんてできるはずがない。


――しかし、見た目はいたって普通の少女で、今の僕にとってはある意味心のオアシスとでもいうべき存在になっている。


「やっぱり許します!」

「いい加減心を読むのをやめてもらえますか?」


 彼女は友達と向き合ってこなかったからこそ、純白で心が白くどこか嘘っぽく白々しい。本当の本当というものを知らないからこそ、僕にとっては彼女こそが本物だと思えてしまうのだ。

 そんなかっこいいことを考えていたタイミングで、僕の頭に垂直に拳が振り下ろされた。


「っ……! 何をするんですか先生……?」

「くそ教師で悪かったな!」


 まだ覚えていたのか……。

 とまあ、いつもこんな感じで始まる部活動だが、活動内容はここまでほのぼのとしたものではない。ほのぼのしたものだとしたなら、僕がここまで頭を痛めることはないからだ。物理的にも精神的にも。

 僕は頭を押さえながら、いつものように自分の椅子に座る。といっても、自分専用のいすがあるわけでもない。自分の場所である本棚の前の椅子に着席するというだけだ。ここが僕の定位置ってやつだ。

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